概要
一般的には節足動物に寄生する菌類でも、子嚢菌門のボタンタケ目に属する菌類の総称。冬期は昆虫として過ごし、夏期には茸となるのでこの名前がある。バッカクキン科および、それから分離したノムシタケ科とオフィオコルディセプス科(およびポリケファロマイセス科)に属するものが大多数だが、カイガラムシに寄生する猩紅病菌がアカツブタケ科であるなど例外もある。ただし、冬虫夏草と呼ばれる菌類には、他の菌類や植物の種子、真性粘菌から発生するものも含まれ、必ずしも宿主が昆虫などの節足動物であるとは限らない。
その奇異な外見が人目を惹くのか昆虫寄生菌の中でも人気が高く、日本には専門の愛好家団体があるほか、海外でもアリに寄生する菌群がゾンビ蟻菌(Zombie Ant Fungi)と呼ばれ、盛んに研究されている。
一般的に冬虫夏草は宿主にとって致死的な寄生を行う殺生菌であり、同時に生育に宿主の存在を必須としない条件的寄生菌でもある。節足動物に寄生する種では、発芽した胞子から伸長した菌糸が外骨格を貫通して体内に侵入し、侵入した菌糸は短菌糸(hyphal body)に断片化する。短菌糸は出芽によって増殖しながら宿主の体液循環に乗じて全身に蔓延し、同時にデストラキシン類やボーベリシンといった環状ペプチドを分泌して、宿主を死に至らしめる。その後も冬虫夏草の菌体は腐生的に生育し、外骨格は菌糸で満たされて菌核化される。また、冬虫夏草に近縁な菌類は土壌より分離されることが多く、普段は土壌中で生活あるいは休眠していると推測される。このように冬虫夏草の感染機構は無性生殖ステージ、つまりアナモルフとして知られる白殭病(Beauveria bassianaを始めとするボーベリア属の幾つかの種)や黒殭病(Metarhizium anisopliae)が蚕の病原菌、あるいは生物農薬として研究されている経緯から良く知られている一方、野外で発見される冬虫夏草の感染経路は未だ不明な点が多い。
一般的には、冬虫夏草が宿主へ感染するには一定以上の気温および湿度が必要であるとされる。逆に言えば、これらの条件さえ満たせば冬虫夏草は余り場所を選ばず、深山の狭矮な渓流のような自然度の高い環境から、市街地の社寺林や都市公園のような人為的な環境まで発生地は多岐に渡る。本州では、梅雨など継続的な降雨がある気象条件が要求され、かつ沢沿いや河川敷などの多湿な環境で発生量が多い。冬虫夏草の発生地でも殊更種数や発生量に優れる場所は坪と呼ばれるが、沖縄本島など南西諸島では若干事情が異なり、本州ほど一つの場所で大量には見られず、小規模な坪が点在するとされる。
また、冬虫夏草が病原性を喪失して宿主と共生関係にある事例も知られている。セミ科(Cicadidae)から発生する冬虫夏草は数多く知られているが、セミタケ(Ophiocordyceps sobolifera)に近縁な系統では、本来のセミの共生細菌と入れ替わって体内に共生している。創作でもパラスのような共生関係を結んでいる事例が時折見受けられる。
pixivでは実在の菌類以外の植物などが、節足動物以外の動物に寄生している、又はそう見える絵に付けられている。頭にお花が……と言ったギャグテイストの物もあるが、やはりR-18Gイラストの方が多い。
狭義での冬虫夏草(学名:Ophiocordyceps sinensis)について
狭義には蛾(コウモリガの一種で、Thitarodes namnaiおよびT. calighilusとの報告がある)の幼虫に寄生するきのこの一種。ヒマラヤ山脈とその周辺、標高数千mの高層草原に生育する。かつてはノムシタケ属(学名:Cordyceps)であったが、分子系統解析の結果を受けて新たに設立されたオフィオコルジセプス科に移された。種小名からシネンシストウチュウカソウという和名もある。
漢方薬などに用いる他、中華料理や四川料理として食べる。
かつては楊貴妃や女性選手チームで有名な馬軍団など、古くから健康食材として珍重されてきたが、乱獲のし過ぎで宿主となる蛾諸共絶滅寸前に陥ってしまった。
蛾の生育上致し方ない事だが、高山の湿地帯にて4年かけて育つという条件により継続的な確保が困難になってしまっている。
現在では一切の輸出・該当地域への立ち入りが禁じられており、サプリメントなどで国外で販売されている物は以前に入手された物を培養した物である。
現在のレートでは1gで1万円程の価格があり、金やプラチナを遥かに上回る。命や健康はあらゆる物の中で最も尊ばれるのだから当然か。
その結果偽物が多く出回っており、違う虫が使われている物ならまだマシで、針金や粘土で作った物まで売られている。
なお、イモムシに耐性の無い方には画像検索をお薦めできない。頭部からキノコ部分が出ているのが特徴的。
関連人物
昭和期に活躍した菌類学者(1907〜1993)。東京帝国大学在学中より菌類学について学び、冬虫夏草である旧ノムシタケ属(学名:Cordyceps)の分類研究で学位を取得。戦時中は満州国の博物館に学芸員として勤務、帰国後も国立科学博物館植物研究部部長、国際菌学会連盟副会長などを歴任し、学芸員の職を辞したのちも40回以上の海外調査を行い、自宅を個人研究所を開設して研究を続けた。
日本菌学会創設に携わるなど、日本の菌類学の発展に多大な功績を残した小林は人文分野を含めた菌類全般に造詣が深かったが、その専門である冬虫夏草については400種余りについて報告発表を行い、分類体系の確立に取り組んだ。蛾の蛹より発生する冬虫夏草クサナギヒメタンポタケの学名Yoshiokobayasia kusanagiensisにその名を残すほか、後述する清水大典とは冬虫夏草関連の論文のスケッチを任せるなど親交が深く、『冬虫夏草図譜』などの共著がある。
昭和期の博物学者(1915〜1998)。幼少期より生き物全般に興味を持ち、農林学校卒業後は小石川植物園や満州の大陸科学院植物研究室に勤務、牧野富太郎が満州へ植物調査に向かった際に同行した。戦後は宮崎県日南市にある服部植物研究所に勤務していたが、周囲と折り合いがつかず退職し、九州から出生地の秩父まで山々で植物採集をしながら帰途についた。妻の実家があった米沢に居を移したのちは、米沢市立博物館学芸員として県下の調査に従事した。
若干十数歳の頃、在野の鉱物学者櫻井欽一にセミタケの標本を貰い、以後冬虫夏草に深い興味関心を寄せた。小林義雄と共に市井の菌類学者として冬虫夏草研究を牽引し、愛好家団体「日本冬虫夏草の会」を設立したほか、また美麗な冬虫夏草の精密画を描く菌類画家としても活躍した。冬虫夏草に関する単著としてはニュー・サイエンス社の「グリーンブックスシリーズ」に『冬虫夏草』があり、小林義雄との共著では『冬虫夏草図譜』がある。続く『原色冬虫夏草図譜』、『カラー版冬虫夏草図鑑』は清水の単著。
大竹茂夫
小説の表紙や絵本の挿絵を手掛ける画家・イラストレーター(1957〜)。日本の小説家森博嗣のMシリーズや、アメリカの児童心理学者で作家トリイ・ヘイデンの著作の表紙などで著名。
作品のモチーフとして冬虫夏草を用いる冬虫夏草画家でもあるが、その画家業の傍ら、長年在野の冬虫夏草研究者として活動しており、冬虫夏草の採集の模様や標本の詳細な観察同定について自身のサイトで綴っている。
生き物系YouTuberとして活動する冬虫夏草愛好家。冬虫夏草や地下生菌などの採取動画のほか、冬夜蛾や洞窟性昆虫、地下水生生物についても動画を投稿している。かつてはおーちゃんねるのもとで動画編集などを担当していたが退職し、現在はフリーの動画投稿者として活動している。
第13回アメリカ横断ウルトラクイズ準決勝にて「冬虫夏草」と答えた事により決勝進出。
その事から自分のホームページやTwitterアドレスに冬虫夏草を用いる。
関連キャラ
カオスドラゴン(サンサーラ・ナーガ)、とうちゅうか、銀竜(サンサーラ・ナーガ)
プラセクト(Z/X-Zillions_of_enemy_X-)
カブトムシ系(おさわり探偵なめこ栽培キット)