東京急行電鉄6000系(初代)
(譲渡先での姿)
東京急行電鉄(東急)が設計・新製した通勤形電車。試作要素が強く、1960年に4両編成5本、20両が生産された。車体はセミステンレス(台枠や骨組が普通鋼、外板はステンレス鋼)。電装品や構造の違いから3つに大別できるが、それぞれ共通して言えるのは台車中央に主電動機を配置し、歯車や継手を介して2つの車輪を動かすことだった。
東京急行電鉄6000系(2代)
東急が設計・新製した通勤形電車。2008年に同社東急大井町線の急行運用へ投入された。
上田電鉄6000系
2015年に東急1000系の中間車2両を先頭車化改造して上田電鉄に導入した。地元の戦国武将、真田幸村の赤備えをイメージした赤基調の塗装に真田家家紋の「六文銭」をあしらった特徴的な外観となっている。
西武鉄道6000系
西武鉄道(西武)が設計・新製した通勤形電車。1992年より帝都高速度交通営団(現東京メトロ)有楽町線への直通運転を主目的として投入された。前面スタイル・塗装などがそれまでの西武の車両から大きく見直されている。
四国旅客鉄道6000系
四国旅客鉄道が1996年に設計・新製した近郊形電車。車体は211系と同じ軽量ステンレスで、前面はFRP。VVVFインバータ制御を採用した1M2Tの3両編成が2本、6両が製造された。乗務員室の真後ろにあるドアのみ片開き。
営団地下鉄6000系
帝都高速度交通営団(営団)が1968年より千代田線用に新製・投入した通勤形電車。1次試作車3両、2次試作車10両、量産車10両編成34本の合計36編成353両製造された。アルミ合金の車体に緑色の帯を巻き、前面はくの字形に近い形をしている。非常用扉が前面向かって左側に寄せられたスタイルはその後7000系・8000系にも踏襲された。
京王帝都電鉄6000系
京王帝都電鉄(京王)が1972年より京王線系統向けに新製・投入した通勤形電車。車体は普通鋼製。車体前面は中央に貫通扉を設けてあり、助士側の窓が狭く、運転士側(運転台が設けてある方)が車体下側に窓が拡大されている。また、おでこは東急1000系のように、3つの窓(助士側から 列車番号、行き先、列車種別)の周りが黒塗りされている。また、種別灯と尾灯は一体化されている。編成は2両~6・8両。2両は競馬場線のワンマン運転仕様だった。一部の編成(5両編成4本)は関東の私鉄では珍しい5ドア車だったが、動物園線のワンマン運転仕様編成(4両編成1本)を除き4ドアに改造(5両編成2本)または廃車(5両編成1本+中間車1両)となった。現在は事業用車に改造したデワ600を除き全廃となっているが、新型事業用車デヤ900の新造に伴いデワ600も退役へ。
相模鉄道6000系
相模鉄道(相鉄)がかつて製造・運用していた通勤形電車。
1961年より投入。同社新製車両としては初の20m4扉車体を採用した。このうちモハ6021号はアルミ試作車。
1970年より車体幅の拡幅など大幅に設計を変更した新6000系に移行。2003年に定期運用を終了、全廃された。
南海電気鉄道6000系
南海電気鉄道(南海)が製造した通勤形電車。東急7000系(初代)、京王3000系と並ぶ日本電車のオールステンレスカーの先駆けとして知られ、日本初の20m級のオールステンレスカーでもある。側扉は片開き4ドア。1962年の製造から50年以上が経過した2015年現在においても車体の腐食がほとんど見られず、その結果2019年まで一両も廃車・譲渡されることなく(2019年11月に6035編成が廃車)、冷房化・台車交換を受けて南海高野線で活躍を続けているという奇跡の電車でもある。産経新聞の記事では「錆びない鉄人」の名で紹介された。
京阪電気鉄道6000系
京阪電気鉄道(京阪)が架線電圧1500V昇圧に伴う旧型車置換えのために1983年より新製・投入した通勤形電車。現在の京阪における最多両数の系列である。非貫通(非常用扉付)前面は当時の京阪では初めての試みであった。ほかにも京阪初というものが多く、登場当初は塗色だけが京阪であると言われたほど。初期の一部編成は1500V昇圧前に宇治線などで運用されていた。
阪急電鉄・能勢電鉄6000系
阪急電鉄(阪急)が1976年より新製・投入した通勤形電車。神戸線・宝塚線(神宝線)方面で運用されている。一部を除きアルミ車体であるが、従来車両からのマルーン塗装は踏襲されている。2014年に6002編成の8両編成1本が能勢電鉄に譲渡されたが、従来通り阪急宝塚線で運用され、能勢電鉄での運用は直通特急日生エクスプレスのみとなっている。
名古屋鉄道6000系
名古屋鉄道(名鉄)が1976年より投入した通勤形電車。従来から運用していた中長距離主体の2ドアクロスシート車両ではラッシュ時の混雑に対応しきれなくなっていたため、名鉄が製造した電車としては初の両開き3ドア車として製造された。
一部編成は名鉄瀬戸線に転属し2014年まで使われた。
富士急行6000系
富士山麓電気鉄道(富士急行)が東日本旅客鉄道より205系を3両編成・半自動ドア化改造のうえ譲渡された車両。2012年2月29日より営業開始。車両デザインは水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所が担当した。富士急行の普通列車用車両で初の3両固定編成。2段窓の車両からの改造車の6000番台、1段下降窓の車両からの改造車の6500番台、旧八高線用3000番台からの改造車の6700番台が存在する。
秩父鉄道6000系
秩父鉄道が西武鉄道から新101系を譲り受け2扉・クロスシート化改造や顔面整形を受けて活躍している。急行秩父時用に在籍した3000系(国鉄165系の改造車)を置き換えた。
東武鉄道6000系
東武鉄道が日光線系統の快速に充てられる雑多な旧型車両を置き換えるために昭和39年から昭和41年にかけて製造した近郊形電車。Mc-Tcの2両を基本として、日本車輌製造東京支店やナニワ工機で製造された。前面は5000系列に準じた「東武顔」と称されるものであったが、側面は長距離運用に配慮して、片開き扉が車端寄りに二つに変更されている。この車輌の設計思想を引き継ぐ形で6050系が落成している。
山陽電気鉄道6000系
2015年度に導入の山陽電気鉄道の最新鋭。普通列車用の3000系列の初期車の置き換え用で、阪神・直通特急にも使用する方針。
近畿日本鉄道6000系
1963年登場の近畿日本鉄道の通勤型車両。ラビットカーと称される車両群の中の一形式。南大阪線系統で活躍していた。登場時は「6900系」を名乗っていた。
6900系⇒6000系 | Mc-Mc+Tc |
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6000系 | Mc-Mc+Tc+Tc |
登場時の組成。冷房化の時に中間車の運転台は撤去された。
廃車や養老線(⇒養老鉄道)への転用改造で2002年に形式消滅。派生系列として6020系がいる。6020系は機器構成は6000系と同じだが、8000系、8400系、2410系、2430系と同世代である。
なお、近鉄では狭軌(1067mm)の車両は6000番台の形式が付与されている(特急型車両は16000または26000番台)。
北陸鉄道6000系
1962年に愛知県名古屋市の日本車輛本社工場(ただし現在はここでは鉄道車輛は作っていない)で作ってもらった、北陸鉄道(北鉄)の電車。クモハ6001-クハ6051の2両1ユニット。
観光地の山代温泉や山中温泉を控える加南線用に投入されたもので、2扉・転換クロスシートを備えた。「くたに号」という愛称ももらっている。名古屋鉄道5000系をベースとした、いわゆる「日車ロマンスカー」の一つ。
だが、1971年に加南線が廃止された際、車体の大きさ(全長19メートル、これは能登線キハ5251と並んで北鉄鉄道車輛史上最長タイ。ちなみにキハ5251は元国鉄キハ07)ゆえに、比較的車両限界が小さかった石川線や浅野川線に回すことが出来ず、大井川鉄道(静岡県)に身売りされた。
ところが北鉄の電圧は直流600ボルト、大井川鉄道は直流1500ボルトだったためそのままでは使えるわけが無く、かといって、下手にカルダン駆動の新性能電車(ちなみに北鉄自社発注車輛史上唯一の存在)だったが故に昇圧に対応出来ず、別の電車によるけん引を余儀なくされてしまう。
そのため、1984年12月からワンマン運転が実施されると、いらない子扱いされる様になってしまう。結局1994年に事実上廃車、1996年に新金谷駅構内でスクラップにされ、栄光と屈辱の極端さが相半ばとなってしまった生涯に幕を下ろした。
なお、これをアルミ車体にした一方で廃車となった旧型電車のモーターなどを活用して、やはり日本車輌本社工場で作ってもらった6010系(クモハ6011-クハ6061)「しらさぎ号」も存在する。
こちらも大井川鉄道に引き取られるまでは6000系と同じ道をたどったのだが、旧型電車故に昇圧にも対応、単独で運用出来る様になった。
だが、寄る年波には勝てず2001年に廃車となったが、2005年に石川県山中町(現在は加賀市の一部)に「里帰り」を果たし、保存されている。