概要
Apple Inc.は、アメリカ合衆国カリフォルニア州クパティーノ(いわゆるシリコンバレーの一角)に本社を置く、デジタル家電製品のメーカー。略称は「アップル、Apple」など。
事業
パーソナルコンピュータのMacintoshシリーズ、スマートフォンのiPhone、タブレット型情報端末のiPad、スマートウォッチのAppleWatchなどの開発・販売を行っている。自社ハードウェア専用のオペレーティングシステム(OS)のmacOSやiOSおよびアプリケーションや開発ツール、SoC(Appleシリコン)も独自開発する(垂直統合体制)。
また、世界中で小売店(Apple Store)やコンテンツのオンライン配信(iTunes Storeなど)などの直販事業も展開する。
社名
社名は創業者のスティーブ・ジョブズがビートルズのファンだったから、アルファベット順電話帳でATARIより上に来るから、などの理由が言われているが、はっきりしているのはジョブズが命名したことである。社名を巡って、ビートルズが設立したアップル・コア(英アップル)と裁判で争ったことがある。
沿革
1976年4月1日、スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックらによりApple Computer Inc.として設立。1977年には正式に法人化した。
最初の製品であるワンボードマイコンApple Iに続き、1977年、8ビットマイコンのApple IIを、従来の「マイコン組立キット」ではなく「店で買って帰ってすぐ使えるホームコンピュータ」としてリリースする。初の表計算ソフトであるVisiCalcがキラーアプリケーションとなり、爆発的に売り上げを伸ばす。米国では全ての社会人が確定申告を行う必要があるので表計算ソフトが重宝されたのである。これによって瞬く間にパソコン業界最大手企業にのし上がったが、1981年にIBMがIBM PCを発売して以来、同機とその互換機によってビジネス向けパソコン市場を席捲された。1983年にジョブズはペプシコーラからジョン・スカリーを引き抜いてCEOに就かせた。この時ジョブズが放った「このまま一生砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気は無いのか?」という殺し文句はあまりにも有名。
Apple III、Lisaによるビジネス市場への挑戦と失敗を経て、1984年1月に初代Macintoshがデビューを飾る。初期のMacは白黒表示ではあったが、GUIを搭載したパソコンのお手本となり、DTP市場を立ち上げた。同時期に放映したリドリー・スコット監督のプロモーションCM「1984」はジョージ・オーウェルの小説『1984』を下敷きに、ビッグ・ブルーことIBMの市場支配をビッグブラザーと重ね合わせ、Appleを反逆者として位置付けたもので、1度しか全米放送されなかったにもかかわらずそのインパクトから伝説となった。
Macintoshは話題性こそあったもののメモリが少なすぎた(わずか128KB)ために実用性に乏しく売れ行きが伸び悩み、ジョブズへの社内の目も冷たくなった。1985年にジョブズはスカリーを追い出そうと画策するが、スカリーがフランス支社から引き抜いたジャン=ルイ・ガセーの差し金で取締役会はスカリー側に付き、ジョブズは会長職以外の全ての業務を外されてしまう。これに激怒したジョブズはアップルを退職し、同時期には当時のApple社のやり方に疑問を抱いたウォズニアックも退職した。ジョブズの退職によってMacintoshのハードウェア部門はガセーが支配する。スカリーはMacをビジネス市場でも使ってもらおうと、MicrosoftにExcelを出してもらう代わりに同社がWindows1.0でMacのGUIを模倣することを認めた。
ガセーはジョブズの(一般消費者向けの)製品思想を転換させ、クリエイターやプロユーザーに重点を置く高級・高価格路線に舵を切った。Macintosh Plusではジョブズが排除していた拡張性を限定的に盛り込んだ。1987年、初のカラーモデルMacintosh IIを発売。豊富な拡張性と高価格・高性能にガセーの思想が色濃く現れていた。同機はマルチディスプレイをサポートする世界初のパソコンであるとともに、まともなカラーマネジメント環境を持つ当時としては唯一のコンピュータでもあり、Macはデザインやイラストレーションの分野でも広く使われるようになった。
スカリーはMacintoshはいずれ行き詰まると考え、Mac OSの他社へのライセンスや次世代コンピューターのコンセプト(このうちの一つがNewtonとして実現した)を模索していたが、AppleはMacに集中するべきと考えていたガセーはこれに反対し、スカリーは1990年に彼を追放。ガセーは独自のコンピューター開発を目指してBe社を設立した。Appleはガセーがいなくなったことで安価で拡張性の低いモデルをラインアップに加えることができるようになり、売上自体は上向いたものの、Classicなどのエントリーマシンは人気になりすぎて品薄になり、Appleの在庫管理のまずさを露呈させることにもなった。
1992年ごろの米国では、PC/AT互換機(MS-DOS/Windowsマシン)と並ぶMacのライバルだったAmigaやAtari STなどのホビーパソコンはシェアをほとんど失い、Mac vs PCの構図が定着するが、PC業界の価格競争に巻き込まれて利益率は悪化する。スカリーは昨日のライバルIBMと手を結び、モトローラを仲間に引き入れて(AIM連合)MacのCPUをPowerPCに移行する道筋を付けるとともに、タリジェント(Taligent)とカライダ (Kaleida) という次世代のOS開発企業を立ち上げ、将来への布石を打った。Windowsに対抗するべく互換機へのMac OSライセンスにも乗り出すが、1993年にはスカリー肝入りのプロジェクトだったPDANewtonの不振などもあり、スカリーはAppleを追われた。この頃からAppleの経営は迷走が酷くなり、激化する一方の価格競争に在庫管理のまずさから不良在庫が積み上がった。スカリーの後任、ドイツ生まれのマイケル・スピンドラーはApple売却を目指してIBM、フィリップス、サン・マイクロシステムズと交渉を行うが失敗したため3年後の1996年に辞任した。
後任は再建屋として知られるギル・アメリオだった。アメリオによれば当時のAppleの取締役は全員が「Appleをどう売りさばくか」と絶望的になっており、再建のことは全く考えていなかったという。もとよりAppleは社内抗争の激しい社風であったが(こうなった元凶はジョブズ)、スピンドラーは個々の製品ごとに開発を任せる方針にしたため、社内の各部署は全く連携がとれていないままプロジェクトが乱立する状態に陥っていた。アメリオは膨れ上がったプロジェクトを整理し、過剰在庫を整理するなど正攻法でApple再建を目指した。次期Mac OSとして計画されていたCoplandはあまりにも機能が肥大化していたことから失敗プロジェクトになりかけており、アメリオはプロジェクトを中止して既に開発が進んでいた機能から順次Mac OSに実装していくことにした。Coplanndの代わりとなる次期OS(後のMac OS X、現macOS)は外部から調達することに決め、Windows NTやガセーのBeも候補に上がったが、アメリオはジョブズのNeXTが圧倒的に優れていると認め、1996年末に同社を買収、翌年2月にジョブズとウォズニアックを非常勤顧問として復帰させた。だが、アメリオも裏切りとクーデターが絶えないAppleの政争劇から逃れることはできず、ほどなくしてジョブズに経営悪化の責任を追及され1997年7月にCEOを追われた。
こうして経営の全権を掌握した(この当時は暫定CEO)ジョブズは互換機へのライセンスを打ち切るが、アメリオの打ち出したMac OSの開発プランは踏襲した。1998年には在庫管理の専門家のティム・クックが入社、彼はサプライチェーンの再構築に辣腕を振るい、後にジョブズの後継者となる。
復帰当初のジョブズは当時のApple製品のデザインをクソ呼ばわりして社外デザイナーに任せるつもりでいたのだが、Appleデザインスタジオのリーダージョナサン・アイブは埋もれていた多くのデザイン案をジョブズに見せ、認識を改めたジョブズはアイブを自身直属の上級副社長に任命した。アイブ率いるデザインスタジオはiMacやiBookなどデザイン主導型の製品を世に送り出し、生まれ変わったAppleを強く印象付けた。1999年に直営オンライン販売店のApple Online Storeを開設、2001年には直営販売店のApple Store事業を開始。また同年にはMacintoshのOSをNeXTの技術を中核にしたMac OS Xに移行、iPodを発売しデジタル家電事業に復帰した。2003年には音楽配信サイトのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)を立ち上げ、コンテンツ配信にも乗り出した。2006年にはMacのCPUをIBMのPowerPCからIntelに切り替えている。
2007年1月9日、iPhoneの発表と同時に主力事業の変化を反映させ現社名のApple Inc.へ改称、これに伴い日本法人もアップルコンピュータからアップルジャパンに商号変更された。2000年から正式にCEOに就任していたジョブズは、自身が生み出した最後のコンピューターiPadの成功を見届けて2011年10月5日に膵臓癌で亡くなり、クックがCEOに就任した。
2015年にはスマートウォッチAppleWatchを発売、スマートウォッチ市場では後発であったが圧倒的なシェアを獲得し、ジョブズ不在のクック体制でも新たな製品を成功させることができることを証明した。一方でジョブズ亡き後のデザイン主導経営のキーパーソンだったアイブが2019年に退社、その後もAppleとの共同製品開発は進めていたが、2022年には契約を更新しないことを発表した。Project Titanという自動運転車のプロジェクトも進めていたが、全く成果がないまま2024年に断念した。2023年にはVRゴーグルApple Vision Proを発売したが60万円近い高価格のため大衆的な広がりは見られない。
Appleは2010年のiPad(初代)以降のモバイルデバイスのSoC(Appleシリコン)を自社開発し、その後CPUコアやGPUコアも自社独自設計に切り替えていたが、2020年からはMacのプロセッサもIntelからAppleシリコンに切り替え、垂直統合体制を確固たるものにした。
特徴
Appleが他のシリコンバレーの企業と比較して際立っているのは、一般消費者向けのハードウェアメーカーである点である。PhoneやMacはビジネス分野でも多く使われているが、基本的に一般消費者向けハードウェアがビジネスにも採用されているのであって、ビジネス市場に特化した製品はMac Proだけである。これは明らかにジョブズのDNAである。ウォズニアックが設計したAppleⅡが主力製品だった時代はギーク向けの色合いも強かったし、ガセーが影響力を持っていた時代はクリエイター向けの高級路線を突き進んだ時期もあり、それ以降もこうしたユーザーはAppleに付いてはいるがそれが多数というわけではない。
かつてはXserve、WebObjects(NeXTから受け継いだ製品)などビジネス向けの製品ラインアップを揃えていた時期もあったが、結局は得意分野ではないと見切りをつけ、現在はIBMなどのサードパーティに任せている。
同社製品は熱烈なファンを多く抱えることで知られるが、同社が提供するのは「最高のユーザー体験」を提供するハードウェアであって、ソフトウェアやネットサービスも手がけているが、それ自体を主な収益源とはしていない。よって基本的に自社ハードウェアの互換機を認めておらず、OSからSoCまで独自に開発したり、自前で直売店を持ったりするのもそのためである。
MicrosoftとはWindowsの登場以降、主要なライバル企業であるが、Excelなどを提供する最有力のサードパーティでもあるという一種独特の関係にある。一時期はMicrosoftの創業者であるビル・ゲイツがAppleの筆頭株主でもあった。……と、言ってもこれはイイハナシなどではなく、一時期Microsoftが米法務省からアンチ・トラスト法(日本の独占禁止法に相当するが、米国では法務省がしばしば恣意的運用をすることで有名)抵触の疑惑で執拗に捜査されたため、市場がWindows独占にならないよう、Appleが一定のシェアを確保できるようにしたという面があったりする。
最初のライバルであるIBMとは、1990年代のPowerPCの共同開発を経て親密な関係となった。MacのCPUがPowerPCではなくなった現在でも、ビジネス向けサービスに特化したIBMとは競合する製品がないことから良好な関係を維持している。IBMはアップルの苦手とするビジネス向けソリューションをアップル製品向けに提供している。
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