ジーク・ジオン!!
CV:銀河万丈|
プロフィール
概要
デギン公王の長男にして、ジオン公国軍大将にして総帥(軍部統括)。35歳。
身長190cmと恵まれた体格を有しているばかりでなく、IQ240の天才で、沈着冷静ではあるが非情かつ高慢な性格。
「ジオン国民は選ばれた優良人種である」とする選民思想の持ち主であり、政治家としては特に演説によるアジテーションを得意としている。
卓抜した政治的手腕と高いカリスマ性からジオン国内での支持は絶大で、国民だけでなく軍部の支持も相当に高く、親衛隊長のエギーユ・デラーズ大佐(当時)を始め、多くの将校や士官から熱狂的な支持を受けていた。反面、その扇動的な方策を嫌って冷ややかな目で見る者も少なくなかったという。
後述の通り、デギン同様にジオン・ズム・ダイクンには及ばなかったが、彼とは別ベクトルの絶大なカリスマであった。このため、宇宙世紀においてデギンの唱えた政治思想や世界観は巨大な影響力を持ち、次世代にまで波及していくことになる。
人物・来歴
ダイクンの共和国宣言(宇宙世紀0058年、14歳)、デギンのダイクン暗殺時(宇宙世紀0068年、24歳)と、少年~青年時代から政治活動に参加していた、ジオン独立の立役者の一人である。
デギンが事実上隠居している宇宙世紀0079年時点においては、ジオン公国の実質的最高指導者(軍部総帥のみならず、政治面においても最高権力者)となっている。
弟たち(ドズル、ガルマ)が才覚の不足を『ザビ家の血統』で補っていたのとは異なり、父デギンを越えるほどに優れた知性と政治的手腕、カリスマを備えた、宇宙世紀屈指の天才革命家である。
――裏を返せば、ギレンをもってしてもサイド3独立時に『ザビ公国』を名乗れなかった事実は、「ジオン・ズム・ダイクン」の名が全スペースノイドにとってどれほどの影響力を持っていたかを窺い知ることが出来る。また、1997年に富野監督が『アニメファーストガンダムのノベライズ』として著した、「密会 アムロとララァ」(以後「密会」)では、『ジオン公国』を“名乗らなければならなかった”のはザビ家にとって屈辱であったという事実、及び一年戦争後には『ギレン公国』に国名を変更しようとしていた思惑が明らかにされている。
このため、シャア・アズナブルがダイクンの忘れ形見であると気付いていたが、将来的に「何らかの使い道があろう」と考え、敢えてそれとなく重用していた(が、ガルマを守り切れなかった時点で見限っている)。
優れたアジテーターの面も有しており、ジオン・ダイクンが『僻地』であるサイド3のスペースノイドに、希望(精神的な豊かさ、あるいは豊かさを手に入れるための余裕)を与え“文化”を醸成するための土壌を生まんと説いたジオニズムを、宇宙世紀0071年(27歳)において極めて先鋭的に再編し、宇宙に進出したスペースノイドこそが選ばれた民であるとする『優性人類生存説』を発表。サイド3の国威発揚に最大限に利用している。同年には当時学会から鼻つまみ者となっていたトレノフ・Y・ミノフスキー博士を重用し、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉を開発させるなど、人的・物質的資源両面にからジオン公国独立戦争(一年戦争)の地盤固めを行っている。
無論、一年戦争開戦に踏み切ったのはデギン公王の承認を伴ってではあったが、ギレンはデギンの思惑を大きく越えて、地球圏そのものの掌握に焦点を当てていた。その最終目標は『地球環境再生のため地球人口を5,000万人(西暦元年レベル)まで制限し、かつ他のあらゆる技術・文化を月面都市およびスペースコロニーに上げる事で、種(ホロン)として人類を永続的に発展させる』という、理念理想に基づいている(「密会」より)。
言うまでもなくこの理想は崇高であり、であるからこそ既存の資本主義、およびそのシステムの上位に安穏と居座る地球連邦政府アッパーランクにとっては絶対に相容れないものであった。
よって、ギレンは一年戦争を人類にとって“最後の戦争”とすべく、強靭な覚悟を抱いて、あえて同胞たるスペースノイドの住まうサイド1、2、4への核および毒ガス攻撃を敢行。更には地球連邦軍本部ジャブロー攻略のため、地球環境への甚大な被害さえも承知して、コロニー落とし(ブリティッシュ作戦)による早期決着という戦略を採ったのである。
――もしも“神”が存在していたならば、ギレン・ザビに誰よりも高い評価を下したであろう。(「密会」より)。
人類の永続的な繁栄のためには、地球連邦政府という既存のシステムを打ち崩す過程において生じる被害は必要悪であり、これを「残忍」と評するのは矮小なヒューマニズムでしかないのである。そしてそのような「ヒューマニズム」を隠れ蓑にしてきた大衆によって、取り返しがつかないレベルまで地球を汚染し、スペースコロニーという手段を用いざるを得ない所まで来てしまった宇宙世紀においては、ギレンのロジックと行為は“地球で生まれた生物”としては、どこまでも正しかった。
よって、ギレン・ザビが間違っていたのは、理想実現のための手段を実行したというただ一点に尽きる。
ギレンが掲げていた「崇高な理想」などというものは、所詮観念に過ぎず、50億人の死者と地球環境の破壊、ソーラレイ建設=焦土戦術という現実を前にすれば、紙クズ以下になるのが「ヒューマニズム」という弱者の強権であり、人類史において勝利してきたのは常にこの強権を発動させる大衆側であった(なのに、最後の演説において大衆を「カスである」と断じたのは、皮肉を通り越して笑い話でしかない)。
加えてギレン個人の『ジオン公国総帥』という権力は、彼の父親が盟友ジオン・ダイクンを暗殺したことによって形成されたものである――行為の起点が既に間違っていたという事実故に、ジオン公国の敗北もまた最初から決まっていたと言える。
宇宙世紀0079年12月30日12:05、あたかも自身の経歴から“間違った起点”を消し去らんとするかのように、ギレンはソーラレイをゲル・ドルバ照準に照射。ア・バオア・クーでの開戦直前に父デギンを謀殺。だがそれは「父殺し」という新たな間違いで上塗りしただけに過ぎず、作戦の最中に実妹キシリア・ザビによって、背後から突然射殺されるという“つまらない死に方”を辿ったことは、「ヒットラーの尻尾」というデギンの評通りであると同時に、必然として彼に巡ってきた因果でもあろう。
50億人を犠牲にして人類を導かんとした男の最期の言葉は、「冗談はよせ」であった。
家族関係
家庭内では父・デギンのことを軽視・軽蔑しており、政治の表舞台から去って隠居状態となった後も無視できない影響力を持つデギンを疎ましく思っていた。一方、ギレンも一年戦争中の急進ぶりを危惧した父から「ヒットラーの尻尾」と揶揄されても、超然とした態度で軽く受け流している。
妹であるキシリアとは互いに政治的に競合する立場にあり、何かと反目し合っているが、ギレンは自らの才能と政治思想に絶対の自信を持っていたため、彼女のことなど歯牙にもかけずに彼女が裏であれこれ画策するのを半ば放置していた。
次弟ドズルについては、ギレンだけがソロモン攻防戦前から援軍を派遣しているが、ドズルの希望する大量のリック・ドムではなくビグ・ザムのみだったことから、「戦いは数だよ兄貴!」と苦言を呈され、さらには戦局が不利に傾いた際には、ア・バオア・クーからの増援を渋るという非情な判断を下した。ただ、冷徹ではあるが合理的判断に過ぎないともとれ、ドズルの死を聞いても冷淡なデギンに対して憤りを見せたり、角川スニーカー文庫版ではドズルがザクで飛び出した噂を聞いて苦笑して窘めるなど、ギレンがドズルを気にかけていたような描写も見受けられるため、彼なりの情はあったのかもしれない。
特に末弟ガルマに対しては父の希望を汲んで開戦後も可能な限り安全な参謀本部等に置こうと配慮(前線への配置は武功に逸る本人の意志と、キシリアの策略によるもの)しており、ガルマ自身は恋人イセリナに対し「ギレン総帥は皆が思っているような恐ろしい人ではない」「僕たちのことはいずれわかってくれる」と語る程度にはギレンに対し親愛感を抱いていたが、ガルマの死後、ギレンは国民の戦意高揚のために彼の国葬をプロパガンダに利用した。
ジオニズム
ジオニズム、即ちニュータイプ論については妹のキシリアほど入れ込んではおらず、どちらかといえば自身の選民思想を裏付け、ジオン公国のナショナリズムを補強して国内の反連邦の気運を高めるための政治的方便としては使える程度の認識であり、キシリアの提言したニュータイプ部隊の設置にも消極的で、一年戦争中に確認されたニュータイプの存在についても軽視していたことが窺える。
ただ、「戦争に勝利した後で人類のニュータイプへの覚醒をゆっくり待つつもり」とも語っているため、ギレンはニュータイプ論を信じていなかったわけではなく、キシリアらニュータイプ信奉者達が発見した「ニュータイプ」(感応波と呼ばれる特殊な脳波を持ち、直感力・認識力に優れた人間)が、ダイクンがジオニズムの中で提示した「ニュータイプ」(宇宙に適応進化した新人類)とは異なる存在であると捉えていたとも取れる。
アニメ『機動戦士ガンダム』への影響
本編におけるいわゆる敵方の大将(ラスボス)であるが、主人公アムロ・レイとは直接の接点や対峙がまったくないまま終わるという、当時のロボットアニメにおいてきわめて珍しい敵役であった(当初の予定では、直接アムロに追い詰められて倒される結末だった)。しかし、皮肉にもこのことが「たとえ主人公であっても、戦争の中ではただの一兵士に過ぎない」という本作の持つリアリティを強調する結果となった。
アムロ達地球連邦軍の視点から独裁者として見られる一方、視点によって若干人物像が変わるキャラでもある(本編での出番が少なく、小説版やゲームなどの異なるストーリーラインで、人物像の掘り下げが行われたことが大きいと思われる)。
彼自身が唱えている選民思想すら人口整理のための方便でしかないと考えているフシが見える場面もあり、またニュータイプに懐疑的でありながらシャリア・ブル大尉に思考を読まれても全く動揺を見せず、逆に不用意な発言をした彼を言外でたしなめて黙らせ、父デギンからヒットラーの尻尾と揶揄されながらもヒトラーとは異なり(小説版では)イエスマンを嫌悪している描写がある。
その他、ゲームギレン暗殺計画では公然と自分に逆らう者や自身の謀略を看破した者をあえて排除せずに手元に置いたりと、ただ強権を笠に着るだけの独裁者キャラとは一線を画す描写も散見される。
ちなみに『ガンダム』の生みの親である富野由悠季監督曰く、自身の監督作品の中で一番自分に近いキャラクターであるとのこと。
死後もその思想は反連邦を掲げる組織を中心に絶大な影響を与えた。特に彼の親衛隊隊長であった、エギーユ・デラーズ大佐は、宇宙世紀0081年に地球圏最大の残党軍勢力デラーズ・フリートを結成し、0083年に『星の屑作戦』を決行している。
さらに0088年の第一次ネオ・ジオン抗争においては、ネオ・ジオンの士官グレミー・トトが彼のクローンを名乗り、ハマーン・カーンに反旗を翻している。
また、「地球圏は選ばれた民により支配されなければならない」とする考えは、後のティターンズ指導者ジャミトフ・ハイマンといった連邦内の一部勢力にまでも影響を及ぼした。
総帥語録
「我々は、一人の英雄を失った! しかし、これは敗北を意味するのか!? 否! 始まりなのだ!」
「地球連邦に比べ、我がジオンの国力は三十分の一以下である。にもかかわらず、今日まで闘い抜いてこられたのは何故か!?」
「諸君!! 我がジオン公国の戦争目的が正義だからだ!」
「これは諸君らが一番知っている。我々は地球を追われ、宇宙移民者にさせられた!」
「そして一握りのエリートが、宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年! 宇宙に住む我々が、自由を要求して、何度、連邦に踏みにじられたか!」
「ジオン公国の掲げる、人類一人ひとりの自由の為の戦いを、神が見捨てるわけはない!」
「私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ!! 何故だ!?」
「新しい時代の覇権を我ら選ばれた国民が得るのは、歴史の必然である。ならば、我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ」
「我々は過酷な宇宙空間を生活の場としながら、共に苦悩し錬磨して今日の文化を築き上げてきた」
「かつてジオン・ダイクンは、人類の革新は宇宙の民たる我々から始まると言った」
「しかしながら地球連邦のモグラどもは、自分たちが人類の支配権を有すると増長し、我々に抗戦をする」
「諸君の父も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!」
「この悲しみも、怒りも、忘れてはならない!」
「それを………ガルマは、死をもって我々に示してくれた!」
「我々は、この怒りを結集し、連邦軍に叩き付けて、初めて真の勝利を得る事が出来る!」
「この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる!」
「国民よ! 悲しみを怒りに変えて! 立てよ国民よ!!」
「我らジオン公国国民こそ、選ばれた民である事を忘れないで欲しいのだ! 優良種たる我らこそ、人類を救い得るのである!!」
ガルマ・ザビ国葬における追悼演説。この模様は地球圏全域に放送された。
ガンダムシリーズお馴染みのプロパガンダ演説だが、ギレンのこの演説に勝るものは未だ無いと言っても過言ではないだろう。
富野監督はアフレコの際に銀河万丈氏に「ヒトラーのように喋ってくれ」と注文を付けていたとのこと。現在ではすっかりギレンのトレードマークとなったこの演説だが、「(TVシリーズ本放送時の演説は)自分では気に入らなくて、いろいろ直そうとしたが、結局録り直しにはならなかった」と明かしており、劇場版三部作での再アフレコにおいて手直しがなされた。
「私とて、ジオン・ダイクンの革命に参加したものです。人類がただ数を増やすだけでは、人の軟弱を産み、軟弱は人を滅ぼします」
「地球連邦の絶対民主制が何をもたらしましたか? 官僚の増大と情実の世を作り、あとはひたすら資源を浪費する大衆を育てただけです。今次大戦のような共食いを生んだのも、連邦の軟弱故です。もう人類は限界を超えましたよ…」
「まあ、勝ってみせますよ。その上で、真のニュータイプの開花を待ちましょう。ヒトラーの尻尾の戦いぶりをご覧ください」
「貴公はヒットラーの尻尾だな」と評した父デギンに対する返答。ギレンの思想と自らに対する絶対的な自信が窺える。
直後、デギンは「ヒトラーは失敗したのだぞ(劇場版では「身内に殺されたのだぞ」)」と独白するように言ったが、皮肉にもこの言葉は後にデギンとギレンの両人の最期を言い当てることになる。
「我が忠勇なるジオン軍兵士たちよ、今や地球連邦軍艦隊の半数が、我がソーラ・レイによって宇宙に消えた」
「この輝きこそ、我らジオンの正義の証である!」
「決定的打撃を受けた地球連邦軍に、いかほどの戦力が残っていようとも、それはすでに形骸である」
「あえて言おう、カスであると!」
「それら軟弱の集団が、このア・バオア・クーを抜くことは出来ないと、私は断言する!」
「人類は、我ら選ばれた優良種たるジオン国国民に管理運営されて、初めて永久に生き延びることが出来る!」
「これ以上戦い続けては、人類そのものの存亡に関わるのだ!」
「地球連邦の無能なる者どもに思い知らせ、明日の未来の為に、我がジオン国国民は立たねばならんのである!」
最終決戦となったア・バオア・クー攻防戦の開戦直前の演説。
なおこのシーンに関してガルマ追悼演説の時より人員が減っていることをジオン衰退の象徴であると指摘する声があるが、国葬であったガルマ追悼演説に対してこちらはあくまで要塞(=一戦局)の構成員に向けられて行われたものであり、人員が少なく感じるのは当然のこととも言える。
ちなみに、「あえて言おう、カスであると!」の部分は「あえて言おう、○○であると!」という形でよくネタにされる。
ア・バオア・クー攻防戦において、有利に戦闘を進める自軍の様子を見ての独白。
ギレンらしい強気な台詞であるが、確かにこの戦況自体は優勢にあったとしても、全体的に見ればア・バオア・クーを落とされてしまうともはや本拠地サイド3での本土決戦しか後がないという事態にあり、決して余裕のある状況ではなかった。
ちなみにこのセリフの印象ばかりが独り歩きして誤解されがちだが、ギレンはこのセリフを口にするまではむしろ慎重ともとれる指示や発言が多く、連邦艦隊の善戦も評価しているため、決して戦況を鑑みず盲目的に自軍の優勢を信じていたというわけではない。
「フッ、冗談はよせ」
ア・バオア・クー攻防戦において、キシリアに銃を向けられた際の台詞。
日頃、キシリアを軽視していたことが災いしてか、この言葉を最後にギレンはキシリアに呆気無く暗殺されてしまった。いくら何でもまさか敵との決戦の真っ最中に総司令官である自分を殺害してみすみす混乱を招いたりするような真似をキシリアが犯すようなことは、ギレンにも想像できなかったのかもしれない。
THE ORIGIN版
アニメ制作当時にキャラクターデザイン・作画監督を担当した安彦良和氏が再編した、パラレルワールドとも言える『THE ORIGIN』では、他のザビ家面々同様に年齢が上げられ、45歳となっている。
性格面も幾分異なっており、ドズル戦死の報を聞いた際も冷淡に聞き流し、逆に父デギンから「ヒットラーの尻尾」と揶揄された場面では、顔が引きつり書類を持つ手が震えるほどの激しい怒りを露わにしている。
また、本作では趣味に日本文化の影響を受けているという設定が追加された(庭園の手入れや囲碁など)。
関連イラスト
関連タグ
ザビ家
デギン・ソド・ザビ キシリア・ザビ サスロ・ザビ ドズル・ザビ ガルマ・ザビ ミネバ・ラオ・ザビ
直属
その他
フラダリ…選民思想から人間を間引きしようとした悪のカリスマ。ただし同時に地球圏の支配を狙っていたギレンと違い、彼は救いきれない人間の悪意に絶望しての行動で、滅ぼそうとする者達に謝罪や涙を見せる等、哀しき悪役の面もある。