概要
2022年度前半放送中の連続テレビ小説。
沖縄本島北部やんばる地域を舞台に、とある若い女性の成長を描く。
ナレーションは沖縄出身のジョン・カビラが務める。
主題歌は同じく沖縄出身の三浦大知が務める。
2022年6月21日と22日には、第1週と第2週の物語を再編集した特別編を放送した。
登場人物
比嘉家
主人公。比嘉家の次女で4人兄妹の3人目。
子供の頃から運動神経が高く、食べるのが大好き。
現在は料理人を目指して銀座の西洋料理店で修行中。
料理や食べ物の事で頭が一杯なのか、恋愛には無頓着なようで…。
比嘉家の父。1964年、サトウキビ畑で作業中に心臓発作を起こし急逝。
料理と音楽が得意なようで料理を暢子に、三線を歌子に教えていた。
東京に出稼ぎに行ってた際に親戚である房子と料理屋を開く約束をするも、反故にして沖縄に帰って優子と結婚したことが判明。さらに民謡歌手を目指して弟子入りしてたこともあるなどなかなか異色の経歴の持ち主でもあった。
比嘉家の母。賢三の死後は土木工事現場で当初は炊き出し、後に作業員として働くが、1971年時点では村の共同売店に務めている。
両親や祖父母、姉弟を沖縄戦で失ったことや夫に先立たれたことから子供達(特に賢秀)に甘い。
比嘉家の長男で4人兄妹の1番目。家族からは「ニーニー」と呼ばれる。
陽気なお調子者な一方で長男としてのプライドが高い。
長らく定職に付かない日々を送っていたが、1971年秋から翌72年まで家を出て職を転々とする日々を送る。千葉県の猪野養豚場に流れ着いた後はそこを拠点としている。
そして比嘉家随一…と言うか、演者にも風評被害が及ぶ程の生粋のクズ(主に金銭面で)。ただし豚には迷惑をかけるどころか熱心に世話をしている。
比嘉良子(結婚後は石川良子):川口春奈(少女時代:土屋希乃)
比嘉家の長女。1971年現在は母校の山原小中学校に小学校教師として勤務する。
第七週で博夫と結婚し第八週で長女の晴海(はるみ)を出産するが、第九週以降は石川家の家風に馴染めなかったり教員への復職に理解を得られなかったりと喧嘩が絶えない。
比嘉家の三女で4人兄妹の末っ子。体が弱く、歌手志望だったが…。
石川博夫:山田裕貴
良子の夫。理論的で生真面目な人物なのだが、気が弱く優柔不断でもあり煮え切らない言動を繰り返しては妻子に逃げられる。
出産前の良子の様子から男児が生まれると思い込むという義兄と同レベルの天然っぷりを見せた。
比嘉賢吉:石丸謙二郎
暢子たちの大叔父(祖父の弟)。サトウキビ農家。
賢三に金を貸した上に彼が銀行に借金した際に保証人になった為に甥一家に振り回される羽目になった苦労人。
比嘉家をとりまく人々
東京からの転校生。父の仕事の都合でやんばるに滞在していた時に比嘉兄妹と仲良くなる。
アメリカ留学の後、東洋新聞社に入社。父が果たせなかった沖縄の文化の記録と伝承をライフワークとしている。
「家事は母親だけの仕事ではない」と1970年代の日本人にしては先進的なジェンダー観を語るが女性関係は最悪。
青柳史彦:戸次重幸
和彦の父。民俗学の教授。1964年に和彦を連れてやんばるを訪問する。
知性的かつ穏やかな性格だが、妻との仲は冷めていて和彦の教育を巡り言い争いが絶えなかった。
戦時中は沖縄の部隊に所属していたが、配属替えで離れた後にアメリカ軍の攻撃で首里城が焼失したことから沖縄の文化を記録して後世に伝承することを誓う。しかし、東京に戻った直後にこの世を去った。
比嘉兄妹の幼馴染。実家は豆腐店「とうふ砂川」を営んでいる。夢にも恋にも一途な好青年だが、一途すぎてストーカー化している。
中高生時代は病気の母に代わって店を切り盛りしていたが、1971年頃には母が快癒して弟妹が成長したこともあり、自分の夢に向かって歩み出している。
暢子に想いを寄せており、彼女が上京した後を追って東京にやってくる。「アッラ・フォンターナ」の出入りする食品卸の店に住み込みで働き、1978年に念願の食品卸売会社「スナガワフード」を立ち上げる。同年に「角力大会で優勝したらプロポーズする」という前作を思わせるフラグを立てて玉砕した。
前田善一:山路和弘
村唯一の商店である「共同売店」の店主で地域の役員。
比嘉夫妻の友人であり、長きにわたって比嘉家を見守っている。
善一の娘。暢子の友人。
高校時代は料理部部長を務めていた。高校卒業後は東京の大学に進学し、1978年に親戚の紹介で知り合った真栄平次郎と結婚した。
鶴見の沖縄県人会会長。沖縄出身者達を温かく見守っており、人々から慕われている。
暢子の父・賢三とは戦前からの付き合いで三線を教わっている。
金城順次:藤木勇人
沖縄料理居酒屋「あまゆ」の店主。
店の二階を貸間にしており、暢子と和彦を住まわせる。
猪野寛大:中原丈雄
養豚場の経営者。本作トップクラスの聖人。
流れ着いた賢秀を雇っただけでなく数々の失敗非礼を繰り返す彼を温かく見守る。
猪野清恵:佐津川愛美
寛大の娘。
強気で負けず嫌いな性格で賢秀と口喧嘩を繰り広げるも、何だかんだで気にかけている。
田良島甚内:山中崇
東洋新聞社の記者で和彦の上司。
大野愛:飯豊まりえ
東洋新聞社の記者で和彦の同僚して恋人。その縁で暢子や智にとって良き友人となる。
1978年に結婚を急かす両親や煮え切らない態度の和彦に振り回された挙げ句に、和彦の心が暢子に傾いていることを悟り、身を引いた。
同時期に自身が企画したファッション関連の特集が採用されたことで東洋グラフに移籍することとなり、パリに渡った。
公式サイトでは何故か和彦の所業について一切触れておらず、婚約破棄の経緯も「パリでファッションの担当記者として活躍していきたいという彼女の夢の実現の為に別れた」ということになっている(参照・外部リンク 外部リンク)。
アッラ・フォンターナ
オーナー。暢子の大叔母(祖母の妹)で賢三の死の直後に彼の遺児の一人を引き取りたいと申し出た親戚でもある。
戦前から包丁一本で様々な店を渡り歩いており、従業員には妥協を許さず厳しく接する一方で優しく見守っている。
二ツ橋光二:高嶋政伸
料理長。温厚な人物で癖の強いスタッフ達をまとめている。
房子に憧れており、誤解されがちな彼女のフォローも行っている。
矢作知洋:井之脇海
料理人。野心と才能に溢れた人物。既婚者。
後輩の暢子には意地悪することもある一方で気にかけている。玉島や桃木と仲が良い。
1978年自らの待遇に嫌気が差して玉島や桃木と共に厨房を去った。
が、後に銀座に高級レストランを開店したことが明らかになったが、評判はイマイチなようで客足は伸び悩んでおり、資金繰りに困り結局夜逃げした模様。
ネット上の反響・主な批判要素について
このドラマは沖縄が本土復帰してから50周年を記念して作られた。
しかし、一部のキャラの悪行・無理のある展開・雑な時代考証など問題点だらけで批判が多い。
それゆえ、脚本担当の羽原大介の過去作品に対しても「本当に同じ人が書いたのか?」「マッサンやフラガールは実話を基にしていたから良かったのか」などと技量を疑う声すら挙がるほど。朝ドラ受けをしている博多華丸・大吉はコメントに困ることが増え、朝ドラ受けをしない日も増えている。
民放のドラマなら「嫌なら見なければいい」で済むが、NHKのドラマは視聴者からの受信料で作られている。見るのをやめても「受信料でひどいドラマが作られる」という問題点は変わらない。民放で不人気なら話数が削減されたり広告収入が減ったりするものだが、NHKのドラマはいくら問題点が噴出しても放送を打ち切るという動きは一切なく、受信料が下がるわけでもない。こういった点も批判が多い一因といえる。
SNSなどでは、連続テレビ小説に対する批判タグとして「〇〇反省会」というタグが使われていたが、これまでに無いレベルで批判意見が目立つ様になり、本来なら好意的な書き込みに使われるであろう「ちむどんどん」タグでも批判が増え、反省会タグのみでは批判意見との棲み分けが困難になってしまう。
その対策として本家タグに加えて原則好意的な書き込みを示す「ちむどんどんする」という派生タグまで生まれる事態が起きている。
一部のキャラの悪行
連続テレビ小説ではヒロインが天真爛漫なのはお馴染みの設定だが、自分の夢ばかりを優先して他人の気持ちを考えない傾向があり、悪印象を与える方向に出てしまっている。例として、オーナーの房子に「偉そうだ」と詰め寄る、取り分けられた料理を自分の分が少ないと文句を垂れる、和彦の恋人である愛に「和彦を好きになったけど愛がいるからあきらめる」と宣言する、和彦の家のお手伝いさんにいらないと言われた弁当を毎日押し付け、それを止めようとした和彦に「何か間違ったことしてる?」と問いかけるなどがある。
暢子の兄・賢秀の自己中で無責任な振る舞いの数々は目に余るものがあり、いくらフィクションでも…と、多くの視聴者から不満の声がある。家族への愛情と行動力は本物だが、その資金の工面手段は主に知り合いに金を無心してからの競馬(有り金賭けた上にもちろん外れる)や、我那覇が持ちかけるビッグなビジネスといった大穴狙いばかり。金を受け取った際に度々置いていく「借りた金は部にして返す」という手紙(賢秀は「倍」という漢字を「部」と書き間違えるほど頭が悪く、しかも本人は漢字の書き間違いにすら気付いていないのである)が彼の全てを物語っている……。
賢秀がどんなに悪いことをしても咎めない母にも視聴者からの不満が多い。ただし賢秀の悪行やそれを咎めない母に関しては沖縄の視聴者から「当時の沖縄の長男にはよくあったこと」との声もある。実際ちゅらさんでも悪質さに差はあれどヒロインの兄が盛大にやらかす一幕がある。しかし、暢子と和彦の恋愛模様のドロドロが繰り広げられた週ではむしろ賢秀が唯一の癒しという妙な現象も見られた。
姉の良子も家のために金吾と結婚寸前までいったが、結局博夫との恋愛結婚を選択するものの、古風な家の風習に馴染めず離婚すると喚き出し、視聴者から「やっぱり金吾にしておけば」と言われる始末。何しろ金吾は最初から「結婚後も教師の仕事は続けていい」と良子に言ってくれていたのだから、視聴者たちが金吾との結婚を勧めたのは当然であろう。
また、娘の晴海が生まれると「先生の代わりはいるが母親の代わりはいない」と専業主婦を選択したのに、子供が成長すると「私の名前は晴海ちゃんのお母さんじゃない、人として成長したい」と職場復帰を希望し、受け入れられなければ離婚するとまた喚き出し、視聴者から「やっぱり金吾にしておけば」と言われる始末。石川家への職場復帰の説得についても良子自身が石川家本家へ直談判せず博夫に任せきりで、「不誠実だ」「だから職場復帰を認めてくれないのでは?」という意見もある。
そして博夫と別居し実家に戻り、病弱な妹の歌子に晴海を預けて職場復帰を果たすなど、兄妹にも負けず劣らず周囲を顧みない傍若無人な人物になっている。ただ、余計なことばかりする賢秀や危機感が無い優子に対して毅然と注意できる数少ない存在であり、融通の利かない以外は比嘉家の中では比較的良識的な人物ではある。
母・優子に再婚話が持ち上がった際に「結婚は当人同士だけではない」と言ったり、暢子が結婚しても家事と仕事を両立させると宣言したときに「両立は大変だよ」と言うなど、視聴者から見れば「お前が言うな」と言いたくなるような展開もあった。
また、博夫の祖父や叔父といった石川家の男達も、昔からの風習・しきたりを重んじ、良子に本家の嫁たる自覚を要求する場面が度々描かれるが、そんなに厳しい家風なのになぜ結婚が許されたのか、実家住まいではなくなぜマンションでの別居が許されたのかなど謎が尽きない。
挙げ句の果てには、石川家の男達が初登場した第53話も含めてただの1度も姿を見せず、劇中で存在が語られることもなかった石川家の曾祖母が、何の伏線も脈絡もなく第80話に突如として現れ、良子と博夫に離婚を迫る石川家の男達を一喝して黙らせたことにより、数年間に及ぶ良子と博夫の結婚問題が一気に解決するという、不自然極まる展開に視聴者たちは唖然。「この曾祖母が最初から登場していれば良子と石川家の確執は起こらずに済んだのでは?」とか「作者は良子と博夫の結婚問題をどうやって解決すればいいのか思い付かず、当初の設定にはなかった曾祖母を無理やり登場させて石川家の男達を黙らせるという苦肉の策に出たのでは?」などといった趣旨の疑問や批判が相次いだ。
妹の歌子は、暢子に振られたのを分かっていながら智を結婚式へ連れていくために仮病を使いアッラ・フォンターナに連行しており、さらに到着すると示し合わせたかのように良子が「賢秀が来れなくなった」と言って県人会のみんなで智を式場に強制連行するなど、智の古傷をえぐるような行為に「これでもう比嘉家にまともな人物はいなくなった」「智の気持ちも考えろ」と批判が殺到した。さらにはこの展開に以前東京の病院で検査しても歌子の病気の原因が不明だったことから「病弱なのも仮病なんじゃないか?」と視聴者から勘繰られてしまうこととなった。
優子も母として暢子たちを優しく、時に厳しく見守る……かと思いきや、子供たちの数々の問題行動を「何も間違っていない」と笑顔で全肯定する人物で、賢秀や暢子が自己中心的な人物になった諸悪の根源と言われている。
特に賢秀には大甘で、何かとすぐ賢秀に大金を渡しては借金を増やす羽目になっており、なぜその大金を病弱な歌子の治療に使わないのかとも批判されている。
優子が賢秀に甘い理由は「戦後に亡くした弟に重ねていたから」と説明されたが、その点を差し引いても優子は賢秀に甘すぎる異常な人物になっている。
そういった理由で長女の良子には賢秀と同じ位警戒されているものの、「ニーニーの悪い癖がいつまでも直らない」と本気で止められれば彼女のいないタイミングでこっそりと送金したり、賢秀が売る栄養ドリンクを応援する意味で買うのはともかく、マルチ商法だと説明しても「はいはい、そんなことより…」と即聞き流したりと無条件に甘やかす癖は直るどころか日に日に悪化しており、良子1人ではとても手に負えないのが現状。
それでも、兄妹達が「母の悪口を言う奴だけは許さん」と口を揃えて発言する程、母親として深く慕われていることは間違いないのだが…。
和彦に至っては、6年も付き合って両親公認の婚約相手がいたのに、結婚直前で暢子のことが気になり出して、それを察した婚約相手が身を引くという事態に。しかし婚約破棄からわずか数日後に暢子からプロポーズされて結婚を決めるという結末になり、視聴者からはクズと言われるようになってしまった。また、相手の話をさえぎって自分の話をし始める、取材相手になぜか上から目線といった悪癖も目立つ。「女性も働き、自立すべき」という1970年代にしては現代的な思想を声高に語るが、その持論を展開している背景で愛に料理を取り分けてもらってそれに礼を言うこともないなど、言行不一致な所も見られる。
この他、登場人物の中では比較的まともなキャラだったはずの田良島も、「母親の一番の不幸は、息子と結婚できないことっていうからな」という問題発言をして、視聴者からの評価が大きく下がってしまった。この発言の典拠は不明だが、さもこれが一般的に言われている言葉であるかのように発言している。また、田良島は精神年齢が幼稚で社会常識がない暢子を「人柄は100点満点」、前述の通り不誠実の見本のような和彦を「誠実な男」と評するなど、人を見る目は皆無だと視聴者から言われている。
さらには突然店を辞めた従業員の一人であった矢作がいきなり現れたと思いきや店の金と権利書を盗んだ上に失踪、権利書を手に反社会勢力が店に現れて脅しに来るという吉本新喜劇ばりの展開になり、権利書の買取りを拒否すると様々な嫌がらせをするというもはや道徳観どころではない状況になってしまった。おまけに肝心の弁護士も当てにならず、警察もまともに動いてくれないだろうということから警察にも相談しようとしなかった。
もっとも、暴対法のできる前の昭和はこのように暴力団が幅をきかせていることがよくあり、単に警察に通報すれば解決するという時代ではなかったことは事実である。後述の通り基本的に時代考証がいい加減な本作において、数少ない「時代的に正しい描写」がよりにもよってこの場面というのは、何とも皮肉な話である。おまけに、上記の反社会勢力の男達が店内で暴れている所に突如として三郎が現れると、男達の親分が「戦争中に三郎に世話になった」という理由であっさり店から手を引くという、これまた何の伏線も脈絡もない不自然極まる話の急展開に視聴者たちは開いた口が塞がらない状態であった。
無理のある展開
借金問題をはじめとしてさまざまな問題が立ちはだかるが、週末ではどのように解決したのか特に触れられないままうやむやになることがよくある。暢子の腕が上達する様子が描かれていない、数年間何もなかったのに突然恋愛感情が芽生えるなど、伏線を張らないために唐突感のある出来事も多い。
上記の石川家の曾祖母が出てきて問題を一気に解決、する以外にも矢作の退職に端を発したヤクザの嫌がらせが親分が三郎に恩があったということで解決したり、結婚を許さない重子の態度を崩したのはオーナーの発案した料理だったりと、とにかく主人公以外の大活躍で丸く収まることが多くて主人公たちの成長がまるで見られない。
暢子が高額な電話料金を全く気にせずたびたび長距離電話をする(1970年代当時の電話料金は10円で2.5秒)、東京都の銀座で仕事をしている人々が神奈川県の鶴見で集う、暢子が銀座のフォンターナの閉店後に仕込などを済ませてから鶴見のあまゆに帰って店の手伝いをしている、賢秀が住所を知らないはずの和彦の家にやって来る、フォンターナに毎年来る常連客を6年も勤務している暢子が知らないなど、常識的に考えてありえないようなシーンも多い。
沖縄県の田舎と東京(鶴見)が主な舞台なのに、深夜に沖縄県の田舎から電話してきた良子が翌朝に神奈川県の鶴見に現れるという、1970年代はおろか当時より交通網が発達している2020年代でも不可能な短時間での長距離移動がしょっちゅう行われている。そもそも深夜にバスや飛行機などの公共交通機関は動いていないのだから、良子はどれだけ急いでも翌朝までは沖縄県の田舎を出発できるわけがない。また、賢秀は千葉県の牧場を拠点としているのに、なぜか神奈川県の鶴見にちょくちょく来ている。
和彦の母・重子が暢子との結婚を反対する理由も当初は「家柄の違い」「住む世界が違う」と言っていたのに、いつの間にか「結婚しても働き続けたいという女性とは幸せになれない」と論点がずれてきている。
前述の通り、石川家の男達が初登場した第53話も含めて石川家の曾祖母はただの1度も姿を見せておらず、博夫自身も石川家に曾祖母がいると劇中で語ったことはただの1度もなかった。それにも関わらず、良子と博夫が結婚してから数年も経過した第80話になって、それまで設定になかった曾祖母を突然登場させたのは、作者が良子と博夫の結婚問題を解決させる方法を思い付かなかったための苦肉の策ではないかと視聴者からは指摘されている。
法律の面でも矛盾がある。
鶴見北西信用金庫の職員が暢子に杉並区の物件を紹介するシーンがあるが、途中から職員の言動がまるで不動産屋のようになっている不審点に加え、そもそも信用金庫は法律で営業範囲を決められているため、神奈川県の信用金庫が東京都杉並区の物件を紹介できるはずがない。
これ以外にも時系列を細かく見ていくと矛盾しているシーンが多々ある。
自称高級レストラン「アッラ・フォンターナ」
当初は「予約が取れない人気高級レストラン」という触れ込みだったが、「これで高級とは?」と首をかしげるような描写が多い。
まず、初登場時に暢子が沖縄から上京したままの姿(薄手のシャツに短パン、ビーサン)で入店できており、ドレスコードがないのかと言われてしまっている。
接客は店の方針としてソムリエと思しき人物が一人いる以外にホール専用スタッフを置かず、全て厨房スタッフがまかなっているが、テーブルが少ない小さな店ならともかく、フォンターナの規模でホールスタッフ兼務となると料理を作っている間、ホールがほったらかしになってしまうなど、かなり無理が出てくる。それに調理をしていれば必然コックコートは相当汚れるはずだがその状態で接客に出るのは問題にならないだろうか。また、暢子は肩まで伸びた髪をまとめることすらせずに垂らしていることについてはツッコミが多い。
部外者の賢秀が閉店後の店に入ってきて食材を勝手に触る、仮にも記者である愛を厨房に入れる、閉店後に店に来た怖い人を入れてしまうなど、セキュリティ面でも問題がある。
賢秀が一目惚れした女性をフォンターナに誘った際になぜか社員総出でお出ましになり、それをそのまま受け入れるなど「予約が取れない」という設定はどこへやら。
接客に至っては、テーブルまで案内した客の椅子を引かない。料理を運んだあと、テーブルの横に突っ立って食べるを見つめている。スタッフが常連客と大声で談笑する。暢子が初めて訪れた際にオーナーとシェフが2人して暢子を「マサカヤー様」とあだ名する。注文されたとはいえワインボトルを一人一本提供し、泥酔者を出すなど高級レストランとしてはあり得ない接客態度の数々が散見される。
二ツ橋シェフが両足を骨折し、1か月の入院(両足骨折の割に1か月と短過ぎる入院期間にもツッコミがある)になった時も6年以上勤務して来たはずの厨房のスタッフが全く連携出来なくて、暢子がシェフ代行をオーナーから指名された際は矢作等他のシェフ達からは「やはりコネか」と不満の声が上がり、後に矢作を含めた3人のシェフが退職するきっかけの1つとなっている。
出てくる料理も盛り付けが簡素で味気ないと言われることも多く、66話に出てきたバースデーケーキに至っては素人が作ったレベルのモノであった。
50話で暢子が沖縄料理のイカスミジューシーをヒントにイカスミパスタを作るが、もともとイカスミパスタはイタリアの伝統料理であることをフォンターナの料理人はおろかシェフの二ツ橋やイタリアで修行してきたはずのオーナー房子ですら指摘しなかったため、まるで暢子がイカスミパスタを発明したかのような描写になってしまっている、その他にはミネストローネが白いなど、もはや専門知識の必要もなくおかしいと断言できるような間違いもある。
暢子が店の料理に勝手にアレンジを加えてしまうのも問題がある。店の味を独断で勝手に変えていいものではないし、元の料理自体がそもそも日本人にほとんど知られていないものが多いのにアレンジ料理を作る必要性がない。
その他イタリア料理の描き方の問題点について日伊協会常務理事を務める長本和子氏から指摘されている。
そもそもドラマの舞台となる70年代には、日本ではイタリアンはまだ一般的ではなく、高級レストランといえばまずフレンチが主流なのであるが。
脚本の羽原大介は「僕たちおじさん3人は料理の知識が全くないんです」、演出の木村隆文は「僕にとって料理は『美味いか、不味いか』ではなく『食べられるか、食べられないか』」と発言している。制作人の料理に対する知識や興味のなさがそのまま出てしまっている。(ちなみに「3人」のあと1人は制作統括の小林大児である)
いい加減な時代考証
物語の時点では存在しないもの、通称オーパーツと呼ばれているものが多数登場する。
和彦が母親と闇市に行くシーンがあるが、和彦の年齢的に闇市が行われていた時期と計算が合わない。
(以下に挙げるものは1978~79年の話を指している)
ペットボトルの醤油が使われているが、この時代には存在しない。
ズッキーニの入った段ボール箱が登場するが、この時代の日本ではズッキーニの知名度は現在よりもはるかに低く、ズッキーニの大量栽培は行われていない。
賢秀が夜に競馬中継を聴いているシーンがあるが、実際に夜の競馬が始まったのは1986年からであり、それも現在に至るまで地方競馬のみに限定されている。
物件情報が活字で印刷されているが、この時代はまだワープロがとても高額で一般には普及していないため手書きでないとおかしい。
1978年当時の日本ではとっくに廃れていたはずのオート三輪に乗っているという逆オーパーツ状態も見られる。
沖縄本土復帰50周年記念ドラマ
と言うか、そもそも沖縄返還がコンセプトの話だったはずが、返還に関してほとんど触れられていない。構想段階で話し合いを進めていくうちにいつの間にか「どこの誰にでも当てはまるような話にしよう」という当初のコンセプトを無視した結論になってしまった。
当時の本土では沖縄県民に対して差別的ともいえる状況で、沖縄出身というだけで部屋が借りられなかったり、「沖縄県民入店お断り」というひどい店もあった。当時の世相にあえて触れない作品もあるが、沖縄本土復帰50周年記念ドラマを謳っているのに全く触れないのは不自然ともいえる。
ジェンダー論や良子の夫婦での家事の分担等の考え方など、そもそも登場人物の思想が現代的すぎる。
関連イラスト
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参考資料
料理考証の問題点https://toyokeizai.net/articles/-/602174
法的な矛盾https://www.excite.co.jp/news/article/AsageiMuse_excerpt_15458/
時代考証の誤りhttps://www.excite.co.jp/news/article/AsageiMuse_excerpt_13869/
関連タグ
翼をください…同じく劇中歌。いずれも歌子に歌われている。
ちゅらさん…同じく沖縄が舞台となっている朝ドラ。
純と愛…同じく沖縄が舞台で、主人公の親類がクズキャラな朝ドラ。
マッサン…同じ脚本家の羽原大介氏が原作の朝ドラ。こちらは国際結婚による主人公夫妻の苦悩がしっかり描かれており、時代考証も正確で視聴者からは好評だったため、「本当に同じ脚本家が書いているのか?」と疑問視されている。もっとも、こちらは実在の人物の伝記に基づいて制作されていたため、登場人物の設定やストーリーの展開にも矛盾がなく、それなりにリアリティーが感じられて視聴者たちも主人公夫妻に共感できたのかもしれない。
フラガール…同じく羽原大介脚本作品で「本当に同じ脚本家が書いているのか?」その2。
まれ…似たような内容の朝ドラ。発表された時点で「まれの二番煎じ」等と言われていたが、放送後は「まれの再来」とよばれるようになってしまう。
マギアレコード…キャスティングが豪華、問題行動を起こす人物と咎めようとしない人物、他に危害を加えておきながら制裁が無いままフェードアウトする人物他、
ご都合主義が見られる展開が類似している。ちなみに、沖縄及び南方出身の魔法少女は2022年現在実装されていない。料理関連の魔法少女は存在する。
仮面ライダーリバイス…同時期の実写ドラマで、史彦役の戸次氏が主人公の父親役を兼任している。重い過去を背負っている点は史彦と共通しているが、こちらは家族を大切にしており、仲は良好(動画制作で一攫千金を狙うという賢秀を思わせるダメ親父ではあるが)。因みに本作は戸次氏の他にも賢吉役の石丸氏や三郎役の片岡氏・田中氏など過去にこのシリーズの出演経験者が多い。
暴太郎戦隊ドンブラザーズ…同時期の実写ドラマで、こちらも主人公側と一般人に問題児だらけで、治安の悪い点が序盤の作風との共通点を指摘する視聴者もいた。(但し上記2作と違い、治安の悪さはそのままだが主人公達はストーリーを重ねていくにつれて成長していった。)因みに本作は賢秀役の竜星氏や博夫役の山田氏など過去にこのシリーズの出演経験者が多い。
その時不思議な事が起こった…物語内で度々ご都合展開が巻き起こっている所から一部の視聴者の間でそう揶揄される事も。
TAROMAN…同じくNHKが制作している岡本太郎式特撮ドラマ。一部視聴者からは「『でたらめをやってごらん』を地で行く朝ドラ」と言われてしまっている。
変遷
カムカムエヴリバディ→ちむどんどん→舞いあがれ!