ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

アイルトン・セナ

20

あいるとんせな

本名はアイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva, Brazil, 1960-1994)。F1レーサー。サッカー選手のペレ、ジーコと並ぶ、ブラジルスポーツ界の英雄。

1980年中盤〜1990年代前半にかけてF1で活躍。

生涯65回のポールポジション、そして3度のワールドチャンピオンを獲得。日本でもマクラーレン・ホンダの黄金期の立役者としてバブル期のF1人気の顔となり、古舘伊知郎のつけた「音速の貴公子」のニックネームでよく知られていた。

記録だけを見れば、他にも同等以上のドライバーは複数人いるが、その圧倒的なカリスマ性とドラマ性、そして悲劇的な最期を遂げたことから、未だにF1ドライバーの人気投票で1位になるほどの人気を誇る。

幼馴染と結婚したが、後に離婚して子供はいない。しかし甥(姉の息子)のブルーノ・セナがF1ドライバーとなっている。

概要

本名はアイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)。

1960年3月21日にブラジルに生まれる。4歳のころにカートの運転をはじめ、13歳でレースに参加、1983年からイギリスF3に参戦してチャンピオンになり、翌1984年にトールマンからF1デビューを果たす。1985年のポルトガルGPでF1初勝利、1988年にはマクラーレンに移籍して初のドライバーズタイトルを獲得。以降は90、91年と3度のチャンピオンとなる。

卓越したテクニックで天才と呼ばれ、史上最高のドライバーと言われる事も多いが、反面、他のF1ドライバーとの確執が絶えないドライバーでもあった。

そのうちの1人であるアラン・プロストとは、セナがマクラーレンに移籍した1988年から2シーズンにわたってチームメイトとして戦い、特に88年は16戦中15勝(セナ8勝、プロスト7勝)を挙げ、シーズンを席巻した。

しかし、翌89年も二人がチャンピオン争いを繰り広げ、それが激しくなるにつれ、次第に関係が悪化していった。特に、この年の日本GPではトップ争いを繰り広げていた最中にシケインで接触。これが原因でプロストはリタイアし、セナはトップでチェッカーを受けたが後に失格に。その結果、プロストがワールドチャンピオンになるなど険悪を極めた。

翌90年、プロストがフェラーリに移籍しても対立関係は続いた。この年は(前述の通り)セナがチャンピオンを獲得しているが、そのタイトル決定は、日本GPでスタート直後に1コーナーで接触し両者リタイアという、またしても後味の悪いものだった。

なお、現役時代からお互いにドライバーとしての実力は認めていたとされ、特にプロストの引退レースとなった1993年オーストラリアGPでは、レース後の表彰台で握手を交わして和解している。

その後は二人で仲良く会話するシーンも見られた他、後述のサンマリノGPでは、フランスでF1中継を行っているテレビ局が「練習走行中にセナが無線越しにコースを解説する」という企画を行った。この際セナは「アラン、君がいなくて寂しいよ」と無線越しに、テレビの解説者としてイモラに来ていたプロストにメッセージを送っていた。

1994年5月1日午後2時27分、第3戦のサンマリノGPのレース中に(当時は高速コーナーだった)タンブレロコーナーに高速で直進してフェンスに激突。事故現場ですぐさま気道切開手術が行われ、ドクターヘリで病院に緊急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。満34歳没。その葬儀はブラジルにおいて国葬となった。なお、直接の死因はフロントサスペンションのパーツが頭部を直撃したものとされ、事故直後の動画でもヘルメット上部が大きく破損しているのが確認できる。この時、頭部が少し動いたことから、当時の報道では、即死ではなく意識不明の重体と報じた情報もあったが、事故の検証の過程で、この時の動きは死亡時に起きることがある身体の痙攣によって頭部が動いたとされている。

この年のサンマリノGPは、前日の予選2日目においてシムテック・フォードのローランド・ラッツェンバーガーが事故死、さらにその前日である予選1日目には、当時ジョーダンに所属していた(セナと同じブラジル人である)ルーベンス・バリチェロも大クラッシュで重傷を負うなど重大事故が相次いでいた。この事態を重く見た関係者は、選手会組織であるGPDAの再組織、マシンの安全性を高めるための大幅なレギュレーション変更、F1が開催される一部のコースレイアウトを変更するなど、緊急の安全対策を取っていった。

なお、一連の事故が起こったイモラ・サーキットのコースレイアウトは、事故が起こったタンブレロコーナーを中心に翌年から大きく変更された。

また、ウィリアムズは2021年までセナのロゴをマシンに記載していたほか、マクラーレンは2018年に「セナ」という名のハイパーカーを生産するなど、死後も長らくセナは愛され続けている。

日本において

彼が活躍した1990年代前半はホンダが参戦(セナはホンダエンジンを供給するチームに長く在籍した)、日本人初のフル参戦ドライバーの中嶋悟が登場したこともあって、空前のF1ブームになった為、セナはF1そのものの代名詞となった。

エンジンサプライヤーであるホンダとも蜜月関係にあり、ホンダの社長である本田宗一郎氏と会った際に、宗一郎氏の「お前のために最高のエンジンを作るよ」という言葉をかけられ、感動して涙を流した。その他にも、市販車のCMに出演したり、ホンダが作り上げたスーパーカー・NSXの開発に関わったりと、深い信頼関係を築いた。また、マクラーレン・ホンダ時代の担当エンジニアであった木内健雄氏と最後に会ったときには「僕はまだ若い、まだ何年でも待っていられるから、もう一度ホンダに乗るよ」と、友情を誓い合っていた。

オフシーズンには日本のテレビ番組にも頻繁に出演し、中でもとんねるず石橋貴明とのカート対決は名物企画となった。このとき、セナはわざとコースをショートカットして反則負けとなり、その罰として石橋に「鈴鹿で優勝したときにかぶったヘルメット」を贈呈することになった。その後、セナのヘルメットが約束通り石橋の元に届けられたものの、この時は既にセナはサンマリノGPで事故死した後であり、二人の再会は叶わなかった。石橋はその後「これはセナの魂が宿っているものだから俺がかぶることは出来ない」として大切に飾るだけにとどめ、カートレース対決を「セナの意思を継ぐ」として2年間継続した。

2024年現在、彼の記録はルイス・ハミルトンなど多くのドライバーが更新しているが、彼もまたセナを尊敬する一人であり、イギリスBBCのテレビ番組「トップ・ギア」の企画でセナが乗っていたマシンに乗った際には感動の言葉を残している。セナは多くの人々の記憶に鮮烈に焼き付き、多くのプロドライバーが目指した人間の一人であり、今後もその人気が衰えることは無いであろう。

小話

週刊少年ジャンプは1990~92年までセナの所属するマクラーレンのスポンサーになっており、彼を主人公とした漫画Fの閃光』(原作:西村幸祐、作画:長沢克義鬼窪浩久)が連載され、1991年シーズンの戦いが全2巻で描かれた。

そのためか、91年シーズンの鈴鹿サーキットのコースサイドには、至る所に「週刊少年ジャンプ」の垂れ幕が設置されていた。また、後述するようにあらゆるジャンプ作品にも影響を与えている。

ボボボーボ・ボーボボの悪名(?)高いキバハゲデュエルにおいてセナの名が登場。ボーボボは雑巾を発動した上で「アイルトンセーナー!!」と叫び、一回戦に勝利している。

…つまりどういうことかって?考えたら負けである。

ジョジョの奇妙な冒険第5部のキャラクターであるレオーネ・アバッキオは、プロフィール欄でセナを自分のヒーローに挙げている。

・「瀬名」という姓や、「せな」という石炭運搬具もあったように、「セナ」は古来から日本人にも馴染みのある響きの姓名・名詞として存在していたが、アイルトンの活躍が日本で知られるようになってからはより一般的になり、現実でも創作物でも広く用いられるようになった。

GTレーサーの阪口晴南、野球選手の佐藤世那、フィギュアスケート選手の三宅星南、ファッションモデルの佐藤瀬奈、アイスホッケー選手の鈴木世奈、ボクサー入江聖奈、江戸切子職人の三澤世奈など、レース好きの両親や親戚がセナにあやかって名付けたと公言している著名人は男女問わず80~00年代生まれに多数いる。

フィクションでもMFゴースト諸星瀬名や、アイシールド21の主人公小早川瀬那魔進戦隊キラメイジャー速見瀬奈の名前の由来も恐らくセナである。その名に恥じず文字通り最速の者たちである。

徳川家康の正室である築山殿の別名も瀬名姫と言われているが、史実では本名は不明とされている。

競走馬で1991年と1992年のステイヤーズステークスを連覇したアイルトンシンボリのアイルトンは、このアイルトン・セナから取ったものである。また、彼が事故死した日にサイレンススズカが生まれているが、奇しくもセナと同様、レース中でのアクシデントにより死亡している。

・元タカラジェンヌの瀬奈じゅん(元月組トップスター)の芸名の由来である。

ダッシュ!四駆郎に、彼が由来であろうキャラ、「アイルトン・ウルセーナ」というF1レーサーがいる。

関連タグ

F1

コメント

コメントが未記入です

pixivに投稿されたイラスト

すべて見る

pixivに投稿された小説

すべて見る
  • スズカ、鈴鹿に降り立つ

    スズカがアイルトン・セナを追ってスズカに行きます。 諸般の事情で削除したものを再投稿したものです。 拙いところもありますがよろしければ。 栃木編は頓挫したのでありません。
  • 「異次元の逃亡者」と「音速の貴公子」

    調子に乗って2作目です。 F1好きの私から見れば1994年5月1日はとても特別な日です。そんな日に生まれ、異次元へと一人駆け抜けたもう一人の「音速の貴公子」へ。
  • 光の射す方へ

    久しぶりのフクスズ!期せずして“三部作”みたくなった件← ドトウちゃんシナリオで、あのイベント名は反則ですし(涙) 秋天目前のフクスズ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10703568) 秋天直後のフクスズ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14939522) 終わりなき旅(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10857856)読切 “隻眼の勇者”と“センセイ”がドアの向こうに挑むSS ※閲覧2700&ブクマ50&いいね50超え御礼! THE LEGEND(https://www.pixiv.net/novel/series/1031375)全7話 テイエムオペラオーの“グランドスラム”有馬記念SS ※閲覧19000&ブクマ400&いいね300超え御礼!
  • その日、青天白日

     これまでにアイルトン・セナについて書いたことは何度もありますが、今回はセナ自身の目線というチャレンジをしてみました。  レースの「中」に足の小指一本くらいは突っ込んだ経験があるとはいえ、私と「彼」の見ている景色はあまりにも違いすぎます。  はたしてこの挑戦は成功するのか、失敗するのか。
  • 【同人再録】スズカ、音速の彼方へ。(「ウマ娘スペシャル」再録)

    昨年のC100にて頒布されたYanpara様(https://www.pixiv.net/users/3455294)主宰の『ウマ娘スペシャル』(https://www.pixiv.net/artworks/100028668)に寄稿いたしました作品を再録させていただきます。 この作品が蒼崎初めてのウマ娘二次創作作品となります。実は未だにウマ娘はアニメ1期しか知識のないマンなのですが、サイレンススズカの誕生日とアイルトン・セナの命日が同じ5/1であるというエピソードを知り、スズカのアニメでのキャラやエピソードを見るにつれて「スズカとセナには相通ずるところがあるな」と思うようになり、ウマ娘というコンテンツを尊重しながら如何にセナとホンダのエピソードを織り込めないかと考えた結果生まれたのがこの作品です。 平成生まれの蒼崎氏には競走馬・サイレンススズカもアイルトン・セナもリアルタイムを知る世代ではないですが、様々な形で世代を超えて届く2つの伝説に恥じぬよう書いたつもりです。 ※ちなみにもてぎは現在「モビリティリゾートもてぎ」に名称変更していますが、今作では原作のアニメでの時間軸に合わせ旧称の「ツインリンクもてぎ」としています
  • 東方峰速伝 1st stage

    東方峰速伝 act4「R32の弱点をつけ!」

    今日は5月1日・・・・20年前のイタリアのとあるサーキットで「音速の貴公子」が亡くなった。そう、それは後に「皇帝」と呼ばれる男の目の前での事故だった・・。あれから20年も経った・・・・。私はあの日の時には生まれてはいなかったが、父親から何度も聞かされた・・・・。彼にご冥福をお祈りします。そして、昏睡状態の「皇帝」の一日も速い回復をお祈りしています。 5月1日だったので、こういうことを考えてました。では、東方峰速伝の方をお楽しみください。
  • 幼き頃に見た物

    ウマ娘のサイレンススズカとホンダ・NSX(NA1型)を掛け合わせたお話です。 初代NSXはサイレンススズカの説話によく耳にするレーシングドライバーであった「アイルトン・セナ」さんも開発メンバーに加わっていた和製スーパーカーとも呼ばれてる有名な車種です。
  • 英雄の召還

     普段アクション小説を書いていますが、最近友人に連れられて劇場版ウマ娘を見に行った事がきっかけで、ちょっとウマ娘に関する2次創作を書いてみたくなっちゃって書きました。正直ウマ娘にわかななので、何処か間違っているところがありましたから、ご指摘をお願いします。

このタグがついたpixivの作品閲覧データ

アイルトン・セナ
20
編集履歴
アイルトン・セナ
20
編集履歴