京都市
きょうとし
概要
人口146万人。
京都府の中で見ると京都市への一極集中が顕著で、府の人口の6割近くが集中している。
平安京が建造されて以来、東京都に遷都するまで1000年以上首都であった歴史を持つ古都であり、日本を代表する観光都市・文教都市である。大学生が人口の10%を占め、京都大学を筆頭に同志社大学や立命館大学など研究機関が集積している。京都駅の南側は近代的なオフィス街となっており、京セラや島津製作所、任天堂といった世界的なメーカーを擁する先端技術都市としての顔も持つ。
地理
左京区、北区、右京区、上京区、中京区、下京区、西京区、東山区、山科区、南区、伏見区の11区から成る。
上京区、中京区、下京区を中心とした地域では平安京の名残で東西南北を碁盤の目状に通りが走る。映画『名探偵コナン 迷宮の十字路』で紹介された「京の通り名の歌」は現在も住民の間で受け継がれている。盆地であるため夏は暑く、冬は寒い傾向にある。
金閣寺付近の衣笠や嵯峨といった洛北洛西の郊外地区、さらに奥の高雄、清滝、鞍馬、大原といった山間地域も京都市内であり(京都市の用語で「北部山間地域」)、なんとスキー場まである。平成の大合併では京北町を合併しさらにその範囲を広げた。また山科や伏見、淀や醍醐も京都市内であるが、古くからの「洛中」とはまた違う文化を持ち、伏見区内では伏見の旧市街とそれ以外(醍醐・六地蔵・向島・淀など)では全くその雰囲気が異なる。一方、古くは自然のままだったが戦後に新興住宅地として開発された地域が叡電沿線、山科、醍醐や桂などにあり、その代表格が西京区にある洛西ニュータウンである。
社会
京都も応仁の乱や鳥羽伏見の戦いをはじめとする戦乱、度重なる大地震の被害を受けており中心部には古代・中世以来の建物は少ないが、幕末期以降の町屋(町家)や煉瓦作りの初期近代建築(モダニズム台頭以前の建築)が立ち並び、江戸時代から大正までの時代を偲ばせる町並みは大きな魅力。これは他の大都市と違って条例による景観規制が厳しく、先の大戦時の空襲で大きな被害を受けなかったため。ちなみに京都市の景観条例は看板や電飾の色などにも規制があり、マクドナルドやローソンなどの一部店舗は看板の色などを街並みに合わせたカラーリングにしている。
しかしながら、1980年代のバブル期以降は規制緩和で平凡な作りのマンションやビルも増え、主要な通りは電柱と看板が少ない以外他の都市と変わり映えしない風景となった。近年は町屋の維持管理の費用などの問題、相続等の問題で維持できなくなった町家が老朽化したまま放置され空き家となり、解体されることが増えている。
21世紀になると、そういった空き家問題の解消や歴史的外観の維持のため、リノベーションにより町屋の外観・特性を生かして、別の事業に利用する動きが多く見られるようになった。特に急増する海外からの観光客に対して宿泊施設の不足が目立つようになったためか、その対策としてゲストハウスと言われる安価な宿、町家の雰囲気がそのままに京都での暮らしを体感できる「一棟貸し」の宿が続々と登場。それらの宿は町家を改装し再利用したものも多く、特に前者は2010年代になって急増している。
1970年代まで日本共産党が京都府と京都市の与党であった時代があり、近年まで古い街並みが多く残っていたのは革新政権の遺産(自民党は都市開発重視で古い街並みを残す配慮に欠ける傾向が強い)という面もある。現在も日本共産党が自民党に匹敵する二大勢力の一極として存在する。
観光公害
2010年代の京都は、観光客の受け入れキャパシティー超えによる「観光公害」(オーバーツーリズム)問題が、日本では最も顕著に起こっている都市であった。
2014年頃から外国人観光客があまりにも増えすぎ、宿泊施設の高騰のほか、バスは積み残しが発生し、著名な観光スポット周辺には団体客があふれ身動きができなくなるほど混むなどが常態化。あまりの混雑から地元住民の生活に支障をきたす有様だった。
ところが、2020年のコロナウイルス流行後以降は一転して外国人観光客がまったく来なくなり、日本人観光客も激減して、市内の観光地は閑古鳥が鳴く状態になった。ゲストハウスや老舗旅館なども廃業が相次いでいる。
交通
ただし私鉄のターミナル駅が分散している関係上、それぞれの乗り換えの利便性が良いとは言えない。
また京都市内は交通量の割に道幅が狭い道が多く、歩道がないのに歩行者の多い区間も珍しくなく、郊外では道が入り組んでいる地区もある。よって、基本的に観光目的でマイカーで京都を訪問することは推奨できない。