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大嶽丸の編集履歴

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大嶽丸

おおたけまる

日本の伝承に登場する鬼神魔王。伊勢鈴鹿山に居を構え、悪事の限りをつくした。『日本三大妖怪』に数えられる。酒呑童子の首や金毛白面九尾孤の遺骸とともに、その首は宇治の宝蔵に納められている。

大嶽丸とは


  1. 鈴鹿山鬼神
  2. 岩手山大武丸

ここでは1.について述べる。


概要

中世日本平安京で畏れられた酒呑童子玉藻前白面金毛九尾の狐)と並んで日本三大妖怪の一角に数えられる日本最強の鬼神魔王

伊勢国近江国の境に位置する鈴鹿山鈴鹿峠とその周辺の山々の総称)に住み、山を黒雲で覆い、暴風雨雷鳴、火の雨(鉄火)を降らせるなどの神通力を操った。


来歴

鈴鹿峠から東海道を近江側にくだった滋賀・田村神社では武芸の神として大納言坂上田村麻呂を祀り、神社の由緒に「田村麻呂が鈴鹿山の悪鬼を平定した」とある。周辺には田村麻呂が鈴鹿の鬼賊・大嶽丸を討伐の際に十一面観世音菩薩の石像を安置して祈願したという北向岩屋十一面観音、田村麻呂が鈴鹿山の鬼の首を埋めたという鬼塚が残る善勝寺、田村麻呂が自ら彫刻した等身大の御分身の兜跋毘沙門天を祀ったという櫟野寺などもある。

兵庫・清水寺には、田村麻呂が鈴鹿山の鬼神を討伐した騒速(そはや)という大刀が奉納されている。奇しくも日本三大妖怪の一角である酒呑童子を斬った童子切安綱と同じく、現在は東京国立博物館で保存されている。

和歌山三重にまたがる熊野地域の伝承では「鈴鹿山の鬼神を討伐した後、鬼の窟の海賊・多娥丸(もしくは鬼の大将・金平鹿)を討伐しに来た」という。


世阿弥作とされる能『田村』では、平城天皇の時代に鈴鹿山に現れた勢州鈴鹿の悪魔もしくは鬼神とされ、田村麻呂を加護する千手観音によって「千の御手ごとに。大悲の弓には。知恵の矢をはげて。一度放せば千の矢先。雨霰とふりかかつて。鬼神の上に乱れ落つれば。ことごとく矢先にかかつて鬼神は残らず討たれにけり。」と討たれた。

後に能『田村』をベースにして、鈴鹿山の立烏帽子鈴鹿御前)の伝承と融合したお伽草子『鈴鹿の草子(田村の草子)』が作られ、物語の中で鈴鹿山の大だけ丸として登場する。


よくある誤解

鈴鹿山の大嶽丸と東北地方の関係

伊能嘉矩が「大高丸→悪事の高丸悪路王と転訛した」との説を提唱したことから、鈴鹿山の大嶽丸は陸奥国岩手山大武丸や悪路王、高丸などと同一視されることもある。

しかし近年では大嶽丸と悪路王、高丸などを同一視する伊能説は否定されている。


東北地方には延暦17年(798年)や大同年間、とりわけ大同2年(807年)に田村麻呂が創建したと伝える寺社、特に観音堂が多く、同時に縁起・由緒として切畑山の悪路王、大石嶽の大石丸、米木山の大滝丸など田村麻呂による鬼神退治譚を伴っている。

しかし延暦17年と大同2年はともに清水寺創建伝承にこそ意味があり、東北地方の寺社が清水寺創建伝承を採り入れたためこのような事態が起こっている。

これらの地域伝承は清水寺系統の僧徒や(東北地方には慈覚大師円仁開山の伝承も多いことから)天台宗系統の僧侶などが観音信仰や毘沙門天信仰を布教する過程で東北地方の山岳信仰修験道)と結びついて坂上田村麻呂伝説が形成されていたこと、巫覡などが東北地方で布教活動とともに『鈴鹿の草子(田村の草子)』などを語り歩いたことが背景にある。


例えば奥州七観音の坂上田村麻呂伝説は、奈良県桜井市初瀬にある長谷寺の霊験譚が記された鎌倉時代前期の仏教説話集『長谷寺霊験記』に「三迫の新長谷寺」並びに「奥州の六箇寺」として所収されるのがルーツである。長谷寺の勧進聖たちが長谷信仰を伝えて日本各地に新長谷寺を建立するさい、東北地方では寺伝として田村麻呂と結びつけた伝承を創出した。後に『鈴鹿の草子(田村の草子)』が東北地方に伝わると、これらの伝承は大嶽丸や鈴鹿御前などが登場する由緒・縁起へと変化した。

また岩手山の大武丸は、南部信直利直親子が盛岡へと本拠地を移した慶長4年(1599年)以降に、南部氏の手によって創出された伝説であり、南部氏が盛岡城へと入る以前の岩手山の伝説に大武丸は登場していない。


このように東北地方で坂上田村麻呂伝説が発展・展開した背景には、平安時代末期から東北地方で山岳信仰などと関連させて神の恩寵を説き遊行した宗教者の布教活動があったこと、室町時代の京都周辺で『鈴鹿の草子(田村の草子)』など鈴鹿山の大嶽丸が登場する田村語りが創出されたこと、江戸時代の東北地方に伝わると寺社などで演じられた奥浄瑠璃『田村三代記』として魔改造されたことから地域の伝説として採り入れられた。

鈴鹿山の大嶽丸と悪路王、高丸はルーツの異なる伝説のため別人物であり、同時に東北各地の大嶽丸は鈴鹿山の大嶽丸が地域の伝承として採り入れられている事がわかる。


物語の中の大嶽丸

『鈴鹿の草子(田村の草子)』の諸本は、主に「鈴鹿系」と「田村系」の2系統に分類される。

  1. 鈴鹿系:田村丸と鈴鹿御前が戦いを経て婚姻し、共に鬼退治をする古写本の系統
  2. 田村系:田村丸の元に鈴鹿御前が天下って婚姻し、共に鬼退治をする流布本の系統

大雑把にいうと、鈴鹿御前が三明の剣を最初から所持しているのが鈴鹿系、鈴鹿御前が大嶽丸から三明の剣を奪うのが田村系という違いである。

後者の「田村系」では、大嶽丸は三明の剣を持たないため天竺から黄泉還ることはなく、一度しか戦わないものの、大嶽丸の前に討伐した近江国蒲生山の高丸が1000人がかりでも敵わないほどの鬼神として描かれる。


いずれにせよ大嶽丸の強さや日本を支配した範囲は、日本の古典文学の中でも飛び抜けてパワーインフレしているため、日本最強の鬼神魔王とされるのも差し支えないだろう。


『田村の草子』

鈴鹿山の大嶽丸登場以前の物語は「悪路王 4 物語の中の悪路王 4.1 『田村の草子』」も参照


桓武天皇の時代、伊勢国鈴鹿山に大嶽丸という鬼神が現れ、鈴鹿峠を往来する民を襲い、都への貢物を奪うなどした。討伐を命じられた坂上田村丸俊宗は、三万の討伐軍を率いて鈴鹿山へと向かう。‎しかし大嶽丸は強力な神通力で山を黒雲に覆い隠し、暴風雨や雷電、火の雨などで数年にわたり進軍を阻むほどの力を持っていた。


一方、鈴鹿山には天下った天女・鈴鹿御前も住んでいた。大嶽丸は、鈴鹿御前の美貌に惚れて一夜の契りを交わしたいと心を悩ませ、美しい童子公家などに変化しては夜な夜な鈴鹿御前の館へと赴くものの、その思いは叶わなかった。


大嶽丸の居場所を掴めずにいた田村丸は観音菩薩に祈願すると、その夜に老人が現れて「大嶽丸を討伐するために鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられた。田村丸は討伐軍を都へと帰して一人で鈴鹿山を進む。すると見目麗しい女性が現れ、誘われるまま館へと入って、そのまま閨で一夜の契りを交わす。この女性こそ鈴鹿御前で「私は鈴鹿山の鬼神を討伐する貴方を助けるために日本へと天下りました。私が謀をして大嶽丸を討ち取らせましょう」と助力を得た。


比翼連理の夫婦となった鈴鹿御前に案内されて大嶽丸の棲む鈴鹿山の鬼が城へと辿り着いたものの「大嶽丸は阿修羅王より贈られた三明の剣に守護されているうちは倒せない」と告げられて鈴鹿御前の館へと戻る。すると、その夜も童子に変化した大嶽丸がやってきたので、鈴鹿御前は誘いに乗るふりをして一計を案じ「田村丸という将軍が私の命を狙っている。守り刀として貴方の三明の剣を預からせてほしい」と返歌すると、大嶽丸から大通連小通連の二振りを手に入れた。


次の夜、田村丸は鈴鹿御前の館で待ち構え、そこに現れた大嶽丸と激戦を繰り広げる。正体を現した大嶽丸は身の丈十丈(約30m)の鬼神となり、日月の様に煌めく眼で睨みつけ、天地を響かせ、氷のような剣や矛を投げつけた。しかし田村丸を加護する千手観音と毘沙門天をすべて払い落とした。大嶽丸が数千もの鬼に分身すると田村丸が角突弓神通の鏑矢を放ち、一の矢が千の矢に、千の矢が万の矢に分裂して数千もの鬼の顔をすべて射た。最後は田村麻呂が投げたそはやの剣に首を落とされ、大嶽丸の首は都へと運ばれて帝が叡覧したのち、田村丸は武功で賜った伊賀国で鈴鹿御前と暮らし、娘の小りんも生まれた。


大嶽丸に続いて近江の高丸を討伐したある日、天竺の三面鬼に預けていた顕明連魂魄を写した大嶽丸は、冥府から黄泉還り、再び日本へと侵攻して陸奥国霧山禅上に難攻不落の鬼が城を建て、日本を乱し暴威を振るった。‎田村丸と鈴鹿御前は討伐のために十万の軍を率いて陸奥へと向かう。かつて鈴鹿山の鬼が城を見ていたため、すぐに城の搦め手より侵入できた。そこへ蝦夷が島の八大龍王の元より大嶽丸が戻ってきて激戦となり、田村丸によって二度目の首を落とされた。大嶽丸の首は天高く舞い上がり、田村丸のに喰らいついたが、何重にも重ねていたため無事であった。兜を脱ぐと大嶽丸の首は死んでいた。大嶽丸の首は平等院にある宇治の宝蔵に納められ、酒呑童子の首や白面金毛九尾の狐の遺骸と共に今も納められている。


『田村三代記』

『鈴鹿の草子(田村の草子)』が東北地方に伝わって、江戸時代に奥浄瑠璃『田村三代記』という壮大な物語が誕生する。


坂上田村丸利仁が日本を魔国にしようと天下った天の魔焰・立烏帽子討伐を命じられるも(三明の剣での脅迫まがいの)熱烈な告白をされて夫婦となり、二人は近江国の高丸を討伐して、大嶽丸討伐の話へと入る。奥州達谷が岩屋の大嶽丸は3丈2寸で2面4足、身体は鉄石のように鍛えられて剣も通じない。5年あれば日本から人を絶やせるほどの力を持っていた。そこで(私は強いから負けないけどと言いつつ)立烏帽子がわざと大嶽丸に捕まり、3年間かけて神通力で弱くした。


3年後、田村丸が龍馬に乗って奥州へと向かうと立烏帽子から(大嶽丸の眷属500人を捕縛済みの)達谷が岩屋に案内されて入り、そこに天竺から大嶽丸が帰ってきた。岩屋から霧山まで追い詰められた大嶽丸にそはやの剣、顕明連、大通連、小通連を投げかけると跡形もなく消える。麒麟が岩屋へと逃げていた大嶽丸を再び追い詰めるとそはやの剣、顕明連、大通連、小通連を投げかけて首を落とした。


鈴鹿山の大嶽丸から達谷窟の大嶽丸へと変化している。

大嶽丸は三明の剣を所有していないことなどから、ベースは「鈴鹿系」とみられる。

また、諸本によって天竺・八大龍王の配下や天竺・金毘羅大王の配下とされる。


関連イラスト

大嶽丸伍鬼目・大嶽丸大嶽丸オリジナル~ 大嶽丸 鬼神 ~


関連キャラクター

鬼切丸

⇒大嶽丸


久遠の絆

⇒大嶽丸


神咒神威神楽

天魔・大獄

天魔・大獄

CV:安元洋貴

(おそらくは)モデル。表記はではなく


Fate/EXTRA CCC FoxTail

大嶽丸(Fate)


戦国プロヴィデンス

⇒大嶽丸


あっきのじかん

大嶽丸(あっきのじかん)


東京放課後サモナーズ

タケマル

タケマル

CV:松田修平

(おそらくは)モデルの1人。


陰陽師

大嶽丸

大嶽丸(陰陽師) / 大岳丸(阴阳师)

CV:岡本信彦

酒呑童子(陰陽師)玉藻前(陰陽師)と共に、日本三大妖怪(陰陽師)として並ぶ名高き鬼神。


関連タグ

坂上田村麻呂伝説 田村語り

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