十羅刹女
じゅうらせつにょ
大乗仏教経典『法華経』の「陀羅尼品」という章に登場する羅刹女(ラークシャシー)たち。
『法華経』を持ち、あるいはいち章句でも覚えたり、読み上げたり、理解したり、修行を実践して完成させ、また数多のブッダたちを供養する信徒たちには大きな福徳がある、と説く釈迦如来の前に現われる様々な菩薩や超自然的存在たちが、『法華経』の信徒たちを護る陀羅尼(呪文)を釈迦に贈る、というのが「陀羅尼品」で描かれる情景である。
そこで十羅刹女は鬼子母神と共に登場する。鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』、闍那崛多・達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』と異なり、現行サンスクリット本では鬼子母神もまとめて羅刹女扱いされている。竺法護訳『正法華経』において「陀羅尼品」に相当する「總持品第二十四」には「十羅刹女」の表記は無いがメンバーについては言及がある。チベット語訳版における該当箇所「總持真言章第二一」でも同様である。
「陀羅尼品」に登場する薬王菩薩と勇施菩薩、毘沙門天と持国天、十羅刹女と鬼子母神は「五番善神」と総称される。
法華信仰において一ヶ月のそれぞれの日(旧暦では全ての月が29か30日に収まっていた)を日本の30の神々が守護するという「三十番神」信仰が存在するが、太陽暦の採用により「31日」がある月が生じて以降は、31日目を五番善神の縁日とする慣習が産まれた。
薬王菩薩と勇施菩薩、毘沙門天と持国天の後に、十羅刹女と鬼子母神が釈迦に対し、『法華経』の信徒を護ると誓い、そのための陀羅尼を説明する。
そしてその陀羅尼によって、以下の文で列挙される存在たちが、法師たちを悩ませないように、と説かれる。
夜叉(ヤクシャ)、羅刹(ラークシャサ)、餓鬼(プレータ)、富単那(プータナ、臭餓鬼とも漢訳される、熱病を起こす鬼)や、吉蔗(クリティヤ、起屍鬼とも漢訳される、死体に取り憑いてゾンビのように動かす死霊)や、毘陀羅(ヴェータラ)や、犍馱(ガンダルヴァ)や、烏摩勒伽(ウマーラカ、鬼の一種。改心した個体が青面金剛の従者となっている)や阿跋摩羅(アパスマーラ、「無知」を意味する名を持つ鬼)、鳩槃茶(クンバーンダ)や、また夜叉吉蔗や人吉蔗(夜叉や人に取り憑いたクリティヤ、あるいはそうした妖術や術士か)にも悩まされないように、と説かれる。
一日や二日、数日や連日にわたって熱病に苦しまないように、男や女、少年や少女の姿をしたものが夢に現われて悩まさないように、とも説かれる。
そして偈文の形で、もし自分たちの陀羅尼の呪文を聞いてなお、従わずに説法者を悩ませるなら、その頭は破れて七つに分かれ、その様は阿梨樹(アルジャカ)の果実が裂ける(漢訳『妙法蓮華経』では「その枝が分かれるかのように」のニュアンス)かのようになる、と苛烈な意志が示される。
その罪は親殺しに匹敵するものであり、壓油殃(ごま油絞りの事。当時の製法では胡麻を突いて汁を出して発酵させるプロセスがあるがその際に虫が混じってしまい、死なせてしまう。)や秤欺誑人(秤で誤魔化し人を騙すこと)や調達破僧罪(破僧罪とは僧侶の集まりであるサンガの秩序を乱す罪。調達とはその罪を犯したと伝えられる僧デーヴァダッタのこと)のようでもあるという。
さらに『法華経』を受持し、修行する者を護り、安穏を得させ、患いと諸々の毒を消し去る決意を改めて語った彼女達に対し釈迦は祝福の言葉を述べ、彼女達に護法者としての任務に励むように告げる。
サンスクリット語名 | 『妙法蓮華経』での表記 | 『正法華経』での表記 |
---|---|---|
①ラムバー | 藍婆(らんば) | 有結縛(うけちばく) |
②ヴィランバー | 毘藍婆(びらんば) | 離結(りけち) |
③クータ・ダンティー | 曲歯(こくし) | 施積(せしゃく) |
④プシュパ・ダンティー | 華歯(けし) | 施華(せけ) |
⑤マクタ・ダンティー | 黒歯(こくし) | 施黒(せこく) |
⑥ケーシニー | 多髪(たはつ) | 被髪(ひほつ) |
⑦アチャラー | 無厭足(むえんぞく) | 無著(むぢゃく) |
⑧マーラー・ダーリー | 持瓔珞(じようらく) | 持華(じけ) |
⑨クンティー | 皇諦(こうだい) | 何所(かしょ) |
⑩サルヴァ・サットヴァ・オージョーハーリー | 奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうげ) | 取一切精(しゅいっさいしょう) |
チベット語訳をもとにした河口慧海訳『梵蔵伝訳法華経』ではメンバーの名は以下の様に訳されている。①逍遙羅刹女、②完全逍遙羅刹女、③歯積羅刹女、④華歯羅刹女、⑤冠羅刹女、⑥覆障羅刹女、⑦火羅刹女、⑧鬘持羅刹女、⑨弓持羅刹女、⑩剥奪一切衆生精気羅刹女。
「逍遙」とは「気ままに歩き回ること、散歩」の意。他にも「火」「弓持」のように漢訳側に対応する訳語が存在しない言葉遣いがみられる。
現行サンスクリット本と『妙法蓮華経』ではクンティーのみが釈迦から名指しで呼ばれたり「クンティーをはじめとする」と羅刹女の代表格として記載されるが、チベット語訳ではこのポジションの羅刹女は「槍持」(と訳される名前)である。
『法華経』には姿についての記述は存在しない。何名かは名前から想像できる程度である。彼女達の姿についての情報は『法華十羅刹法』のような他の仏典において記載されている。記載からいくつかのデザインが起こされている(『仏像図彙』の例)。どの記述や解釈を採用するかで持物にバリエーションが生まれており、例えば『仏像図彙』での表現は『法華十羅刹法』の記述と異なっている。
十羅刹女の家族関係については経典には記述がない。
チベット語訳では十羅刹女の紹介に続けて「(前略)剥奪一切衆生精気羅刹女と、鬼子母の子と、僕と共に」という文章になっており、鬼子母神と彼女達は親子関係ではないととれる表現になっている(参考)。
日蓮は『日女御前御返事』で彼女達のことを鬼子母神の娘たちだとしている。御書(日蓮の著作)には直接言及はないものの、日蓮宗系の鬼子母神信仰では鬼子母神の夫を半支迦大将(パーンチカ)とする説が支持されることが多い。この場合は彼が父親ということになる。
安土桃山時代から江戸時代初期の絵師・長谷川等伯(信春)が40代以前に描いた『鬼子母神・十羅刹女画像』では「南無妙法蓮華経」を挟んで向かって左側に半支迦、右側に鬼子母神が描かれ、その下に十羅刹女が描かれている。
また、同書において「四天下の一切の鬼神の母なり」と数多の子供たちが居ることが記されている。
前述の『仏像図彙』の十羅刹女のパートのすぐ前において、十羅刹(女)の父である乾闥婆「五道天」について記載されている。その真下に鬼子母神のパートがあり、彼女の夫とされる事もある「五道大神」と関連があるのかもしれない。
天台宗の初祖・智顗(天台大師)の著作で天台教学の基礎「天台三大部」の『法華文句』の注釈書『法華文句要義聞書』(第四六代天台座主である忠尋の著作とされる)では不空三蔵が訳したという『羅刹母経』を参照して、「十羅刹者本住トウ利(十羅刹女は忉利天に住む)」と記している。そこに有る内宮に彼女達がいるという。
日蓮の高弟「六老僧」の一人・日向が師の講述を記録したとされる『御講聞書』では「十羅刹女は餓鬼界の羅刹なれども」という文句がある。
『法華経』を根本聖典とする天台宗と日蓮門下(日蓮宗など)の各門流での信仰が篤い。
写経という行動を含む法要としてが存在するが、天台宗では『法華経』を写経する「如法写経会」の場において後述の「普賢十羅刹女像」が祀られる。
法相宗の流れを汲み、真言・天台の教学も取り入れ、昭和47年(1972年)に慈恩宗として独立した瑞宝山慈恩寺も十羅刹女の像を所蔵する(4体のみ現存)。慈恩寺の十羅刹女像は普賢菩薩像の従者として配置されており立体像では珍しいケース。
日蓮による大曼荼羅(法華曼荼羅、題目曼荼羅)では鬼子母神と共に名が記される。御書『経王殿御返事』では題目(「南無妙法蓮華経」の字句およびそれを唱える事)を持つ者たちを鬼子母神と共に守護すると語られている。彼は同書において十羅刹女の中でも皐諦女(クンティー)の加護を特に強いものとしている。
『女人成仏抄』には「鬼道の女人たる十羅刹女も成仏す」の一節がある。
「六老僧」の一人・日興が師の講述を記録したものと伝わる『御義口伝』では「三宝荒神は十羅刹女なり」の一文があり、日興門下の富士門流のうち真蹟とする立場の派(日蓮正宗など)で支持される。
『法華経』の別の章「普賢菩薩勧発品」は『法華経』信徒の加護を誓い、守護のための陀羅尼を普賢菩薩が述べる、という内容で、両者を「信徒の守護者」つながりで共に描く「普賢十羅刹女像」の構図が平安時代後期から登場している。「普賢十羅刹女像」では五番善神の他メンバーも描かれる事が多い。
阿弥陀如来と六地蔵と共に描いた『阿弥陀六地蔵十羅刹女像図』(京都の浄土宗寺院・西寿寺所蔵)も存在する。天台宗の僧侶かつ法然や親鸞に大きな影響を与えた源信の姉・安養尼が感得した図案だという。右下に祈る老女が描かれており、阿弥陀如来が死を前にした信徒を迎えにくる「阿弥陀来迎図」の一種でもある。
神仏習合
神仏習合の時代には神社にも祀られ「十羅刹女社」とも呼ばれていたが、明治時代の神仏分離令により社名と祭神を変更することを余儀なくされた。
東京都豊島区の長崎神社や島根県出雲市の日御碕神社、東京都練馬区の春日神社がこれにあたる。
江戸時代中期の『雲陽誌』には「耕雲明魏記に曰く、雲州日御崎の明神は即ち杵築大明神(オオナムチ)の季女(末娘)・十羅刹女の化現、荒地山の鎮守也。孝霊天皇61年に威霊を現すとあり。
衆説区々なりしに、老祀官の語りけるは、上社は素盞鳴尊に田心姫・瑞津姫・市杵島姫の三女をあはせ祭り、下社は天照大日孁貴に正勝吾勝尊・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野櫲樟日命の五男をあはせまつれり、上ノ社下ノ社すべて十神なり、故に十羅刹女といふか」の文があり、日御碕神社主祭神の須佐之男と天照大神および、当社における配祀神であり日本神話における誓約(うけい)のシーンで生じた宗像三女神と五男神の合計十柱が、十羅刹女と結びつけられていたことがわかる。
謡曲の演目『大社』では出雲の御崎に垂迹した神が、自身を十羅刹女の化現にして仏法と王法の守護神であると語る。
長崎神社は「十羅刹女社」時代からスサノオの妻櫛名田比売命が祀られていたが、神仏分離令後、大宮氷川神社から夫神の分霊を合祀すると共に社名を変更して現在の形となった。
東京都練馬区の春日神社の場合、隣接する寿福寺の敷地に「十羅刹女神祠」が建てられて祭神に含まれていた十羅刹女が移され、「春日大明神」を構成する神の一人天児屋命(アメノコヤネ)のみが祭神として残される形となった。同様に十羅刹女の存在が神社境内から仏教寺院に移された例として東京都豊島区の大塚天祖神社がある。
現在も十羅刹女を社名に含む神社として静岡県富士宮市の十羅刹女神社がある。日蓮系の大曼荼羅も祀られた法華信仰系の神社である。
十羅刹女神社の祭礼は、富士門流で現在日蓮宗に属する北山本門寺の直末寺院・玉樹山正林寺で執り行われている。
本地
日本において十羅刹女それぞれに様々な本地仏が設定された。その先駆けとなったのが『妙法蓮華三昧秘密三摩耶経(法華三昧経)』である。この経典は不空訳とされるが、偽経である可能性が高いとされている。
このほか、『定珍抄』七下八、『五十巻鈔』第一二「本身事」、『白宝抄』「法花法雑集下」にある記載と付き合わせると以下のようになる。
中世の伝説においてはスサノオの娘とされた。ただし「十人の女性」という形ではなく「一人の女神」という表現である。島根県石見地方の伝説では「胸鉏比売(むなすきひめ)」という個人名を持つ。
ヴァリアントにおいて、神代の時代に岸に流れ着いた彼女はやがて育ての親にアマテラスとの誓約(うけい)のシーンで誕生した宗像三女神のひとり田心姫が自身の正体であると明かす(俗説ではスサノオが龍女と契って産まれた娘とする)。
「十羅」は父神と縁深い出雲の国を攻める国の名前となっている。彼女はそこに帰り「十羅の賊」を打ち倒した事で「十羅刹女」の称号を与えられる。