武蔵野線
むさしのせん
区間
東京郊外を結ぶ巨大な環状線。車両の帯は中央線と同じオレンジ色と、こげ茶色。京葉線と乗り入れる旅客列車のほか、全国各地を結ぶ貨物列車が多数運行されている。
全区間は神奈川県の鶴見から千葉県の西船橋までのおよそ100.6kmだが、定期旅客列車が運用されている区間は東京都の府中本町〜西船橋間の71.8kmであり、鶴見〜府中本町間は貨物列車と臨時列車が運行されているのみ。旅客化も検討されていたが、トンネル内の駅建設などの問題から実質断念している。
また、支線として新小平〜国立・与野〜西浦和・与野〜武蔵浦和・北小金〜南流山・馬橋〜南流山が存在し、この支線を経由して、貨物列車や様々な臨時列車が運行されている。
種別
特徴
…○浦和→○○浦和→○浦和→○浦和…
やたらと駅に「東」「西」「南」「北」「新」がつく駅が多く、その他にも市名に周辺の地名を付け加えた駅がほとんど。
上記の浦和に至っては4連続で頭に付属名が付く。(西→武蔵→南→東)
付属名が付いていない単独の地名駅なのは、新座駅・吉川駅・三郷駅の3つのみである。それはこの路線が貨物路線として、市の中心部から外れた所を通る様に建設されていたからである。昭和40年代の埼玉県南部と千葉県北西部の急激な住宅地化に伴い、通勤路線に計画変更された経緯がある。
風が吹いたら遅刻して〜雨が降ったらお休みだ〜
乗り入れ先共々踏み切りは無く、トンネルや陸橋が殆どの高規格路線であるが、
特に京葉線は東京湾岸を走るため、少しでも天候異常が起これば仲良くダイヤが乱れていき、真っ先に乗り入れは中止される。
武蔵野線から幕張メッセや千葉マリンスタジアム(QVCマリンフィールド)に行く時は運行情報に気をつけたい。
ギャンブラーの集う路線
沿線には乗り換えや送迎バスで行けるのを含め、公営競技施設が多い。
一例を挙げると
府中本町 | 東京競馬場(最寄り駅)・多摩川競艇場(送迎バス) |
---|---|
西国分寺 | 立川競輪場(中央線立川駅) |
新秋津 | 西武園競輪場(送迎バス) |
南浦和 | 浦和競馬場(最寄り駅)・川口オートレース場(京浜東北線西川口駅) |
船橋法典 | 中山競馬場(最寄り駅) |
南船橋 | 船橋オート場(最寄り駅)・船橋競馬場(最寄り駅) |
特にJRAの二大競馬場があるためか、G1レースの開催日には競馬新聞を持った多くの人でそれぞれの駅が大混雑し、その為に臨時列車が運行されることもある。
お古の集う路線
現在定期運用で使われているのは205系を中心に何本か209系やE231系が走る。その殆どが他路線が新車導入等の事情で使われなくなったのを転換して来たものである。武蔵野線及び京葉線専用に製作された車両は同じ205系でも転入組と顔が異なり、製作年も新しい。
首都圏で旧式の103系が最後まで残っていた路線であり、103系時代はやたらとガタガタと騒音が大きく、実際以上にスピード感があり、トンネル内では車掌の放送も聴こえ難い程であった。
京葉線も同じく古い車両ばかりだったが、E233系が導入されたので、京葉線に先を越されてしまった。
理由とすれば、私鉄競合路線が他に存在しないことが挙げられるであろう(首都圏外周路線としては他に東武野田線も存在するが、競合するほど接近していない)。この傾向は東日本に限らず、東海や西日本などでも見られる傾向である(逆に私鉄においても、某私鉄の本線級路線がこれに該当する)。
優等列車に愛されない路線
沿線には乗換駅が複数あるにもかかわらず乗り換え先の多くの優等列車が武蔵野線の停車駅を通過する。これは元貨物列車として運用されていた影響か。
例をあげれば
西国分寺 | 中央本線 | 通勤快速通過 |
---|---|---|
秋津 | 西武池袋線(新秋津) | 快速急行・急行通過 |
北朝霞 | 東武東上線(朝霞台) | 快速急行通過 |
南浦和 | 京浜東北線 | 高崎線/宇都宮線通過 |
南越谷 | 東武伊勢崎線(新越谷) | 特急通過(乗換可能な駅で数少ない通年通過駅) |
新松戸 | 常磐緩行線 | 常磐快速線通過 |
西船橋 | 中央・総武緩行線 | 総武快速線通過 |
例外なのは武蔵浦和、東川口、南流山、新八柱(八柱)、東松戸の5駅だけ。しかもその内の二つ(東川口・八柱)はそもそも埼玉高速鉄道と新京成線が各駅停車しかないという元も子もないような理由である。
そして乗客がホームで数十分にわたり各停電車を待ってる間に貨物車両が数台通過していくなんてのはよくある話(通称「武蔵野線クオリティ」)。
駅一覧
旅客営業区間
余談
西国分寺駅~府中本町駅間は、武蔵野線開業前まで営業していた中央本線の支線(国分寺駅~東京競馬場前駅)の代替路線でもある。そのため、北府中駅は中央本線の駅からの編入という形になっている(なお、北府中駅から分岐する中央本線の貨物支線が武蔵野線開業時に存在したが、そちらは貨物支線を武蔵野線に編入後、1976年に廃止された)