「みんなノッてるかーい!! いよいよ待ちに待った日が来たわ!
我らが妖怪の大魔王を蘇らせて、地上に妖怪天国を作るのよ その為に私が今から祈祷を始めるわ!
名付けて貴公子ジュニア・・・・ON STAGE!」(第23話)
データ
概要
物語中盤より登場する、「妖怪世界にその人あり」とも謳われる妖怪の一人。
妖怪大魔王の実の息子(※1)に当たり、それまで各々が散発的に活動していた妖怪達を、未だ封印されている父に代わって配下に置くとともに組織化、「妖怪軍団」の実質的な統率者としてカクレンジャー抹殺を目論む。
パンクファッションを意識した黒ずくめの出で立ちが特徴で、そのなりに違わず自身もピアノやギター、歌を得意とする。持ち歌として『黒の貴公子』があり、大魔王復活の儀式に際してこの曲を熱唱、その歌声は人々を石に変える効果を発揮する。また作中では、移動の足としてフェラーリを活用することもあった。
人間相手だけでなく同族たる妖怪に対しても、敗北や裏切りを決して許さない冷酷非情な性格の持ち主でもあり、妖怪ザシキワラシを死に追いやった時のように苛烈な制裁に及ぶことも少なくはない。感情の起伏も激しく、オカマ口調での喋りを基本としつつも、時にはヘヴィメタル風の奇声を発しながらのオーバーアクションを見せるなど、こうした一挙手一投足ゆえに配下の妖怪達からは畏怖の対象と看做されている。
上記の通り、奇矯な振る舞いも目立つ一方で勘も鋭く、妖怪軍団に降った軍師白面郎に対しても、(嫉妬心もあったとはいえ)最後まで信用せず「本当は裏切り者だ」と見抜いており、彼のその見立ての正しさは後に証明されることとなる。
(※1 母親(大魔王の妻、妖怪王妃?)の存在については作中でも特に言及されていないものの、ジュニアの死後に父との結婚を目論んだ妖怪が出て来たことを踏まえ、既に死別もしくは離縁しているのではないかと見る向きもある)
正体と結末
ジュニアとしての姿はあくまでも仮の姿であり、その正体はガシャドクロと呼ばれる妖怪である。ジュニアの姿のままでも高い戦闘能力を発揮していたが、ガシャドクロへと変化することで手の付けられないほどの強さを発揮(詳細はガシャドクロの記事も参照)し、幾度となくカクレンジャーを窮地に追い込んでみせた。
ジュニアの姿でいる際に常に持ち歩いている水色のギターは、ガシャドクロの姿に変化した際には骨で構成された剣になる他、第18話ではチェーンソーにも変化した。
他方で第2部に突入すると、大魔王の使者と称して前線に介入してきたヌエから、その手腕を生ぬるいと厳しく評されたこともあった(※2)他、度重なる失敗から功名を焦るようにもなり、その傾向は大魔王からの信任も厚い白面郎の登場によりさらに加速するようになる。
「大魔王の後継者」という自らの立場すらも危ういと考えたジュニアは、白面郎に忠誠の証としてカクレンジャーを抹殺するよう厳命しつつ、一方で彼が百地三太夫と内通していることを看破し、大魔王復活を阻止しようとする三太夫と対決に及んで致命傷を与える。
その顛末を前に怒りに燃えるカクレンジャーの猛攻すらも、ジュニアはガシャドクロの姿を現して難なく一蹴してみせた・・・のだが、その優位は突如登場した新武器・雷鳴剣ヒカリマルを得たニンジャレッドによって脆くも崩れ去ることとなった。それでも巨大化し、さらにユガミ博士の装備によって超忍獣を苦戦させるガシャドクロであったが、合体した隠大将軍、そしてスーパー隠大将軍の登場により敢え無く敗北。
「バカな・・・私がやられるなんて・・・父上ーー!」
上記の断末魔と共に迎えたジュニアの最期は、爆発の後薔薇をくわえたドクロ状の黒の残留思念となりながら消滅するという、如何にもキザな彼らしいものであった。
皮肉なことに、後継者としての信頼を得ようと躍起になっていた相手である大魔王からは、「何があっても後継者は息子と決めていたのに」とその死を深く悼まれており、ジュニアの抱いていた懸念は全くの杞憂でしかなかったことが明確にされたのである。
(※2 そうした経緯もあってか、直後に最下級の妖怪へのカッパにされてしまったサイゾウとセイカイをドロドロ達が助けた際には、これを咎めるどころか「一寸の虫にも五分の魂ってね」と嘯き黙認するなど、意趣返しとも取れる行動に出てもいる)
余談
演者である遠藤憲一氏は、この当時『特捜エクシードラフト』など東映特撮へも度々ゲスト出演しており、スーパー戦隊シリーズへはデビュー間もない頃にゲスト出演した『バトルフィーバーJ』(1979年、村野義雄役)以来の出演となった。
特撮作品で顔出しで出演した敵役の役者が風評被害に遭うというケースはよく聞かれるものであるが、遠藤氏もその例外ではなく、初めの頃は近所の子供達から遠慮がちに「カクレンジャーをいじめないでね」とお願いされることが多かったそうだが、回を重ねて作中におけるジュニアの悪行が重なるにつれて、子供達からの嫌われ具合が酷くなっていき、遠巻きに睨まれながら「死ねー!」と言われた際は、「すっごいへこんだ」と後に明かしている。勿論彼はあくまで悪役を演じただけなので彼は罪はなく大人からは理解されるも感情移入しがちな子供達からは暫く風評被害を受けSNSが発達してる時代だったら炎上してもおかしくないだろう。
上記のエピソードは、TV番組などでエンケンが本作への出演時を振り返る際の十八番となっており、エンケンは自らの体験を踏まえて「子供番組に悪役として出るという事は、このくらい(の目に遭うことは)覚悟しとかなきゃダメ」とも語っている。
他方で、2010年代に入ってからは名脇役として注目されるようになり、今では様々なドラマや映画、CM等で大活躍している遠藤だが、役者デビュー初期の代表的役柄だったジュニア役にも思い入れが強く、トーク番組などで共演者から「カクレンジャー観てました」と言われたり、自身もカクレンジャー当時のエピソードを語ることもある。
後述の中年奮闘編のラストもジュニアと遠藤氏の汚名返上を計るような展開だった。
衣装のデザインは篠原保氏が担当。どういう流れで発注が来たのか、またパンクファッションを着てるというアイディアも自分から出たものなのどうか、その辺りも含めて記憶が明確ではないことを前置きしつつ、デザインの狙いとしてハードゲイ的な要素を盛り込んでいることを、後年のインタビューにおいて明かしている。
関連イラスト
関連タグ
ガシャドクロ:妖怪としてのジュニアの真の姿
妖怪大魔王:妖怪軍団の首領にして、ジュニアの父親に当たる
花のくノ一組:ジュニアに仕えるくノ一部隊。その正体はジュニアの……
???:ジュニアの死亡後の回に登場した女妖怪。父である大魔王との結婚を目論んでいたので、仮にジュニアが生存していたら彼女がジュニアの継母になる可能性もあったことになる
???、???:それぞれ大魔王の妹と弟である為、ジュニアからみれば叔母と叔父に当たる
他作品の関連項目
アルゴル星人ヴォルガー:『特捜戦隊デカレンジャー THE MOVIE フルブラスト・アクション』に登場する敵怪人の一体。ジュニアとは演者を同じくしている
ヨゴシュタイン、ワルズ・ギル:いずれもスーパー戦隊シリーズの他作品の登場キャラクター達。両名とも、敵組織の首領の息子であるという点でジュニアとの共通項を有する他、彼らの死後に、父親である首領が登場し、組織の指揮権を受け継ぐという展開でも共通したものとなっている
黒田銭蔵:ピザーラのCMキャラクター。こちらもジュニアと同様に遠藤が演じており、CMではジュニアを彷彿とさせる出で立ちの手下(社員)達を引き連れ、ライバルを蹴落とすためにあくどい真似(といっても実際には、どれもセコくてコミカルなもの)をする様子から、「貴公子ジュニアを超える悪役」とネットニュースなどで話題になったこともある
邪魔男爵:『魔法×戦士マジマジョピュアーズ!』の登場人物の一人。やはり遠藤が演じるキャラクターで、どこかオネエっぽい仕草やルックスはジュニアとも近似しているが、他方で作中における立ち位置は、本作で言えば妖怪大魔王のそれに相当するといった相違点も見られる
⚠️以下、ネタバレ注意⚠️
本作から30年後の続編となる『中年奮闘編』にて、まさかの復活を遂げる。
隠大将軍に敗れたあの時、ジュニアは完全に消滅する直前に「転生の秘術」を自身に掛け、後の時代で生まれ変われるようにしていた。
そして、時を経て当時と同じ顔立ちで転生するが、その時には自分が妖怪だったという記憶もその力も完全に失われ、ごく普通の男性として人間界で暮らし、更には人間の女性と恋に落ち、その女性との間に子供をもうけていた。
そうして戦いとは程遠い平和な暮らしを送っていたが、家族で車に乗っていたある日、ガーベラによって起こされた交通事故に遭う。
自身は監視役であったかつての白面郎こと義輝の忍法で魂は繋ぎ止められるも、昏睡状態から目覚めることはなく、妻も帰らぬ人となったことから、残された子供は鶴姫の施設に引き取られたのちセイカイの養子となった。
その子供が成長した姿こそ、今作のゲストキャラクター吾郎であった。
終盤、吾郎が新時代妖怪大魔王としての能力に目覚め、サンモトゴロウザエモンに変身して暴れ回る中、自らも覚醒して記憶と力を取り戻し、カクレンジャーの前に現れる。
妖怪大魔王になるのは自分と言ってサンモトゴロウザエモンに組みかかるが、その真意は自分がその力を全て引き受けることで吾郎を解放することであり、実際に力を吸収してサンモトゴロウザエモンに変貌するが、あまりに強大な力の負荷に耐えられず、最後はようやく再会できた息子の目の前で消滅していった。
また、自爆覚悟で抱きついた際には涙を流しており、息子への愛情が本物であったことがうかがえた。消滅後には鶴姫も泣きながら「父親の愛」と評していた。
「吾郎……最後ぐらい……父親らしく終わらせなさいよ……」