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小田急電鉄の編集履歴

2022-08-26 15:18:04 バージョン

小田急電鉄

おだきゅうでんてつ

小田急電鉄は、日本の大手私鉄のひとつである。東京都の新宿駅を起点とし、神奈川県中西部を東西に貫くように走っている。開業当時の社名は「小田原急行鉄道」で、小田急とはもともとその略称であった。

路線

小田急電鉄の路線は2020年4月1日現在、全部で3路線、総延長120.5kmである。

現有路線

  • 小田原線:新宿〜小田原間 (82.5km)
  • 江ノ島線:相模大野(相模大野分岐点)〜片瀬江ノ島間(27.6km、相模大野分岐点からは27.4km)
  • 多摩線:新百合ヶ丘〜唐木田間 (10.6km)

神奈川県の横浜でない方を通る。いずれも全線電化、小田原線の複々線区間(多摩川橋梁【登戸手前】~代々木上原)間と3線区間(向ヶ丘遊園~登戸)を除いては全て複線である。

廃止路線

  • 向ヶ丘遊園モノレール線:向ヶ丘遊園〜向ヶ丘遊園正門間(1.1km)
    • 2001年廃線。日本どころか世界でも2路線でしか採用されなかったロッキード式モノレールだった。岐阜県にあった川崎航空機工業の試作モノレールを譲ってもらい1966年に運転開始。しかし、2000年冬に経年劣化による台車の破損が判明し運転休止に。上記の様に他社での採用例が無かったため部品の調達が困難であった上に利用客が減少していたため翌2001年に休止のままあえなく廃線に。それにしても車両デザインはとても個性的だった。ウルトラマンショーがある時にはウルトラマンのお面をしていたこともあった。(向ヶ丘遊園はたびたびウルトラマンシリーズでロケ地になってたしね)
  • 向ヶ丘遊園索道線:遊園正門前〜見晴台間 (0.245km)
    • 1986年廃線。ロープウェイも運行していた。

譲渡・移管路線

  • 帝都線:渋谷~吉祥寺間(12.7km)
    • 元々小田急と同系統会社の「帝都電鉄」の路線として開業したもので、1940~1942年の間だけ小田急帝都線として営業していた事がある。大東急成立時に井の頭線と改称、同社解体後は小田急ではなく京王に継承されている。ただしその後も2019年まで下北沢駅で改札内乗り換えが可能になっていたりなど、かつて小田急の路線であった名残はいくらか存在していた。

特急ロマンスカー

ロマンスカーと記念撮影

(ロマンスカー7000形 LSE)

詳しくはロマンスカータグを参照。

簡単に説明してしまうと、小田急線の特急の通称である。

現有車両

車両形式は小田急の場合、「〜系(けい)」ではなく「〜形(がた)」と呼称する。

番号はM車は十の位が0~4を使用し、T車は5~9を使用する傾向があり、新宿方面から数が増える構造になっている。

また、編成を数える際には1066Fという数え方はせず1066×4の様に新宿方面先頭車×両数で表記する。

尚、7000形の引退に伴い、特急が5桁、通勤車が4桁に統一された。


通勤形ほか

8000形

小田急 8000形

1982年にデビュー。

ブラックフェイスが特徴的。4両編成・6両編成がある。

小田急の通勤型車両としては最後の鋼製車輌かつVVVFインバータ制御ではない界磁チョッパ制御車両でもあったり。

2013年度までに全編成リニューアルが完了。

2002年に最初に更新された6両編成2本は車体保全工事と内装リニューアルのみで足回りはそのまま(界磁チョッパ制御のまま)であるが、以降の6両編成の更新は3編成目から3000形に準じた制御装置、内装に改められている。

また2007年度以降に更新された編成は後述の4000形に準じた制御装置、内装に改められ、LED灯を車内に設置した編成も登場している。

2013年に更新された4両編成2本は試験的にSiC素子VVVFインバータを搭載している。

2013年度までに全車更新が完了。2019年まで1両の廃車も無かったが、同年の踏切事故による8264×6の廃車と翌2020年からの5000形投入により少しずつ廃車が始まっている。


1000形

小田急1000形

1988年デビュー。

小田急初のオールステンレス製通勤電車。4両編成・6両編成・8両編成・10両編成が製造された。2010年までは地下鉄千代田線直通運用にも入り綾瀬まで顔を出していた。

小田急電鉄で形式単位としては初めてGTO素子VVVFインバータ制御を採用した他、後期製造車両からは扉上LED旅客案内表示器を設置するなど小田急初の技術を多く採用した意欲的な車両という一面もある。

4両編成の一部は小田急に運用が移管された箱根登山鉄道線の小田原~箱根湯本でほぼ終日に渡って運用されている。(朝夜に送り込みを兼ねた本厚木~小田原間の運用がある)この運用に充当される編成は小田急カラーのままだと小田原駅で小田急線の列車と誤解される恐れがあるため箱根登山鉄道カラーの赤いラッピングをまとっている。

小田急としては幕車が残る最後の形式となっている。

鉄面画 小田急1000形レーティッシュカラー

2014年度より更新工事が順次行われている。当初はワイドドア車以外の全車両が対象とされていた。


主な更新内容は

・従来のVVVFインバーター装置のフルSiC適用VVVFインバーター装置への更新

・化粧板取り替え

・モケット取り替え

・LCD設置

・ドアチャイム設置or更新

・行先表示幕&種別幕のフルカラーLED化

・側帯のインペリアルブルー化

等である。

2015年度までに4連×3本が更新された。

2016年度以降は車番が揃った6連と4連に対して同時に更新工事を施工し、10両貫通編成にするという魔改造が行われている。運転台部分は完全に撤去され、新たな鋼体により中間車化改造が施工されている。

2017年度以降もリニューアル工事は継続されているが上記の魔改造はしれっと中止されている。

2020年度には唯一の8両編成だった1081×8を筆頭に数編成がリニューアル工事を受けること無く廃車となっている。


1000形ワイドドア車(2代目の1700形とも)

小田急1000形 6両 ワイドドア車(1751F 1752F)

1991年デビュー。

標準ドアの1000形をベースに開発されたワイドドア車。6両編成のみが存在する。

もともと4両編成が1500形、6両編成が1700形と呼ばれていたが、後に1500形が改造されて全編成が6両編成に揃えられた為に1700形と呼ばれる。

1500形の1700形への改造に関しては先頭車の中間車改造が行われた。

全開するとその幅2mにも及び、縦よりも横幅の方が広かった。現在は改造されて、左右0.2mずつ引き残す(幅が1.6mになる)。車内からはそれ程違和感は無いが、外から見ると違和感を感じる。

ノーマル1000形と異なり側面の方向幕が3色LEDとなっている。

上記のリニューアル工事は全編成対象外となっており、余命は短いか。


2000形(2代)

【HD小田急28】せっかく準備してたのに・・・【2000形Ⅱ】

1995年デビュー。

1000形ワイドドア車について、乗降時間の短縮に効果があったものの座席定員の減少が問題視され、ドアの幅を2mから狭くして1.6mとした。8両編成のみが存在する。

ちなみにこの2000形、全国でいち早く(今では当然のように使用されている)IGBT素子のVVVFインバーターを搭載した画期的な最新性能車両なのだ。しかも、インバーターはIPMモジュールを使用した3レベルインバーターだから、すご過ぎる。2012年度から随時内装の更新・方向幕のフルカラーLED化が施工されている。



3000形(2代)

【HD小田急18】いまや一大勢力【3000形Ⅱ】

2002年デビュー。(製造は2001年)

6両編成・8両編成と後から中間車を追加した10両編成がある。

陳腐化が進んでいた2600形・4000形・9000形の置き換えを目的に10度に渡って大量に製造され、名実ともに小田急を代表する形式となっている。

先述の様に10度に渡り増備されたため、途中でかなり変わっている。

1次車は側扉が2000形相当のワイドドア、吊革は丸いタイプ、戸袋窓あり、正面の帯は太帯、小型スカートとなっていた。

2次車は戸袋窓が廃止され、吊革は三角形に変更、ワイドドアは普通幅の扉に変更された。

3次車は大型スカートに変更、方向幕の大型化、正面帯の細帯への変更が行われた。

4次車は車内LCDが千鳥配置ではあるものの設置される。

5次車は車内LCDが全扉上に設置されるようになった。

6次車は5次車とほぼ同じで製造会社の違いのみで区分されている。

7次車は方向幕がフルカラーLEDとなっている。

8次車は7次車とほぼ同じで製造会社の違いのみで区分されている。

9次車は中間車両のみの製造であり、4000形に準じた内装となっている。

10次車は中間車両のみの製造であり1000形リニューアル車に準じた内装となっている。


10次車の製造は2020年現在も進行中であり、私鉄のなかでも長期製造車両となっている。


クヤ31形「テクノインスペクター

2004年から運行を開始している総合検測車。車両は3000形(2代)をベースとした。月に2回程度、軌道や架線の検測を行う。動力を持たないため、動力車として1000形の一部編成とつないで検測を行う。屋根のクーラーは4000形(初代)用の転用だったりする。


4000形(2代)

列車 小田急4000形

2007年デビュー。

地下鉄千代田線および常磐緩行線直通用に製造された電車。10両編成のみが存在する。

JR東日本E233系を基本に設計されているため、別名「E233系4000番台」とも呼ばれている。

これにより1000形が地上用に捻出され、5000形の一部が置き換えられた。

ベース車種のE233系にはLCDが2つあるタイプがあり、

登場当時4000形は1つしか設置していなかったが、2013年登場の4065×10から取り付けが始まり、

2015年度に工事完了している。

2014年度以降JR線の保安装置および無線装置の取り付け工事を行い、2015年9月からJR常磐緩行線での試運転が始まった。

2016年3月からは小田急・東京メトロ・JR東日本による3社直通運転が開始され、今までの運用区間に加えて常磐緩行線 綾瀬~取手間でも運用が開始された。

余談であるが、常磐緩行線には兄弟車のE233系2000番台が走っている。


5000形(2代)

小田急5000形

2020年デビュー。

こちらも10両編成のみが存在する。

令和生まれの小田急の電車であり、側面のラインカラーは初めて2色となっている。

ホームドアの導入が進んでいるためなのか、車両番号は幕板部に、ブランドマークはドア横に変更されている。


特急形(ロマンスカー)

各車輌の解説はロマンスカータグの記事に詳しいのでそちらを参照されたい。


過去の車輌

HB車

特徴については、HB車の記事も合わせて参照されたい。


デハ1100形

【HD小田急13】小田急線の一号電車【モハ1→1100形】

もともとは開業当時に用意されたモハ1形電車である。モハ1形は15m級の3扉車両で、主に各駅停車専用として使用された。一部は戦時中の合併を経て相鉄に移籍したほか、小田急に残存した車両も日立電鉄熊本電鉄へと譲渡されている。

最後まで残っていたのは1101で、こちらは早い時期に荷物車輌になってデニ1101となっているのだが、

1960年代の一時期、振子式の試験車輌に改造されていた。

熊本電鉄で廃車になった車両を譲渡してもらい、モハ1形として復元された車両が現在も保存されている。



デハ1200形

【HD小田急17】相模野の韋駄天【101形→1200形】

開業当時にそろえられた車両のうち、急行用として使用されたモハ101・モハ121・モハ131形である。

もともとは荷物室とトイレがついていてモハニだったが、すぐに取り外されてモハになった。

16m級2扉で、当初はセミクロスシートだった。

トイレに行くときには一回荷物室に入らないといけない、という謎の仕様だったそうである。

廃車後は越後交通などに渡っている。


デハ1300形(→デニ1300形)

全線複線化に合わせて登場、モハ101・モハ121・モハ131形の荷物室を大きくしたバージョン。

こちらは16m級3扉ロングシートの車であった。

戦後に東急車輛で車体を改造した際、幅1500mmの両開き扉を2箇所に設置し荷物車の代わりとして働いたが、

HB車の旅客運用がなくなるとデハからデニに形式が変わった。

小田急から引退後、東急車輌の牽引車として第2の人生を歩んだ車両もいる。


1400形(デハ1400・クハ1450形)

江ノ島線開業に合わせ登場。当初の形式はモハ201・クハ501およびクハ551・モハ251。

2扉だがロングシート、比較的まとまった数が働き、HB車を代表する形式であった。

引退後は新潟交通越後交通岳南鉄道などに譲渡された。


ABF車

間接自動制御(三菱電機製ABF)を採用した吊り掛け駆動の車輌の一群。


1600形

【HD小田急30】戦前小田急最後の電車【1600形】

戦前の小田急としては最後の新造車で、窓が大きく美しいスタイルを持つことでファンの人気を集めた。

これよりも前にクハ601形という形式がクハ1651形として編入されたが、これらも戦後デハ1600形に合わせたスタイルになった。

戦時中に運行休止となっていた「週末温泉特急」が1948年に再開された際はこの1600形が充当されている。1970年に引退した。

廃車後は岳南鉄道や近江鉄道に渡ったほか、一部は関東鉄道にも渡っている。


1900形・1910形

【HD小田急29】戦後小田急復活のシンボル【1900形】

戦後各地の私鉄に投入された「運輸省規格型」と呼ばれる電車。1949年デビュー。

規格設計のせいか窓が小さく重苦しい印象。

もと帝都電鉄(→京王井の頭線)出身の1500形も改造・編入(デハ1914Ⅱ・クハ1964)された

(ただしこの2両の制御器は国鉄制式品であるCS-5であるためABF車ではない)。

特急仕様は1910形という別形式であり、同じく1949年にデビューした。1900形と異なり車内はセミクロスシートでトイレと喫茶スペースも設けられていた。入線後は1600形に代わって週末温泉特急に充当された。翌1950年に2000形に改番されている。1952年夏以降は通勤輸送に専念するようになり、1957年頃には3扉化された。1976年に全車引退した。

廃車後は富士急行や岳南鉄道、大井川鐵道に譲渡された。

初めて本格的な特急車両として製造されたことから1910形を初代ロマンスカーとすることも多い。

(当の小田急電鉄側は3000形SEを初代ロマンスカーとしてるけど...)


1700形(初代)

【HD小田急09】本家は私です【1700形Ⅰ】

小田急では始めて転換クロスシートを採用した本格的な特急車輌。

第1編成と第2編成は戦災国電の台枠を使ったために先頭車と中間車の長さが違った。

第3編成は完全新造で非貫通2枚窓となった。

ヤマユリをかたどったロマンスカーエンブレムは、もともとはこの1700形につけられていたものだった。1957年に特急運用から撤退。のちにサハ1両を挿入した上で通勤電車化改造を受けた。車輌の長さもそろえられた。1974年に全車引退した。

1910形の次に特急用として作られたので1700形を2代目ロマンスカーとする向きも多い。


2100形

【HD小田急32】小田急の茶坊主【2100形】

小田急最後のABF車で、軽量構造を初めて採用した。

そのスタイルは後に登場する2220形に通じる軽快なもの。廃車後5両が三岐鉄道に渡った。


1800形

もともとは国電63系……に、なるはずだった車輌を割り当てたものと、

戦災で焼けた国電の台枠を流用して新造した車輌の寄せ集め。名鉄からやってきた車輌もある。

車体更新で小田急顔になったが、切妻で異彩を放っていた。廃車後秩父鉄道に譲渡され800形となった(こちらも1989年に引退した)。デハ1801が保存されている。


ABFM車

初期の高性能車群を指す。「FM車」「FM系」とも。

三菱電機製の多段制御器である「ABFM」を搭載しているためこう呼ばれた。


2200形

【HD小田急02-R】小田急の新風【2200形】

1954年から製造された小田急初の高性能車。直角カルダン駆動。

ただしデハ2217・2218は2220形と同一の性能を持つWN駆動車である。

廃車後富士急行に譲渡されたほか、台車が伊予鉄道に渡っている。

2両が静態保存されていたが、現在は先頭1両のみとなっている。


2220形

【HD小田急01-R】WN駆動の先駆者【2220形】

1958年から箱根急行用に製造された小田急初のWN駆動車。登場時は4連だったがのちに2連に改造。

廃車後富士急行新潟交通に譲渡されたほか、台車が伊予鉄道に渡っている。


2300形

【HD小田急20】薄幸のロマンスカー【2300形】

1955年デビュー。2200形の特急バージョン。3000形SEの登場が決定していたためショートリリーフとして製造された。ゆえに4両編成1本のみの製造に終わり、3000形SEがデビューすると2扉化とセミクロスシート化の上、準特急用に転用された。1964年以降は3扉ロングシートの通勤型に格下げされた。1982年に全車廃車となった。

廃車後富士急行に譲渡された。

1700形の次に特急用として作られたので2300形を3代目ロマンスカーと見る向きも多い。


2320形

【HD小田急21】特急になれなかった優等車【2320形】

1955年製。2220形の準特急・急行バージョンだが、NSE車が増備されたため程なくして通勤型に改造された。

廃車後富士急行に譲渡された。


2400形(HE車)

【HD小田急19】ふぞろいな高性能車【2400形】

4両固定編成だが、両端2両と中間2両で車体長が3m近く異なる、変わった構造の電車。

HEとはHigh Economicalの略である。

レールのジョイントを通過する音の間隔が違うため、走行音だけで容易に判別できた。

2400形は最後まで残った、非冷房車でもある。


2600形(NHE車)

【HD小田急23】大量輸送の立役者【2600形】

1964年登場。初の20m4扉、裾絞りの大型車両で、後の通勤形電車の標準的規格となる。

小田急顔の電車の代表格として、ありふれた存在であった。

NHEはNew High Economicalの略である。

最後まで側面表示が種別のみ表示だったことが判別しやすい特徴である。

各駅停車専用とされたため、小田急では初めて回生ブレーキを搭載しているほか、

電動車は3両1ユニットという珍しい方式である。

それゆえ編成の自由度は低かったが、この頃の小田急は固定編成が前提であるため問題はなかった。

単独で運用する分にはそれでよかったが、5000形以降の形式と連結した場合、

2600形は回生ブレーキの失効速度が速く、すぐに空気ブレーキに切り替わってしまうため

連結運転の際には運転士に嫌われたらしい。

1編成8両だけ2000形と同じIGBT素子のVVVF制御に改造された車両あり。

最後まで残った1編成6両は旧塗装に塗り直され、その先頭車クハ2670が保存されている。


4000形(初代)

【HD小田急25】改造改造また改造【4000形Ⅰ】

車体は2600形とほぼ同じだが、足周りが特徴の電車。

ギラリと光るディスクブレーキと、吊り掛け駆動が魅力であった。

…が、1984年に、先述の2400形から機器を譲り受けて高性能化された。

その際に冷房化もされたが、2600形・5000形とはクーラーの数が違うのと、

デハはやっぱりディスクブレーキが特徴だったので容易に判別できた。


しかしWN駆動化後も回生ブレーキはおろか、発電ブレーキすらついていないため、

ブレーキ操作がシビアで、特に異形式併結時は2600形以上に運転士に嫌われたそうである。

そのためなのか2600形と共に廃車が進み、2600形全廃後程なくしてひっそりと姿を消した。


9000形

小田急9000形 生誕40周年

千代田線直通用として1972年より製造が開始された。小田急初のチョッパー制御を採用した車両でもある。

「営団に負けるな」という設計陣の一言で決められたという斬新な前面スタイルから

「ガイコツ」の異名をちょうだいした。今の所、小田急唯一のローレル賞受賞車両。

1000形登場後は地上線運用となっていた。

30年たっても古さを感じさせないスタイルが人気だったが、回生・発電併用のHSC-RDブレーキなど、

特殊部品の確保が困難であるほか、車体腐食に伴う老朽化により、2006年5月に全車引退となった。

引退後はトップナンバーのクハ9001が保存されている。


5000形

【HD小田急22】最後の『小田急顔』【5000形Ⅰ】

ファンの間から「小田急顔」として親しまれてきた前面形状を持つ最後の形式。

1972年からは上述の9000形に予算を転用したため製造が中止されたが、1978年から製造を再開した。

後述の5200形と合わせ、主に急行用であったが、実際には特急以外の多彩な運用につくことができた。

2012年3月に引退。


5200形

小田急5200形

6両編成の増備を目的に登場した。

形式上はあくまでも5000形であるが、外観(とくに側窓)が変更されているため便宜的に5200形と呼ばれる。

一部の編成は4両編成に短縮され、5000形と共通の運用についていた。

3000形や4000形(2代)の登場により、廃車が進行。2011年1月に6両編成はラストランを行い引退、残る4両編成も5000形より一歩早い2012年1月に引退した。


500形(モノレール)

【HD小田急24】向ヶ丘のモノレール【500形】

1967年に運転を開始したが、実は川崎航空機が試作したロッキード式モノレールの電車を小田急が引き取り、向ヶ丘遊園へのアクセス輸送用として運行されていた。

台車に致命的なひびが発生していたことから2000年に休車となったが、向ヶ丘遊園の利用者が減少していたため復活することなくそのまま路線廃止となり2001年に廃車された。


キハ5000形・5100形

国鉄御殿場線との乗り入れ用に1955年に開発された小田急唯一の気動車である。主に特急「銀嶺」「芙蓉」「朝霧」「長尾」に充当されていたが、1968年に御殿場線が電化されたためお役御免となり関東鉄道へと譲渡された(関東鉄道では3ドア化、通勤車格下げを実施)。


なお、窓割を見ればわかるがキハ5000形は登場当時、シートピッチが恐ろしく狭く窮屈であり、

しかもこれで満席の状態になると乗客の重さでエンジンが焼きついてしまうというトラブルに見舞われた。

その反省からキハ5100形ではシートピッチを広げたため、キハ5000形もそれに合わせて改造したのだが、

今度はシートと窓の位置関係が合わなくなってしまった。


電気機関車


デキ1010形


デキ1020形


デキ1030形


デキ1040形(ED1041)

【HD小田急15】小田急最大の電機【デキ1040形】

1951年三菱製。軸配置はB-B。小田急最大の電気機関車である。

長らく貨物列車を引いてきたが、1984年以降は新車の甲種輸送などが主な任務であった。

しかし、合理化のため電車に代替される形で1996年に廃車。


デキ1050形


運賃

区間キロ程運賃(ICカード)運賃(切符)
1区初乗り - 3km126円130円
2区4km - 6km157円160円
3区7km - 9km189円190円
4区10km - 13km220円220円
5区14km - 17km251円260円
6区18km - 21km283円290円
7区22km - 25km314円320円
8区26km - 29km346円350円
9区30km - 33km377円380円
10区34km - 37km419円420円
11区38km - 41km462円470円
12区42km - 46km503円510円
13区47km - 51km545円550円
14区52km - 56km597円600円
15区57km - 61km639円640円
16区62km - 66km682円690円
17区67km - 71km733円740円
18区72km - 76km786円790円
19区77km - 81km838円840円
20区82km - 83km891円900円

車内広告

コロナ禍前は車内広告は週刊誌の広告率が非常に高く、週刊文春週刊新潮ウェッジなどの広告が沢山あり、走るワイドショーとして精神衛生上あまりよろしくない状況にあった。但し、週刊現代週刊ポストの広告は少なめな印象。

どちらかというと自社広告が比較的少ない傾向にあり、他社の納入が多い事も相まって週刊誌の広告が沢山ある状況が生まれたのかもしれない。


鉄道むすめ

トミーテックが展開する鉄道むすめでは系列会社含めて3人が公式に登場している。ちなみに船橋ちとせ、石田あいこは鉄道むすめ最古参キャラクターである。


船橋ちとせ 石田あいこ渋沢あさぎ
新宿駅駅務係→新宿駅管区主任本線車掌→運転士→特急主任車掌特急ロマンスカーアテンダント→グランドパーサー、小田急レストランシステム所属。
船橋ちとせ さん石田主任車掌ロマンスあさぎ

小田急に縁のある著名人

  • 森繁久彌…千歳船橋に森繁通りが存在するため、同駅前に胸像が移設された。
  • 藤子・F・不二雄…1961年から96年に亡くなるまで、沿線の川崎市生田地区に住んでいた。藤子・F・不二雄ミュージアム最寄りの登戸駅は、ドラえもんを意識したラッピングになっている。
  • 木梨憲武(とんねるず)…実家の木梨サイクルが祖師ヶ谷大蔵にある。
  • 中居正広(元SMAP)…藤沢市出身。厳密には東海道線の辻堂だが、小田急を利用していた発言が多い。親族が藤沢の小田急百貨店で働いていたとも。
  • 長野博(V6)…実家のサイクルセンターナガノが大和市の南林間にある。
  • いきものがかり…メンバーが海老名市厚木市の出身で、海老名駅と本厚木駅の駅メロに楽曲が使われている。代表曲「SAKURA」にも名前が登場。
  • 森山直太朗…代々木上原の出身。同じ沿線上にある成城大学に進学しており、代表曲「さくら(独唱)」も成城の桜並木道をイメージして作ったもの。
  • LUNASEA…ボーカルのRYUICHIが江ノ島線沿いにある大和市の鶴間出身、他メンバーは小田原線沿いの秦野市の出身。このため、両路線のジャンクションにある町田がメンバーの合流地点になっていた。
  • ZARD…生まれは福岡県久留米市だが、秦野市で育つ。渋沢駅の駅メロに「負けないで」が使われている。
  • PENICILLIN…メンバーは出身ではないが、沿線の東海大学平塚キャンパスに通っていたため、沿線でバイトしていたという話がある。ロマンスカーは関係ない…多分。

今後の予定

  • 2022年10月1日から、特急ロマンスカーの特急料金を改定すると発表。
  • 2023年3月から、バリアフリー設備の設置のため運賃を改定すると発表。

関連項目

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