富士重工業
ふじじゅうこうぎょう
本記事では社名変更後の「株式会社SUBARU」、および同社のブランド「スバル」についても取り扱う。
概要
現法人は1945年に設立し、前身法人は1917年創業。
飛行機メーカーを前身とし、現在は乗用車ブランド『スバル』を主力事業とする『株式会社SUBARU』の旧社名である。
2017年4月に現社名となり、社名及びブランドの由来は牡牛座内にあるプレアデス星団の和名「昴」(すばる)からとられている。
1968年~1999年は日産自動車、2000~2005年までは米GM、2005年以降はトヨタ自動車が筆頭株主となっている。
自動車の特徴
トヨタや日産などのようにジャンルや車種はそこまで多くはない。
しかしながら、基本的にどの車種にもスポーツ走行に重点を置いたエンジン、足回り、内外装のデザインの開発で有名であり、その独自性や品質の高さからファンも多い。
特に四輪駆動車と水平対向エンジンの組み合わせはスバル技術の特徴でもある。
とは言うものの、出発が軽乗用車だったこともあり、オート三輪ブームの終焉による中小・零細規模の自動車メーカーの淘汰が行われた1970年代後半からバブル崩壊までの所謂「2強7中」(トヨタ・日産・三菱・ホンダ・マツダいすゞ・スバル・スズキ・ダイハツ)と言われた時代には結構広範囲な車種を手掛けている。
その時代のディーラーの写真を見ると、極端に斜めになったフォント(スバル文字)で
- アルシオーネ
- 2ドアクーペ。後継の「SVX」も含めるとスバル内製の乗用車としては現在に至るまで最大排気量。
- レオーネ
- スバルの当時の主力車種。当初は1400cc、後に排ガス規制による馬力低下を補うため1600cc、1800ccに拡大する。
- 特にエステートバン4WD(登録上は4ナンバー(貨物車)、後、5ナンバーの「ツーリングワゴン」も追加)は今日のCUVの先駆けと言われる車両である。
- ジャスティ
- ドミンゴ
- ありのまま起こったことを話すと、サンバーの車体の鼻面伸ばしてケツも少し太らせてジャスティのエンジン乗っけたクルマ。ライトエースワゴンやバネットコーチの対抗車種として投入された……が、もともとRV志向の高かった当時の非常に 訓練された スバリスト達からはジャスティよりよほど評価が高かったクルマ。
- 隠れた人気者だったドミンゴは1994年最初で最後のFMCを受け、辛うじて2代に渡った。だが期待されたスーパーチャージャー搭載車は発売されないまま衝突安全製の問題からサンバーのFMCと同時にカタログ落ち。
- レックス
- スバルの偉大なる凡作。スバルをトヨタの手下に成り下がらせたここ20年の経営者は、レックスの開発担当者に説教されてこい。以上。
- サンバー トライ/トラック
- スバヲタでなくとも一度は聞いたことのある、スバルで発売から終焉までその商標が変わらなかった唯一のクルマ。「トライ」は4代目から5代目の途中までの乗用ライク(登録上は貨物車・4ナンバー)なモデルにつけられていた商標。
と、こんな感じで派手に看板を出していた。
2020年現在は合理化最優先や目先の流行車種へのシフトはあまり行わずに、ノッチバック型のセダン、クーペのスポーツカー、ステーションワゴン、オフロードでの走行性能の良いSUVを数少ないラインナップに加えている。
OEM供給で軽自動車も販売しているが主力車種までにはしておらず、自動車メーカーとしてある意味で「ブレずに王道を行く」姿勢が数多くの熱心な愛好家を生み出している。
沿革
前身は主に旧帝国陸海軍の軍用機を製造していた中島飛行機である。
帝国陸軍の一式戦闘機や四式戦闘機、帝国海軍の九七式艦上攻撃機のメインモデルが特に有名であり、海軍の零式艦上戦闘機も三菱重工から受託生産していた。
戦後はGHQによる財閥や軍需メーカーの解体命令を受けて、旧中島飛行機からいくつかの製造会社が独立する。
その後旧中島系企業の再編もあって1953年に富士重工業が誕生。
1958年発売の軽乗用車スバル360と、1961年発売の派生型商用車サンバーが大衆車として技術・商業的に大成功し、日本の高度経済成長とモータリゼーションを象徴する名車となる。
これを機に「スバル」ブランドの自動車メーカーとしての確固たる地位を築き、現在に至る。
現在自動車以外では自衛隊向けの飛行機(例・T-1)の生産や、人工衛星などの宇宙航空機の部品製造も行っている。
1965年から1986年にかけてFA-200(エアロスバル)の製造・販売も行っていた。
海外事業
アメリカ合衆国では「走行性能が良い」、「上質な内装」、「安全性が高い」、「値段の割に装備が豪華」などで評価が高いとされる。