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暗君の編集履歴

2023-04-23 13:12:37 バージョン

暗君

あんくん

暗愚で統治能力が低い君主のことである。

概要

暗君とは、暗愚で統治能力が低いか国政を顧みない君主のことである。


暴君とは何かと類義語にされがちだが、意味は完全に異なる。暴君は統治した内容が問われ、暗君は本人の君主としての資質の低さが問われるためである。

暴君とされる君主でも有能な統治をした者もいれば、積極的な悪政は敷かなかったがあまりにも無能すぎたために暗君扱いされる君主もいる。

また当初は名君だったのだが、次第に政治に厭いてきて暗君に堕ちた君主もいる。


「ある分野では成功したが別の分野では失敗した」「世の中を良くすることに積極的に取り組んだが裏目に出た」などのように名君か暗君かをはっきりと区別しにくい場合もある。また、後世の創作や歴史の改竄・間違った説が広まるなどによって名君だったのに暗君扱いをされてしまうことも少なくない。名君の素質を有していても、外患を誘発させたり王朝を断絶させたりした場合だと、暗君のそしりを受けることになってしまう。


他方、政治を臣下に任せて自らは政治に口出ししない君主というのは一見すれば暗君のテンプレートであるが、「国王は君臨すれども統治せず」という言葉もあるように、適切な能力を持つ臣下が適切に政治を執り行っている分には理想の君主像という面もある。

現在の日本における象徴天皇制を中心とした政治システムも、天皇個人の能力に頼らず民主的に選ばれた国会議員・国務大臣や官僚の能力で統治をするもので、天皇個人が名君か暗君か暴君かを問わず、政治を回すことができるシステムである。


主な暗君とされる君主

暴君を兼ねているものもあり(太字)。

日本

  • 平宗盛平清盛没後に家督を継ぐも、源氏との対決路線を維持しすぎて、壇ノ浦の戦いで平家の滅亡を許してしまう。そこで死にきれずに源氏側に捕虜として捕まり、斬首が決定した後も卑屈な態度や生への執着を崩さなかった。
  • 北条高時:14歳の若さで執権に就任するも、24歳で病気により退任。闘犬や田楽に興じて政治を顧みなかったために、足利尊氏新田義貞の離反を招いて、鎌倉幕府を滅亡させてしまった。
  • 後醍醐天皇:鎌倉幕府を打ち破り建武の新政を開始するも、その政策には様々な問題点があり、武士達の反発を買った。その後足利尊氏に謀反を起こされ、吉野へ逃亡。以後、60年近くも続く南北朝の内乱を引き起こすきっかけを作ってしまった。
  • 足利義政:8歳で室町幕府の将軍職に選出され、13歳の時に正式に就任。文化人としては一流だが、国政を顧みないどころか後継者問題にも無関心だったため、応仁の乱を誘発させてしまった。
  • 一条兼定:7歳で家督を相続。実はキリシタン大名。大友氏・宇都宮氏と組んで伊予への進出を試みるも失敗。その後、長曾我部元親の侵攻を止められず、忠臣を殺すなどの不行状も重なり、30歳の時に隠居を強制された。
  • 今川氏真:大名としての今川家を滅ぼしてしまったために暗君という評価を受けてしまったが、高い教養を生かして徳川家に仕え、孫の直房が高家今川家を興す下地を作った。
  • 酒井忠勝:大老にまでなった小浜藩主でなく、酒井忠次の孫の庄内藩主。庄内藩に入部早々重税をかけた上に三弟忠重の傀儡と化しお家乗っ取りの危機を招くが、成立寸前のところで死去したため辛くも防がれた。
  • 松倉勝家:見栄で実高4万石を面高10万石と申告し、領民に過酷な搾取を行って島原の乱の主因を作った。勝家は乱の責任を問われ、江戸時代の大名として唯一、斬首に処された人物として知られる。
  • 伊達綱宗祖父譲りのあまりの放蕩ぶりに伊達騒動を起こしてしまい、隠居を余儀なくされた。
  • 徳川家斉:15歳で将軍に就任。在任初期には松平定信寛政の改革を行っていたが、在任の後半は家斉とその側近の水野忠成が幕政をみるようになり、先人たちが苦心して立て直した財政を盛大に使い倒し、幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行。挙げ句隠居しても贅沢を止めず、息子・家慶の執政に口を挟んで来るなど、政治面では非常に残念。

中国

  • 幽王:寵妃の褒姒を笑わせるために狼煙を上げることを濫発したせいで、本当に異民族の侵攻があったのにどの諸侯も助けに来なかったという狼少年を地で行く逸話がある。
  • 故亥:秦の二世皇帝。趙高の言いなりになって家臣たちを殺害。贅沢に走り土木工事を盛んに行った結果、反乱を招き最後はその趙高によって始末された。秦が短命に終わった要因の半分。
  • 霊帝:内憂外患が多発している事態にも酒と女に溺れ、張譲ら十常侍という宦官集団に専断されることとなった。黄巾の乱が勃発し何とか平定するも、乱の首謀者が急死するという形であった。その暗愚っぷりは『三国志演義』でも同様であった。
  • 劉禅(懐帝):彼の幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほど。
  • 恵帝(司馬衷):「穀物がないのならば、肉粥を食べればいい」という発言を残し、八王の乱を引き起こしてしまう。
  • 南朝の皇帝、ほぼ全員:常人に理解出来るレベルの暗君でさえマシな方というとんでもない魏晋南北朝時代の王朝。歴代皇帝の約半数が「少帝」「元凶」「前廃帝」「後廃帝」という明らかに何かおかしい呼び名で歴史書に記録されている。
  • 南朝の皇帝、ほぼ全員:こちらも打倒した宋と同じ。
  • 懿宗僖宗:宦官が権力を専横したいがために、暗愚だからこそ皇帝に担がれた存在であった。
  • 徽宗:画人としては当代随一の人物であったが、趣味に没頭しすぎて、庭園の造営のための重労働や重税を課してしまう。極めつけはを裏切ったせいで息子の欽宗ともども金に拉致されてしまう。その際に皇帝を廃された上で「徳公」(昏は暗い・愚かを意味する)に封じられてしまった。一皇族として気儘に芸術を楽しむ人生を送っていれば何の問題も無かっただろうが、皇帝になった事が、こいつにとっても人民にとっても最大・最悪の不幸。それほど無能でも暗愚でも人格的な問題が有った訳でもなかったが、単に政治に感心が無かったから暗君と化したという、中国史上最大の暗君でありながら、暗君としては変則パターンなのも特徴。
  • 廃帝海陵庶人のライバルだった金のいわば「金朝版の徽宗」。徽宗はやった事は酷くても人格的にはマシだったが、こいつは、やった事も酷い上に、人格的にも残忍で女好き。帝位につきながら、歴史書には「海陵という通称の帝位を廃された皇族大夫の資格さえないただの人」という意味の名前で記録されている時点でお察しください。なお、このような名前で表記しているのは、一度は帝位に有りながら、死後、本当に「皇帝としての正式な名前」である諡号(○○帝など)・廟号(○祖、○宗など)が付けられなかったから。
  • 万暦帝:当初は名臣・張居正がいたため政治は安定していたが、彼の没後は政治を放棄して後宮にこもっては贅沢に明け暮れていた。その間に官僚間の対立が深刻化し、豊臣秀吉の朝鮮出兵や後金のヌルハチの台頭などもあって明は一気に衰微してしまう。の時代に編纂された歴史書「明史」中の「明は万暦に滅ぶ」はつとに有名。なお、「明史」を編纂したのは次の王朝である清朝だが、明の歴代皇帝の評価は概ね激甘であり、辛口の評価がされている数少ない例外がこの万暦帝である
  • 咸豊帝:列強の侵略が迫っているにもかかわらず、京劇などにふけっていた。清朝の中では一番の暗君ではあったが、他の王朝(特に)の暗君と比較すれば小粒である。

朝鮮王朝

  • 綾陽君仁祖):比較的善政を敷いていた叔父(光海君)をクーデターで追い出して即位したが、家臣に操られ、反乱の度に首都から逃げ出し、幾度となく後金(清)の朝鮮蹂躙を許し服属を余儀なくさせ、実の長男(昭顕世子)を毒殺した(毒殺は説の域を出でいないが昭顕世子の弟(鳳林大君)が次の王として即位していることから何らかの関わりがあると現在でも唱えられている)。結果、後世において傀儡王仁祖と称される程。
  • 高宗:「心優しく温和で、愛想良し、生来持った人の良さがある」と評された一方、「優柔不断かつ意志薄弱で、君主としては致命的。意思が強ければ名君になっていた」とも評される朝鮮王朝最後の王。言ってしまえば朝鮮王朝版ルイ16世である。時代が違えば間違いなく名君となっていたであろうが、朝鮮王朝末期の動乱の時期に王位を継承し、周囲には奸臣や佞臣しかいなかったのが彼の最大の不幸であろう。結局、清朝ロシア帝国大日本帝国に振り回された挙句、日韓併合という形で自国を滅ぼす事になってしまった。

ヨーロッパ

  • ヘリオガバルス:当時のローマ帝国では軟弱とされていた女装や同性愛を好み、政治を顧みず終始姦淫に耽っていた。ローマ史上最悪の君主と評されているが、その理由は彼以前の暴君とされている君主は曲がりなりにも実績があったのに対し、彼には実績といえるものがなかったからである。
  • ジョン欠地王:父王ヘンリー2世からリチャード1世など子供達に領土の分与が行われた際、彼だけ領地が分け与えられなかったことから、即位前から「領地の無いジョン(John the Lackland)」と呼ばれていた。しかし皮肉なことに、即位後に綽名通り大陸にあった領土を失ってしまう。そのせいか、彼以降のイギリス王室は男児に「ジョン」という名前を付けるのを憚られるほど。なお彼が暗君だったおかげで、君権と言えど制限されるという立憲君主制がイギリスで生まれ、今日まで世界の君主制に大きな影響を与えている。
  • ルイ15世:5歳でフランス国王に即位。その在位期間は64年間に及ぶ。当初はフルーリー枢機卿の元で善政を敷いていた。しかし、枢機卿の没後に親政を開始すると、オーストリア継承戦争など外征を繰り返すようになり、結果として北アメリカ大陸での植民地全喪失や5回に及ぶデフォルトなどフランス王国の衰退を招いた。フランス革命ルイ16世の悲劇は、ルイ15世による失政の「後始末」としての側面も有している。
  • ルートヴィヒ2世 :中世ロマンに魅せられノイシュヴァンシュタイン城をはじめ建築普請に狂った「メルヘン王」。「狂王」という不名誉な二つ名で有名で、精神に異常をきたしたとされ幽閉された末不可解な死を遂げた。

架空の暗君

物語を成立させるために善良な王様が暗君にされることが多い。


  • アラバーナ皇帝「攻略本」を駆使する最強の魔法使い):極めて傲岸不遜な懐古主義者で、最終的に息子や近衛兵団によるクーデターが発生し、保身の為にに譲位した結果、新しく女帝となった娘の勅により、「帝族専用のいと尊き牢獄」とされる宮殿の西の塔の牢獄で一生飼い殺しの状態となり、物語からフェードアウトした。
  • エルゼ姫かいけつゾロリ):アニメ版では事あるごとに記念日を定めては別荘を建てまくり、を振り回していた。別荘の建設費はどこから出てきたのかは謎で、そのために税金を跳ね上げている描写もないのがそれに拍車をかけている(敢えて描いてないだけだけかも知れない)。しかも、『もっと!』では改心する前に子供ができてしまったのでレバンナ王国の将来が不安である。
  • デデデ大王星のカービィ):シリーズで一貫してバカ(良くてお間抜け)という性格設定をされている。
  • バカ殿志村けんバカ殿様):とにかくバカ&スケベで、家老が真面目な話をしていても遊んでいたり、大掛かりないたずらを仕掛けたりしている。そのバカっぷりに家老からは嘆かれたり、「バカのオリンピックに出たら金メダル」と言われたりするほどである。
  • ワポルONEPIECE):先代国王から甘やかされて育った結果、マヌケで子供臭い性格かつ傍若無人な性格となった。ただ、本編再登場時では番外編での苦労もあって、品行方正とまではいかないまでも思慮に関しては多少成長している。

関連タグ

君主 暴君 バカ殿 名君


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