城北線(伊予鉄道)
伊予鉄道市内線の一部で、古町駅から平和通一丁目停留場までの2.7kmが該当する。
他の市内線が「軌道法」に準拠した純然たる路面電車であるのに対し、この区間のみは「鉄道事業法」に基づく鉄道線となっている。これは「道後鉄道」がそのように開業させた路線を合併・編入したため。
運行体系は他の市内線と完全に一体化しており、駅ナンバリングも前後の駅との連番である。
城北線(名古屋鉄道)
現在の小牧線上飯田〜小牧及び廃線となった勝川線味鋺〜新勝川の1931年2月の開業当初の路線名。城北電気鉄道によって建設中に名鉄に吸収合併されたことが路線名の由来であり、同年4月に犬山〜小牧が開業すると大曽根線・勝川線と改称された。
城北線(東海交通事業)
春日井市の勝川駅と清須市の枇杷島駅を結ぶ、11.2kmの鉄道路線。
両端を中央本線と東海道本線という幹線に挟まれており、この路線もそれらに準じた高規格で建設されているが、以下の事情によりほぼ孤立した状態となっている。
路線概略
駅名 | 乗り換え路線 | 備考 |
---|---|---|
勝川 | JR東海中央本線(中央西線) | JR東海の駅から約500m離れた仮駅を使用中。 |
味美 | 名鉄にも「味美駅」が存在するが、約700m離れているため乗り換え駅と扱われていない。 | |
比良 | ||
小田井 | 両路線は約300m離れた「上小田井駅」を発着する。 | |
尾張星の宮 | ||
枇杷島 | JR東海東海道本線 |
- 正式な起点は勝川駅だが、旅客案内上は枇杷島駅を起点としている。
- 東海交通事業は運行のみを行う「第2種鉄道事業者」で、施設自体はJR東海が保有する。
- しかし、あくまで別会社としてTOICA等には非対応。
- ほぼ全線にわたって高架の複線であるが、枇杷島駅手前と勝川駅構内は単線である。
- バリアフリー対応も遅れており、エレベーター一つとっても小田井駅とJR東海が整備した枇杷島駅にあるのみで、他は高架を階段で上がる必要がある。
- 電化は準備工事のみがなされている。武豊線電化後は愛知県内で唯一の旅客扱いを行う非電化路線となった。
理由は不明だが、時刻表では「第三セクター」として案内されている(法人としてはJR東海の100%子会社であり、自治体等の資本は入っていない)。
運行形態
全て線内折り返しのワンマン運転列車で、日中は1時間間隔、平日の朝夕は約20分間隔で運転される。大都市近郊としてはかなり本数が少ない。その本数の少なさを逆手に貸切列車の運転などには積極的である。
運賃賃率もJR東海とは全く別の設定で、かなり高めである。
この路線を乗り通すよりも、JR線を乗り継いで勝川~名古屋~枇杷島と移動する方がまだ安い。
待ち時間も含めると、所要時間すら負ける事がある。
便利そうに見えて不便な路線
以上の情報だけでも分かるように、使い勝手が著しく悪く、乗客は極めて少なく留まっている。
そのためたった1両の気動車が往復するのみ、予備を含めてようやく2両という、見た目からはあり得ない輸送力の低さで事足りてしまっている。
これは、本来貨物線として計画された路線であった事が尾を引いている。
早い話が乗り換えどころか一般客の利用自体が考慮されていなかったのである。
国鉄時代の計画では、この路線は「瀬戸線」の一部で、瀬戸(現・愛知環状鉄道瀬戸市駅)から高蔵寺を経由し、勝川まで中央本線と並走。最終的に二手に分岐して枇杷島と稲沢でそれぞれ東海道本線に接続し、デルタ線を形成するものとされていた。
また、東海道本線の岡崎と中央本線の多治見を結ぶ「岡多線」というものも計画されており、瀬戸で瀬戸線と接続する予定だった。
岡崎~瀬戸~高蔵寺~勝川~稲沢と走れば、混雑する名古屋駅を通らずに東海道本線豊橋方面から岐阜方面に抜けられるバイパスとなる。
また枇杷島側に出れば、自然と方向転換されて立地が独特な名古屋貨物ターミナルにも簡単に入れる。中央本線からの列車も同様である。
名古屋貨物ターミナルは現在のあおなみ線沿線にあり(時系列的にはここに繋がる貨物線を旅客化して「あおなみ線」となる)、幹線からの出入りは東海道本線岐阜方面からしかできなかった。
豊橋方面や中央本線からの列車は、一旦稲沢まで出て折り返してくる必要があり、方向転換の手間がかかるばかりかよりにもよって名古屋駅を2回通過していた。
それを解消する事こそがこの路線の敷設目的であり、存在意義であった。
ところが、国鉄末期の混乱の中で計画は凍結。
岡崎~瀬戸~高蔵寺は「愛知環状鉄道」として独立し、中央本線と重複する高蔵寺~勝川と、着工の遅れていた稲沢への分岐線(と岡多線瀬戸~多治見)は放棄。残った勝川~枇杷島だけがなし崩し的に「城北線」となって現在に至るわけである。
不便を解消してはいけない路線
勝川駅については更に複雑な事情がある。
城北線開業当時、中央本線はまだ高架化の途上であった。そのため当初から高架だった城北線は仮駅として開業し、中央本線の高架化完了時に再整備する事とされたのである。
しかし現実には、中央本線が高架になっても乗り入れ工事が行われる気配は微塵も無い(一応、新しいJR勝川駅には城北線用と思われるスペースが用意されてはいる)。
これは
- 城北線の建設主体は日本鉄道建設公団で、JR東海は建設費と賃借料を毎年支払わなければならない契約となっている。
- しかも途中で設備変更工事を行った場合、工事費はJR東海持ちかつ貸借料まで増額される。
- 乗り換えの改善で増える収益が、工事費+増額した貸借料を上回る保証は無く、少しでもリスクを避けたいJR東海としては現状のまま放っておくのが吉。
という理由とされる。
電化されないのも、バリアフリーが進まないのも、全ては同根と推測され、運賃賃率が高い事すら、意図的に乗客を遠ざけこれらが必要となる状況が到来するのを遅らせるためとの説もある。
この貸借契約は2032年まで続くので、2033年以降何かしらの動きがあるのかもしれない。
枇杷島側は既に線路が繋がっており、名古屋駅のすぐ隣でもあるため、障壁は低そうに見える。
しかし、こちらもそう単純ではない。
1両の気動車と、最低でも4両はある東海道本線の電車では規格に差があり過ぎる上、そもそもが名古屋駅の混雑を避けるための路線である以上、下手に侵入させれば本末転倒になる。
故に枇杷島から先に進めるには地上設備の改修工事(電化や名古屋駅の増築など)が必須と言え、結局手が付けられないわけである。
開業当初と大きく異なる前提として、JR東海のATSが路線方向情報の入った「ATS-PT」に更新されたという事情もある。
これを搭載し、かつ通常の用法で方向転換しない車両(電車やキハ75以降の気動車の大半)は方向切り替えスイッチが固定されているが、城北線は上記の経緯からただ走らせるだけで方向転換してしまう構造になっている。
JRの中でも特に規格統一に敏感なJR東海が、仕様変更や特例を作ってまで中央本線~城北線~東海道本線といった列車を設定するかはやはり不透明であり、仮にJR東海に編入されても劇的に運行体系が変わる事は無いとの予測もある。
貨物列車の運行を継承したJR貨物にしても、お世辞にも経営に余裕があるとは言えず、まして瀬戸線・岡多線がバラバラに継承されたとあってはその調整の方が面倒であるとして、静観の構えを貫いている。よってこの方面からも支援は期待できそうにない。
現に貨物列車は従来通りの方法で走り続け、放棄区間に確保されていた土地は切り売りされて住宅地などになっている。2033年以降に走ってくれるかどうかも怪しい情勢である。
後は当初の計画を踏襲してあおなみ線に流すくらいであるが、あおなみ線もまた破綻しかけた過去があるほど脆弱な経営基盤であり、現時点でもJR東海との直通は行っていない。当初から名古屋駅を発着している以上、今更枇杷島や勝川との接点を必要とするとは考えにくく、少なくとも先方から乗り入れを求めてくる事は無いと見られている。
そしてなにより、JR東海の悲願と言えるリニア・中央新幹線の建設である。既存路線と直角に名古屋駅に入ってくる計画となっている以上、城北線がどこに発着したとしても干渉は免れない。(ただし当初中央新幹線名古屋駅は小田井に作られる計画であった為、名古屋駅地下二階にはアクセス路線となるであろう城北線の乗り入れスペースが確保されている。このスペースは現在も残っており、なおかつリニアの駅にも直接は被らないため、工事さえ終わればここに城北線を伸ばして乗り入れさせること自体は理論上可能である。)
当初は2027年開業予定とされていたが、工事の進捗は遅れ気味であり、やはり2030年代にずれ込んでくると見られている。どちらが大切であるかは言うまでもなく、これが一段落するまではどのみち枇杷島で大人しくしているしかないというわけである。
とは言え、本当に負担から逃れたいのであれば、廃線にしてしまえばいいだけの話である。
こんな状態であってもJR東海が今日まで維持してきたのは、何らかの価値と将来性を見込んでいるからに他ならないのだろう。
車両
2両しか必要としないという事情もあり、JR東海への依存度が高い。
当初はキハ40系2両を借り受けてオリジナルカラーに塗り替えて運用していた。
1993年に自社所有のキハ11形200番台を4両発注(ただし設計はほぼJR東海の流用)し、2両をキハ40系の置き換え、残りの2両を線路使用料相殺のためJR東海貸し出しとした。
ちなみに後者のうち、1両は城北線車両の定期検査時に代走した事があるが、もう1両は結局一度も城北線を走る事はなかった。
2015年にキハ11形300番台2両をJR東海より購入し、200番台を置き換えた。
200番台は貸し出した2両も含めた全車をひたちなか海浜鉄道に売却している。
なお、城北線は電化準備の一環として電車規格の高いプラットホーム(レール面上1100mm)を採用しているが、JR東海の一般的な非電化区間にはそれ以下のホームも残存していた。
そのため「キハ11」の記事にもある通り、当初から城北線向けだったキハ11形200番台の2両を除き車体にはステップが付いており、線内では箱を置いてそれを埋める形を取っている。