概要
『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘のゴールドシップの自由人・破天荒ぶりはトレーナーたちにはもちろん、ウマ娘にあまり触れたことのない人々にも広く知れ渡っている。
ウマ娘のゴルシが何をやらかしても、実馬のゴールドシップ号そのものが想像をはるかにブッ飛んだ癖馬なせいか、「まあゴルシだし」の一言で済んでしまう辺りはさすがと言う他ない。
ところが、実馬のゴルシは
「幼いころは非常におっとりしてておとなしかった」
という話が「意外な事実」として広がっていた(しかし正確には…(後述))
アニメやゲーム本編でも一見ふざけていながら、よく見ると気遣いや面倒見がよく人格面に優れているという描写があり、根本的な部分は常識人として見ているトレーナーは多い。
また、連続してレースに参加させたり、調子が崩れると突然お嬢様口調になったりすることや、実馬の母の母系を遡ると皇室ゆかりの下総御料牧場の基礎輸入牝馬の一頭にたどり着くことから、かなりの名家出身という疑惑もあり、それらを反映してゴールドシップを子供化した時には今とはうって変わって寡黙なお嬢様として描かれることもある。そうなると、いったい今に至るまでに彼女に何があったのだろうか…
後述の理由からスペシャルウィークやトウカイテイオーのような中央へ縦に白く入った前髪の栗毛っぽい髪色に描かれるパターンもある。
2022年7月に実装された水着ゴルシでは「幼いころは茶髪だった」というセリフを本人から聞けるが、「頭から白玉粉を被ったせいで以降真っ白になった」と信憑性の低い話を入れてくるため真相はやっぱり不明。
幼いゴルシがよく描かれるのは、実装されているウマ娘の中でもかなり新しい世代(2009年生まれ)
であり、全ウマ娘の中で唯一トレセン学園中等部・高等部のどちらに在籍しているかが不明な事が理由として考えられる。同世代のウマ娘がほとんど実装されていないことや、メジロマックイーンと史実の祖父・孫の関係が仄めかされていながらゴルシの方が年上扱いになっているのも要因の一つだろう。
何でもありなキャラクターのせいで実は未来からやって来たなんていわれる事も…
結論として、ゴルシの幼少期が本当におとなしかったかは不明だが、ギャップやロマン的には魅力のある二次設定だと言える。
もちろん子供のころからやんちゃな幼ゴルシも描かれており、解釈は作者によってバラバラである。
ちなみにゴールドシップ産駒はステイゴールドの気性の荒さが見られないおっとりした子が多いという(勿論気性難の馬もおり、あくまで傾向)。
なお、公式でイラストがない以上幼少期の服はすべて作者の二次創作にゆだねられている形だが、ゴルシの通常勝負服とほぼ同じ配色のドレス風という大まかなモチーフは共有されている。
実際のゴルシの幼少期や血統について
気性について
「幼いころはおとなしかった」という話が広まっていたが、生産者の出口牧場代表へのインタビューによれば、「性格はおとなしかったですね。ほんの少し我の強いところはありましたが、特に手を焼くことはありませんでした。」、「気性は父の特徴を受け継いで、許容範囲のやんちゃさでしたね。体つきは立派で、良い意味で目立つ馬でした。」、「今思うと多少やんちゃだったかな。私もよく引っ張られたなあ」とのことであった。
また、出口牧場で同じ放牧地にいた幼馴染ポアゾンブラックはゴールドシップに追いかけまわされていたという(それで逃げ脚が鍛えられたのか彼が後に地方重賞馬となり、マイルCS南部杯で2着になるなど、輝かしい成績を残し種牡馬入りし、繁殖牝馬が10頭前後しかいない小牧場から同世代2頭も種牡馬を出したことが騒がれたのはまた別の話)。
つまり、正確には、幼い頃は現役時代よりはおとなしかったが、別に静かというわけではなく、許容範囲でやんちゃであった。
また、父ステイゴールドは小さいときは大人しかったという証言がある。(訓練中に凶暴化したらしい)
その他にドリームジャーニーは幼少時、知らない人間が近付くと威嚇することはあったものの、当歳馬としてはやはり許容範囲でやんちゃであったという。
栗毛だったゴルシ
余談だが、実馬のゴールドシップは母父メジロマックイーン由来の芦毛で知られるが、当歳時(生まれたばかりの頃)は父の母ゴールデンサッシュ(ステイゴールドの母で、サッカーボーイの全妹)そっくりの顔に大流星のある栗毛馬だった。
今でも流星のあった部分を間近でよく見ると生来白い流星とそれ以外の周りとで白の色味が違うのが分かる。
(なお、幼い頃から変わらないピンクの鼻も祖母譲りである)
そもそも、芦毛という毛色は生まれたばかりのころは栗毛や鹿毛、青毛などで生まれ、成長するにしたがって白い毛が増え白味を増していく毛色である。(メイクデビュー時と種牡馬入り後などを比べると分かりやすい)
ちなみに芦毛はまつ毛が白いためそこで見分けるのだとか
ゴルシ産駒もこの血を受け継いで栗毛だったり、芦毛でも白くなりだす前の原毛が栗毛の傾向にある。
マックイーンも当歳馬は栗毛だったが母親のメジロオーロラと同じく流星がない。
なお、水着ゴルシは「小っせぇころは茶髪だったんだけど白玉粉を頭からかぶってからこうなっちまったんだよなー」とメタ発言しているが、こちらの史実が元ネタと推測される(白玉粉は実馬の渾名「いちご大福」「豆大福」の材料)。
芦毛馬は白くなる段階に個体差があり、生まれてすぐに白くなるものもいれば、競走馬引退後になってようやく全身が白くなるものもいる(後者の例としてはビワハヤヒデ、セイウンスカイ、カレンチャンなど)。しかし、『ウマ娘』ではメイクデビュー前から銀髪に統一されており、ビワハヤヒデやセイウンスカイはゲーム中にそれぞれ幼少期のスチール画が用意されているが、両者とも髪色はその時から既に白かったことになっている(一方、同じく芦毛であるオグリキャップがゲーム中で幼少期のスチール画が描かれた際は「濃い灰色の髪の毛に、頭頂部は鹿毛」という現在とは違う色で描かれていた)。
ウマ娘での芦毛が幼少期から髪色が変化するかは公式設定が不明なので参考程度に。
ゴルシの家族
ゲーム中でゴルシの家族に関する情報は国家レベルの秘密とされている。一応どこまで本当かわからない本人の発言から「ネジ工場」「漁師」「伊勢海老」という断片的な情報が判明しているが、マヤノトップガンの父親が名前繋がりでパイロットだった事から想像を膨らますとゴールドシップ=船で造船業や鉄鋼業、海運業をぼかしているという可能性も考えられる(ネジ工場はゴルシの馬主がベアリング工場の会長のために持ってきたという説あり)。また、馬主は釣り好きであり、ゴールドシップ誕生についても「大物釣り」と例えており(詳細は後述)、「漁師」はそれを踏まえた発言の可能性もある。
皇室の血統?
ちなみにゴールドシップは牝系、つまり母の母のそのまた、と辿った血統に宮内庁下総御料牧場の六大牝馬の一頭、星旗を有する。こちらはメジロ牧場以上に歴史のある日本で90年以上続く星の一族の血統で、ゴルシはその星旗から8代下の子孫である。ゴルシの先祖で星旗の子であるクレオパトラトマスは天皇賞(春)の前身である「帝室御賞典」を勝利しており、星旗とメジロ牧場の子孫であるゴルシは天皇賞に縁の深い血統と言え、家族構成を国家レベルの秘密と称するのも頷ける…かもしれない。
下総御料牧場の牝馬からの牝系を持っていてウマ娘化している馬は他にもトウカイテイオー(星友)、イナリワン(種正)、バンブーメモリー(種正)がいる。
中でも、トウカイテイオーはアプリ版ではじいやのいる旧家出身のお嬢様となっていることから、ゴルシもそれ相応の出自ではないかと見られている。
競走馬ゴールドシップ誕生に至る経緯
時は1950年代、ゴールドシップのオーナー・小林英一氏(ベアリング製造メーカー創業者)が馬主になる前の若い頃の話。彼はある騎手のファンになった。
その騎手とは当時「ミスター競馬」と謳われた名手にして、引退後は調教師としてシンボリルドルフ等を管理した野平祐二である。彼は騎手として「競馬関係者はジェントルマンでなくてはならない。ジェントルマンはフェアでなければならない」「プロの騎手はただ勝てばいいのではない。プロらしい技術を見せてファンを魅了しなければならない」というフェアプレー精神とファンサービス精神を持ち合わせた人物であった。小林オーナーは「野平の祐ちゃんの騎乗に、これから競馬は変わるんじゃないか、と可能性を感じたわけですよ。競馬から離れられなくなったのは、あの人のせいじゃないかと思うんですよね」と振り返る。
そして1960年代、小林オーナーは忘れ得ぬ1頭の馬に出会う。野平騎手のお手馬だったスイートフラッグである。下総御料牧場出身で星旗の牝系を持つ彼女は、シンボリ牧場オーナー・和田共宏氏が所有する重賞勝ち馬であった。小林オーナーは「姿形が凄く格好良くて、馬主になれたら、この馬の血統を買うと決めていました」と振り返っている。
その後、小型精密ベアリングの製造事業を成功させ、1988年に晴れて馬主資格を得た小林オーナーは知人の石栗龍雄調教師にスイートフラッグと同じ牝系の馬を探すように依頼したところ、調教師はスイートフラッグの妹アイアンルビーの孫を探し出した。この孫こそ、ゴールドシップの祖母パストラリズムであり、オーナーは彼女を人生初の所有馬とした。
パストラリズムは当時石栗調教師の門下生で、後に孫にも騎乗することになる横山典弘騎手を主戦騎手として迎え、現役時代は2勝を挙げた。繁殖入り後はタマモクロスなど様々な種牡馬を試す中、5番仔としてメジロマックイーンとの間にポイントフラッグが産まれる。ポイントフラッグは後に息子の調教師となる須貝尚介騎手を背に現役時代を駆け抜け、2003年に繁殖入り。初の配合相手にはフジキセキが選ばれ、その間に産まれたハニーフラッグにも須貝騎手は騎乗した。須貝騎手は騎手としてGⅠ勝利を果たすことなく引退し(重賞はGⅢを4勝)、調教師への道を歩むことになる。そのため、ハニーフラッグは須貝騎手に最後の勝利をもたらした馬となった。
そして、2007年、産駒の小型化による脚部不安の防止を目的としてステイゴールドが配合相手に選ばれる。1回目は流産に終わるが、2008年に再び配合し、ポイントフラッグはステイゴールドとの子供を身篭った。2009年3月1日、須貝尚介氏は晴れて調教師として須貝厩舎を開業するが、その5日後に誕生したのがゴールドシップであった。
いつか花開くことを信じ、辛抱強くゴールドシップのような名馬の誕生を待ち続けたオーナーであるが、釣り好きなオーナーはそれを「糸を垂らしている時間が少し長いだけ」の「大物釣り」と例えている。
こうした経緯からオーナーは最も印象深いレースとして、長年の夢が叶った初G1制覇である皐月賞を挙げている。
関連イラスト
白髪の幼ゴルシ
栗毛に白メッシュのある幼ゴルシ
関連タグ
ウマ娘プリティーダービー ゴールドシップ(ウマ娘) ゴールドシップ
ウチは今から赤ちゃんにされる:別の方向でよく幼児化されるウマ娘のネタ。こちらは公式でそういう姿が存在する。ちなみにこの姿になったのは当のゴールドシップの仕業である。
ポイントフラッグの2009:ゴールドシップ(競走馬)の幼名(一般に競走馬は「母の名+誕生年」で呼ばれ、セリ等で馬主が決まってから命名される)
外部リンク
…だが、2023年11月12日、公式から衝撃が走る。
少し前にアナウンスのあった週刊コロコロコミックでの新連載漫画のタイトルが発表された。
それと同時に内容も明かされたのだが…
まさかの幼児化であった。
もはや公式が最大手である…