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長野県北部地域に路線を持つ中規模地方私鉄である。略称、長電または長鉄(ちょうてつ)。


概要編集

鉄道が来なかった千曲川東岸地域(河東地域)の産業の発展を図り、1920年屋代駅-須坂駅間で開業した「河東鉄道」をルーツとする。その後河東地域と県都・長野市とを連絡すべく「長野電気鉄道」が開業し、両社が合併したことで現在の「長野電鉄」が成立した。そのため社紋は長野市と河東地域を結びつける意味を込めて、合併前の2社のものを折衷したデザインが採用されている。

鉄道事業を本業とし、「ながでんグループ」の中核企業でもある。グループ会社にはバス事業を営む長電バスや、車両整備と保線作業を請け負う長電テクニカルサービスなどのほか、野沢温泉グランドホテルや、温泉に入るサルで有名な地獄谷野猿公苑なども属する。過去には志賀高原の観光開発を行っていたため、奥志賀高原ホテルや奥志賀高原スキー場の運営も行っていた。


鉄道事業編集

鉄道路線は現在、長野線(長野-湯田中)1路線のみを保有している。


2002年3月末までは、次の3路線を保有し、路線総延長も70.5㎞とそれなりの規模を誇っていた。


各駅一覧は「長野線」ならびに「河東線」の当該項目を参照。


開業の経緯から河東線を軸に、長野線と山ノ内線がそれぞれ枝分かれする構成であったが、運行形態はかつてより長野-須坂-信州中野-湯田中を軸とし、河東線の末端2区間(須坂-屋代間および信州中野-木島間)を支線とするものが採られていた。1993年11月1日以降は、河東線末端のワンマン運転開始により、長野線~山ノ内線の系統と河東線末端とで完全に系統が分離された。2002年4月1日に河東線信州中野-木島間が廃止されると、同年9月18日に運行実態に即して長野線(長野-須坂-信州中野-湯田中)と屋代線(屋代-須坂)の2路線に路線の再編が行われた。のちに屋代線も2012年4月1日で廃線となり、現在に至る。

なお大正後期から昭和初期にかけては、長野駅から川中島を経由し上山田温泉を結ぶ川中島線や、屋代駅から川中島線を連絡する善光寺平環状線、河東線戸狩延伸(参考)、山ノ内線渋・安代延伸、さらには長野市中心部の市内回遊電車などの計画もあったが実現しなかった。戦後においても山ノ内線の渋・安代延伸や河東線の関沢延伸の免許を申請していたが、様々な事情から実現せずに現在へ至る。


地方私鉄にしては様々な先進的な取り組みをしており、古くは市街地の区間を最初から複線で開業させたり、鉄製の架線柱を採用したりしたほか、架線電圧も電化当初から直流1500Vを採用していた。列車サービスも2000系を用いた座席指定制特急列車を走らせたり、朝ラッシュの混雑対策に本格的な通勤形電車を導入したりと、ニーズに合わせて様々な列車や車両を用いてきた。近年では世界初の最新式小型マルチプルタイタンパーを導入したり、東芝が開発している鉄道用無人運転システムの実験を行ったりするなど、その勢いは未だ衰えずにいる模様。


車両編集

現行車両編集

2012年までは自社オリジナル車両も営業運転を行っていたが、現在は全て関東地区からの中古車で運用されている。


特急列車用編集


普通列車用編集


過去の主な車両編集



関連タグ編集

ゆけむり スノーモンキー 渋温泉 志賀高原

しなの鉄道 上田電鉄 アルピコ交通 長野県 中小私鉄 鉄道

OSカー 東急5000系(初代) 東急8500系 営団3000系

廃線「ぶらり廃駅下車の旅」 八雲紫 スペルカード


小林一三:長野電鉄の創業者である神津藤平が、同じ慶応大の同窓生であったことから、何かと対抗心を抱いていたといわれている。


外部リンク編集

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中小私鉄 ちゅうしょうしてつ

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