プロフィール
本名:松本晟(まつもと あきら)
1938年1月25日、福岡県久留米市に誕生。生年月日は石ノ森章太郎と同じである。
妻は漫画家の牧美也子。
日本の漫画・アニメ界に「スペースファンタジー」というジャンルをぶち立てた、SF漫画の巨人。
宇宙空間を「未知の空間」から「壮大なドラマの舞台」へと昇華させたのは、日本のサブカルチャーにおいてはこの人の功績も大きい。
日本の漫画文化に対する貢献から、紫綬褒章、旭日小綬章を得ている。
近年は宇宙戦艦ヤマトの著作権関係や槇原敬之の歌詞絡みなど、アニメーションや漫画におけるクリエーターの著作権保護について積極的な言動を行って、煙たがられることもあったが、結果的に後輩たちの権利強化に貢献した。
(ちなみに槇原とは和解し、槇原のファンクラブのクリスマスカードのイラストを松本が描いたりしている)
また、表現規制問題については、漫画家(現参議院議員)赤松健らと共に、クリエーターの中心的存在として積極的に活動し、児ポ法改正反対運動では、政治家にロビイスト活動も行うなど大きく貢献しており、マンガやアニメといった創作物は規制の対象外となった。そういう意味では、漫画やアニメなどに加えて、このピクシブの恩人のひとりとも言えるであろう。
2023年2月13日に急性心不全で逝去。満85歳没。
赤松健や柴田亜美や江口寿史などの同業者、銀河鉄道999シリーズでおなじみの野沢雅子や池田昌子ら声優やファン以外にも、政財界、フランス大使館、JAXAなどからもその偉大な功績に対して追悼のことばが送られた。
人物
経歴
父・松本強は叩き上げで陸軍少佐にまで登った軍人で陸軍航空隊のテストパイロットも務めたが、戦後は「敵国の兵器に乗るつもりなどない」と自衛隊(当時は警察予備隊)への勧誘を蹴って貧乏暮らしだった。松本は父の誇り高い姿に感化され、漫画家となってからは父の性格をモデルにしたキャラクターを幾人も世に送っている。
母は教師で、よく自分の宿題を細かく添削してくれたという。頑固一徹の父に苦労しつつ、それに耐えて家族を支える姿を間近で見ていた。
そんな中で海野十三をはじめとしたSF作品に親しみ、小学校の学級文庫にあった手塚治虫の作品群に触れ、高井研一郎らと同人サークル「九州漫画研究会」(石森章太郎主宰の「東日本漫画研究会」の九州支部)を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰する。
1954年、高校一年の時に「漫画少年」(学童社)に投稿した『蜜蜂の冒険』が掲載されてデビューを飾り、手塚治虫からも知られる存在となった。『毎日小学生新聞』にも多くの漫画が掲載される。
1957年、少女漫画誌『少女』(光文社)での連載が決定して上京。ペンネーム「松本あきら」で少女漫画誌で活動し、本郷(文京区)の「山越館」に下宿した。
ちばてつや、高橋真琴、牧美也子らとは本郷にあった講談社御用達の缶詰用旅館「太陽館」で始終顔を合わせており、同人誌を作るなど親しく交流した。
しかし松本は一向に芽が出ず、1968年に『漫画ゴラク dokuhon』(日本文芸社)で『セクサロイド』(ペンネーム:松本零士)を連載し、青年誌に進出。現在の作風が確立された。
1971年、『男おいどん』がヒットし、講談社出版文化賞を獲得。
1974年、『宇宙戦艦ヤマト』の企画会議に参画し、当初メカニックデザイン担当だったところをアニメ制作に強い意欲を見せ、全面的に監修する立場となる。
その後の『銀河鉄道999』や『キャプテンハーロック』などのスペースオペラ作品のヒットを牽引した。
1980年には、フジサンケイグループとのコラボで『新竹取物語1000年女王』によって、現代でいうところのメディアミックスを展開。新聞紙面での漫画連載、フジテレビでのテレビアニメ放映、それに完全新作で劇場版も制作したが、スペースオペラブームも陰りが見えており、商業的に成功とは言い難かった。
その後テレビで『クイーン・エメラルダス』を企画化するころにはブームが終焉し、企画の頓挫から以後はアニメ化されることは無くなった。
しかし、『銀河鉄道999』が残したアニメ界における貢献は絶大であり「オタキング」岡田斗司夫によれば、それまでどちらかと言えば日陰的な扱いであったアニメ映画を、その圧倒的な商業的成功によって実写映画と同じ位置まで引き上げたのは『銀河鉄道999』の劇場版であったという。
それはアニメ界の二大巨星『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』でもなし得なかったことであり、今日当たり前にアニメ映画が定着し、次々と興行記録を塗り替えるようになったのも、『銀河鉄道999』の存在あってこそであった。
それは映画の主題歌であるゴダイゴの『銀河鉄道999』が、今日でも吹奏楽の定番として演奏され続け、何度もリメイクされるていることでも明らかであろう。
1980年代から宇宙開発に関連する団体に積極的に加盟して役職を務め、漫画家としては自身の作品群の総括に入るなど、舞台袖でのまとめ業に取り掛かっていく。
1990年代になると、松本零士作品で育った世代のアニメーション監督が増え、再び自らの作品がアニメ化されるようになった。
2000年以降は表舞台に立つことを控え、宝塚造形芸術大学の客員教授となったり、夫婦で作品展を開くなどして穏やかな活動に終始している。
2019年、訪問先のイタリアで体調を崩して病院に搬送されたが、大事に至らず数日で退院し、日本に帰国している。
そして上記の通り2023年に逝去。最期は自身が銀河鉄道999に乗り、旅立って行ったのだった.......。
作風
宇宙へのあこがれが強いロマンチスト。
一方で「実在する兵器については、写真や設計図等を基に忠実に描く」ことをモットーとしている。
その性質は下記の作風でも随所に現れている。
頑固一徹の軍人肌の父に育てられた影響か、自身の信奉するものには強いこだわりを見せる。
……強すぎて、いろいろとそこら辺で揉め事を起こしているのは、もはやご愛敬。
戦艦大和が坊ノ岬沖で発見された際、船体が前後に断裂して転覆していたと知るや、泣いて悔しがったというエピソードは有名。
トキワ荘の貧乏時代に猿股に生えた謎のキノコ(のちにヒトヨタケと判明)をちばてつやに炒めて食べさせるといった、昭和ならではのヤンチャエピソードも持っている。
また、多くの場合で漢のロマンの追求というべき作品を上梓している。
戦記、ダメ男の日常、SFその他、多くのジャンルを手掛けている。
風呂敷を広げるのは上手いが畳むのは下手糞とも言われ、長編は尻すぼみになりがち。
ただし代表作である銀河鉄道999は一つの惑星で一つの短編を作るような作風だったのが功を奏したのか、またアニメがテレビも劇場版も見事なエンディングを迎えられたこともあって、松本の作品では非常に美しく終わる事が出来た名作。
しかし本人の思い入れも強く、続編「エターナル編」の連載が開始。映画化もされたが(ALFEEによる主題歌『Brave Love ~Galaxy Express 999』は名曲との評価も高い、ゴダイゴの『銀河鉄道999』といい、メアリー・マッグレガーの『SAYONARA』といい銀河鉄道999の劇場版は音楽に恵まれている。当然、テレビ版のささきいさおが歌うオープニングも素晴らしいんですけどね)、連載中断中に松本が逝去し残念ながら未完となった。
あと、アニメ化に恵まれた印象の松本作品にしては意外にも、漫画とアニメ同時進行のメディアミックスも尻つぼみとなることもあり、有名どころでは『宇宙戦艦ヤマト』の漫画が途中をバッサリとカットしたダイジェスト版となったり、続編の『さらば宇宙戦艦ヤマト』に至っては物語途中で未完となっている。
もっともネタ扱いされるのは『惑星ロボダンガードA』であろう。アニメにもイメージクリエーターとして関与したが、もともと松本は巨大ロボットものが好きではなく、漫画版については主人公メカであるダンガードAがなかなか登場せず、最後の1コマでようやく登場しただけであった(それもただつっ立っているだけ)。
クラシック音楽の愛好家で、特にリヒャルト・ワーグナーの作品群には強い影響を受けたと語る。この辺りについても、作品の各所に滲み出ている。
戦争マンガ
『宇宙戦艦ヤマト』や『999』で爆発的に名前が売れた結果、悪書追放を要求する過激な市民団体に目をつけられ、『戦場まんがシリーズ』(『ザ・コクピット』)を以って戦争賛美の戦争マンガ家に仕立て上げられてしまう。
実際の『戦場まんがシリーズ』は反戦的な内容が多いが、この頃の悪書追放運動家は「見たくもない醜悪な内容」ということで本当に読んでいない。
ちなみに、コメディで笑い飛ばしている話が多いのは弟子の新谷かおるの『戦場ロマン・シリーズ』。新谷かおるには航空自衛隊をテーマにした『ファントム無頼』があり、航空自衛隊出身の史村翔が原作者である。
そんなことがあってか、吹っ切れたのか、あちこちで奔放な発言をしてはツッコまれるようになった。
その一方で、愛知県の一区域にて行われた絵葉書コンテストによる平和推進活動や、東京都にて行われた自殺防止活動などにも携わったようで、一部の新聞にてその活動内容に関する文章が掲載されたこともある。
関連タグ
作品
電光オズマ セクサロイド(松本零士) 宇宙戦艦ヤマト 銀河鉄道999 宇宙海賊キャプテンハーロック 男おいどん クイーン・エメラルダス 超時空戦艦まほろば ザ・コクピット 惑星ロボダンガードA