概要・特色
1934年7月25日生まれ。北海道虻田郡喜茂別町出身。愛称はカベさん。
本名は立壁和也(読みは同じ)で、1970年代までは本名で活動していた。
所属事務所は、劇団泉座→東京俳優生活協同組合→オフィス央(代表)→ぷろだくしょんバオバブを経て、2002年から死去するまではケンユウオフィス取締役・所属俳優。死後は同事務所の永劫所属となり、サイトでは項目が増設されプロフィールが継続して残されることとなった。
代表作で、たてかべの代名詞でもあった、『ドラえもん(テレビ朝日版第1期)』にて、1979年から本名剛田武ことジャイアンの声を26年間担当してきたが、キャストの高齢化による総入れ替えに伴い、2005年3月で卒業。ジャイアン役以外にも数々のどこか憎めないガキ大将な役や力持ちのキャラクター、壮年以上の役柄や人間以外の役などを数多く担当したが、2000年代以降や晩年は穏やかな老人役も演じていた。本人によればオーデションではなく「たてかべにはこういう役が似合う」と推薦で決められたものがほとんどであった。
後身育成関係
オフィス央時代、たてかべはある1人の男性の才能を見出し、育てていった。その男性こそ堀内賢雄である。
ぷろだくしょんバオバブに吸収合併された後も、声優業の傍らマネージャー、後に常務取締役として、矢島晶子、水谷優子、折笠愛、小林沙苗といった、現在も第一線で活躍する優れた人材を数多く発掘した。特に、矢島については「クレヨンしんちゃん」のオーディションを斡旋するという重要な役目を果たした。また、後に大山のぶ代に代わって、ドラえもんを演じることになった水田わさびも、同じ事務所だったこともあって予てより面識があった。
事務所内に限らず多くの声優がたてかべに才能を見出されて開花しており(実際後述の高木はアーツビジョン所属)、業界においては事務所の垣根を越えて若手から大変慕われていた。
後に堀内が独立して設立したケンユウオフィスに移籍、取締役兼所属声優として死去するまで活動を続けていた。
たてかべ和也に見出された声優として有名な矢島晶子曰く、人材発掘・教育が大好きだったらしく、事務所が違えども才能を見出した相手は親身にサポートしていた。
また、高木渉はたてかべが個人的に発破をかけたことで花開いている。ミスター味っ子の現場をが見学を終えて帰ろうとした際に「来週は来ないのか?」「一日の見学で何がわかる。やる気があるなら最後まで来なさい」と呼び止め、番組中一年半もの長期に渡り勉強をさせている。
こうして現場の見学を定期的に続けるうちにウズウズした高木が「ガヤ(喧騒など不特定多数の声をその場のキャストで演じること)でもいいからやりたい」と進言した。
するとたてかべは「ギャラが発生するから、やれとは言えない。でも渉がガヤをやってたとしても、俺は見て見ぬふりをするよ」と返答。それを肯定と認識した高木はこっそりガヤで参加するようになり、以降の正式な出演に繋がった。
また本業がシンガーソングライターである山本正之も、本格的に声優として活動する(『タイムパトロール隊オタスケマン』ゲキガスキー役)際に、タイムボカンシリーズで活動を共にしていたたてかべに指導を仰いでいる。
晩年・死去
2009年にスキルス性胃ガン(しかもステージ4まで行くほどの末期で、基本的には手遅れに近い状態)が発見され、余命を宣告されるほどだった。その後、胃を全摘出する大手術により奇跡的に一命を取り留めた。
手術後は体調が振るわない状況が続いたが、それでも杖を突きながらではあるが仕事をこなしたり、活動自体は緩やかに継続していた。
その後6年間活動を続けたが、呼吸器系が特に弱っていったようで、体調も緩やかに落ちていったという。
最期は親族や事務所のスタッフに看取られながら、入院先の都内の病院にて静かに息を引き取った、とのことである。
なお、生涯は一貫して未婚であり、配偶者も子供もいなかった。そのため、生前自身の癌闘病について語った際は「死に対する恐怖はない、けど(妻子がいないから)事務所に迷惑かけちゃうなぁ」「葬儀は内輪でやりたい」と語るも、堀内賢雄がそれを否定し、葬儀は間違いなく事務所主導で大々的にやることを本人に断言し、あまりに楽観的な会話に笑い合っていたという。
また、死の一か月前まで普通にアフレコ業に参加しており、生涯現役を貫いた。
2015年6月23日、東京・青山葬儀場で行われ、生前堀内が宣言した通りケンユウオフィス主導で大々的に行われた。生涯の弟子・堀内が喪主を務めた通夜・葬儀には、野沢雅子や新旧ドラえもんキャストをはじめとする声優仲間や後輩、アニメ・ゲームのスタッフ・クリエイターが大多数参列した。若手から大御所まであらゆる声優からの供花が送られた。
棺には生前に愛用していた帽子や、ジャイアン役にゆかりのあるグッズの一部や、当日には参列できなかった大山のぶ代からの直筆のメッセージを含む友人・知人・ファンからの手紙やプレゼントの一部が収められた。出棺の際には、参列者が皆別れの挨拶を大きな声で送る中、その没年齢に擬えた80個の鳩の形を模した白い風船が放たれた。
人物・エピソード
ドラえもん関連
肝付兼太との厚き友情
『ドラえもん』ではスネ夫役を担当した肝付兼太とは、『ドラえもん』以前より仕事で共演することが多かったため、50年近くの付き合いで非常に仲が良く、たてかべが死去するまで交友関係は続いた。
たてかべは、『ドラえもん』テレビ放送25周年特集のインタビューにて、肝付の人柄を次のように評している。
「彼は劇団をやっていて、若い人達を育てていてすごいことだと思う。性格も生き方もまるで違うんだけど、僕は彼を尊敬しているから、認めちゃうんじゃないかなと思います。何人もいない親友のひとりですね」
なお、肝付もたてかべを次のように評し、互いの才能を認めている。
「性格的には僕とたてかべさんはまったく違うんです。お互い劇団にいて、同じような悩みがあって、昔はなにかっていうと議論をするのが流行っていた時期があって、そんな時にたてかべさんと話すと、すごく話が入ってくるんですね。そういう考え方もあるんだなって」
肝付曰く、とあるテーマパークのイベントにおいて司会を担当することになった際、「早めに発ちたい」というたてかべの希望から、二人は車で現地に早々と入った。しかし当日はどこの旅館も満室で泊まる場所がなく、仕方なくラブホテルに泊まったことがあるらしい。
ジャイアンとスネ夫という縁にちなんだ共演作も多く、映像化はされなかったが音声ドラマ版のデビルメイクライでは二人でアグニ&ルドラを演じている。
月日は流れ、肝付はたてかべの訃報を受けて、「ジャイアンの演技はやっぱりカベさんが最高でした」とマスメディアへの声明でコメント。後の通夜では弔辞を読み、その最後にスネ夫の演技を混ぜつつ戦友の死を嘆いた。
『ジャイアーン!ジャイアンのくせに何で先に逝っちゃうんだよ……』
肝付は、数日後の葬儀・告別式でも弔辞を読み、弔辞の結びで再びスネ夫を演じながら、長年の朋友との永遠の別れを惜しんだ。
『ジャイアーン!!』
生涯の友による悲痛な叫び声は、葬儀の場に響き渡り、数多くの参列者が涙を流した。インタビューでは「もうじき自分もそっちに行くんだろうけど…」と冗談交じりに語っていたが、それから一年たって間もない10月20日、彼の後を追うように、肝付もたてかべと同じ歳でこの世を去った。
木村昴との交友
25年間『ドラえもん(テレビ朝日版第1期)』で演じてきたジャイアン役を卒業する際、たてかべは、「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていた。しかし、後任の木村昴が当時現役中学生(木村は老け顔だったため、初対面の時は30代だと思っていた)だったことを知ってがっかりしたものの、あと5年は長生きして一緒に飲みたいとも語った。またこのとき、木村はたてかべにアドバイスを求めたが、多くは語らず「思いっきりやってくれ!」とだけ伝えたという(交代時の特別番組でも、そういうコメントは残していた)。
偶然木村の通っていた高校が自宅と近かったこともあり、激励も兼ねてしばしば後任の顔を見に行っていたという。高校の文化祭で木村が「友達にたてかべさんのことを教えたい」と言うとたてかべは「ジャイアンはもう昴のものだから俺は出しゃばった真似はできない」と答えたという。これに感動した木村だったが、自身の出し物が終わった後、たてかべの姿が見えないので探しに行くと、なんとたてかべは体育館でジャイアンリサイタルをやっていた。木村は「さっきあんな良いこと言ってたのに!」と内心突っ込み、周囲の「本物だ」という反応に複雑な思いを抱いたものの、それ以上に先代のたてかべが「ジャイアンそのもの」といった豪快な人柄で皆を喜ばせていたことを誇らしく思ったとか。
たてかべは一緒に酒が飲める年がくるまで1年毎にカウントしていたとのことで、そして木村の成人後に一緒に飲みに行くことが実現している。たてかべは病気のこともあり医者から酒を控えるよう言われていたが、念願だったこともあって迷わず「今日は飲んじゃおう」と飲みに行ったとのこと。
しかし、木村曰くたてかべはジャイアンを演じる上では「思いっきりやれ」以外には何もアドバイスをしてくれず、明確な助言をくれないことを木村は当初不安に思っていた。が、「年月を経るにつれてそれが最高のアドバイスだと気づいた(要約)」と語っている。
後に吹替版のキャストをドラえもん関係者で固めるという悪ふざけ企画で外国のスプラッター映画「武器人間」に出演した際には、揃ってたてかべと共演もしている。
そして、たてかべの訃報を受け、木村は自身のツイッターで、「あとのことは、この俺様に任せてください」と、その死を悼んだ。葬儀の席においても、涙ながらにたてかべとの思い出を語り、安らかに眠るたてかべに改めて「後のことは任せてください」と伝えたことを明かした。
堀内賢雄との関係
師弟であり、親友であり、そして家族のような関係でもある。肝付兼太は「長男」と称しており、さながら親子のような関係だった。癌治療の際は、オフィスの全面バックアップの元、親身になって行っていたという。
最初に堀内が所属した事務所が、たてかべの主催する「オフィス央」であり、以来先の通り堀内側がオフィスの主催になってからも、たてかべがその下に付き、互いを支え合っていた。
未婚故に親族がほとんどおらず、葬儀の際は堀内が葬儀委員長を担当。最後まで気丈に振る舞っていたが、最後は涙ながらに永遠の別れを惜しんでいた。
現在、たてかべの墓は継続して堀内らが守っている。長らくケンユウオフィスのサイトにはたてかべのことを惜しむ文が大々的に掲載。さらに永劫所属としてプロフィールを継続的に掲載しているなど、いかに慕っていたかが分かるエピソードがたくさん存在する。
それ以外のエピソード
- ジャイアンやトンズラーといったキャラの声は、実は地声ではなく、少し作っていた。サンプルボイスの地声を聞くとわかるが、本来は物凄くダンディなお声である。そのため昔は好青年の役が回ってくることも多かった。
- しかしガキ大将などの役柄が定着したこともあってか、本人曰く「敵(かたき)役を演じるのが好き」とのことで、晩年の出演作は概ねジャイアンやトンズラーのようなガタイの良い人間ばかりである。
- 自身は一人っ子で、少年時代は周りに気を遣っていたのび太みたいな男の子だったとのこと。ジャイアンは自身にとって本当に思い入れのある役柄だった、とコメントしていた。
- ジャイアンの持ち歌である『おれはジャイアンさまだ!』はたてかべ自らが作詞したものである。ちなみに原作では「ボエ~」「ホゲー」などという効果音、ひどい形の音符などが描かれているのみで、特定の歌詞は書かれていないことが多い。スタッフに「ここはたてかべさんが考えて、適当に歌を歌ってください」と言われ、仕方がなくほぼアドリブで歌ったのが最初。なお、『ドラえもん』本編ではジャイアンの役柄に合わせてわざと音程を外して歌っているが、CDに収録されたものではかなりの美声を披露している。
- 大山のぶ代の話では、『ドラえもん』の声の収録では話に入り込んで涙ぐむことが一番多かったそうである。
その他
- 阪神タイガースの大ファンで、特に藤村富美男のファン。『デイリースポーツ』誌を欠かさず愛読していた。そのため、『タイムボカンシリーズ』では関西弁で演じていた。
- 『ヤットデタマン』で主役ロボの名前が「大巨神」になったのは当初案の大巨人を目にしたたてかべが激怒して降板を示唆したためだという逸話が残る。
- 声優の待遇改善にも熱心で、声優仲間とともに組合運動を盛んに展開しストライキを実行したこともある。
- お酒が好きで、たてかべの人柄を語るうえで酒にまつわるエピソードは枚挙に暇がない。通夜の際も焼香ではなく、参列者には日本酒での献杯が行われた。
- 結婚式の司会など場を盛り上げるのが非常に得意だった他、人を笑わせるトークに長けていた。ある時講演で「俺、剛田武、小学五年生!やっと年金がもらえるようになりました!」とキャラクターと実年齢のギャップを笑いのネタにしたこともあった。
- 勉強が大嫌いで、晩年に先述の経緯で入院していた際にも医師の説明を聞くのはほとんど後輩に任せていたという。
- 2003年2月18日に『タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事』にスタジオ出演し、ジャイアンの声でアムロ・レイの吹き替えをやったことがある。この際、アムロの台詞をアドリブでジャイアンっぽい口調にアレンジしまくり、終いには「親父にもぶたれたことないのに!」のセリフを「母ちゃんにもぶたれたことないのに!」と変え、周囲を大爆笑させた。
- ジャイアン役を降板した後も、『君が主で執事が俺で』やリメイク版『ヤッターマン』などでジャイアンのパロディを行ったり、それをモチーフとしたキャラクターを演じていた。
- 死去した際にも、同日に放送された『ドラえもん』の冒頭にて、『1979年から2005年まで26年に渡り、テレビアニメ『ドラえもん』のキャラクター“ジャイアン”の声優を務めていただいた、たてかべ和也さんがお亡くなりになりました。多くの子どもたちに、夢を届けていただいたたてかべさんのご冥福を心からお祈りいたします。』という追悼のテロップが流された。
- 『ベン10』シリーズでは永らくマックス・テニスン役を好演。「オムニバース」編を以て遺作となった。カートゥーンネットワーク公式ページにて追悼文がよせられている。
主な出演作品
ジャイアン/剛田武@ドラえもん(テレビ朝日版第1期) | ダレオ@黄金バット | ゴリライモ/五利良イモ太郎@ど根性ガエル |
ゼクー・アルバ@サイコアーマーゴーバリアン | ドテチン※左から2番目@はじめ人間ギャートルズ | アラン@劇場版 どうぶつの森 |
西川大作@超電磁ロボコン・バトラーV | 男爵(犬の方)@破裏拳ポリマー | |
以下はすべてタイムボカンシリーズ
トンズラー@ヤッターマン(1977年版/2008年版) | ワルサー※1@タイムボカン | ドンジューロー※2@ゼンダマン |
ドワルスキー@タイムパトロール隊オタスケマン | アラン・スカドン@ヤットデタマン | キョカンチン@逆転イッパツマン |
トンメンタン※3@イタダキマン | オンドレー※4@怪盗きらめきマン | |
※1~3画像の左 ※4画像の右
イラスト無し
ブリキン@ろぼっ子ビートン
バラシン@新造人間キャシャーン
大門大吾(ミスター不動)@タイガーマスク
ゲジゴン@ハクション大魔王
デニーロ@君が主で執事が俺で
ローバウル@FAIRYTAIL
マックス・テニスン@ベン10 ※ 遺作 *2
*1 後任は三宅健太(CRヤッターマンでの代役)
*2 後任は辻親八
その他
CMナレーション@メタルマックス
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エピソードに記述があるアムロのモノマネ
メタルマックスCM
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俳優 声優 ナレーター マネージャー 三悪 タイムボカンシリーズ ジャイアン ジャイアン死んじゃいやん!