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カツラギエース(ウマ娘)の編集履歴

2024-03-25 18:48:00 バージョン

カツラギエース(ウマ娘)

うまむすめのかつらぎえーす

メディアミックスプロジェクト『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター「ウマ娘」の一人。モチーフは1980年代前半に活躍し、海外馬及び二頭のクラシック三冠馬を相手に日本調教馬として初めてジャパンカップを制した競走馬『カツラギエース』号。

「常識も壁も、くだらねぇもの全部超えてやる!それがあたしの志すエースだ!」

プロフィール

キャッチコピー目指すはウマ娘界のエース!大望めがけて突っ走る活発娘
誕生日4月24日
身長165cm
体重エース級
スリーサイズB81・W54・H77
靴のサイズ左右ともに24.0cm
学年高等部
所属寮栗東寮
得意なこと土いじり、縄跳び
苦手なことパックご飯、電車の乗り換え、動く歩道
耳のこと着替えの最後はメンコをつけて、気合い入魂
尻尾のことブラッシングは、いつでもウェルカム
家族のこと昔はわんぱくで手を焼いたと今でも言われる
ヒミツ①小型特殊免許を持っている / ②絶対音感の持ち主
自己紹介カツラギエースだ、よろしく!夢があるなら臆するなよ?狭っ苦しい壁はあたしが壊してやるからさ!
CV藤原夏海

片田舎から飛び出してきた明朗快活なウマ娘。

つまらない固定観念や閉塞的な空気をきらい、それらを打ち砕くウマ娘界のエースを目指す。

ミスターシービーに憧れているが、超えるべき目標としても強く意識している。

(公式ポータルサイトより)


概要

カツラギエースは、クロスメディアコンテンツ『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘。モチーフ馬は83世代の競走馬、日本馬初のジャパンカップ制覇を成し遂げたカツラギエース号。ミスターシービーとクラシックを争うライバルであり、シンボリルドルフの連勝を止めた存在でもある。


2023年2月22日の「ぱかライブTV」でジャングルポケットタップダンスシチーネオユニヴァースヒシミラクル三女神と共に追加が発表された。

なお、正確には数日前にBS11の「アニゲー イレブン!」で2周年キービジュアルが手違いにより漏洩しており、ビジュアルは公式発表前にうっかり公開されていた。


周囲からの愛称は「エース」。

田舎育ちでレースに必要な設備等も乏しい場所に産まれ、走る機会に恵まれない幼少期を過ごしていた。出張レース場が地元に来て走った際も既に経験のあるウマ娘たちには全く歯が立たず地元の人たちも諦めていた。このような経緯から固定観念や閉鎖的な考えを打ち破ることを目標に中央(トレセン学園)にやってきた。

CBACB「自分で歩けるって…」 A「いいから運ばせろ」

そんな彼女にとってミスターシービーは理想的な「天才」であり、内心では自身はシービーの引き立て役でしかないと考えている部分こそあるが、そのシービーを越えることで自分も常識を破るエースになれると考えている。練習中も、よくシービーを仮想敵として走ることもあるそうだ。


豪放磊落な性格でツインターボとは歴代のURAで活躍していた逃げウマ娘について熱く語り合うなど非常に気さくでノリがいい。

しかしTPOはしっかりと弁えるタイプで、メジロラモーヌの気まぐれで放り込まれた船上パーティーでも周囲を見てすぐにその場に相応しい振る舞いを身に付けるなど順応性も高い。


だがそれ故にシービーの飄々とした振る舞いや自由で天然な言動に振り回されることもあり、しばしば彼女のツッコミ役に回っている。


宝塚記念

また、タップダンスシチーからは慕われており、誕生日ボイスでは「ハハハッ!やっぱり、アンタに会いに『此処』に来たのは正解だったな!」と、憧れの感情を抱いているようである。


栗東寮のルームメイトはメジロパーマー


容姿・デザイン

ウマ娘まとめ2

ポニーテールに結った黒髪に青い瞳。前髪に白のメッシュが二箇所流れている(元のカツラギエース号は額と鼻先の二箇所に流星がある)。

両耳に白の耳カバー(メンコ)をつけており、うち右耳の耳カバーには水色と桃色のストライプに加え、モチーフ馬がつけていた赤の飾り紐(ワタリ)も見られる。


誕生日Ace

ゲームでの呼称は「登竜之頂」。

袖の一部があいた黒のジャケットと黒ショートパンツ、黒ソックスに水色のインナーをあわせ、水色袖が覗く腕部に桃色のベルトを巻き付けている。モチーフ馬の勝負服(水色、桃襷、桃袖)の色合いが腕やベルトやシューズなどそこかしこに取り入れられている。


ジャケットの背中には「葛城栄主」と金の刺繍が施されており、その真下の尻尾の通し穴は「A」のデザインになっている。

両手のグローブは手の甲が黒、掌が赤と色違いになっている。


漫画版

ウマ娘シンデレラグレイ

カツラギエース

第三章119Rにて、カツラギエースの後ろ姿がシンボリルドルフと共に登場する。作中では開催地のアドバンテージがありながら、ジャパンカップを勝利した日本のウマ娘はこの二人のたった二回だけ…と、記者の藤井泉助が後輩の遊佐よし子に語っている。


ゲーム版

2023年2月24日の2周年に合わせて初登場。同日に育成実装されたミスターシービーの育成ストーリーにおけるレースライバル、エクストラストーリー「2nd Anniversary」、及びストーリーイベント「Leap into a New World!」の主役のひとりとして登場した。また、ガチャにてRサポートカード、ストーリーイベント「Leap into a New World!」にて報酬のSSRサポートカードとして初実装もされている。

育成ウマ娘としては2023年7月10日にレースイベント「リーグオブヒーローズ」のチーム編成期間開始とともに実装された。


育成ウマ娘

スピードスタミナパワー 根性  賢さ  
9986969277
+10%+0%+10%+10%+0%
バ場適性AダートG
距離適性短距離マイル中距離長距離
EBAB
脚質適性逃げ先行差し追込
AAEG

サポートカード

  • SSR[掲げよ、燃え盛る灯を]カツラギエース

ストーリーイベント「Leap into a New World!」にて報酬での配布として登場したSSRサポート。タイプはスピード。


競走馬『カツラギエース

🅰️🎂🎊🎉


【翔馬】

自他ともに認める、中距離の王者。

2000mで彼を前に行かせたら、必ずマークしなければならぬ。

その実力が、ジャパンカップで大きく花開いた。

外国馬たちを蹴散らした、府中2400m、逃げっ切りのひとり旅。

そのうしろ姿に、ぼくたちは、天翔けるサラブレッドの夢を見た。

      ──JRAヒーロー列伝No.18 カツラギエース


──────────


【これで生き抜く】

あいつらが来る。 唸りをあげて迫る。

もちろんこちらも 無抵抗じゃない。

精魂を尽くして 生きのびるとしよう。


さあ見るがいい これが俺のやりかただ。

ほら捕まえてみろ これがオレの底力だ。

      ──JRA名馬の肖像」2018年「大阪杯」カツラギエース


──────────

(※馬齢表記は旧馬齢(現表記+1歳)を用いる)


1980年4月24日生まれ、83世代黒鹿毛の牡馬。

主な勝鞍は84年宝塚記念ジャパンカップ

三冠馬2頭を相手に逃げ切り、ジャパンカップを制覇した史上初の日本馬。


父ボイズィーボーイは当時流行のプリンスリーギフト系種牡馬だったが、テスコボーイの影に隠れていた上に日本に輸入されて僅か2年で死亡しており、産駒は少ない。

母タニノベンチャは名牝系「プリティーポリー系」。競走馬としても母としてもパッとせず、カツラギエースが胎内にいる状態で競りに出されたという経緯がある。


母父はレリック産駒の英国産種牡馬ヴェンチア。日本では華麗なる一族中興の祖イットーやダービー馬クライムカイザーの父として知られ、母父としてもハギノトップレディ&ハギノカムイオー姉弟やタイテエムがいる。


…とはいえ、血統的には同期のスターだったミスターシービーに比べるとちょっと地味。馬体もこれというセールスポイントがなく中々買い手はつかなかったが、優れた相馬眼を持つ馬喰(ばくろう)の佐藤伝二に見出されてオサイチ冠の馬主・野出長一氏の所有馬となり、後にカツラギ冠の長男・野出一三氏の名義となる。


勝負服は長一氏名義の時は「水色、桃色襷、水色袖」、一三氏名義の時は「水色、桃色襷、桃色袖」で、袖の色が変わっている(ウマ娘の勝負服デザインで袖に水色と桃色両方を使っているのはこの経緯を反映していると考えられる) 。


管理調教師は栗東の土門一美。

主戦騎手は初期が崎山博樹、京都新聞杯以降は西浦勝一


あまり見栄えのする馬体ではなく、入厩後もダート調教での動きが悪かった(デビュー前の追い切りではアラブに後れを取った模様)ため評価は高くなかったカツラギエースだったが、阪神競馬場の芝1200mの新馬戦でデビューするといきなり8馬身差を開く圧勝劇を見せた。その後も400万下を2戦して勝ち上がり、ラジオたんぱ賞3歳ステークスを3着でデビューシーズンを終えた。


年明けのクラシックシーズンでは始動戦の4歳ステークスは13着と大敗するが、続いての800万下の春蘭賞で1着となり、陣営はクラシックへ挑戦することとなった。

しかし、そこに待っていたのはミスターシービーだった。


皐月賞では果敢に先行したが、苦手の不良馬場に脚をとられてミスターシービーの11着に敗退。日本ダービーでの逆襲を期して、当時は芝2000mのトライアルであったNHK杯を勝って重賞初制覇。本番へ弾みをつけるが、日本ダービーではまたもやミスターシービーに圧倒され、6着に終わった。

カツラギエースはすぐには休養に入らず、6月の中京4歳特別をニホンピロウイナーの2着で終え、秋に向けてしばしの休養に入った。

秋は神戸新聞杯から始動し2着、続いての京都新聞杯で1着と菊花賞へ向けて順調に進んでいたが、本番の菊花賞では淀の長い距離と坂が響いたか、直線で力尽き20着に大敗。大地を弾ませ3冠を掴み取ったミスターシービーをはるか後方で見つめることとなってしまった。


クラシック時期のミスターシービーの対抗馬

なお、クラシック期のミスターシービーのライバルと目された馬はメジロモンスニーだった。(カツラギエース育成シナリオに登場するモブウマ娘シイナフレジュスのモデル馬)

3歳時に400万下条件戦の萩特別でカツラギエースを破っており、4歳ではシンザン記念で5馬身差で快勝していたが、クラシックは皐月賞、ダービー共にミスターシービーの圧倒的なパフォーマンスに屈して2着。菊花賞の逆転を期待されていた。

秋の始動戦として挑んだ神戸新聞杯ではカツラギエースに続く3着に入ったが、レース後に指骨を骨折。菊花賞は断念し、1年近く療養へと入ってしまった。


  • 宝塚記念・悲願の勝利

菊花賞後は休養に入り、5歳となったカツラギエース。陣営は今年から距離が2000mに短縮された天皇賞(秋)を最大の目標に始動。初戦の鳴尾記念を4着で叩き、サンケイ大阪杯を快勝。その後は京阪杯を58.5kgという重ハンデを背負いながらも快勝し、陣営は春の目標を宝塚記念と定めた。

迎えた宝塚記念では三冠馬・ミスターシービーは休養中と大本命が不在。天皇賞(春)を勝ったモンテファストや菊花賞レコードホルダーのホリスキーが出走していたが、あまり高く評価はされず、ここまで2000mの重賞を連勝しているカツラギエースが1番人気となった。

本番では道中2、3番手につけ、直線で抜け出すとスズカコバンを寄せ付けずに完勝。勝ち時計も前年のハギノカムイオーのレコードから僅か0.3秒差の2分12秒4という抗時計で勝ち、悲願のGⅠ馬となった。


  • 屈辱の天皇賞(秋)

高松宮杯を5着で終えたカツラギエースは秋初戦を毎日王冠に定める。休養を終えたミスターシービー、南関東三冠馬のサンオーイが出走し、3強の様相となったが、レースでは先行するカツラギエースが直線追い込むミスターシービーをアタマ差で押さえて勝利、秋天へと弾みを付けた。


しかし、迎えた天皇賞(秋)本番ではミスターシービーが逆襲。最後方から直線だけで豪脚を繰り出して1着となり、道中で折り合いを欠いてしまったカツラギエースは5着に終わった。この敗北から、「前哨戦では勝つが本番ではシービーに負ける」「宝塚記念もシービー不在だから勝てた」と揶揄されるようになってしまった。


  • ジャパンカップ・主役は俺たちだ!!

その後、陣営はマイルチャンピオンシップをとジャパンカップを両睨みするが、最終的にジャパンカップを選択する。

そして迎えたジャパンカップだったが、話題はミスターシービーと無敗三冠を達成した絶対皇帝・シンボリルドルフの新旧三冠馬対決に集中していた。

当時は日本馬でジャパンカップを勝利した馬はおらず、シービー・ルドルフのどちらが悲願を果たすのかという話ばかりで、カツラギエースは完全に蚊帳の外だった。


なお、当時のジャパンカップの出走馬14頭のうち、外国馬が10頭で日本馬はたったの4頭。外国馬の強さに恐れをなし、日本馬は集まらなかったのだ。

事実、ジャパンカップは設立以来悉く優勝を海外馬に持って行かれており、それ程までに外国馬との力量差があり、日本馬が海外馬に勝つにはまだ20年かかると言われていた時代だった。



しかし、カツラギエースには秘策があった。「大逃げ」である。

陣営は耳覆いがついたメンコをかぶせて騒音をカットし、通常より手綱を30cm長く持ってリラックスさせ、馬の気持ちに任せて、初めてスタートから先頭に立つ逃げ戦法を選択。そのまま行くままに任せて逃げ、向こう正面で10馬身近くを引き離した。しかし、1000m61秒6のスローペースであり、本命のミスターシービーは後方待機。


鞍上のジョッキー達は動かないことを選択し、この状況を最大限に利用したカツラギエースは脚を貯め、直線で力尽きそうになるものの驚異の粘り腰を見せ、ベッドタイム、シンボリルドルフ、マジェスティーズプリンスらの追撃を振り切って逃げ切り、勝利を掴んだ。


しかし、シービー・ルドルフの2強対決になると期待していた観衆からはどよめきが聞こえ、ゴール後のスタンドは静まり返っていたが、「勝ったのは日本馬のカツラギエース!!」とアナウンサーが叫ぶと再度歓声が飛んだ。

勝利ジョッキーインタビューでは、西浦騎手は現在の気持ちについて尋ねられた際、「してやったり!」とコメントを残した。


余談

当時の競馬界では関西(栗東)と関東(美浦)は今の様に交流がなく、関西、関東馬の殆ど情報が入って来なかった。そのため、関西はカツラギエースが勝ったとものすごく喜び、逆に関東は「誰だこの馬…?」という状態になっていたという。


  • 引退へ

カツラギエース陣営はこの勝利で種牡馬としての価値が高まったとして、有馬記念を最後に引退を決定。有馬記念ではミスターシービー、シンボリルドルフ、そしてカツラギエースの3強対決と銘打たれ、ついに三冠馬へ比肩する存在となった。本番ではジャパンカップ同様に果敢に逃げを打ったが、シンボリルドルフの徹底マークの前に2着に沈む。しかし、宿命のライバルであったミスターシービーには先着し、あの勝利がフロックではないことを証明し、現役生活を終えた。


引退後は種牡馬となる。産駒は東京ダービー馬のアポロピンクエンプレス杯を連覇したヒカリカツオーヒなどを代表にダートの強豪を輩出したが、父としても母父としても、クラシックを狙える芝の有力馬はほとんど出すことができなかった。


  • あの戦いをもう一度

2000年、当時心臓を悪くしていたためカツラギエースは療養生活に入っていたが、7月3日に容態が急変し、死去。死因は心不全だった。享年21。


北海道日高郡新ひだか町の冬沢牧場に建立された墓石にはこんな碑文が刻まれている。


あの"ジャパンカップ"を想い出します

"ジャパンカップ"の感動を!!

もう一度、君とミスターシービーの対決を!!


この碑文は熱烈なカツラギエースのファンによって考えられたと言われている。


そして、あのジャパンカップから39年後、姿形は変われど、カツラギエースはウマ娘として再びターフに現れたのだった。


願わくば、あの戦いをもう一度…

もう一度、君とミスターシービーの対決を!!


史実で対戦経験のあるウマ娘

強調はカツラギエースが先着したレース。◎は勝鞍。☆は勝ち馬。

〈※〉はヤマニンゼファーの育成シナリオ等に登場するウマ娘

〈○〉はエアグルーヴの育成シナリオに登場するウマ娘

〈△〉はカツラギエースの育成シナリオに登場するウマ娘

ミスターシービー……83年皐月賞☆、東京優駿☆、京都新聞杯◎、菊花賞

           84年毎日王冠◎、天皇賞(秋)☆、ジャパンカップ◎、有馬記念

・「マイルの皇帝」(※ニホンピロウイナー)……83年皐月賞中京4歳特別

シイナフレジュス(△メジロモンスニー)……82年萩特別☆、3歳S(11/27京都OP)☆

           83年皐月賞東京優駿神戸新聞杯

・エアグルーヴの母親(○ダイナカール)……84年毎日王冠◎、有馬記念

シンボリルドルフ……84年ジャパンカップ◎、有馬記念


余談

そっくりさん?

髪型や男勝りな性格や格好から『キルラキル』の纏流子との類似点が指摘されている。キルラキルで使われたフォントを使ったり、鮮血を着せたりしたイラストも多い。

まとめカツラギエースって誰かに似てると思ったら流子に似てるな


19年越しの逃げ切り勝ちへの夢

ジャパンカップで華麗な逃げ切り勝ちを見せたカツラギエースだが、その逃げ切り勝ちを目撃し、感銘を受けた一人の少年が騎手になる事を志した。

その少年の名は佐藤哲三

相棒となるタップダンスシチーと共に、カツラギエース以来19年ぶりにジャパンカップで逃げ切り勝ちを達成する騎手である。


地元でカツラギエースに目をかけていたあるオッサンの元ネタ

モチーフとされる馬喰の佐藤伝二はテンポイントトウショウボーイをダービーで破ったクライムカイザーを見出した人物でもある。

ウマ娘のカツラギエースが閉塞的な空気が嫌う理由は、テンポイントとトウショウボーイを負かしたクライムカイザーは荒い騎乗もあって『犯罪皇帝』とヒール扱いを受け、それ以降も悪評が尾を引き、種牡馬としても人気が出なかった事に由来するのでは?という考察もある。


関連項目

ウマ娘プリティーダービー ウマ娘

ウマ娘プリティーダービー(ゲーム)

カツラギエースカツラギエース(ウマ娘)


同期(83世代


ジャパンカップ逃げ切り(史上3頭)


主戦騎手・西浦勝一繋がり

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