ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

Fukushima50

ふくしまをにほんをささえたおとなたち

東日本大震災・福島原発事故をもとにした作品。
目次 [非表示]

2011.3.11 PM2:46

三陸沖を震源としたマグニチュード9の超巨大地震が発生。

災害 日本THE GREAT EAST JAPAN EARTHQUAKEはまゆり災後2年

この地震で広範囲に大津波も発生し、日本は巨大な自然の猛威に襲われた。

後に「戦後最悪の震災」「日本の地震観測史上最大規模」「平成最大の地震」とも言われ人々の記憶・人類史に残る大災害となった。


そして福島第一原子力発電所(通称:イチエフ)でも、後に未曾有の被害に増長する事故が発生していた。


これは福島の日本の危機を回避した大人たちの実話である


概要編集

2011年3月11日に発生した東日本大震災により福島第一原子力発電所(通称:イチエフ)でSBO(全交流電源喪失)が発生。このままでは原子炉内の核燃料炉心溶融メルトダウン)が進み、未曾有の大事故に発展する事態に、復旧の妨げとなる様々な障害に阻まれながら運転員(プラントエンジニア)たちは立ち向かった。

福島五十人 The Fukushima 50

最後の「命の瀬戸際」まで悪戦苦闘し、福島の日本の危機を回避した大人たち約50人を海外メディアは『Fukushima 50(フクシマ・フィフティ)』と呼んだ。


書籍化編集

『Fukushima 50(フクシマ・フィフティ)』の奮闘も含め、当時の膨大な資料・インタビューからノンフィクション作家・門田隆将により「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」の題名で書籍化。

2012年11月にPHP研究所より書籍が、2016年10月にKADOKAWAより文庫が出版されている。また門田隆将により子ども向けに再編集された「原発事故に立ち向かった吉田昌郎と福島フィフティ」(2015年02月_PHP研究所)も出版されている。



福島第一原発(通称:イチエフ)で起きた事故。考えられうる最悪の事態となった現場、福島第一原発所長として最前線で指揮を執った吉田昌郎(よしだ まさお)の英断、部下を正(まさ)しく死地に向かわせなければならない当直長・伊崎利夫(いざき としお)の苦闘


極限状態で何があったのか、未曾有の危機を回避した者たちは何を思ったのかが綴られている。


映画化編集

書籍「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を原作に、映像作品として脚色し制作された日本映画。タイトルは『Fukushima 50』として、2020年3月6日に公開された。

2021年3月12日には、日本テレビ系列・金曜ロードSHOW!で全ノーカット地上波初放送された。



2011年3月11日の大地震から福島第一原発(通称:イチエフ)の事故収束を描く。ただし、東京電力を美化したり、総理大臣は悪役とされたりと、事実とは異なるので注意が必要。


渡辺謙 FUKUSHIMA50

最前線で指揮を執りながら(作中では東都電力の名称で)東京電力本店や官邸と衝突する吉田昌郎(よしだ まさお_演・渡辺謙)の闘い、


佐藤浩市 FUKUSHIMA50

現場の緊迫した状況で奮闘する当直長の伊崎利夫(いざき としお_演・佐藤浩市)を中心に、あの時いったい何があったのか…。


出演編集

佐藤浩市 渡辺謙 吉岡秀隆 緒形直人 火野正平 平田満 萩原聖人 吉岡里帆 斎藤工 富田靖子 佐野史郎 安田成美


メインキャストの他に120人ものエキストラ自衛隊アメリカ軍の協力も加わり撮影された。


映画スタッフ編集

監督 - 若松節朗

脚本 - 前川洋一

企画 - 水上繁雄

企画プロデュース - 椿宜和

プロデューサー - 二宮直彦

音楽 - 岩代太郎

演奏 - 五嶋龍長谷川陽子東京フィルハーモニー交響楽団

配給 - 松竹KADOKAWA


受賞編集

第44回日本アカデミー賞編集

最優秀監督賞(若松節朗)

最優秀助演男優賞(渡辺謙)

最優秀撮影賞(江原祥二)

最優秀照明賞(杉本崇)

最優秀美術賞(瀨下幸治)

最優秀録音賞(柴崎憲治 / 鶴巻仁)

優秀作品賞

優秀主演男優賞(佐藤浩市)

優秀助演女優賞(安田成美)

優秀脚本賞(前川洋一)

優秀音楽賞(岩代太郎)

優秀編集賞(鄺志良)


第63回ブルーリボン賞編集

作品賞


関連用語編集

原子力発電所

大まかに説明すると、原子炉圧力容器にウラン核燃料を収め、核分裂する時に発生する熱で水を沸かし蒸気を作り、その蒸気の力で発電を行う発電所。

福島第一原子力発電所(通称:イチエフ)もこの沸騰水型の設備があり、今回の緊急事態では「原子炉を冷やす」ことが最重要課題であった。電源喪失の状況から消防車による人力で連日昼夜続けて注水し、これが復旧作業で要の一つとなった。



DG(ディジー)建屋

電源が失われたときに電気を生み出す、巨大な非常用ディーゼル発電機のある建屋。2011年3月11日に発生した黒い大津波は、海抜10メートルの所にあるこのDG(ディジー)建屋含む施設を襲い、ディジートリップ(電源喪失)する事になった。



SBO

Station_Black_Out(ステーション・ブラック・アウト)の略で、全交流電源喪失のこと。上述のディジートリップ(電源喪失)により、福島第一原子力発電所(通称:イチエフ)は電気系統が消失し、窓のない制御室では当直長・伊崎利夫(いざき としお)含む運転員(プラントエンジニア)たちは、暗闇のなかで昼夜問わず懐中電灯を照らしながら復旧作業を行った。

重要な計器類の電源は、取り出した車のバッテリーから確保し、放射線量が上がり続ける危険な現場で、まさに「命(デッドライン)のメーター表示」と最後の瀬戸際まで向き合う事になる。



メルトダウン

大まかに説明すると、核分裂で加熱を続ける核燃料が溶けだし、これを収納している圧力容器から格納容器までも溶かしながら、その重さで下に落ちていくこと。炉心溶融(ろしんようゆう)とも呼び、コントロールが困難な状態でもある。



ベント

原子炉内の圧力があまりに大きくなると圧力容器が破裂し、これを包んでいる格納容器が爆発してしまう。それを防ぐため中の圧力を外に逃がす必要がある。逃がすために弁を開ける作業は、和訳で「排気」の意味もある「ベント」と呼ばれる。

2011年3月11日の福島第一原発事故復旧には、この「ベント」が作業の要の一つとなった。当時は世界初の試みであり、しかも電源が喪失し放射線が上がる暗闇の現場で、懐中電灯を灯しながら人力で行う決死隊を組んでの挑戦(チャレンジ)にもなった。

人手で弁を開ける他、外からコンプレッサー(空気圧縮機)を用いて空気を送り込んで空気弁を押し開ける作戦も実施された。



タイベック

がんばれFukushima50!

放射線を帯びた粉塵の付着を防ぐ服の着用法。別名「放射線防護服」ともいわれ、↑参考画のように全身を包み込んだ服に専用マスクを付けた姿になる。

これは「内部被曝(放射性物質を含むチリなどが体内に侵入して被曝)」を防げる性能を発揮するが、一方で「外部被曝(放射性物質から出た放射線を浴びて被曝)」を防護する機能は無い。そのため強い放射線が在る環境下でタイベックを着て作業する場合、放射線量の計測機器を携帯し、規定被曝量へ達する前に作業を終了する必要がある。

当時の震災事故では、徐々に放射線量が上がり続ける状況下のためタイベックを着用し復旧作業へ尽力した。供給電力が消失した窓のない真っ暗闇の制御室では、その時の様子が撮られた写真が残っている。現在では記録資料となるが、この時の現場では遺影を遺す心境で撮られた画でもあった。



水素爆発

まだ先がみえぬ福島メルトダウンを起こす核燃料と接する金属と水が高温になり、その反応で水素が発生する。2011年3月11日の福島原発事故では、核燃料を包む格納容器から漏れ出た水素が原子炉建屋の上部に貯まり、第一と第三の建屋が爆発した。



東海村の臨界事故

運転員(プラントエンジニア)たちが放射能の事故で引き合いに出した事例の一つ。

1999年9月30日、東海村の核燃料加工会社:ジェー・シー・オー(JCO)の施設内で、バケツを使ってウラン溶液を流し込むという杜撰(ずさん)な作業により、臨界(りんかい:核分裂反応が継続する状態)が発生し、作業員2名が死亡。日本の原子力産業において、初めて被曝(ひばく)による死亡者を出した。



チェルノブイリ原子力発電所事故

運転員(プラントエンジニア)たちが放射能の事故で引き合いに出した事例の一つ。

Chernobyl Disaster !1986年4月26日、旧ソ連キエフ市(現在はウクライナ領)の北方約100キロメートルに位置するチェルノブイリの原子力発電所4号炉で起こった、20世紀最悪の原発事故。炉心溶融事故などが起こり、多数の死傷者が出て、ヨーロッパ各国など広い範囲に放射能汚染をもたらした。死亡者:4,000人(2005年IAEA発表による)、移住者:11万6千人、半径30キロ圏内避難の被害をもたらし、福島原発の事故が最悪の事態になっていた場合、被害規模はチェルノブイリ事故の10倍となり、東日本に人が住めなくなっていたともいわれた(推計では避難対象:(福島原発の)半径250キロ、人口およそ5000万)。




Fukushima 50(フクシマ・フィフティ)

2011年3月11日の東日本大地震にともなう東京電力福島第一原発事故により、放射能物質が飛散。極めて危険な状況のなか、最後まで現場に残り、事故へ立ち向かった運転員(プラントエンジニア)たち約50人に対して、海外メディアがつけた名前(実際の数は、69人だった)。

事故の復旧作業において最重要課題「原子炉を冷やす」では、根比べの様相を呈した。暴走しようとする原子炉をぎりぎりのところで止めても、それが数時間後には再び悪化するという状態が繰り返されたという。


運転員たちを中心に、自衛隊など多くの人たちが復旧に力を尽くした。その為、最後まで復旧作業に立ち向かった人は、約50人よりも多い。

その結果は、この本文をあなたが読めている日常から分かる通り、東日本壊滅危機を回避し、その後の「復興」へ繋げることができた。


関連動画編集

※映像の中には津波が起きる場面があります。


当時の記録編集

🎥「死ぬと思ったこと数度」吉田福島第一原発所長1/3(11/11/14) - YouTube


🎥「死ぬと思ったこと数度」吉田福島第一原発所長2/3(11/11/14) - YouTube


🎥「死ぬと思ったこと数度」吉田福島第一原発所長3/3(11/11/14) - YouTube


🎥Video analysis prompts new theory on Fukushima explosion - YouTube


🎥【福島第一原発事故】3号機 “黒い煙”の正体は? 超解像処理で分析(2021年1月27日放送「news every.」より) - YouTube


映画関連編集

🎥映画『Fukushima 50』予告篇 - YouTube


🎥『Fukushima 50』特別映像 - YouTube


🎥『Fukushima 50』 メイキング映像 - YouTube


🎥映画『Fukushima 50』特別映像① - YouTube


🎥映画『Fukushima 50』特別映像② - YouTube


🎥映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ) 本編冒頭ノーカット7分映像 - YouTube


🎥映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)特別番組 - YouTube

映画『Fukushima 50』の特集番組で、視聴前後の補足になりうる内容となっている(再生時間 23分45秒)。


関連サイト(外部リンク)編集



余談編集

最後まで最前線で指揮を執った吉田昌郎(よしだ まさお)が、時折「たのむで」など関西弁を話すのは、彼が大阪出身のため。それもあってか、最後の瀬戸際で「何か……食べるか?」と一番に緊迫した空気を切り替えるとともに仲間を気遣う朗らかさ。本質を見失わず終始、本店や官邸の意見に抗議しながら時間を無駄にしない最善策を講じる機転・統率力は、本人の気質や大阪人特有の強かさも合わさり、東日本壊滅危機を回避する一助になったかもしれない。


関連項目編集

Fukushima 実話

震災 大災害 復旧 吉田昌郎 伊崎利夫

福島第一原発 / 福島第一原子力発電所


映画 邦画 2020年

自衛隊 アメリカ軍


3.11 東北地方太平洋沖地震 東日本大地震 災害派遣



トモダチ作戦:2020年公開映画の終盤で登場するアメリカ軍による日本への救援作戦



類似事項

ロラン・セアック某機動戦記シリーズに登場する主人公の少年。彼は戦争の渦中で、地球の歴史から廃れてしまった「核の脅威」を知る者として孤軍奮闘した人物でもある。言葉通り「核の脅威」をに収めながら、最良の選択をしようとつとめた人間の鑑


GODZILLA某怪獣映画海外リメイク作品。作中では「(表向きは)核の事故」により、日本に立入禁止区域が設置され、荒廃した国内が描写される場面がある。それは今回の福島原発の運転員(プラントエンジニア)たちが危惧した未来の姿かもしれない。また俳優人の中には、映画『Fukushima 50』にも出演した渡辺謙が「真の脅威」に関わる重要人物役として登場している。


インポッシブル (映画)2004年に起きたスマトラ島沖地震の津波を事実に基づき制作された映画(2012年公開)。実際に被災したスペイン人一家を中心に、津波の発生前後の生々しい現実(リアル)が描写され、息を吞むほどに震災の影響が実感できる内容となっている。全年齢対象だが、壮絶な内容(ドラマ)である故、人により精神的な負担が考えられますので、視聴は予告編を見て検討するなどを推奨します。































































2020年3月公開の映画『Fukushima 50』では、原作「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」のエピローグと異なる制作がされている。


2014年の春

主人公のひとり・伊崎利夫(いざき としお_演・佐藤浩市)が、桜舞い散る復興中の福島を車で走る場面。彼の傍らには相棒であり主人公・吉田昌郎(よしだ まさお_演・渡辺謙)からの手紙があり、その内容や今までの出来事を回顧する。


手紙には、あの事故から2年が経ち当時の大変な心境、発電所の人間として人命を守る使命が綴られており―




“俺たちは 何か間違ったのか?”とお前は言ったな

今になって ようやく その答えが見えてきたような気がするよ



俺たちは自然の力をなめていたんだ

10メートル以上の津波は来ないと ずっと思い込んでいた

確かな根拠もなく



イチエフができてから40年以上も 自然を支配したつもりになっていた


慢心だ



伊崎

あの時 お前がいてくれて本当によかった



状況がさらに悪くなったら 最後は全員退避させ

お前と2人で残ろうと決めていた

お前だけは 俺と一緒に死んでくれると思ってたんだ



それは2013年7月9日食道がん逝去した吉田昌郎が、生前に同期である伊崎利夫へ贈った手紙だった。吉田の葬儀場面に切り替わると、遺影を前に伊崎は―




吉やん(吉田昌郎の愛称)

俺が吉やんを一人残していくわけないだろ

俺は最後まで お前さんと一緒だよ



そして福島第一原発(通称:イチエフ)で起きた悲劇を二度と起こさない誓いと、当時の出来事を後世に語り継いでいく使命も盟友に向け言葉を贈った。


場面は現代の伊崎に戻り、彼は道端の桜を見上げる。今年も桜が咲いた当たり前の日常を吉田に報告する伊崎。そして後世にも繋げる「復興」の決意も振り返るように、伊崎は静かな涙を流すのだった。



東日本大震災」において

祈りますお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、震災ならび原発事故の被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。また本記事が関係者や閲覧者の目的に望む助力となれば、此れ幸い仕合わせでございます。

関連記事

親記事

福島第一原発 ふくしまだいいちげんぱつ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 4569

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました