太平記(大河ドラマ)
たいがどらまのたいへいき
概要
1991年1月6日から12月8日まで、全49回に亘ってNHKで放映された大河ドラマの29作目。吉川英治の『私本太平記』を原作とし、池端俊策らが脚本を担当。鎌倉幕府の衰退との滅亡、そして南北朝の戦乱に至るまでを生き抜いた、室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏の生涯を中心として、動乱の新時代を描く。
今のところ南北朝の動乱を題材にした唯一の大河ドラマで、平均視聴率も26%と難解な時代を扱った割には高かった。他方で、全体の折り返しに差し掛かる20話台に入って鎌倉幕府滅亡、3クール目終盤にてようやく室町幕府成立といった具合に、原作の長大さに比してストーリーの進行は遅めであり、最終回も尊氏の逝去で一区切りを付ける形で、その後の物語については割愛されている他、北条時行や楠木正儀、細川頼之のように登場人物も一部未登場の者も存在する。
本作では各回の終了後に、「太平記のふるさと」と題したミニコーナーも放送されている。「その回の舞台や登場人物にちなんだ名所旧跡を紹介する」というコンセプトの、所謂「紀行コーナー」は本作終了後も一部の作品を除いて、2023年現在に至るまで引き継がれており、本コーナーはその走りとも言える。
あらすじ
時は鎌倉時代の末期、諸国に悪党が出没し、鎌倉幕府を支配する北条得宗家は庶民の暮らしを顧みずに奢侈に溺れ、世情は大いに乱れていた。源氏の流れをくむ有力御家人の足利氏は、先代の足利家時の代に北条氏によって謀反を疑われ、家時は自殺に追い込まれる。足利家には家時の遺した置文が秘蔵されていた。すなわち、「我が死にあたって子孫に託す。遠祖・源義家公は七代後に生まれ変わって天下を取る、と言い残した。されど七代後の当主たる我には徳がなく夢も破れ、僅かに家名を保つためここに一命を捨てる。我が子孫よ、我に代わって天下を取り、遠祖の遺志を成し遂げよ」。物語の冒頭では、北条氏に追われた落ち武者とその妻や幼子たちが足利家の館に逃げ込んでくる。追手は足利家が落ち武者を匿うことを許さず、女子供に至るまで皆殺しにする。阿鼻叫喚の中で当主・足利貞氏は一人の少年を救いだし、北条氏の追及に抗して育てた。
少年は一色右馬介という名を与えられ、幼い足利氏御曹司、足利尊氏の守役となった。尊氏は勇敢な少年であったが、身分を問わずに他人に優しさを示す不思議な少年であった。尊氏は冒険心に任せ、弟の足利直義を連れて、当時霊験が評判であった社の奥殿に忍び込む。期待して忍び見た御神体は、しかしただのつまらぬ木切れであった。尊氏は、見かけに惑わされず本当に美しきものはこの世にないのだろうか、と思い悩む。そこに近隣の貧乏な若侍、新田義貞が現れる。義貞は「たとえ落ちぶれても、我等は源氏、北条は平氏。源氏は平氏の犬となってはならぬぞ」と言い捨てて去った。
尊氏は長じて北条得宗・鎌倉幕府・14代執権・北条高時、その重臣・長崎円喜の暴政に触れ、また京都にて後醍醐天皇と出会ってついに本当に美しきものを知ったと感じる。美しき北条氏の姫君・赤橋登子との縁談が持ち上がる一方で、猿楽一座の藤夜叉という娘と後の足利家動乱の源となる運命の出会いを果たす。野心ある御家人・佐々木道誉が動き出し、また後醍醐帝の使者は兵法に名高き河内の悪党・楠木正成 へと味方するように働きかける。新しい時代を導く激動が、世に訪れようとしていた。
ドラマ中の主要登場人物とキャスト
足利一門・北朝方
- 足利尊氏:真田広之 衰退した源氏嫡流、足利氏の若君。原作小説よりも無鉄砲さと心優しさが強調され、罪失くして殺された貧民らの死に怒って北条の家人たちと斬りあうことも。後醍醐天皇にも本心では忠臣でありたかった心情が描かれる。
- 足利直義:高嶋政伸 尊氏の弟。史実では冷徹な政治家として知られるが、ドラマでは尊氏よりも激情家として描かれ、北条氏との対決を迫る。兄が源氏の棟梁として君臨することを誰よりも願っていたが・・・
- 足利貞氏:緒形拳 尊氏の父で当時の足利氏当主。源氏の嫡流として高い官位を得ているが、実際は北条得宗家に常に謀反を疑われ屈従を強いられる。躊躇いもなく北条氏に従う呑気さに尊氏は怒りを覚えるが、やがて父の意外な真意を知ることになる。
- 赤橋登子:沢口靖子 和歌を愛する穏やかな北条氏の名門赤橋家の姫君。北条・足利両家の平穏の為に尊氏の正妻となり、次々と困難に襲われる尊氏を支えるが、やがてそれは実家北条氏の危機へと結びついていった。長子が足利義詮、後に初代鎌倉公方となる足利基氏は次男。
- 藤夜叉:宮沢りえ 猿楽花夜叉一座の白拍子。旅先にて出会った尊氏と恋に落ち、その庶子を生む。不遇な生涯を強いることになった尊氏を、それでも恨まず慕った健気な娘。この息子は足利直冬となり、後年の尊氏を苦しめる強敵となってしまった。原作小説で創作されたオリジナルキャラクター、古典太平記でいう直冬の母越前局に相当する。
- 足利義詮:片岡孝太郎 幼名は千寿王。尊氏の三男で、登子の長男にあたるため、嫡男・二代将軍となる。凡将として描かれ、叔父・直義や異母兄・直冬と仲が良くない。しかし尊氏の死期が迫るにつれ成長がみられる。
- 足利直冬:筒井道隆 幼名は不知哉丸、尊氏の次男にあたる藤夜叉の子。平和な庶民としての暮らしを両親から望まれていたが、当の本人はその思いを他所に武士への強い憧れを抱いており、特に悪党を討伐する「足利の大将」に強く憧れる。後に紆余曲折を経て叔父・直義の養子となるが・・・。
- 一色右馬介:大地康雄 吉川版原作から登場する、尊氏第一の側近。具足師柳斎と名を変えて藤夜叉母子を警護したり、忍びとなって諸国を偵察したり、ほぼ全編に渡って活躍する。作中での立ち位置や描写などから、藤夜叉やましらの石などと同様にオリジナルキャラクターと見做される事も多いが、一色右馬介という人物自体は(事績こそ殆ど定かでないものの)『難太平記』にも記述があるなど、一応実在の人物がモデルとなっている。
- 高師直:柄本明 足利氏代々の重臣。尊氏の覇権に貢献するが、やがて直義と対立し、観応の擾乱の引き金となる。またこれと並行して南朝方の策謀により、尊氏に取って代わろうとの野心も抱くようになるが、打出浜での敗戦の後に尊氏と腹を割っての語らいを経て改心するに至る。しかしその直後・・・。
- 高師泰:塩見三省 師直の兄。歴史書には弟と書かれたものもあるが、ドラマでは兄とされた。師直とともに直義と対立し、観応の擾乱を起こす。
- 佐々木道誉:陣内孝則 風流を愛する文化人にして、ばさら大名と恐れられる幕府御家人。「ばさら(婆沙羅)」とは当時の言葉で、権威を無視した派手で自由なありさまを指す。治世も乱世も婆沙羅な陰謀で生き抜く怪物。物語の最序盤より、人を食ったような物言いや振る舞いの数々で視聴者に多大なインパクトを与える一方、尊氏とも度々密接な関わりを持ち、やがて奇妙な友情関係を維持したまま、晩年に至るまで彼と室町幕府を支えていく事となる。
- 赤松円心:渡辺哲 鎌倉幕府討伐に功をあげる武将の一人。護良親王率いる反・尊氏派の一員として行動していたが、建武の新政における恩賞の少なさを親王が理解してくれなかったことに不満を抱き尊氏派に寝返る。尊氏が北畠顕家に敗れ京を追われると播磨で新田・楠木両軍を足止めし、尊氏軍が盛り返してくるまで耐え続けた。
- 細川顕氏:森次晃嗣 反・師直派として直義と行動をともにしていたが、師直の死から程なくして尊氏派に寝返った。後述の細川頼之は顕氏の甥に当たる。
- 吉良貞義:山内明 足利尊氏にも重んじられた一門の長老で、元寇の折にも出陣した経験を持つ。劇中ではそれまで無名であったのにも拘らず、20話にてわりと唐突に登場する。これは当時の足利家の仕組みに起因する。足利家の勢力は本拠地・下野国では足利荘等に限られ、鎌倉でも屋敷を構えているだけだが、守護を務める三河国には多くの一族が住み、領地を有している。貞義は劇中では出番の少ない三河国在住足利勢力のまとめ役的位置づけのようである。
- 桃井直常:高橋悦史 足利一門の武将。物語終盤より反・師直派の急先鋒として登場、前出の顕氏らが尊氏派に寝返った後も、終始直義(直冬)の陣営に属し続けた。
- 光厳上皇:辻輝猛 北朝(持明院統)の治天の君。
- 西園寺公宗:長谷川初範 持明院統側の公家。関東申次として鎌倉幕府と協調し、後醍醐天皇側と対立。ドラマでは、持明院側として戦って笠置陥落後に上京した尊氏を「アイサツが遅すぎる」と嘲笑し、尊氏の後醍醐天皇支持を決定づける。また鎌倉幕府滅亡後も、北条氏の残党らと共に後醍醐天皇の暗殺を企てるなど、一貫した反・後醍醐天皇派として描かれている。
皇室・南朝方
- 後醍醐天皇:片岡孝夫 若き日の尊氏も惚れ込む鷹揚な君主として描かれる。しかし、鎌倉幕府を倒して実権を取り戻そうとする執念は、後に尊氏との深刻な対立をもたらす。
- 護良親王:堤大二郎 後醍醐天皇の皇子で大塔宮と呼ばれ、天台座主(上級貴族や皇族が就任する比叡山延暦寺の最高指導者)も務めた。鎌倉幕府討幕直後から尊氏を敵視しており、父に宥められて征夷大将軍に就任する。しかし阿野廉子との対立や前述した尊氏への敵視が高じるあまりに、思わぬ形で破滅を迎える事となる。
- 阿野廉子:原田美枝子 後醍醐天皇の愛妾で隠岐流罪の時も同行した。しかし政敵には容赦をせず、護良親王の悲劇、足利尊氏の離反、後醍醐天皇の失脚を招いた。
- 後村上天皇:渡辺博貴 第99代天皇、後醍醐天皇の第七皇子。阿野廉子の子として生まれ、父帝の譲位により即位、対北朝強硬派として行動し、観応の擾乱に際しては一時的に京の都を奪還する。
- 新田義貞:萩原健一→根津甚八 足利氏と同じく源氏の血筋にある新田氏の若き後継者。本来は足利氏よりも源氏の嫡流に近い家柄なのだが、北条氏と対立して貧乏侍に落魄していた。尊氏に源氏の誇りを取り戻させたライバルでもあり、倒幕運動を経てわずかながらに友情めいた思いを通じ合わせるも、結果として建武政権に反旗を翻した尊氏に対し、朝廷側の総大将として相対する事となる。
- 脇屋義助:石原良純 新田義貞の実弟。兄・義貞を補佐して北朝軍と戦う。兄が金ヶ崎城で討死した後も新田軍残党を率いて北朝軍と戦い続けた。
- 楠木正成:武田鉄矢 後世に名を轟かせた名将、戦前教科書を彩った南朝の大忠臣。ドラマではそうした戦前からの人物像とは一線を画し、土着の武士として戦乱で苦しむであろう農民たちの立場を憂い、後醍醐天皇の使者にも戦に慎重な姿勢を示してなかなか動こうとしなかった。他方で一たび天皇の為に挙兵すると、約を違えず非業の戦死を遂げるまで戦況劣勢な後醍醐天皇を支え続けた。尊氏とは互いに力量を認めあっていた。
- 楠木正季:赤井英和 正成の弟。尊氏の実力を認めている兄・正成とちがい、護良親王に次ぐ反尊氏派の急先鋒であり、後醍醐帝に忠誠を尽くす兄とともに湊川の戦いで壮絶な討死を遂げた。
- 楠木正行:中村繁之 正成の長男。父が大楠公と呼ばれるのに対し、正行は小楠公と呼ばれることとなる。湊川の戦いを前に父・正成に会い、別れを告げる「桜井の別れ」はあまりにも有名。父の死後、弟・正時とともに北朝軍と戦うも、四条畷の戦いで壮烈な討死を遂げる。彼の死により北朝軍はそのまま吉野へと侵攻、南朝方はさらに奥地の賀名生へと落ち延びる事となる。
- 北畠親房:近藤正臣 後醍醐天皇に仕える南朝方の重鎮。『神皇正統記』の作者として知られる。顕家の父であり、絶え間なく続く戦に疲れた顕家をねぎらい、茶を勧める。政治的には護良親王派に属し、後々まで阿野廉子と鋭く対立するが、南朝成立後は廉子と協調して北朝自滅の知略を巡らす。
- 北畠顕家:後藤久美子 「公家最強の武将」「南朝の貴公子」と呼ばれた公家北畠家出身の名将で、ドラマでは枝から吊るされた一本の針を寸分違わず射落とし、「神仏のご加護」がついている事を自負するなど、一種の「神童」ともいうべき描写がなされている。建武新政下では父とともに義良親王を奉じて奥州へ下向、後に当地の軍勢を率いて上洛し足利軍を一時は壊滅に追い込み、その後も度々北朝方を脅かすが、最期は和泉堺浦にて高師直らの軍勢に敗北、若い命を散らした。
- 日野俊基:榎木孝明 尊氏が鎌倉にて遭遇した謎の山伏。その実態は、帝の命を受け幕府打倒の為に諸国の武士を口説いて回る、密偵系の公家。尊氏にとっては人生の師でもあり、彼が上洛した際にも後醍醐天皇や佐々木道誉との対面に一役買っているが、やがて吉田定房の密告後、幕府軍に囚われ鎌倉葛原岡で首を討たれる。
- 千種忠顕:本木雅弘 後醍醐天皇の側近公家で、挙兵から配流先の隠岐に至るまで天皇と同行を共にした。建武政権下では阿野廉子派として廉子と討幕の恩賞に自分はどの国を貰えるか期待を寄せる様子も描かれた。史実上では湊川の戦いから程なくして戦死しているが、ドラマ上ではその少し前、尊氏の関東下向の辺りを最後に登場しなくなり、その最期も道誉の台詞にて語られるのみに終わっている。
- 万里小路藤房:大和田獏 後醍醐天皇の側近公家。楠木正成の挙兵を促すため、天皇勅使として正成のもとを訪れる。古典太平記では後醍醐天皇への再三の諫言が容れられず出奔した事が描かれているが、ドラマにおいては割愛されている。
- 吉田定房:垂水悟郎 後醍醐天皇の側近公家であり乳父。正中の変では逸る天皇を諭したが、二度目の討幕計画(元弘の変)ではあまりの無謀さに六波羅探題に密告する。
- 坊門清忠:藤木孝 後醍醐天皇の側近公家で、阿野廉子派に属する。楠木正成の献策を退け死に追いやった戦犯として、皇国史観では心底忌み嫌われた一方、後醍醐天皇からは前出の吉田定房と並んで、古参の腹心として重きを置かれていた。
- 名和長年:小松方正 伯耆国の武士。阿野廉子派の武将として建武政界で暗躍する。市場利権の確保に奔走したり、商人出身らしい行動も目立つ。
北条氏一族・鎌倉幕府御家人
- 北条高時:片岡鶴太郎 北条家の得宗にして執権。つまり当時の鎌倉幕府における最高権力者。若き尊氏を苛めていた。闘犬や田楽に入れ込んで政治に興味を持たない暗君であったが、原作・ドラマともに内心では北条氏の嫡流たる武門の棟梁としての誇りを持っており、幕府滅亡の足音が迫るにつれて、その本心も次第に明らかにされていく。
- 長崎円喜:フランキー堺 前の得宗家内管領であり、実質的には高時すら逆らえない権勢を誇っていた鎌倉幕府重臣。その強権的な支配は庶民も御家人たちをも疲弊させていく。足利氏はじめ御家人たちを陥れる陰謀家だが、滅亡に瀕しても動ずることなく最後まで戦うことを宣言するなど、彼もまた敵に屈するような軟弱な武士ではなかった。
- 長崎高資:西岡徳馬 現在の内管領であり、長崎氏の横暴を体現する円喜の嫡男。曲がりなりにも幕府全体の利益を考慮していた円喜に比べて些か私欲先行な面があり、その失態を父に叱責された事もある。幕府滅亡時に重い傷を負い、潔く自刃した。
- 赤橋守時:勝野洋 後に鎌倉幕府・最後の執権も務めた北条氏一族の若手ホープ。登子の兄で、長崎円喜・高資父子の横暴をこころよく思っておらず、尊氏を北条氏の味方とすべく尽力する。しかし尊氏の謀反で疑いをかけられ、北条一門を守るためにみずから一軍を率いて出陣、決死の覚悟で反乱軍に挑んでいく。
- 金沢貞顕:児玉清 尊氏の義理の伯父で、短期ながら執権も務めた北条一族の重鎮。貞氏の代に、何度も窮地に陥った足利家の味方をした。
- 顕子:小田茜 高時の愛人もしくは妻。
- 北条仲時:段田安則→刀坂悟 鎌倉幕府最後の六波羅探題北方。六波羅陥落時に京より鎌倉に向かって逃亡するも、朝廷軍に追いつかれて囲まれ、彼らの見守るなか潔く自刃した。ドラマでは赤坂城攻防の前後、それに六波羅陥落の際に複数回登場。最後の出演回である21話のみ演者が異なる。
ドラマに登場しなかった主な重要人物
北朝・足利方
- 光明天皇 北朝第2代天皇。後醍醐天皇に廃された光厳上皇の弟宮(豊仁親王)。尊氏らが後醍醐帝に吉野に追ったのち即位する。
- 足利基氏 尊氏の四男。関東を支配すべく鎌倉に拠点を置き、初代・鎌倉公方となる。
- 細川頼之 中国管領として直義の残党である直冬軍と戦い、南朝方についた細川清氏を讃岐で滅ぼした。その後、義詮の遺命により、管領として幼い義満を補佐する。ドラマで描かれた範囲の都合上登場はしていないが、原作終盤における主要人物のひとりである。
- 今川貞世(今川了俊) 室町幕府における初代・九州探題。九州を席巻する懐良親王と菊池一族に対抗するため派遣された武人。和歌の名手としても知られる文武両道に優れた名将。
- 赤松範資 円心の長男。円心の後を継ぎ尊氏に仕えるが、円心の死後、若くして亡くなる。
- 赤松則祐 円心の三男。天台座主として比叡山延暦寺にあった護良親王に仕え、元弘の変のおりには親王の令旨を父のもとにもたらし、父・円心の挙兵を促す。建武の新政後、恩賞として任じられていた播磨守護職を取り上げられたことを契機に朝廷(後の南朝)を見限り尊氏側につく。観応の擾乱のおりにも尊氏側につき、以後も幕府の重臣として尊氏・義詮・義満の三代にわたって仕えた。
南朝・宮方
- 日野資朝 後醍醐天皇の側近公家。天皇の密命を受け、日野俊基とともに鎌倉幕府打倒を各地の武士に説いていたことが発覚、幕府に囚われ佐渡島に流される。後に天皇の二度目の討幕計画が発覚すると、流人の身のまま同地で処刑の憂き目に遭う。
- 懐良親王 後醍醐天皇の皇子。父帝の命により征西大将軍として九州へと赴き、菊池武光が率いる菊地一族の庇護のもと、大宰府を占拠し九州に南朝方の拠点を築きあげる。明との交渉において「日本国王・良懐」を名乗る。
- 結城親光 陸奥の武将で、建武政権下において厚遇を受けた「三木一草」の一人。尊氏が建武政権に反旗を翻し、入洛を果たした後降伏するも、その実尊氏の暗殺を図っての偽装投降であった。しかし企ては呆気なく露見し、足利軍の兵士たちを道連れにしながらも壮絶な最期を遂げた。ドラマでは親光の父・結城宗広がわずかながら言及・登場した事はあるものの、親光については対照的に一切触れられる事はなかった。
- 新田義顕・義興・義宗 いずれも新田義貞の子であり長男・義顕は金ヶ崎落城直前、杣山城において自刃、次男・義興、三男・義宗は父亡き後も南朝側の武将として北朝軍と戦い続けた。
- 楠木正儀 正成の三男。父や兄たちの戦没後、楠木家の棟梁として南朝に仕え、三度にわたって京都を奪還せしめる。一方で北朝方との和睦の道も模索しており、その関係で知己を得ていた細川頼之を介して一時期北朝方に投降するが、康暦の政変により頼之が失脚した後は南朝に帰参する。
- 北畠顕能 親房の三男。長兄・顕家の死後、次兄・顕信とともに北朝軍と戦い、楠木正儀とは対照的に南朝側の強硬派として存在感を示した。顕能の子孫は南北朝合一の後も伊勢にて勢力を保持し、また南朝の後裔を奉じて蜂起に及ぶなど、室町末期に至るまで国司大名として命脈を保った。
- 菊池武敏 九州における南朝方の重鎮。北畠顕家に敗れ、京より落ち延びてきた尊氏軍と多々良浜で壮絶な戦いをくり広げる。
- 菊池武光 武敏の死後、覇気に乏しい弟・武士を廃して家督を継ぐ。その後、一族をあげて征西大将軍・懐良親王を迎え北朝軍と対立する。
鎌倉・北条方
- 北条高家 高氏とともに朝廷軍鎮圧のため出陣するが、華美な鎧を身につけていたため敵の標的となり、あえなく討死するという失態を犯してしまう。高家の死後、高氏は朝廷軍に寝返ることとなり、六波羅が陥落する遠因となった。
- 北条時益 鎌倉幕府最後の六波羅探題南方。六波羅陥落時に討死する。
- 北条泰家 北条高時の実弟。高時の執権辞任後に発生した得宗家当主の後継争い(嘉暦の騒動)の当事者でもあり、新田義貞の挙兵に際してはこれを迎え撃つため出陣、一度は勝利を収めるものの結局は敗北する。以後、兄の遺児・時行を逃がし、みずからも陸奥に落ち延び再起を図るも失敗する。
- 赤橋英時 赤橋守時の実弟であり、赤橋登子の実兄。鎌倉幕府最後の鎮西探題として九州を統括していたが、討幕軍を迎え撃って討死する。
- 北条時行 北条高時の次男。鎌倉幕府滅亡後、諏訪頼重の庇護の元信濃にて潜伏を続けていたが、建武の新政の失敗に乗じ幕府残党を中心とした3万の軍勢を率いて鎌倉へと侵攻(中先代の乱)。天皇の許可を得ずに京より出陣してきた尊氏に敗れるも、以降も南朝方に与し尊氏軍に度々抗する事となる。