秋田県
あきたけん
概要
県庁所在地は秋田市。
日照量が日本一少ない県であり、平均1500時間、ロンドン等とほぼ同じレベル。
夏のフェーン現象による晴れ間以外は薄ら曇ってばかりいる。
とりわけ冬は降雪量が多く、その日差しの少なさからいわゆる色白の秋田美人が多いとされる。また、あまり外に出ないライフスタイルのお陰か小中学生の学力も全国トップに居座り続けている。
一方で日照量の少なさに起因すると思われる鬱病や自殺、酒豪の多さに起因するガンや脳血管疾患などの不名誉なランキングも軒並みワーストに入ることが多く、また近年は放棄された里山から熊が多く侵入するようになり、人間を全く恐れない人喰い熊が出没するなど色々な意味でタフさが求められる土地である。
何かと資源には恵まれた県である。
中世から明治にかけては金、銀、銅の鉱物資源で莫大な富を生み出した。日本本土では珍しいことに油田が存在し石油や天然ガスも産出していため太平洋戦争においては貴重な石油供給基地となった。(なお終戦前日に戦略爆撃を受けている)近年では地熱や水力、風力、バイオマスなどの再生可能エネルギーの利用が盛んであり、また調査により沖合にはメタンハイドレートまで存在する事も判明している。かつて銅を産出していた小坂鉱山では2000年代に入るとリサイクル施設を整備し都市鉱山へと転換、大都市圏から輸送された自動車廃触媒や金属スクラップ、廃家電、廃乾電池から銅などの貴金属やレアメタル、水銀などを再生産出させている。
食料自給率、エネルギー自給率共に全国トップレベル。奥羽山脈によるフェーン現象と雪解け水のため、やませに悩まされがちな青森や岩手とは異なり比較的土壌は肥沃であり、植物の生育に適した気候である。豊富な木材資源を活かした林業と、あきたこまちで知られる米づくりを中心とした農業が今でも盛んである。八郎潟はかつて琵琶湖に次ぐ我が国第2位の湖であったが、戦後の大規模な干拓により大潟村という広大な大規模農業地域となった。
国内では忠犬ハチ公で知られ世界的にも有名な秋田犬や、山間部のマタギ文化、男鹿地域の無形民俗文化財なまはげなどコンテンツ資源にも恵まれている。
しかしながら現在では各地の鉱山は円高による競争力低下などで全て閉山され、石油産出も減少傾向にある。資源の豊かさと大消費地からの遠さ故に商業やサービス業などの第三次産業があまり発展してこなかった歴史を持つため幕藩時代から現在に至るまで経済基盤が不安定である。
平成以降は人的資源の衰退が目立ち始めている。全国の中でもワーストクラスの少子高齢化と人口流出に悩まされ、事実上は県人口の半数が50歳を超えた超高齢社会にあるとも言われる。(※なお県の公式では県民平均年齢は49.30歳(2010年度)とされている。)これには平成時代に整備された秋田新幹線や秋田自動車道によるストロー効果の影響が大きいといわれる。
上記の人口減少による税収減少を少しでも抑える為、各自治体においては農産資源を活かしたふるさと納税に力を入れつつある。
現在の県知事は第8代秋田藩主佐竹義敦の分家筋に当たる人物であり(佐竹敬久氏)、県民からは良くも悪くも「殿様」とネタにされている。
最近は秋田県で初の総理大臣を輩出した。→菅義偉
信号機の傾向
全体的に日本信号が多く、コイト電工、京三製作所、信号電材の順。
ただ、大館あたりの北部は京三が多い。
平成8年頃まで樹脂灯器が圧倒的で金属灯器はデザイン灯器以外に存在しない。
アルミ灯器移行までコイト以外は網目レンズを使用していた。
アルミ灯器移行後は西日対策灯器が主流となり、LEDも当初から素子式が主流だった。
一部樹脂灯器、及び古い鉄板灯器には赤だけ30cmもある。
期間限定のCM
秋田県ではある期間限定で地域企業がスポンサーのCMが民放で放送される。
それは各中学校・高校の修学旅行で他県に子供たちが旅行している時期である。
大体「○○に到着しました」「○○で元気に活動中です」とスケジュール通り到着・活動している事を報告するもので、最後に必ず「ご安心下さい」と添える。
これはかつて農家の家庭が多いことからあまり遠出することがなく、また情報を必要とする要求があったことから各民放がそれに対応したものが習慣として残っており、今日まで続いたもの。
他県に移動して初めて、この期間限定のCMがないことに驚く県民も少なくない。