千葉県北西部
ちばけんほくせいぶ
千葉県北西部は、松戸市・野田市・柏市・流山市・我孫子市・鎌ケ谷市からなる「(狭義の)東葛地域」(旧東葛飾郡北部および旧南相馬郡)と、船橋市・市川市・浦安市・習志野市・八千代市(旧東葛飾郡南部と千葉郡・印旛郡の各一部)からなる「葛南地域」、さらに印西市・白井市(旧印旛郡。「印旛地域」の西部)を包括する便宜上の地域名(葛南地域のうち東葛飾郡に属していた船橋・市川・浦安の各市を東葛地域に含むことがある)。
広義の千葉県北西部はさらに広く、成田市・四街道市・佐倉市・八街市などの印旛地域全域、さらには千葉市をも包括する、また、最狭義では印旛郡に属していた印西市と白井市、八千代市を除く10市のみを指すが、ここでは「東葛+葛南(八千代市を含む)+印西・白井」の13市を千葉県北西部に属するものとして扱う。
東京都、茨城県、埼玉県と接する。千葉市と東京の間にあることから「京葉エリア」とも言い、いわゆる千葉都民の生活圏である。千葉県の人口の約半分弱、300万人近くが居住する人口密集地となっている。
JR東日本常磐線・総武線、京成電鉄京成本線、北総鉄道北総線、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが東京に向かって伸び、JR武蔵野線(~京葉線)、新京成電鉄新京成線、東武野田線が地域の南北を結ぶ。
ただし常磐沿線地域(松戸・柏・我孫子)は千葉市からは程遠い場所にあり(一応、常磐線に接続する新京成線は京成千葉駅まで直通しているが全線乗り通す人はあまりいない)県都である千葉市との結びつきは薄い。
戦国時代、東葛地域は里見氏と北条氏の勢力がぶつかる激戦地となり、多くの血が流された。
江戸時代初期に行われた江戸川開削以来、東葛地域は利根川と江戸川という2つの大河に囲まれるようになり、江戸と東北方面を結ぶ水運の拠点として隆盛期を迎える。松戸・我孫子は水戸と江戸を結ぶ水戸街道の宿場町として栄え、手賀沼周辺は江戸っ子の行楽地としてにぎわった。醸造業が盛んな地域でもあり、野田の醤油醸造(キッコーマン)は有名。流山は白みりん醸造発祥の地である。
近代以降も、長らく東京近郊の農村地帯であったが、昭和に入る頃から住宅開発が始まり、高度経済成長期からバブル期にかけ急激にスプロール化。一面に住宅地が広がる典型的なベッドタウンと化し、江戸期の隆盛を物語る歴史遺産の多くが開発で失われた。ただ、都市化が遅れた流山市や野田市には、昔ながらの田園風景や古い商家、社寺もまだ多く残っている。
公立小中学校では学力より体力を重視する脳筋的な価値観が根強く、部活動が盛ん。吹奏楽などの強豪校が目立ち、高校野球の激戦区のひとつでもある。掛布雅之や福浦和也を輩出した習志野高校は有名。吹奏楽に関しては、県北西部の外の学生が部員となる大学の吹奏楽部よりも、公立中学の方がレベルで逆転しているという話まである。
部活動強豪校の部員は朝練に夕練、土日も常にトレーニングであり、くたくたになって授業中は居眠りする生徒も多い(先生もある程度大目に見てくれる)。中学校では登校後ジャージに着替え、一日体操服姿で過ごす習慣があり、体育会系優位の文化を反映している。昼休み中に体力錬成のために男子生徒に鬼ごっこを課すクラスもある。
勿論、県内でも「千葉県立高校御三家(県立千葉、県立船橋、県立東葛飾高校)」をはじめとして、国立大学・有名私立大学に進学者を出すエリートコースも存在するが、隣接する東京都や茨城県・埼玉県の私学や公立高校に進学するケースも少なくない。野田市では埼玉県の公立校に進学するケースも多く、埼玉県の模試テストを受けている教育熱心な家庭も多い。
公立高校の運動部も体育会系の気風があり、私立高校だけに良い顔をさせない公立高校の意地と各競技の参加人口や加盟校の多さもあって、千葉県の運動競技のレベルは軒並み全国屈指と言えるものとなっている。