概要
主に日本の歴史において身分の高い人物の妻のうち、もっとも位の高い妻のこと。
大まかな意味は正妻と同じ。
対義語は側室。
母親として
身分の高い人物が正室及び側室に複数子供がいる場合、基本的に正室との間に生まれた年長の男子を嫡男とし、側室との間の庶子はたとえ長男であっても庶長子として嫡男より下に置かれることが多かった(庶長子でありながら家督を継いだ人物としては、鎌倉幕府・第3代執権・北条泰時が有名)。
著名な人物
平安時代
鎌倉時代
- 北条政子…鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝の正室、大姫、鎌倉幕府2代将軍・頼家、3代将軍・実朝の母。
- 安達景盛の女(松下禅尼)…鎌倉幕府・第3代執権・北条泰時の嫡男・時氏の正室、名執権として知られる4代・北条経時、5代・時頼兄弟の母として有名。
南北朝時代
室町時代
戦国時代→安土桃山時代
- 三条の方…武田信玄の正室、長男・義信の母。
- 濃姫…織田信長の正室、美濃の斎藤道三の娘として知られる。
- 築山殿…徳川家康の正室、今川義元の姪であったことから信長に謀反の嫌疑をかけられ、嫡男・信康は切腹、築山殿も信長の命により殺害された。
- 北政所(おね)…豊臣秀吉の正室、加藤清正、福島正則らを育てる。
- 細川ガラシャ(玉)…細川忠興の正室、明智光秀の娘であったことから本能寺の変においては世をはばかった忠興に幽閉され、関ヶ原の戦いにおいては石田三成率いる西軍の人質となるのを拒んで自害することを選んだ。
江戸時代
- 江…江戸幕府・2代将軍・徳川秀忠の正室、3代将軍・家光、駿河大納言・忠長、後水尾天皇の中宮となった和子の母。
- 篤姫(天璋院)…江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室、薩摩藩主・島津斉彬の養女。
- 皇女和宮…江戸幕府・14代将軍・徳川家茂の正室。孝明天皇の妹。朝廷と幕府の公武合体策によって将軍家に降嫁したが、将軍・家茂とは仲睦まじい様子だったという。
※なお、江戸幕府には江戸城内に「世継ぎ」を儲けるために「大奥」が創設されたが、これは側室が大きく組織化されたものと言える。
明治以降
- さすがに大っぴらに「正室・側室」ということはなくなったが、「○○家のご主人が妾を囲った」という小説がいくつか残されていることから、少なからずそういったものが残されていたとは思われる。また、昭和天皇に長く皇太子を儲けられなかったことに、宮内庁内において「側室を迎えてはどうか」との検討が真剣に行われたそうである。