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名木田恵子

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なぎたけいこ

日本の児童文学作家・小説家・漫画原作者・作詞家。『赤い実はじけた』の作者。漫画原作者としては、水木杏子・加津綾子・香田あかね、各作家の正体でもある。つまり『キャンディ・キャンディ』の原作者。

1949年11月28日生まれ。東京都出身だが、門司(福岡県北九州市)育ち(8歳から10歳まで)でもある。

なおメイン名義の「名木田恵子」は本名。既婚者(1976年ごろに結婚)である。

児童文学を主領域に活動している小説家。つまりは児童文学作家

とはいえ、児童文学だけではなく、一般作や童話絵本も執筆している。

そして何よりも、1970年代講談社(主になかよし)を中心に、多くの少女漫画を送り出した漫画原作者

従来の名義である名木田恵子でも作品を発表していたが、同時に当時の「漫画原作者」だった水木杏子加津綾子香田あかね中の人である。(変名義を使っていたのは、当時に名木田名義で同雑誌や系列内の別雑誌において既に別の連載を持っていたため)

父の一夫は新聞記者毎日新聞整理部長、岡山県出身)であったが恵子が小学六年生の頃に体調を崩して急逝。その数年後、恵子の東京都立鷺宮高校への進学後に母も亡くなり、以降は同様に上京していた叔父と祖母のもとに下宿して世話になっていた。

高校在学中(高校二年生時)に雑誌『女学生の友』(小学館)で行われていた新人短編小説賞にて入選し19歳で作家デビューを果たした。

のち文化学院に進学し上笙一郎(児童文化の研究者)などに師事し児童文学へと己の筆を向け、以降、後述する多くの傑作を排出した。

代表作

児童文学作家としては『ふーことユーレイシリーズ』の作者として知られるとともに『赤い実はじけた』が教科書採用されている。

絵本作家としては『シャンプー王子シリーズ』(作画:くぼたまこと)が2007年秋アニメとしてテレビアニメ(ステブレアニメ)化されている。(リアルタイムではキッズステーションおよびテレビ埼玉に放映局が限られていたが)

そして少女漫画の原作者として最大の代表作が、水木杏子名義で出されたキャンディ・キャンディ(作画:いがらしゆみこ)である。この作品で第1回講談社漫画賞を受賞した。

しかし、この作品は後に作品の処遇を巡って作画者と行き違った事をきっかけとしてトラブルとなってしまった。→キャンディ・キャンディ封印作品の各項目を参照

最終的に行われた裁判の結果(および往時に『キャンディ・キャンディ』のメディア化に携わった講談社東映アニメーションの共通認識)としては、名木田は法的に認められた『キャンディ・キャンディ』の一次著作権を有するただひとりの原作者である。

(作画者に与えられているのは二次著作権であるため、本来、彼女は一次権利を有する名木田の意向を無視して「キャンディの原作者」を名乗る事や、コンテンツビジネスを回す事はできない)

現在は、往年に講談社から出版されていた『小説キャンディ・キャンディ』の復刻(復刊ドットコム/祥伝社)版(いわゆる漫画挿絵不採用版)や、アニメ版主題歌(作詞が名木田であるためいがらし漫画版やアニメ版の画像を用いない限りにおいては手続きさえキチンとしていれば問題なく流す事ができ、歌手が歌うことも自由)で、作品の空気を感じる事ができる。

おもな作品

※代表作多数であるため、主だったもののみを挙げる。

小説

絵本

  • シャンプー王子 シリーズ(作画:くぼたまこと
  • ねむたいキリン(作画:中村景児)
  • モンモンクはやさしい(作画:おぼまこと)
  • おげんきですか?(作画:島田コージ)
  • きしゃでんしゃ(ディズニーの知育絵本)
  • にんぎょひめ(作画:高橋真琴/原案:アンデルセン人魚姫」)

漫画原作

名木田恵子名義

水木杏子名義

加津綾子名義

  • ロリアンの青い空(作画:志摩ようこ/文庫版再編時に名木田恵子名義へ変更)
  • ポピーちゃん シリーズ(作画:峡塚のん)

香田あかね名義

作詞

  • 北九州市立門司中央小学校校歌
  • キャンディ・キャンディ(堀江美都子
  • あしたが好き(堀江美都子)
  • 知りあう前からずっと好き(石田よう子)
  • しずくはあなたのサイン(堀江美都子)
  • シャンプー王子の冒険(Ikuko)
  • シャンプー王子の子守歌(宮内マユ)
  • 尋ね人ふたご座(恵ルオ)
  • 雨の水族館(恵ルオ)
  • しゃぼんだまラブ(恵ルオ)
  • 噂知ってるわ(横山みゆき)

余談

「名木田」という名字は岡山県(旧備中域、総社市周辺)にルーツのある氏族のひとつである。

そのため両親は岡山県出身の岡山弁話者であり名木田恵子自身も幼い頃は岡山弁に囲まれて過ごした過去があり、名木田家の親族は今も同地(総社・倉敷)に在住している模様。

本人も子どもの頃は岡山弁の話者であった(特に新聞記者であった父親が家庭の会話で好んで岡山弁を使った)というが、東京で育つに従い本人は言葉を矯正されてしまい岡山弁を使えなくなってしまったとか。

そのため、かつては岡山(岡山弁)への想いを吐露していた事もあった(現在、それを大っぴらには言わなくなったのは……まぁお察しくださいとしか言いようがないのだが)。

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