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人口編集

インドネシアは世界で4番目に人口が多い国であり、2020年の統計では約2.70億人となっている。


出生率編集

インドネシアの子作り事情は典型的な産めよ増やせよの多産推奨文化である。医療制度が整っていない地方部を中心に今なお乳児死亡率が高いが、都市部ではそれなりに経済的に安定していることもあって、若年人口の増加率が高い、典型的な釣鐘型の人口ピラミッドが形成される。

が、この人口ピラミッド、一つ摩訶不思議な特徴を有しており、「10歳」「20歳」「30歳」「40歳」などの「一の位が0」の年齢の人物が明らかに多く、10歳ごとに人口ピラミッドから棘が生えるのである。

しかも不思議なことに、翌年再び統計を取ったらこの「棘」が「11歳」「21歳」「31歳」「41歳」に移動するのかと思いきや、どの年で統計を取っても必ず「一の位が0」の人物が優位に多いままなのである。

これはインドネシア七不思議の一つと言っても過言ではない現象で、真相は不明である。

ちなみに、誕生日は1月1日の人間がとにかく多い理由はよくわからない

民族編集

ジャワ人、スンダ人、マドゥーラ人等マレー系、パプア人等メラネシア系、中華系、アラブ系、インド系等、実に多種多様である。

言語編集

インドネシア語を話す人が多いが、これは多民族が共生する都合上行政言語として定められた標準語であり、母語話者はそれほど多くない。一般に日常生活ではジャワ語スンダ語などの各民族の固有言語が使われる。が、これらの言語もインドネシア語も同じオーストロネシア語族に含まれるため、多くの語彙や基礎文法が共通していることから、習得難易度は日本語の方言に毛が生えた程度とも言われる。

宗教編集


名前編集

父系・母系を共に親族と見なす『双系社会』である為、苗字が無い人もいる。例えばスカルノ、スハルトなどがそうである。

また、一見名字があるように見えても実は名前が二単語、三単語であるだけで、どれかが苗字であるというわけではない場合が非常に多い。このような場合は、姓という概念は存在しないものの、家族である程度の法則を持った名付け方をする。一例を以下に示す。


例1

  • 曽祖父:Muhammad Abdul Aziz
  • 祖父:Nursaid Muhammad
  • 父:Yusuf Nursaid
  • 子:Yasin Yusuf
  • 孫:Mohamed Yasin

例2

  • 曽祖父:Joko Mohammad Ismail
  • 祖父:Yogi Joko Mohammad
  • 父:Shafii Yogi Joko
  • 子:Abdul Hakim Shafii
  • 孫:Hasan Abdul Hakim Shafii

すなわち、父親のファーストネームが子供のセカンドネームになっている

三単語の場合は三番目は祖父のファーストネームである。

しかし、Abdul AzizやAbdul Hakimにように、二単語でセット一つとして扱われる名前も多くそういったものが紛れ込むと突発的に三番目の祖父の名前が省略されたり、無理矢理祖父名を引っ付けて四単語になったりと、なかなか法則が一致しない。

同じ親族でも三単語になったり二単語になったり、一単語だけになったりと、はっきりしたルールがあるわけではなく、非常に複雑である。

宗教上モスクに届け出た正式な名前とは別に、公文書への記載や日常生活で用いる名前を持っている人も多く、自分の本当の名前を知らない人間も多数いたりする。


婚姻編集

前述の通り多くの場合姓は存在せず、また存在したとしても華僑の漢姓である場合が多いため、夫婦別姓がデフォルトである。

イスラム教文化圏であるため、婚前交渉不倫は慣習上ご法度であるが、戒律上この婚前交渉とはあくまで宗教的な婚姻儀式(宗教婚)を経ていない状態での性交を意味し、役所に婚姻届を提出している(行政婚)かどうかは全く関係がない。政教分離を否定する中東などのイスラム教諸国においては両者は同義であるものの、世俗主義を掲げるインドネシアにおいては、特に地方部においては婚姻届を出さないまま近所のモスクで結婚式だけ済ませ、親族や近隣住民の間で夫婦と認知されている事実婚のカップルが非常に多い。というより、部落によっては正式な婚姻届を出さないまま家族を形成している世帯しかないような場合もザラにある。

インドネシアにおいては、近年外国産のポルノの氾濫に起因する性犯罪の発生率が急増しており、年々ポルノ規制を強化している途上にある。この一環として、2025年以降、婚姻をしていないカップルの同居に刑事罰を課す法案が可決されたが、この法案における婚姻とはイスラム教の戒律上問題となる宗教婚ではなく、役所に婚姻届を提出することによる行政婚を意味していたことから、国民の大多数を占めるイスラム教徒の価値観とは全く相容れないものである。そのため、宗教婚を済ませた事実婚状態にある世帯を中心に猛反発が起きている。

宗教婚を済ませながら婚姻届の提出をしない理由は「なんとなくめんどくさい」「アラーが認めている夫婦関係を、行政にまで再度認めてもらう必要があるとするのは、神に対する冒涜ではないか」「歩いて行ける範囲に役所がない」「婚姻届を提出する際に公務員から賄賂を要求されそう」など様々であるが、応分にインドネシア国民の抱える行政への不信感に起因する面が大きい。


文化編集

他人の頭に触れることは禁忌編集

頭部は神聖な場所であるとされているため、懐いてきた子供の頭を撫でるなどの行為は保護者からの怒りを買う可能性が高い。特に左手で撫でる行為は不浄とされる。


人前でのキスは禁忌編集

多くのインドネシア人にとって、キスは夫婦であってもセックス前戯ぐらいでしか行わない行為であり、たとえ家族であっても公共の場で行うことは破廉恥極まりない行為とされる。人前でのキスは多くのインドネシア人にとって、例えるなら日本人にとっての青姦に相当する行為であり、一般にセックスそのもの以上に恥ずかしい行為である。日本のアニメなどでもキスシーンは映像が差し替えられ、音声も削除されるのが普通。


世界で一番怒らない民族編集

他人を公衆の面前で叱りつけることは、感情のコントロールのできない幼稚な人間がすることであり、極めて恥ずかしいこととされる。そのため、日系企業の駐在員などで現地に赴く場合、日系企業のノリで現地の労働者にパワハラじみた叱責無茶振りを絶対にしないよう、心しなければならない。万が一こういった行為をしてしまうと、日本人そのものの信頼を損ねかねない。戦後70年以上が経過した現在、「憲兵」「バカヤロー」などの語が、インドネシア語で日本人を象徴する単語として現役で用いられている意味は、しっかり考えたほうがいい。

悪戯をけしかけられてもニコニコしている人が多い。しかし、あくまで怒りを露わにしないだけであり、本当に怒っていないわけではない。悪質なユーチューバーなどの中には、調子に乗ってインドネシア人にドッキリを仕掛け、反応を楽しむような輩もいるが、そういった行為は表向き笑って許されているように見えて、心の中ではしっかりと軽蔑され、信頼を損ねていることを忘れてはならない。


ゴムの時間編集

日本の鹿児島県沖縄県でも多少見られる現象であるが、時間にルーズな人が多い。たとえば、朝8時に駅前に集合といえば、朝8時に起きるぐらいは普通である。公共輸送機関も大概多少遅れて運行されるのが普通か、とりわけアンコットと呼ばれる都市部の乗合小型バスは、そもそも時刻表はおろか決まったルートさえ存在しない。乗客の行き先を聞いて近いところから順に回るというシステムである。運賃も決まっておらず、交渉性。喜捨精神の根付いているイスラム教文化圏故に金持ちからは多く、貧乏人からは少なく取るのが当たり前の社会であるため、日本人旅行客は相当にぼったくられる可能性がある分、高い運賃を払った対価として目的地を優先してもらえることも多い。


タクシー編集

二輪車バイクタクシーが大人気。客はノーヘルで乗車することも多く、交通死亡率を高める一因となっている。


文化依存症候群編集

前述の人前で怒りを露わにすることを恥とする文化から、日常的なストレスを溜め込んでしまう人が多い。ストレスが限界を超えた結果、逆に感情がコントロールできなくなる人間が一定数存在し、これはラタ症候群と呼ばれる精神疾患として知られる。


衣装編集

男性はサロンと呼ばれるロングスカートを愛用する。スカートであるが、歴とした男性用装束であり、女装しているわけではない。自国の文化や自身のルーツに誇りを持っているため、在日インドネシア人であっても同様である。見た目が日本人と似ていることもあって区別できない場合も多いが、絶対にサロンを着用しているインドネシア人男性を見て「スカートを履いている」「女装している」などと揶揄ってはいけない

女性はジルバブと呼ばれる、バティック柄のヒジャブを愛用する。ヒジャブ自体はイスラム教文化圏において女性が慎みを持つために被るものとされるが、インドネシアにおけるそれは半ばファッションアイテム化しており、盛り髪さながらのファンキーな被り方をSNSで拡散する女性も多い。


セルカ棒の魔術師編集

SNSの楽しみ方は、とにかく自撮り棒を多用してリアルの自分を発信しまくること。日本のように匿名で闇を垂れ流す文化はあまり一般的ではない。街中でヒジャブ姿でセルカ棒を構えてピースしている外国人女性がいたら、高確率でインドネシア人かマレーシア人と考えて良い。


音楽編集

クロンチョン編集

日本ではガムランが有名だが、インドネシア人に最も人気の音楽ジャンルはクロンチョンと呼ばれる演歌に似た伝統的なポップスである。クロンチョンは、世界最古の軽音楽ジャンルとも言われ、ヒンズー教の宗教音楽やアラブ商人が持ち込んだナシード(イスラム教の宗教音楽)、ポルトガル人が持ち込んだリュート音楽が折衷して生じた室内楽の一種。

フルートと各種弦楽器のみでリズムとメロディーが奏でられ、打楽器は用いないのが特徴である。ここに、多くの場合男声か女声のどちらか一方のみが加わる(宗教的な忌避感からデュエットは行われない)。

イスラム教において、音楽は厳格な規制対象となっており、戒律上弦楽器並びに鍵盤楽器は一般に禁忌とされており、管楽器打楽器および肉声のみが合法と見做されているのが普通である。したがって、打楽器を廃して弦楽器のみでリズムを奏でるクロンチョンは、回教文化圏の音楽としては相当に別格である(が、宗教上の禁忌に触れるとは一般に見做されておらず、むしろヘヴィーメタルなどのその他の軽音楽についてその合法性を論じる場合、旋律や音楽性が伝統音楽であるクロンチョンに似ているかどうかが一つの論点となるほどに容認されている)。原因は諸説あるが、クロンチョンにおける弦楽器は主旋律を奏でることはあまりなく、主旋律は肉声とフルートに任せて和音の生成やピツィカートによるリズミングに徹する傾向がある。すなわち、弦楽器でありながら、その使用形態は応分に打楽器的であるとも言える。こうなった理由は諸説あるが、成立過程初期のクロンチョンにおいては、室内楽としての性質上弦楽器の使用はどうしても避けられなかったが、宗教的禁忌に触れるためにリズムをとる役割に徹し、「弦楽器の形状をした打楽器」として規制を逃れたとする仮説もある。結果、弦楽器にリズミングという唯一の役目を奪われた打楽器は、その存在意義を失いやがて用いられなくなったということ。しかし、クロンチョンの成立過程を記載した文献資料は、現在全く残存しないため、あくまで仮説の域を出ない。事実検証はなされていないし、今後も未来永劫に不可能である。


ガムラン編集

ジャワ島東部やバリ島などのヒンズー教文化圏の音楽。日本人にはこっちの方が馴染みが深い。

ルーツに共通するところがあるため、旋律はクロンチョンと共通点が多々ある。

詳細は当該項目参照。


ササンドゥ編集

バリ島以東のキリスト教文化圏で用いられる伝統楽器。ガムランやクロンチョンに比べ著しく知名度が低い。曲想はガムランよりはクロンチョンに近い。

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