概要
19世紀の小説『ノートルダム・ド・パリ』、およびこれを原作とする映画等の作品に登場する人物である。ちなみに物語の舞台は15世紀。
背骨が曲がり、眼の上に大きな瘤がある醜悪な容姿ゆえに、『ほぼ』という意味の"Quasi"と、『白衣の主日』"Quasimodo"をかけた名を与えられている。だが、内面は純粋で心の優しい青年である。
ノートルダム大聖堂の鐘撞きを職務とするため、聴覚にも障害がある。
原作版
このノートルダム大聖堂の前に捨てられていた醜い赤ん坊を助祭長(Archdeacon 助司教とも)クロード・フロローに拾われ、カジモドと命名された。
大聖堂の鐘突き堂に半ば軟禁状態で育てられ、パリの市民から怪物と見なされたために自身の唯一の保護者であるフロローを盲目的に慕っており、彼の命令なら悪事にも手を染めるが、本来は優しい性格の持ち主。
鐘突き堂で生活する内に難聴になり、フロローから手話の訓練を受けている。
ある日、外出中にジプシーの踊り子・エスメラルダに心を奪われたフロローは、信仰と恋情の狭間で葛藤しつつも、カジモドにエスメラルダの誘拐を命ずる。
しかし衛兵フェビュスによって誘拐は阻止され、捕らえられたカジモドは裁判の後、ムチ打ちの上、晒し者として木の台に拘束されて広場に繋がれる。市民に罵られ、責め立てられる中、エスメラルダだけはカジモドの善良な心を信じ庇おうとする。
この時、初めて人間の優しさに触れたカジモドは、彼女に恋をした。
しかしフロローは、フェビュスとエスメラルダの密会を知り、激しく嫉妬するあまり、ついにフェビュスを刺し、しかも殺人未遂の罪をエスメラルダに擦り付け、魔女裁判にかけてしまう。
死刑の宣告を受けたエスメラルダは、カジモドに救い出され、大聖堂に匿われる。
当初はカジモドの容姿を恐れ、また彼の意図が判らないために脅えていたエスメラルダだったが、次第にカジモドの純粋さに気付き、心を許す。一方のカジモドも、主人であるフロローからもエスメラルダを護り続けた。
フロローは暴徒と化した市民を大聖堂に向かわせ、混乱に乗じてエスメラルダを連れ出し、助命と引き換えに自らの愛人になるよう迫るが、エスメラルダはこれを拒否する。
衛兵に引き渡されたエスメラルダは処刑され、大聖堂の塔の上からそれを見届けたフロローは、欄干からカジモドに突き落とされてしまう。
残されたカジモドは、絶望の叫びを上げ、ノートルダムから姿を消してしまう。
後に、集団墓地から掘り起こされたエスメラルダの骸に、異様な骨格の男の骸が寄り添っており、これを引き離そうとしたところ、二人の骨は砕けて埃となって消えたという。
ディズニー版
CV:トム・ハルス(原語版)/石丸幹二(日本語版)、小森創介(ノートルダムの鐘Ⅱ日本語版)
1996年、ゲイリー・トルースデールらによって長編アニメ映画「The Hunchback of Notre Dame」として翻案されたのが、俗にいうディズニー版となる。
原作が子殺し、情欲、暴力、天罰など、おおよそディズニーらしからぬテーマを扱い、その上でG指定(全年齢対象)に収まる様、各所の変更が為されている。が、それでも最も重く暗い映画という評判は拭い難い。
こちらでは、カジモドは聴覚に障害がなく自由に話すことが出来、コブで塞がった左目が部分的になり、両目が見える状態になっている。
またエスメラルダの正体がアグネス(カジモドを捨てた母親が彼の代わりに手に入れた健康な赤ん坊)であるというエピソードもカットされ、母親は事故とはいえフロローに殺されたことになっている。
さらにフロローは、カジモドを大聖堂から外出する時に連れ出し、市民の前に姿を出させたりせず、外に出たら迫害されると教えるのみになった。
エスメラルダとの出会い、彼女を誘拐するという件もフロローの言い付けを破って外出し、市民にリンチを受けるという内容に変わり、裁判に掛けられることもない。
何よりカジモドとエスメラルダが物語の最後まで生存するという変更点がある。
ミュージカル版
ディズニー制作『ノートルダムの鐘 / The Hunchback of Notre Dame』
1999年、ドイツ・ベルリンでの初演を皮切りに、世界各国で上演。2016年には、劇団四季が日本語版を上演。基本的にディズニー版に沿っているが、出自がこれまた大きく違う。なんとフロローに弟ジェアンがおり、ジプシーだった彼の妻(カジモドの母親)もろとも天然痘で亡くなったジェアンがフロローに遺し託した赤ん坊ということになっている。すなわち、カジモドはフロローの甥ということに。
オープニングの終わりに歌っていたモブの歌唱者の一人(ジェアン役であることもある)がカジモドの衣装に着替えていくシーンは必見。
また、カジモドらの奮戦も空しくエスメラルダは死亡、その上で彼女を侮蔑する発言をしたフロローを、激怒したカジモドが大聖堂から突き落として引導を渡すという、原作に近い結末に戻されている。ちなみに、そのフロローのミュージカルにおける役職は、原作通り聖職者である。
演出面についても、ディズニー版では緩和された、カジモドが負っていた様々なハンディキャップがはっきり分かるようなものになっている他、ディズニー版では大人の事情によりエンドロールのみでの採用だった「いつか(someday)」が本編に組み込まれ、新曲も書き下ろされ、2014年以降の新演出版では更に新規楽曲が加わっている。また、既存曲についても、一部歌詞が変更されている。
フランス版『ノートルダム・ド・パリ / Notre Dame de Paris』
1998年、パリでの初演を皮切りに、世界各国で上演。2013年には、東京、大阪、名古屋で来日公演があった。
映画版
『ノートルダム・ド・パリ』は映画・バレエ・ミュージカルと、複数の媒体で描かれており、古いものでは1905年に発表された"Esmeralda"という10分のショートフィルムがある。
またディズニーの長編作品『ノートルダムの鐘』のように、人物の設定や物語の展開を大胆にアレンジしたものも多い。
以下の記述には、現代においては不適切と思われる内容を含みます。 |
いずれの場合でもカジモドの人物像は大きく変わらないのだが、1923年の『ノートルダムのせむし男(The Hunchback of Notre Dame)』は、ユニバーサル・ピクチャーズによるホラー・スリラー・SFの作品群(いわゆるユニバーサル・モンスターズ)の起点となっている。
その結果として、カジモドをベースとした殺人鬼・せむし男が怪人・怪物キャラクターの一人として挙げられることがあった。15世紀のパリで不当に冷遇された男が、今度は20世紀の合衆国でモンスター扱いである。
特にコミック、アニメーション、ゲーム等の作品に起用されるケースが多い。英語発音の『クァシモド』表記が用いられることもある(災禍の中心など)。
また怪人せむし男にはカジモドの他にイゴールをベースとしたパターンもあり、マッドサイエンティストの助手やドラキュラ伯爵の召使いなどの役どころが多い。
日本では『投げ唄左門二番手柄 釣天井の佝僂男』(1954年・大映)『南蠻寺の佝僂男』(1957年・大映)『怪談せむし男』(1965年・東映)などの映画作品がある。
いずれにせよ、単独で主役級の活躍が見込めるほどの個性的な能力はなく、現代においては『せむし』という表現自体が不適切とされていることもあり、せむし男の系譜は既に断絶しているかに見える。
が、右手に斧や鉈を握り締め、左手にはカンテラを提げ、上体を屈めて忍び歩く殺人鬼像に見覚えがある人は少なくないだろう。
せむしを他の身体的特徴に置き換えたパターンは(必然的にせむし男とは呼べないが)スリラーやサスペンスの分野で連綿と受け継がれている。
かのジェイソン・ボーヒーズも、(Part2とPart3に限って言えば)せむし男の系譜を受け継いだキャラクターといえなくもない。原作におけるカジモドとの共通点も多い。
なお、1945年の映画"House of Dracula"は、かつて『ドラキュラとせむし女』という邦題が用いられていた。