プロフィール
経歴
1953年3月6日生まれ。山口県出身。
旧芸名は二家本辰巳。
中学卒業後にブロック建築を学び、就職したがアクションをやりたいと思い1971年に上京。ちなみに上京した年は『帰ってきたウルトラマン』が放送され、のちのJAEの後輩である権藤俊輔が生まれた年である。
『キイハンター』に出演していた千葉真一のアクションに魅入られ、JAEに入門する。『人造人間キカイダー』ではダークロボットのトランポリンを担当するなど、端役や斬られ役として数多く出演する。
ウルトラマンレオ
1974年『ウルトラマンレオ』にて、当初第1話前半のウルトラセブンのスーツアクターを担当するゲスト枠であった。
しかし「格闘技の達人で高い身体能力を持つ」というレオの設定もあり、スタッフの意向により、『レオ』1話後半以降からウルトラマンレオのスーツアクターを担当し、レギュラー出演をすることになった。
巨大感に合わせたアクションを行った従来のウルトラ戦士のアクションと違い、バック転やバック宙(後方宙返り)、柔道、空手、合気道などの各種武道、格闘技からアクロバティックな動きが取り入れられたレオの演技を、それまでなかった歯切れのよいスピーディな動きでこなした。
一方で、1クール目が過ぎるころまで続いたスポ根&リベンジ設定のため、撮影日程が通常の倍になり、それまでのスーツアクターのうち最も過酷なスケジュールで撮影に臨まなくてはならなくなったり、レオ終盤では操演中心の円盤生物との戦いの演技に苦労した。…あと、東條昭平監督がドロップキックしてくるし。
メカゴジラの逆襲
『レオ』で怪獣のスーツアクターを担当していた河合徹との縁で、1975年の『メカゴジラの逆襲』に出演し、チタノザウルスのスーツアクターを担当した。ちなみに、河合は同作でゴジラのスーツアクターを担当している。
1979年以降
その後、1979年に『探偵物語』で共演した松田優作に声をかけられ、バイクの購入資金がないとジェスチャーを交えながら明かしたことを面白がられたことがもとで、『野獣死すべし』などでも呼ばれるようになる。
1986年の松田監督作『ア・ホーマンス』からもっぱら殺陣師・アクション監督として活動するようになり、1989年にアーバンアクターズを設立。代表を務める。
『ウルトラマンティガ』、『ウルトラマンダイナ』、『ウルトラマンマックス』の擬闘を担当したほか、2003年のビートたけし監督作品『座頭市』の殺陣・アクション全てを手掛けている。
エピソード
身体能力
ジャンプを得意としていたために『キカイダー』でトランポリン担当となる。また、DVD『ウルトラマンレオ』Vol.4解説書での真船禎の証言いわく「ぬいぐるみ着たまま、水を張ったステージでも連続バック転やるんだから。CGなしであんなこと出来るなんて信じられないよ。」。
ウルトラセブン
『レオ』でセブンのスーツアクターを担当したのは、二家本本人の希望であり、理由はセブンが好きだったこととアイスラッガーを一度投げてみたかったからだとか。ちなみに『レオ』第1話でギラス兄弟の「ギラススピン」によって跳ね返されてしまっているが、アイスラッガーを投げている。
また『セブン』の上西弘次が『座頭市』をヒントにアイスラッガー逆手切りを考案したというから「座頭市」の撮影に参加した二家本とセブンとの縁が深い。
デジャブ
かつて荒垣輝雄と清野幸弘がペスターのスーツアクターを担当していた際にぺスターの目のあたりに弾着が当たり、水が着ぐるみの中に流れ込んできたことがあったり、きくち英一がプリズ魔と戦うウルトラマンジャックのスーツアクターを担当した時に感電したことがあった。
『レオ』第1話や第2話でスーツのマスクに水のはけ口がなく、水がスーツの中に溜まって危険を感じて思わずマスクを破壊したり、火薬発火用の電線が誤って配線されて電流を直接浴びたりと、二家本は荒垣やきくちと似たような経験を体験している。