宗谷(列車)
とっきゅうそうや
JR北海道が札幌駅(北海道札幌市北区)〜稚内駅(稚内市)間を、函館本線・宗谷本線経由で運行する特急列車。
本稿では姉妹列車である「サロベツ」号や、かつて運行されていた「利尻」号・「礼文」号・「天北」号などについても解説する。
2024年現在は1往復体制で運行。
札幌駅〜稚内駅間の走行距離は396.2kmにおよび、気動車特急では最長距離となっている。
「サロベツ」は2往復が設定され、宗谷本線内の旭川駅(旭川市)〜稚内駅間での区間運転となる。
(※ウソ電)
国鉄(第二次世界大戦後)
1958年(昭和33年)10月1日に夜行準急「利尻」が札幌駅〜稚内駅間(函館本線・宗谷本線経由)で運転開始。同列車には三等寝台車が連結されていた。
1960年(昭和35年)7月1日に準急「宗谷」が札幌駅〜稚内駅間(函館本線・宗谷本線経由)で運転開始。札幌駅〜旭川駅間で準急「オホーツク」(札幌駅〜網走駅間)と併結していた。
1961年(昭和36年)10月1日に準急「宗谷」が急行に昇格し、運行区間を函館駅〜稚内駅間(室蘭本線・千歳線経由)に変更。函館駅〜滝川駅間で急行「摩周」(函館駅〜釧路駅間)、函館駅〜旭川駅間で急行「オホーツク」(函館駅〜網走駅間)をそれぞれ併結していた。なお、「摩周」と「オホーツク」には一等車が連結されていたが、「宗谷」は二等車のみ連結のモノクラス編成だった。
同時に、急行「天北」が札幌駅〜浜頓別駅〜稚内駅間(函館本線・宗谷本線・天北線経由)で、準急「礼文」が旭川駅〜稚内駅間(宗谷本線経由)でそれぞれ運転開始。「天北」は札幌駅〜滝川駅間で急行「狩勝」(札幌駅〜釧路駅間)を、札幌駅〜旭川駅間で急行「はまなす」(札幌駅〜網走駅間)をそれぞれ併結していた。
JR北海道発足後
1989年(平成元年)5月1日には前日(4月30日)の運行をもって天北線が廃止されたため、急行「天北」は幌延経由に変更の上で「宗谷」1往復(1・4号)として編入。従来の「宗谷」1往復は2・3号となる。
1992年(平成4年)7月1日に札幌駅と稚内駅とを結ぶ急行「宗谷」の1往復(3・4号)を改称・分離する形で急行「サロベツ」が運転開始。同時に、「宗谷」の1往復(1・2号)は号数なしとなる。
2000年(平成12年)3月11日のダイヤ改正でキハ261系0番台が宗谷本線の優等列車に導入された。これに伴い運行体系が再編され、全ての列車が急行から特急に昇格。急行「宗谷」と急行「礼文」は統合されてキハ261系0番台による特急「スーパー宗谷」(札幌駅〜稚内駅間)となり、朝夕に2往復(1〜4号)設定。また、キハ183系による特急「サロベツ」が日中に1往復(号数なし)設定された。「スーパー宗谷」と「サロベツ」は使用車両の違いで列車愛称を区別しているだけであり、停車駅に差異はなかった。
2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正を以って従来の今まで在来線昼行特急最長であった大阪駅発着の「しなの」が廃止された為、「スーパー宗谷」が「にちりんシーガイア」の411.5kmに次ぐ2位に浮上する事となった。ちなみに運賃計算キロ基準の場合だと、電車を含めても在来線昼行特急で最長となる(運賃計算キロ基準の場合422.1km。前述の「にちりんシーガイア」は全て幹線経由である為、411.5kmで変化しない)。
2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正では宗谷本線の特急列車の運行体系が再編され、使用車両を原則キハ261系0番台に統一。3往復のうち特急「宗谷」(札幌駅〜稚内駅間)が1往復(号数なし。朝の稚内行きと夕方の札幌行き)、特急「サロベツ」(旭川駅〜稚内駅間)が日中の2往復(1〜4号)となった。なお、「サロベツ」は旭川駅で特急「ライラック」(札幌駅〜旭川駅間)に接続するダイヤが組まれた(連続して利用すると運賃・特急料金は通しになる)。
「宗谷」は札幌駅〜稚内駅間、「サロベツ」は旭川駅〜稚内駅間の運転。
札幌駅 - 岩見沢駅 - (美唄駅) - (砂川駅) - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 永山駅(注) - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅
( )は「宗谷」の下り列車のみ停車。永山駅は旅客扱いはせず下り列車のみ運転停車。
現行
特急「宗谷」・「サロベツ」共にキハ261系気動車(苗穂運転所配置)。基本4両編成で、繁忙期には6両編成に増結される。
「宗谷」・「サロベツ」に使用されているキハ261系は特急「北斗」(函館駅〜札幌駅間)や特急「おおぞら」(札幌〜釧路駅間・「とかち」(札幌駅〜帯広駅間)で使用されている1000番台とは異なり、宗谷本線系統専用の0番台である。この他、5000番台の「はまなす」「ラベンダー」編成が代走で使用されることもあり、このときはグリーン席が連結されずラウンジになる(自由席)。
過去
キハ400系気動車、14系客車などが急行「宗谷」・「サロベツ」・「利尻」に使用されていた。客車時代の名残で「利尻」には廃止まで寝台車が連結されていたのだが、夜行の「オホーツク」・「まりも」同様気動車に客車を挟むという運用になっていた。14系時代は「宗谷」「利尻」と天北線の急行「天北」で車両が共通運用になっており、昼行の「宗谷」「天北」では寝台車を普通車自由席として開放していた。
さらには14系時代には寝台車の1区画を改造して昼間はグリーン席とするサービスを行っていたのだが、時刻表に載っていなかったり、昼間は寝台車が自由席扱いになっていたためマルスシステムに組み込めず、当日に窓口でしか買えない、車両も見た目や形式に変更がないためサボでしかグリーン席があることがわからないなど色々と問題ありげな代物だったようで、短期間で姿を消した。ちなみに夜は2段寝台になったらしく、3段ベッドの他の区画より快適だったらしい。
わざわざこんな面倒なことをしていたのは、少ないながらも宗谷本線に一等車の需要があり、それ以前にもグリーン席に相当する一等席が設けられていたためサービス維持のために無くすわけにはいかなかったからである(結局気動車急行化で一時無くなってしまい、特急格上げまで復活しなかったのだが…)。