新しい君よ
カレンダーをめくるたび
君の歩幅は大きくなっていく
いつか気づくだろう
見える景色が変化したことに
けれど変わったのは
周囲ではなく君自身なのだ
移ろう季節の中で
手にした新しい力とともに
勝利という至福へ向けて
いま駆けのぼっていけ
- 名馬の肖像 2021年菊花賞より
誘導
- JRAにかつて所属していた競走馬。
- 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→マチカネフクキタル(ウマ娘)
こちらでは1に関して解説する。後者の用法についてはタグの使い分けを強く推奨する。
概要
主な勝ち鞍は菊花賞(1997年)。
鋭い差し脚でクラシック期に勝利を重ねたが、古馬になってからは故障に悩まされ一勝もできなかった。
父・クリスタルグリッターズは大種牡馬・ブラッシンググルームを父に持ち、現役時代にはイスパーン賞を連覇し、1988年に日本へ輸出され種牡馬としてGⅠ優勝馬を輩出した。
母・アテナトウショウはトウショウボーイを父に持ち、母系を辿るとシラオキに連なるという良血で、トウショウボーイの血統を欲した信成牧場によりトウショウ牧場から購入された。
生年月日 | 1994年5月22日 |
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英字表記 | Matikanefukukitaru |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
父 | クリスタルグリッターズ |
母 | アテナトウショウ |
母の父 | トウショウボーイ |
5代内のインブリード | Nasrullah4・5×5 / Alibhai5×5 |
競走成績 | 22戦6勝 |
略歴
※馬齢は数え表記
1994年5月22日、信成牧場(北海道浦河郡浦河町)で誕生。
3年前に誕生した全兄は中央の調教師の間でも話題になるなど将来を有望視されていたが、放牧中の事故で安楽死処分となっていた。
兄に比べると見劣りしたが、牧場からは大きな期待が寄せられた。
1995年、ホソカワミクロン代表の細川益男が馬主となり、栗東の二分久男厩舎に入厩する。
細川が同年に購入したスキャン産駒とともに馬名が「競馬ブック」で公募され、それぞれ「マチカネフクキタル」、「マチカネワラウカド」となった。
1996年
- 11月30日、藤田伸二騎手を鞍上に阪神競馬場の新馬戦ダート1200mでデビュー。キョウエイマーチから1.8秒差の3着に敗れた。
- 12月21日、折り返しの新馬戦芝1600mでもオースミジャイアンの4着に敗れる。
1997年
- 3月15日、上村洋行騎手を鞍上に未勝利戦ダート1800mを勝ち上がる。
- 4月6日、君子蘭賞でプレミアムサンダーの2着に敗れる。
- 4月19日、ムーニーバレーRC賞で1着。
- 5月10日、柴田善臣騎手を鞍上にプリンシパルステークスに出走。サイレンススズカのクビ差2着に敗れるが、東京優駿の優先出走権を獲得。
- 6月1日、東京優駿当日は11番人気。サニーブライアンの7着に敗れる。
- 7月5日、武豊騎手を鞍上に、福島競馬場のさくらんぼステークスは1番人気で1着。
- 9月14日、神戸新聞杯に出走し1着。1番人気サイレンススズカの逃げ切りと思われたが、最終コーナー最後尾からゴール前で差し切る豪脚を見せた。
- 11月2日、南井克巳騎手を鞍上に菊花賞に出走。当日の1番人気はシルクジャスティスで、マチカネフクキタルは3番人気だった。マチカネフクキタルは最終直線で鋭い差しを見せ、残り100mで先頭に立って1着でゴール。キタノカチドキ以来となる神戸新聞杯-京都新聞杯-菊花賞の3連勝を達成する。杉本アナは「福がきた京都!またまた福がきた!神戸、そして京都についで、菊の舞台でも福が来た!」と実況した。
1998年
- 5月30日、故障による長期休養を経て金鯱賞に出走。サイレンススズカの6着に敗れた。
- 6月21日、鳴尾記念に出走し、サンライズフラッグの8着に敗れた。再び故障により長期休養に入る。
- 12月27日、岡部幸雄騎手を鞍上に有馬記念に出走し、グラスワンダーの13着に敗れた。
1999年
- 2月14日、武豊騎手を鞍上に京都記念に出走し、エモシオンの2着に敗れた。
- 3月7日、武幸四郎騎手を鞍上にマイラーズカップに出走し、エガオヲミセテの11着に敗れた。
- 4月4日、佐藤哲三騎手を鞍上に産経大阪杯に出走し、サイレントハンターの2着に敗れた。
- 5月2日、天皇賞(春)に出走し、スペシャルウィークの7着に敗れた。
- 7月11日、宝塚記念に出走し、グラスワンダーの5着に敗れた。
- 8月22日、藤田伸二騎手を鞍上に札幌記念に出走し、セイウンスカイの7着に敗れた。故障により長期休養に入る。
2000年
引退後
2000年6月、宝塚記念出走後、調教中に右前浅屈腱炎を発症し引退。2001年シーズンから種牡馬となるが、目立った産駒は残せなかった。
2010年、種牡馬を引退。小須田牧場(山梨県北杜市)で余生を過ごした。
非常に温厚な気性で、脚の付け根よりと低いほどの柵で囲われ、駅前で触れ合いイベントを行ったこともあるという。
だが、同馬主の先輩であるマチカネタンホイザに対してはちょっかいをかけることもあり、食事の邪魔をして怒られるなどオチャメな一面もあったとのこと。
2020年7月31日、老衰のため26歳で死去。
最期はのそのそと厩舎から出てきた後、広場の真ん中にゆっくりと横たわりそのまま眠るように息を引き取ったという。
余談
- 名前の関係(ペアで「笑う門には福来たる」)で相方扱いされがちなマチカネワラウカドは、マチカネフクキタルの引退後もダート路線で息の長い競技生活を続けた。1999年11月3日には東海菊花賞を制し「菊花賞馬」となった。
- 英字表記は「Matikanefukukitaru」で登録された。「Machikane Fukukitaru」とすると、競馬と生産に関する国際協約(通称:パリ協約)に規定されているアルファベット18文字以内(空白、記号を含む)の制限を超過する為である。
- さくらんぼステークスで騎乗した武豊は当日が福島競馬初参戦で、第11レース七夕賞をマイネルブリッジで制し、JRA全10場重賞制覇を達成した。
- 細川益男の所有馬は「マチカネ」の冠名で知られるが、細川の出身校の旧制浪速高等学校があった待兼山(大阪府豊中市)から。
- スペシャルウィーク、シスタートウショウ、ウオッカなどもシラオキ系である。