ネットde真実
ねっとでしんじつ
libenter homines id quod volunt credunt.
(人は自分が信じたいものを喜んで信じる。 - ローマ皇帝 ガイウス・ユリウス・カエサル)
大前提として、人間には自分に都合のいい情報を特段に信じやすいという性質があることを自覚しなければならない。政治家、記者、編集者、ネット住民、このページを編集した我々や、この項目を読んでいるあなたも含めて、あらゆる人間にはその性質が備わっている。真に公正な情報などありえず、真に公正な情報収集もまた不可能である。
さらに厄介な点として、人間は一般的に自らの過ちを認めたがらないため、本人はすでその情報がおかしなものであることに気づいていても、もはや自分の誤りを認め意見を修正する気は起きない状況であったりする。
人間は、ある程度の予備知識を持ち合わせていれば引っかからないような都市伝説、陰謀論、あるいは疑似科学、はたまた常識とある程度の読解力を有してさえいれば嘘と判断できるような釣りや冗談などを真に受けてしまい、その考えにとらわれてしまうことがよくある。
そして、インターネットは誰でも情報を流すことができる。それ故に情報の質を見極めるリテラシー、すなわち「表現されたものを適切に理解・解釈・分析・記述し、改めて表現する」ことが一層重要になってくる。インターネット上の発信者は批判を受けたとしても責任をとらず、なんら反省することなく誤った情報を垂れ流し続けることが多い。そしてそういった「正しい」(と称する)情報をWebサイト、ブログ、SNS、動画サイトなどで流布するにあたり、これに合致しないマスメディアからの情報に対しいわゆるマスゴミなどのレッテルを貼ったり、その情報を伝えた人物に誹謗中傷を行うのである。
この状況に陥った人物、あるいはその人物が信仰する「正しい情報」をネットスラングでは「ネットde真実」と呼ぶ。
対応方法
ではこの状況に陥ることを防ぐ方法はないのか?というと複数の方法が存在する。
マスコミの場合、通常は公式の発表以外のいわゆる伝聞情報をそのまま転載することはなく、関係者などに裏取り取材を行うはずである(ただし特に近年は裏取りすらせずに(さらには書き手の願望とほぼ一致した場合)転載するケースも散見される)。
実際には警察や政治家などのリーク情報をそのまま載せることも多いが、そのような場合は「捜査関係者によると~」「政府筋によると~」など、読めば分かるように書いてある。個人が「裏取り」をいつも行うのは現実的ではないが、以下の行動を実践すればかなりの確率で失敗を回避できるはずである。
- 情報の信頼性を確認する。特にインターネット上での匿名や無名の個人の書き込みは口コミ程度の信頼性しかないと考えるべきである。
- 情報発信者の情報も調査する。その発信者の発言の信憑性が低い、あるいは偏向しているなどと話題になっている場合がある。
- 与えられた情報に対し、公的機関、新聞やテレビ、ラジオ、雑誌など複数のソースも吟味・調査する。特に立場の違う団体等からの情報をあたるべきである。
- インターネット上の情報、特に日本語の情報、はかなり限定かつ偏ったものだと自覚する。
- 「その情報が事実、あるいは虚偽だとしたら利益を得るのは誰か?」と言う事を常に念頭に置く。
- 「その情報のもたらす影響力」を踏まえて、発信者や拡散者のの責任を考える。
- 「自らの信念にとって不利な情報」を全否定したり「自分の考えに有利な情報」を全肯定せず、それらの情報に関しても調査等を行う。
- これが一番重要であるが、リアルでもネットでも不確かな情報は拡散しない。情報が一番広まりやすいのは身近な人との雑談・噂話のようなアナログ会話である。
上述のとおり、匿名や無名の個人の書き込みの信頼性は低いと考えるべきだが、だからといって有名人や公人の発する情報であれば信頼できるとは言えず、大手マスコミや公的機関の発表もまた絶対の信頼が置けるとは限らない。というか、これらも相応の歪曲や捏造、印象操作が含まれているものと考えなければならない。
インターネット上での情報発信(リツイート含む)は、特にそれが誹謗中傷や個人情報の暴露に関わるものであれば、相応の責任が問われることがある。そのようなものは、発信元が信頼性の低いまとめブログであったりとか、発信者不明な怪文書である場合は言及してはならないのはもちろんだが、発信元が確かな大手マスコミや著名人であったとしても安易に拡散することは控えたい。マスコミや著名人が事実無根の中傷を発信してしまい問題になったこともあるからだ。
また、仮に事実に属する情報であったとしても、名誉棄損に問われる可能性があることを念頭におき、存命人物のプライバシーを暴露するような情報をむやみに拡散することは慎むべきである。