概要
プロフィール
生年月日 | 1972年2月27日 |
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出身地 | 北海道新冠郡新冠町 |
所属 | 栗東トレーニングセンター |
厩舎 | 境直行厩舎(デビュー~1997年)⇒フリー(1997年~引退) |
血液型 | O型 |
身長 | 158cm |
体重 | 50kg |
愛称 | 伸二、伸ちゃん、兄貴、番長 |
家族構成 | 元妻(2022年頃に離婚)、長男 |
通算勝利数 | 1,918勝(JRA)、46勝(NAR) |
経歴
サラブレッドを生産する牧場の従業員夫妻の下、三人兄妹の次男として誕生。小学生の頃に両親が離婚したため、1歳上の兄と共に母親に引き取られた後、母親の再婚により「藤田」姓となる。
あまり裕福な家庭ではなかったものの、母親の営むスナックに牧場の従業員や競馬関係者が来店していたことから、幼少期から競馬サークルとつながりのある環境に育った。
周囲の子供と比べて背丈が低かったものの運動神経抜群かつ目立ちたがりな性格であったことため、周囲から「騎手が向いているのでは?」と薦められ、中学生のときに本格的に騎手を志すようになるが、目指すことを決意した際は競馬学校への入学手続きが間に合わなかった。
中学校卒業後は地元のサラブレッド牧場にて住み込みで勤務していたが、知人の清田十一調教師から「騎手になるならトレセンと近いところで働いたほうがよい」と勧められたことがきっかけで清田のツテを得て単身で滋賀県に移住。1年ほど滋賀県内の牧場勤務・清田厩舎の手伝いなどを経て、競馬学校に入所。同期には、四位洋文・安田康彦・郷原洋司らがいた。
騎手課程修了後は清田への弟子入りを希望するも、清田が体調不良を理由に引退していたため実現せず、清田からその門下生であった境直行調教師を紹介され、境厩舎からのデビューが決まった。
騎手時代
デビュー年である1991年には計39勝を挙げて、新人賞を受賞し、翌1992年には17番人気のタケノベルベットでエリザベス女王杯を制しGⅠ初制覇。
1996年には、7番人気のフサイチコンコルドに騎乗して、史上3位の24歳(戦後では4位)の若さで日本ダービーを制覇。他にもナリタブライアン・スペシャルウィーク・テイエムオペラオーなど幾多のスターホースを相手に2番人気以下で数々の重賞を勝利したことから、「ヒットマン」と評された的場均さながらの人気馬キラーとして注目されるようになる。「ジョッキー界の番長」を自称する破天荒なキャラクターも相まって個性派ジョッキーとしての地位を築き、1997年の境厩舎からの独立後も仕事人さながらの活躍で重賞93勝(うちGI13勝)を掲げた。
しかしながら、2011年にトランセンドでジャパンカップダートを勝利してからは重賞勝利からは遠ざかり、2015年9月6日を以って、「外国人騎手への騎乗依頼増加・エージェント制度によって日本の騎手に公平な機会が与えられない傾向などからモチベーションが保てなくなり、JRAへの不満が高まっていったこと」を理由に突如現役引退を表明。
引退2年前である2013年に上梓した自著『騎手の一分』においては、終始JRAの体制に辛辣な姿勢を崩さない傍らモチベーションの低下を認めており、「昔のように活躍できることを期待するファンも多いかもしれないが、残念ながらその思いに応えることはできない」・「自分は然るべきタイミングが来たらひっそりと引退するつもり」とも記述するなど既に引退を示唆していた。
引退後
騎手引退前後より北海道に帰郷し、引退後はマネージメント会社のバックアップを受けて、札幌市すすきの地域内に「現役時代のファンとの交流を図ること」をコンセプトとした完全予約制のバー「bar favori」を開店。現役時代のファンのほか、騎手時代の先輩・後輩も時折来店している。
また、『財界さっぽろ』にて「生涯、やんちゃ主義」というコーナーコラムを連載したほか、数々の競馬番組にゲスト出演した。
一時期は騎手時代の馬主ら関係者やファンからの要望もあり、ホッカイドウ競馬からの再デビューを目指して騎手免許試験を受験したものの一次試験で不合格であった。
自身のYouTubeチャンネルより時々生配信をしてファンとの交流を行っているほか、近年では騎手時代の経験を生かしてGI・重賞レースの予想・解説なども行っており、元川崎競馬場所属騎手である滝川寿希也ともGⅠレースの予想トークを配信している。
人物
- 普段は「競馬界の番長」・「競馬界の兄貴」を自負する破天荒でヤンチャなキャラクターで知られていた一方で、体育会系さながら上下関係や礼節を大切にする非常に生真面目な性格である。また、レースにおいては他の馬や騎手に迷惑を掛けない安全で公正な騎乗を心掛ける姿勢が評価され、現役生活25年間でフェアプレー賞を計19回受賞した。このポリシーから後輩たちが危険な騎乗をした際は検量室や控室で叱責することもあったが、自著においては「後輩たちにも公正で安全な騎乗を心掛けてほしい」という強い思いがあるからであるとも語っている。
- 北海道出身ではあるが、長い間滋賀県に住んでいたことやトレセン関係者に関西圏出身が多い環境であったこともあり、しばしば関西弁を交えて話す。
- 現役時代より騎手仲間との交友関係やそのマル秘エピソードを描いたエッセイやコラムにも定評があるが、機械類が不得意なため原稿は全て手書きで行っている(このため、引退発表時の声明も藤田本人による直筆であった)。
- 騎手きっての愛煙家・酒好き。好きなタバコの銘柄はKOOL・ループドプラス(以前は同ブランド・『ブースト 8g』を愛煙していた)で、お気に入りのビールはアサヒ・スーパードライ。
- 田原成貴や武豊を尊敬しており、エッセイでも度々田原や武への敬意を表している。田原の調教師転向後は田原厩舎の主戦騎手となり、2000年には弥生賞でフサイチゼノンに騎乗して、田原に調教師としての唯一の重賞勝利をもたらしている。
- 現役時より馬主や調教師、JRAの採決委員にも歯に衣を着せない言動をすることもあり、馬の管理方法や騎乗・採決の在り方を巡って馬主や調教師、JRAの採決委員とは対立を繰り返していた。やがてはこのことが前述のモチベーション低下に繋がり、外国人騎手への騎乗依頼増加やエージェント制度、そしてJRAへの批判の背景となっていた。
- ただし、藤田自身はエージェント制度そのものについては根っから否定しておらず、起用される外国人騎手本人たちについても嫌悪感を持っているわけではなかった。懇意にしていたエージェントが病気で死去したため、後任のエージェントが就任したもののその後任との折り合いが非常に悪かったことから、騎手自身の能力や騎乗馬との相性にかかわらずエージェントの力量と関係性に成績が左右されることに疑問を持つようになったとも言われている。
主な騎乗馬
※勝鞍は藤田とコンビを組んだもののみ記載。
※海外重賞は()に開催国を、地方交流重賞は〈〉に開催地を記載する。
GI勝利馬
- タケノベルベット(17番人気、1992年エリザベス女王杯)
※ニシノフラワー、アドラーブル、サンエイサンキューらを抑えて勝利。
- フサイチコンコルド(7番人気、1996年日本ダービー)
※後にダービー最多勝利を掲げることになる武豊が騎乗するダンスインザダーク(1番人気)を差し切って勝利。
- アドマイヤドン(1番人気、2001年朝日杯フューチュリティステークス)
- ショウナンカンプ(3番人気、2002年高松宮記念)
※アドマイヤコジーン、トロットスター、スティンガーらを抑えて逃げ切り勝利。
※ツルマルボーイ、エアシャカール、ローエングリンらを抑えて勝利。
※サイレントウィットネスを差し切り、スイープトウショウ、ハットトリック、テレグノシス、ダイワメジャー、オレハマッテルゼらを抑えて勝利。
※ウオッカを差し切って勝利。
- ローレルゲレイロ(2番人気、2008年高松宮記念/6番人気、2009年スプリンターズステークス)
※ビービーガルダン、スリープレスナイト、ファイングレインらを抑えて逃げ切り勝利。
- トランセンド(いずれも1番人気、2010年・2011年ジャパンカップダート/2011年フェブラリーステークス/2011年マイルチャンピオンシップ南部杯<東京>)
※ヴァーミリアン、エスポワールシチー、フリオーソ、スマートファルコン、ワンダーアキュートらを相手に勝利。
※ドバイワールドカップ(アラブ首長国連邦)でも2着と連対。