曖昧さ回避
※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘についてはダイタクヘリオス(ウマ娘)参照。
概要
ダイタクヘリオスは1986年生まれの日本の競走馬。マイル戦線を中心に活躍し、マイルチャンピオンシップ連覇をはじめ重賞7勝を挙げた。獲得賞金の面でもシンボリルドルフ、オグリキャップ、メジロマックイーンに続く史上4頭目の賞金6億円超えを果たした存在である。
一方、レースでは頻繁に掛かって口を割って走るため「笑いながら走る馬」、1番人気の時は敗北し人気が落ちると勝利するジンクスから「オッズを読む馬」「競馬新聞の読める馬」などの異名を取り、後述するダイイチルビーとのライバル関係やメジロパーマーとのコンビ関係など、個性的なレース模様やエピソードの数々でも知られる。
プロフィール
生年月日 | 1987年4月10日 |
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死没 | 2008年12月12日 |
英字表記 | Daitaku Helios |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
父 | ビゼンニシキ |
母 | ネヴァーイチバン |
母の父 | ネヴァービート |
生産 | 清水牧場(北海道平取町) |
調教師 | 梅田康雄(栗東) |
主戦騎手 | 岸滋彦 |
競走成績 | 35戦10勝 |
獲得賞金 | 6億8995万2400円 |
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
父・ビゼンニシキは1981年生まれ。「皇帝」「七冠馬」シンボリルドルフと同期で、初期のライバルと呼ばれた存在である。
デビュー以来岡部幸雄を鞍上に4戦4勝で共同通信杯を制覇。しかし5戦目の弥生賞にて、岡部は初対決となったシンボリルドルフへの騎乗を選択し、レースも1.3/4馬身差でルドルフの2着に敗れる。(なお、この弥生賞はビゼンニシキ1番人気、シンボリルドルフ2番人気。ルドルフを馬券人気で上回った馬は、日本馬ではビゼンニシキと1984年ジャパンカップでのミスターシービーの2頭・2回のみである。)
リベンジを期した皐月賞では、最終直線でルドルフと共に抜け出したが、馬場の外に持ち出そうとしたルドルフと接触して脚が鈍り、1.1/4馬身差の2着に終わる。日本ダービーでは14着と大敗し、ルドルフにリベンジを果たすことは叶わないまま同年10月のスワンステークスにて故障を発し、現役生活を終えた。こうしたルドルフとの関係は、子の世代で思わぬライバル関係を生むことになる(後述)。
ビゼンニシキは引退後種牡馬となり、ダイタクヘリオスが文句なしの代表産駒であるが、他にも障害競走で活躍したリターンエース、重賞3勝のハシノケンシロウなど、内国産種牡馬としてコンスタントな成績を残した。
母・ネヴァーイチバンは未出走で繁殖入り。ヘリオスの半妹スプリングネヴァー(父サクラユタカオー)の産駒には重賞4勝のダイタクリーヴァと阪神大賞典勝ち馬ダイタクバートラムがいる。また、祖母ミスナンバイチバンの牝系からは「狂気の逃げ馬」カブラヤオーと、エリザベス女王杯馬ミスカブラヤが出ている(ネヴァーイチバンの半姉・カブラヤの仔)。
冠名「ダイタク」はオーナーの経営していた企業・大拓(株)に由来し、これにギリシャ神話の太陽神ヘリオスを組み合わせた馬名である。
戦歴
1989年
- 10月7日、京都競馬場の3歳新馬戦でデビュー。
- 10月29日、3歳新馬戦で初勝利。
- 12月9日、さざんか賞で優勝。
- 12月17日、阪神3歳ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)2着。
1990年
- 3月25日、スプリングステークス11着。
- 4月14日、クリスタルカップで優勝し、重賞初制覇。
- 11月18日、マイルチャンピオンシップ17着。
- 12月16日、スプリンターズステークス5着。
1991年
- 2月24日、マイラーズカップを5馬身差で圧勝し重賞2勝目。
- 5月12日、安田記念2着。
- 7月7日、高松宮杯(現在の高松宮記念。当時は芝2000mのGII)でダイイチルビーの母子3代同一重賞制覇を阻み重賞3勝目。
- 10月26日、スワンステークス9着。
- 11月17日、マイルチャンピオンシップでGI初制覇。
- 12月22日、有馬記念5着。
1992年
- 3月1日、マイラーズカップは60kgのハンデを背負いながら5馬身差で連覇し、重賞5勝目。
- 5月17日、安田記念6着。
- 6月14日、宝塚記念5着。
- 10月11日、毎日王冠はレース前に騎手を振り落とすなど暴れたが、レースはレコードタイムで逃げ切り重賞6勝目。
- 11月1日、秋の天皇賞でメジロパーマーとの逃げ争いの末失速し8着。超ハイペースに巻き込まれたトウカイテイオーは7着に終わり、初めて掲示板を外した。
- 11月22日、マイルチャンピオンシップで史上2頭目の連覇。
- 12月20日、スプリンターズステークス4着。
- 12月27日、連闘で臨んだ有馬記念では再びメジロパーマーと共に逃げ12着。メジロパーマーは1着。これが引退レースとなった。
引退後
翌1993年より種牡馬となった。代表産駒のダイタクヤマトは2000年のスプリンターズステークスをシンガリ16番人気で制覇し、「ヘリオスは種牡馬になってすら波乱を呼ぶのか」と競馬ファンに語られた。
2008年9月に種牡馬を引退し、青森県の牧場で功労馬として余生を過ごしていたが、その直後の12月に21歳で死去した。
余談
気質・脚質
- パドックでイレ込んだり、レース中に掛かりまくってバタバタしている方が好走した。手綱を引いて抑えようとする騎手の指示を聞かず前へ前へと行こうとするため大きく口を割って(馬の口にくわえさせたハミが強く引っ張られ、口が開いてしまうこと。掛かっている兆候)走ることから、「笑いながら走る馬」とも言われた。
- 主戦を務めた岸滋彦騎手はヘリオスの気質に相当手こずらされた模様。4歳春の葵ステークスを勝った後は1年以上ヘリオスとのコンビで勝てず、しかもヘリオスの鞍上を別の騎手が務めた時に勝ってしまうため焦りもあったようだ(5歳春の読売マイラーズカップは武豊騎手、秋の高松宮杯は加用正騎手)。しかし、高松宮杯にて4角で早め先頭に立ち、追いすがるダイイチルビーをハナ差封じて押し切った加用騎手の騎乗にヒントを得て、「掛かるのを抑えるよりもハイペースを刻んで前へ前へとレースを引っ張り、バタバタになろうが押し切ってしまう方がよい」という戦法を確立。その結果、マイルチャンピオンシップ2連覇という大きな結果に繋がった。脚質的にもキレのある末脚があるタイプではなく、前でレースを引っ張り周囲の消耗を誘いつつ押し切るというスタイルは合っていたようだ。
- 現役時代は気性難で厩務員を手こずらせたが、引退後は一転して非常に温厚になり関係者を驚かせた。現役中のひたすら掛かる気質は、「とにかく前に出なければ」という、ヘリオスの真面目すぎる性格によるもので、本来は真面目で穏和な馬であったとする分析もある。最期の時も穏やかに、まるで眠るように旅立っていたという。
オッズ関連のジンクス
- 1番人気で惨敗、人気薄で1着というパターンを繰り返し「オッズを見る馬」「競馬新聞の読める馬」と呼ばれるなど、何かとネタにされる人気馬だった。馬券的にも人気薄になったら来るということで穴党には根強い人気があった。1番人気で勝ったのはまだ3歳だった1989年のさざんか賞のみ。
- 一番人気を飛ばしてしまうのは自分が一番人気の時に限らない。古馬になって以後、ダイタクヘリオスが出走したレース20戦全てにおいて一番人気の馬は敗北している。(例:1991年安田記念のバンブーメモリーは4着、同年高松宮杯のダイイチルビーは2着、1992年天皇賞(秋)と有馬記念のトウカイテイオーはそれぞれ7着と11着)勝手に潰れる玉砕型の逃げ馬ではないので放置するわけにはいかず、かと言って追えば消耗してしまい共倒れになってしまうというやっかいな馬だった。JRAの「名馬の肖像」では彼一頭だけ敵目線でのキャッチコピーが添えられている。
アイツには近づくな 真っ向から挑めば灼熱の炎に焼き尽くされるだろう
かといって慎重に距離を置けば いつの間にかほら 手の届かないところへ
これほど厄介な敵などそうはいない
ライバル・コンビ関係
ダイイチルビー
1991年の安田記念、高松宮杯、マイルチャンピオンシップなどで対戦した同期の牝馬。通算対戦成績はヘリオスの5勝3敗。91年安田記念で追い込み一閃でヘリオスを2着に下した一方、高松宮杯ではヘリオスに「母・仔・孫三代制覇」の記録達成を阻まれるなど、マイル戦線を中心にライバル関係を築いた。
対戦したレースでしばしばヘリオスが好走することと、目立った血統とは言えない牡馬のヘリオスに対し、トウショウボーイとハギノトップレディの間に生まれた筋金入りのお嬢様であるルビーという絵になる組み合わせということもあって、「2頭はライバルというより相思相愛なのではないか」という競馬ファンのネタが生まれた。漫画『馬なり1ハロン劇場』ではこれを題材に取り込み、2頭のストーリーが描かれた。
さらにゲーム『ウイニングポスト』では両者の架空の産駒であるファーストサフィーが登場したが、現実で夢の配合は実現しなかった。ただしゲームにあやかって名付けられたであろうファーストサフィーという競走馬は実在し、その父はヘリオスである。
トウカイテイオー
ヘリオスの1世代下における皐月賞・日本ダービーの二冠馬。しかしヘリオスとの関係においては「シンボリルドルフの代表産駒」という点が注目される。既述のとおり、シンボリルドルフはヘリオスの父ビゼンニシキがどうしても勝てなかった相手であり、岡部幸雄騎手の乗り替わりや皐月賞のレース模様の件などもあった。
その2頭の自慢の息子同士が時を経て対決する……この構図が注目されたのが1992年の天皇賞(秋)であり、父2頭の名から「SB対決」とメディアに称された。
レースは前半1000m57秒5という超ハイペースの中、ヘリオスとテイオーはメジロパーマーを追い2・3番手で進行。4角でパーマーを脱落させ最終直線で先頭に立ったヘリオス、これを追うテイオー!SB対決の一騎打ちに東京競馬場は大盛り上がりとなった。……が、これは余りに前半を飛ばしすぎた。2頭仲良く脚が鈍って後続につかまり、テイオー7着・ヘリオス8着。揃って着外ではテイオーの勝ちとも胸を張って言えず、SB対決はうやむやに終わってしまった。(勝ったのはハイペースに乗らずに後方で息を潜め、直線で外から追い込んだ11番人気のレッツゴーターキン。)
メジロパーマー
スタミナにものを言わせた中長距離戦での大逃げを武器に、1992年の宝塚記念・有馬記念春秋グランプリ制覇を達成したヘリオスの同期。
前述のダイイチルビーは、92年安田記念をもって現役引退。「ヘリオスはライバル(恋人?)を失ってしまったなあ」と競馬ファンが囁いていたところ、その直後の宝塚記念でヘリオスとパーマーは初対決し、新コンビ結成のはじまりとなる。
テンからガンガン逃げて行くのが持ち味のパーマー。ヘリオスの気質上、こういう相手に対して負けられるか!と掛かって追うのは当然であった。2頭揃っての逃げの結果もたらされたレース模様について、詳しくは爆逃げコンビの項目を参照。
たった半年・3回の対戦歴であるが、この2頭が揃ったレースは単勝9・11・15番人気が勝利し、秋天と有馬は馬連万馬券の払い戻しとなった。2頭の1986逃げがもたらした大荒れの結果に多数の馬券購入者は頭を抱えたわけだが、愚直に逃げて自分達の走りを貫いた2頭に一種の爽やかさを感じた人も多かったようで、パーマーとヘリオスは愛着のもとに「バカコンビ(1号2号)」、後年には「爆逃げコンビ」とも呼ばれるようになった。
関連項目
メイケイエール:ヘリオスより30年以上後の21世代の牝馬。血統的にヘリオスと接点はないが、「普段は大人しく真面目なのにレースでは『名古屋走り』『獅子舞』と評される掛かり・暴走を起こす」という馬で、似た気性の先例としてヘリオスが引かれることがある。