概要
20世紀初頭、アメリカ合衆国の医師「ダンカン・マクドゥーガル(Duncan MacDougall、1866年-1920年)」が魂の重量を計測しようと試みた実験結果から、世間へ【魂の重さは21g】と主張した。
後に杜撰な測定法などから「21g説」は否定されるも、古今東西が心惹かれる〝魂の証明〟へ迫る題目もあってか、マクドゥーガル医師の証明【魂の重さは21g】は俗説として波及する。そして後世の制作や創作(フィクション)にも、これへ関連した事柄が様々な形象で尊重(リスペクト)されている。
魂の重み
1901年、ダンカン・マクドゥーガル医師は人間へ在るとされる〝魂〟へ対し、その重量を計測する実験を行った。
医師の試み
マクドゥーガル医師は6人の患者と15匹の犬を使い、死ぬ時の体重変化を記録した。つまり死亡前後および死の瞬間における重量を観測し、汗の蒸発などとは異なる〝何らかの重量が増減した数値〟を〝魂の重さ〟と仮設した。
結果は、人間に【4分の3オンス(およそ21.262グラム)】の重量損失がみられ、犬達にはそういった変化がみられない観点から、彼は【魂の重さは21g】と結論付けた。
「21g説」の否定
上記の実験概要からお気づきの方もいると思うが、マクドゥーガル医師が実践した手法は杜撰な点が多数ある。
先ず用意した被験体の数が科学的な実証を得るに少なすぎる。しかも人間の患者に観られた重量損失【4分の3オンス(およそ21.262グラム)】とは、1人に起きた数値であり平均結果ではないという内容。うち2名は計測に失敗したと報告される他、死の瞬間を定める転換点は何処かなど、測定の基準・手順(プロセス)に不手際があった。
そもそもマクドゥーガル医師が発表した論点だと、人には〝魂〟があって犬には〝魂〟がないという倫理的問題点が素人でも浮かぶ。
更にヒト科とイヌ科では発汗の仕組みが異なり、イヌ科は汗腺がごく僅かでほぼ汗をかかず、死後の体重減少も無いのは当然な予測。
また他で再現性に問題があるといった諸々から科学的な信憑性は認められていない。
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世間では一人の男性医師が主張した数値【魂の重さは21g】に、様々な想念を巡らせた。
感銘の試み
先ず注目したいのは、ダンカン・マクドゥーガル医師の論説【魂の重さは21g】ではなく、彼が試みた〝魂の手掛かりを発見したい意思〟について。
マクドゥーガル個人の思想はあまり関わらず、1人の人間として誰しもが-本稿を閲覧する貴方にだって-無意識的にあるだろう探求心、そして「知性」ある者ならふと気になる〝生命≒自身の根源(魂)〟は何なのか確かめてみたい普遍性。
マクドゥーガル医師の不観測【魂の重さは21g】は、私達の視野を広げる契機となった。
ほんとうに〝生命≒自身の根源(魂)〟は重さがあるのか、それをどう証明するのか、そもそも〝魂〟って何なのか…。
彼の追求は、既にある事へ新しい視点を授けてくれた。これは優劣の話ではなく、間違えて失敗したのではなく、指向として〝魂を思考する題材〟を開拓した予想だにしなかった発見へ繋がった。また【21g】という身近なもので体感できる事柄、妙に具体性のある数へ何故か引かれるものがある。
そして【魂≒21g】と仮定する事で、気付かなかった視野へ取っ掛かる機会にもなる。
考えるまでは知らなかった神秘の世界だったり、当たり前だと感じていた万物をより深くみる気づきになったり、転じて【魂≒命の重さ】とは何なのかと......。
専門分野の話に限らず、なんか掴んで離さないような、不思議と魅力的(オカルトチック)で夢幻(ロマン)のある話題。誰しもに関わる事物【魂≒命の重み】ゆえか、俗説として【魂の重さは21g】は定着する傾向と相成った。
東西南北の古往今来で、神話や伝承などに【人と魂の結び付き】は多彩な考え方があり、これらと【魂の重さは21g】は容易に連想できる題材もあってか―
【魂の重さは21g】として確実性を与え、
【魂の重さは21g】として更なる追及を、
【魂の重さは21g】という始まりから思いを馳せる…
など、作品投稿サイト「pixiv」だけでも様々な表現がされてるように、今日までの制作物や創作物へ様々な形象で推重(リスペクト)もされている。
これら【魂の重さは21g】の慎重(チャレンジ)について、雑学として話題にするか、この機会に〝魂≒命とは〟を再発見(エウレカ)へ繋げるか、本稿を閲覧する貴方しだいである。
関連作品例
作品の主題
原題『21 Grams』は、2003年製作のアメリカ映画。3人の男女を主軸に描く人間ドラマ。人がいつか失う重さとは、いったい何の重さなのかを問う物語で、題目にある『21グラム』は「魂の重さ21g」へ由来する。
また劇中の時間軸が細かく交差する特殊な構成がされた作品でもある。
人と魂を題材としたスチームパンク作品。
作中では「魂に21グラムの質量があると確認されている」という世界観で、死後でも魂は存在するのかなどを主要人物たちが追求していく群像劇。
作品の小話・一幕など
※作品名の五十音で羅列
突然に世界の理を否定する超能力者にされた人達が、世界の真実へ立ち向かうSF少年漫画。
超能力者にされた青年少女が、仲間たちへ助力するため密航を企てている場面。青年に備わる超能力を拡大解釈するため、重量を「0g(ゼロ)」にしてと無茶振りする少女。それは「一度死人になれと?」に続き「死んで魂だけになったら21グラム」と不平をつく青年(なお彼女は「死人になれ」ではなく「視認させない」という意図があったと、彼の返答を否定した)。
地球人が突然に謎の物体【GANTZ(ガンツ)】に召喚され、地球外の存在と闘うSF作品。
ある超常存在との対話にて、GANTZに選ばれた青年が「人間の魂は存在しないのか」という問いに、超常存在は『人間が死ぬとき約21グラムの情報が分離し、異次元に移動するその情報のことか…?』と返答している。
地球生命体とは一線を画す謎の巨大知的生命体と対峙するSFロボット作品。
第4作目にて、味方勢力へ所属するある少女(ネタバレ注意)は、将来の戦況を見据えて自己犠牲の選択に動く。外見はほぼ変わらず徐々に体が消滅していく症状と向き合いながらも、仲間たちのために尽力する少女。そして次の発症が起きれば「完全消滅≒死」を迎えるという段階で計測された彼女の体重は【000.021kg(=21g)】だった…。
最後に残された「少女≒魂」の重さはあまりにも軽く、そして思い想いの重いが詰まっていて………。
酔狂な妖怪漫画の顔とも言える存在「九十九神(妖怪)」の解説にて、作中では人間など生き物は大まかに『体』と『魂』で構成されており、死を迎えると『魂』はその質量で地中深くの龍脈(りゅうみゃく:大地にある魂の海流)へ落ちていく。
(九十九の満月本編後の付物語りにて)その簡略図には、魂へ21gの重量が記載されている。
某海洋冒険浪漫の少年漫画にて、作中の天才科学者・Dr.ベガパンクが過去に実験の協力者へ語った参考話。
〝西の海〟のある学者が残した言葉『人は死後21gの質量を失う』、『つまりそれが人の〝魂の重さ〟』を顧み、実に面白いと評価するベガパンク。これは即ち〝魂〟は存在すると強く主張するのだった。
因みに
Q 21gって身近な物で例えると何か?
小銭やコピー用紙などで測れる重量であるし、別の物では〝オカシな重さ〟で体感できるだろう。
関連サイト(外部リンク)
- ダンカン・マクドゥーガル - Wikipedia
- ダンカン・マクドゥーガルとは - ニコニコ大百科
- 人が死ぬと体から消失するという「21グラム」は本当に魂の重さなのか - Discovery Japan
- 魂の重さ - ひろ内科循環器科クリニック
- 魂の重さは21グラム - NPS成田予備校 学習塾
- 21グラムとは - ニコニコ大百科