概要
新沢基栄とは、週刊少年ジャンプにて『3年奇面組』『ハイスクール!奇面組』『ボクはしたたか君』を連載した漫画家である。
1958年6月10日生まれ。
新潟県柏崎市大字野田出身。実家は醤油屋である。妹が一人いる。
新潟県立柏崎工業高等学校、日本工学院専門学校美術科卒。
代表作は「奇面組」シリーズ。
アシスタントからの漫画家デビュー者に、『燃える!お兄さん』の佐藤正がいる。
高校時代、友人とふざけてとった相撲が原因で長年腰痛に悩まされており、「奇面組」の終了もその悪化に伴うものだった。
2001年には月刊少年ガンガンでリブート版に当たる『フラッシュ!奇面組』を連載開始したものの、健康状態の悪化で2005年に連載が途切れている。
『フラッシュ!』以降単発での読み切りや広告などの企画以外は作品を発表しておらず、現在漫画家としては引退状態にある。
『奇面組』シリーズが、
- デビュー作
- 初連載作品
- 代表作品
- 最長期連載作品
- 唯一のテレビアニメ化作品
- 唯一の舞台化作品
という、ほぼ“奇面組の原作者”が代名詞化している漫画家である。
来歴
商業デビューまで
氏はプロとしては異例づくしの漫画家である。
この当時、商業漫画家と言えば、
のように、前駆者のアシスタント≒弟子として下積みを得て、プロデビューするのが通例だった。
ところが、新沢はプロデビューまでまったく本格的な漫画経験がない。
また、いわゆるインディーズでの自費出版、同人活動なども一切していない。(ただし、中高生の頃地元新聞社の投稿欄にイラストを投稿していた)
そもそも当初の志望も漫画ではなく、美術専攻だった。
ただ、漫画を描くことが趣味であったらしく、デビュー以前に執筆したいくつかの未発表作品がある。
未発表作品のほとんどは少女漫画調の「恋愛コメディ」「青春コメディ」であり、デビューするとしたらこちらを志していたようである。
デビュー後の作品も(特に初期作品で)、淡い水彩画タッチの彩色、柔らかく丸っこい画風など、少女漫画からの影響が随所に見られる。
しかし、ラフスケッチをしている最中にあるキャラクターが描きあがった。
これが後の一堂零だった。
そして、出来上がったキャラクターを題材に、これまでとは違うギャグマンガを執筆する。
こうして出来上がった『3年奇面組参上』を本人が当時「勢いを感じていた」という「週刊少年ジャンプ」(「フレッシュ・ジャンプ賞」)に投稿する。
惜しくも入選は逃したが、審査員の目に留まり、内容を練り直して連載作品となることが決定した。(また、この時の審査員「渡辺」が初代担当となった)
そして、連載開始となったのが『3年奇面組』である。
この過程については『3年奇面組』第6巻のオマケページ「ウラ話コーナー 奇面組のルーツを探る!思い出の1ページ集」で確認する事ができる。
デビュー直後
『3年奇面組』初代担当となった渡辺だが、実は自身も元はギャグマンガ家だったという。これを生かし、前述の通りマンガ家としては素人状態の新沢に、連載開始に当たっていくつかアドバイスをした。
もっとも連載が始まってしまうと、自身がマンガ家として苦労した経験があるせいか、新沢氏のネーム(下書き)はほぼ素通りだったという。
驚くべきことに、新沢は『3年奇面組』連載前半期、作画用の作業机すら持っていなかった。
ごく初期はなんと万年床の布団にうつ伏せになって一切の作業をやっていたほど。
後にコタツを作業机がわりにするようになった。
間もなく、作業場として1Kの住居が手狭になったことによる引越しと、アシスタント(詳細は後述)を雇うことになった関係から、作業机を導入する。
それでも、冬季などはコタツで作業、そのまま就寝という生活スタイルを送っていた。
しかし、これが後に致命的な事態に繋がる。
アシスタント
自らはアシスタント・師事経験のない新沢であったが、『奇面組』連載中に2人のアシスタントを雇っていることが明らかになっている。(これ以外にも公表していないだけでいる可能性がある)
1人目は「松本くん」と呼ばれる人物である。
新沢が考えないアシである(「人間は考える葦である」に引っ掛けたもの)と、コミックスページに書くほどいい加減な人物だったようで、作画に関する作業には携わらせず、ゴムかけ、ベタ、ホワイト、スクリーントーンといった作業を担当させていた。
もっとも、松本くん本人にとってもこれは副業だったらしい。
(松本くんについては『3年奇面組』第3巻オマケページ「ウラ話コーナー アシスタントの松本くん」を参照)
2人目は、後に漫画家デビューし、『燃える!お兄さん』で著名となる、佐藤正である。
『ハイスクール!奇面組』には、佐藤がキャラクターデザインを手がけた御屋敷麻知と痩猪エルザが登場している。
特に、御屋敷麻知は佐藤が作画も担当していた。
なお、新作を発表していなかった1990年代の一時期、多忙となった佐藤の元でアシスタントを務めていたことが明らかになっている。
『奇面組』テレビアニメ化に際して
『奇面組』のテレビアニメ化に際しては、いくつかのエピソードがある。
中でも製作会社を驚かせたのは、登場人物の表情や言動パターンなどを、新沢自身が事細かな資料にまとめて製作会社に提出したこと。
本来は製作会社の作画(作画監督やキャラクターデザイン)担当、演出担当の仕事であり、原作者自らが資料化することは異例中の異例だった。
これらの資料の一部は、「ハイスクール!奇面組」 旧ジャンプコミックス 第12巻のおまけページで確認する事ができる。
この一件に関しては、連載終了から長い年月を経てTwitter上で話題となった。
「ハイスクール!奇面組」アニメと原作者(Togetterまとめ)
これは結果としてアニメ『奇面組』の高いクオリティに繋がり、当時、人気があった裏番組である『クイズダービー』に対する善戦に繋がることになる。
もうひとつのエピソードとして、「おニャン子クラブ」にまつわるものがある。
新沢は当初、声優によるOP・EDを希望していた。
ところが、実際に使われたうしろゆびさされ組によるOPを見て一気に心を奪われ、当時絶頂だったおニャン子クラブの熱狂的ファンになってしまったという。
主題歌の縁で「夕やけニャンニャン」の収録にも観客として度々参加していたが、親衛隊や現場に紛れ込んでいた不良からは目の敵にされ、待ち伏せされるなどしていたという。
持病の悪化と連載終了
『ハイスクール!奇面組』連載後半に差し掛かった頃、持病であった腰痛が急激に悪化する。
前述の初期の執筆環境から分かる通り、まさに不摂生という状態であり、腰への負担も大きいものであったと推測される。
さまざまな治療法を試みるものの回復の兆しはなく、『奇面組』は連載続行が困難になった。
結局『奇面組』は少しの間の期間の休載を挟んだ後、連載を終了することになった。
しかし、(連載終了の告知から終了までが早いため)駆け足の展開となりやすいジャンプ漫画でありがちな“投げっぱなし最終回”ではなく、きちんと結末を描ききっての完結となった。
原作最終回に関して
ジャンプ本誌における『奇面組』の最終回だが、大まかにわけて2つの解釈が可能な結末になっていた。詳細は避けるが、簡単に言えば「夢オチ」と「ループ」である。
これはジャンプ掲載当時、ファンの間で大きな議論を呼び、批判的な意見も相次いだ。
しかし、新沢にとっては一方の解釈(夢オチ)は本意とするところではなかった。
単行本(ジャンプ・コミックス)版最終巻では、新沢が執筆可能な健康状態ではなかったため、雑誌掲載時ほぼそのままの形で収録された。
その後、完成稿の出来に納得のいかなかった新沢の意向により、愛蔵版(ジャンプ・コミックス・セレクション)刊行に際し加筆・修正がなされた。
『奇面組』後
『奇面組』連載終了後、しばらくの間、腰の療養に専念していたが、一定の回復を待って1988年から『ボクはしたたか君!』の連載を開始する。
しかし、この連載中に再び腰痛が悪化。
さらにその影響により、『したたか君』の内容の質も低下した。
ここでもやむを得ず休載。
しかし腰の状態は『奇面組』当時より深刻であり、無念の打ち切りが決定した。
それも、最終回を描きおろすこともできず、お詫びページのみの掲載となった、正真正銘の“リタイア”だった。
その後は、腰の状態の良い時期を見計らってジャンプ誌上に読みきり漫画を掲載していた。
また、ジャンプの専属契約制度もあって他誌への移籍をしていなかったため、(同様に体調不良から休載が相次いだ冨樫義博と共に)「集英社につぶされたマンガ家」と噂されるようになった。
ところが、編集部に強い不信感を持っていた冨樫と異なり、新沢はマンガ家活動もジャンプでの活動も辞めるつもりはなかったという。
このことは、後にリバイバル作品として制作された『帰ってきた ハイスクール!奇面組』のムックおよび単行本の作者インタビューにて「勝手に消えたマンガ家にされた」とコメントしている。
また、同作で「奇面組」キャラによる代弁セリフが確認されている。
ちなみに、現在では悪評高いこの「ジャンプの専属契約制度」だが、元々は漫画家(特に新人)を支援するための方策だった。
詳細の解説は「週刊少年ジャンプ」のタグ記事内の項目に譲るが、その一面を、当時はそうと認識せず、その恩恵に預かっていたのも、また新沢基栄であるといえる。
『フラッシュ!奇面組』
『帰ってきた ハイスクール!奇面組』の後、『少年ガンガン』からの誘いがあり、移籍して『フラッシュ!奇面組』として連載を復活させる。
一部設定やキャラクターデザインなどが現代風にアレンジされつつ、『3年』の中盤あたりからのストーリーが展開された。
往年のファンからは期待が高まったが、ここでもまた腰痛の悪化に見舞われることになる。
結果、『フラッシュ!』も休載が相次ぎ、単行本3巻分を執筆したところで事実上の打ち切り(連載中断)となった。
近年の動向
2009年に『大人の科学マガジン』「大人のひみつシリーズ モテる・モテないのひみつ」(原作:こざきゆう)にて作画を手掛けた。
「学習まんが」の特性もあって制約が多かったためか、本人は2015年のインタビューで「次に頼まれても、もうやりたいとは思わないですね、学習まんがは(笑)」とコメントしている。
現在は、毎年故郷の柏崎市でお盆に開かれる「柏崎ふるさとまつり」にて、直筆イラストの絵あんどんを出品している様子がネット上で確認されている。
また、『奇面組』が2017年・2018年に2.5次元舞台化したことを受け、公演を訪れた様子がTwitterに投稿されている。
作品
『奇面組シリーズ』
「3年奇面組参上」
『奇面組シリーズ』のプロトタイプ的読み切り作品。
『3年奇面組』第1巻に収録。
「続!3年奇面組参上」
その続編。
同じく『3年奇面組』第1巻に収録。
『3年奇面組』
デビュー作。
奇面組の一応中学校時代を描いた。
『3年奇面組』の続編。
奇面組の一応高校時代を描いた。
本作品が連載中にテレビアニメ化されている。
『帰ってきたハイスクール!奇面組』
『帰ってきた奇面組』を受けて制作された「奇面組シリーズ」のリメイク作品。
連載作品
『ボクはしたたか君』
したたか君を主役とした小学生ドタバタギャグ。
「ハッピーにおまかせ!」
新沢版「ドラえもん」的な作品。
短編読み切り
大半がコミックス『新沢基栄短編集 古代さん家の恐竜くん』に収録されている。
作品発表順に記載する。
『3年奇面組』場外編「ひまわり・ちゅ~りっぷ 」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
「ひまわり・ちゅーりっぷ兄弟」が主役の「場外編」。
プロレスネタ中心なのでこのようなタイトルになっている
『3年奇面組』第5巻にも収録されている。
「教師のらいせんす」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
「一日一善(ひとひかずよし):一日一善(奇面組)」が初めて登場した作品であり、主役でもある作品。
新沢基栄版「金八先生」。
「Mr.愛NG」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
新沢基栄作品としては「真っ当なラブコメ物語」。
「怪傑豪くんマン」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
冷越豪が元キャラであるヒーロー(?!)「豪くんマン」が主役の、『奇面組シリーズ』のある意味スピンオフ作品。
「Kの日記帳」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
『奇面組シリーズ』のアンチテーゼとも言うべき、新沢基栄作品としては異色な作品。
なお、表紙絵は、新沢基栄が『奇面組』で扱うのを取りやめた、という逸話がある「女子生徒が校舎から飛び降りる絵を描く誰かの手」というものになっている。
「DATTE!潮鐘」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
男子バレーボール部ギャグコメディ。
「おやおや親父」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
いろんな「親父たち」のすったもんだギャグコメディ。
「古代さん家の恐竜くん」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
個性もバラバラ、家族仲もバラバラな、古代さん家に「愛玩ペット用恐竜」がやってきて…?!
「パートナー真児くん」
『古代さん家の恐竜くん』収録。
変てこな幼なじみ真児くんと、1人の女の子のラブコメディ(?!)
「必殺!学園救助隊キャラクター」
学園の平和を守るため、救助隊は今日も行く。
(ギャグです)
「ミラクル探偵天野J(ジャック)」
筆者は未読のため、どなたか情報を下さい。
その他
「大人のひみつシリーズ モテる、モテないのひみつ」
外部リンク
大人のひみつシリーズ特別インタビュー第2回『からだのひみつ』新沢基栄インタビュー記事 | 大人の科学.net