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岐阜県に路線を有する第三セクター鉄道であり、同じ岐阜県にて石灰石の輸送を行う西濃鉄道の子会社である。本項では同社が運営する鉄道路線の樽見線についても解説する。


概要編集

国鉄樽見線(大垣駅~美濃神海駅)を1984年に転換して開業。

また1989年に神海駅(転換時に美濃神海駅を改称)~樽見駅間を延長開業し、全通(営業キロ:34.5km)した。

この路線は旅客営業としては劣悪な成績(通常この種の鉄道は通学用途が主たる収入源となるが周辺自治体の学区の関係上それが望みづらい状況であった)であるにもかかわらず第三セクター鉄道として存続した主な要因は、沿線が積雪地帯であり、地元自治体が道路よりも積雪に強い鉄道を望んだこと、および住友セメント(1994年に合併により住友大阪セメント)岐阜工場からの貨物列車によるセメント輸送であり、その輸送にかかわっていた西濃鉄道とともに株主となっている。

ところが主たる収入源であった貨物輸送が2006年3月に終了。また機関車の間合いで客車列車が通学通勤時間帯および多客期に運行されていたが、これも運行終了し、ディーゼル機関車と客車も廃車した(なお、住友大阪セメント側としては、鉄道輸送を再開させたい思惑があるらしい)。

貨物運送の終了は会社の経営は非常に苦しくなったものの、近年では経営努力(新駅の設置、無人駅の委託等)により周辺自治体の補助を含めると黒字になっている状態である。


樽見線編集

この路線は本来岐阜県大垣ヨリ福井県大野ヲ経テ石川県金沢ニ至ル鉄道として計画され、1935年に大垣側から建設が開始され、非電化路線として建設。戦時中の中断および周辺地形の険しさにより長引き1958年に美濃神海駅まで開通(この時点で総長24kmであった)。

ところが樽見駅まではルートが根尾谷断層(濃尾地震の震源地となり、この地震の際に大きくずれた活断層が露出している場所であり、現在国の特別天然記念物である)にかかって工事中断および工事の難航もあり工事が凍結された。

その後、過疎地を通る不採算路線であったため特定地方交通線に指定され廃止の危機に陥ったが、周辺自治体や企業の要望によりバス転換ではなく第三セクター鉄道による存続とした。

第三セクター転換後は列車増発の影響もあって成績もよかったため、1986年に凍結していた工事を再開、約20億円をかけて1989年に開通。終点の樽見駅が最寄りとなる淡墨桜花見客が多い4月ごろには観光客に対応する「桜ダイヤ」が実施(客車列車もこの期間に運用されていた)される。

なお、本巣市内は概ね国道157号と並行して走っている。

そして終点の樽見駅では、国道157号の酷道区間の入口となっている。


駅一覧編集

駅名乗り換え路線備考
大垣
  1. 東海道本線
  2. 養老鉄道
東大垣
横屋
十九条
美江寺
北方真桑(本巣北方)
モレラ岐阜大型商業施設「モレラ岐阜」に隣接。
糸貫
本巣(美濃本巣)
織部道の駅織部の里もとすと併設。
神海(美濃神海)
高科
鍋原
日当
高尾
水鳥
樽見

所有車両編集

レールバスや軽快気動車の形式には「ハイモ」が付けられているが、これは「ハイスピードーターカー」を略したものである。除雪用のモーターカーをハイモと称することがあるが、これとは一切関係はない。ハイモに続く3桁の数字はエンジン出力を馬力へ換算したものであり、例えばハイモ330形の場合は、330馬力の出力をもつハイスピードモーターカーという意味になる。


現行車両編集

ハイモ295形編集

樽見鉄道

315号、516号、617号の3両が在籍。

いずれも富士重工業製のLE-DCであるが、細部が異なる。315号は車体長がレールバス同様の16m級と在籍車両では最短。2023年から首都圏色に塗装されている。516号は車体長を18mへ延長し、細部のマイナーチェンジを行っている。617号は廃止になった三木鉄道からミキ300形を譲受したもので、座席は在籍する気動車としては久しぶりのセミクロスシートである。

なお、3両在籍するうち当鉄道の標準塗装である青系の塗装をまとうのは617号のみで、他の2両は入線以来一切まとったことがない。


ハイモ330形編集

樽見鉄道 ハイモ330-700形

701号-703号の3両が在籍。

当鉄道の最新鋭で、いずれも新潟トランシス製のNDCシリーズ。701号は観光列車「ねおがわ」としても使用されるため、前面の帯が赤と銀になっている。


過去の車両編集

ハイモ180形編集

樽見 ハイモ180

101号と201号-202号の3両が在籍。

開業に合わせて導入された4輪車のレールバス。富士重工業製のLE-CARで、第3セクター鉄道として初めて採用されたものである。1985年に鉄道友の会からローレル賞を受賞した。100番代と200番代で座席配置が異なり、前者はバスの座席を用いたクロスシート、後者はロングシートである。

小型であることから大型のレールバスに代替された。101号は有田鉄道へ譲渡され、引き続き同一番号で使用された。現在は有田川町鉄道公園で動態保存されている。201号と202号は引き続き当鉄道で使用され、廃車後はそれぞれ新潟トランシスと樽見線の沿線にて保存されている。


ハイモ230形編集

301号と312号-314号の4両が在籍。

ハイモ180形同様の富士重工業製LE-CARであるが、こちらはボギー車ゆえに車体長が伸びている。301号と312号以降では、灯具ケーシングや乗降扉の形状が異なる。廃車後は301号と312号がミャンマー国鉄へ譲渡され、313号と314号は個人の手で保存されている。


TDE10形/TDE11形編集

存続最大の理由となったセメント貨物列車や、朝ラッシュ時における客車列車の牽引のため、国鉄DE10形ディーゼル機関車とその同型機を導入したもの。

1号は自社発注の新造機、2号と3号は衣浦臨海鉄道のKE65形(衣浦臨海の自社発注車)を譲受したもの、5号機とTDE11形は国鉄から譲受したものであるが、後者は西濃鉄道を経て移籍している。3号機はのちに高崎運輸へと譲渡されている。

貨物列車や客車列車がなくなると、最後まで残存した2両が2007年に全廃された。


オハフ500形編集

開業時と1989年に2両ずつ、計4両を国鉄から35系客車のオハフ33形を譲受したもの。当初はレールバスと同じ塗装に塗られていたが、1988年からぶどう色に赤帯の国鉄時代の塗装にされた。1990年より後継の客車が入線したことで廃車された。502号が谷汲口駅前に保存されているが、状態が悪く放置同然である。


オハフ800形編集

1990年にJR四国より50系客車のオハフ50形3両を譲受したもの。塗装はレールバスとは異なるものとされた。屋根周りの腐食のため1994年に廃車されており、活躍期間は非常に短かった。


1000形編集

1990年と1992年にJR東海より12系客車を計5両譲受したもの。塗装も白帯が桜色へと変更されただけで使用された。スハフ12形がオハフ1100形、オハ12形が1000形と称された。

こちらも1993年と1994年にオハ1000形が1両ずつ廃車されており、これらは短命に終わっている。残りは後述のうすずみ1形とともに使用され、2005年に廃車された。


2000形(14系)編集

1994年にJR東海より14系客車を5両譲受したもの。スハフ14形が2200形、オハ14形が2000形と称されていたが、現車にはJR時代の車両番号が記されていた

同鉄道における、末期の普通客車列車には本形式が使用されていた。


うすずみ1形編集

1989年の全線開通に合わせ、トキ25000形無蓋車から改造されたトロッコ車両

沿線の淡墨桜が開花するシーズンに「うすずみファンタジア」として、2000形以外の客車と合わせて使用されたという。


ナガラ1形編集

ナガラ-Ⅰ形

同じ岐阜県内の第三セクター鉄道である、長良川鉄道で使用されたレールバス。ハイモ230形同様の富士重工業製のLE-CARである。2010年にハイモ295形315号が踏切事故で破損し、修理に時間がかかるため、助っ人として同年3月から10月までの期間で活躍した。

関連イラスト編集

春ゥ


関連タグ編集

第三セクター レールバス

東海道本線 西濃鉄道 長良川鉄道


関連リンク編集

wikipedia:同項目

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