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アメリカ帝国

あめりかていこく

アメリカ合衆国の政治的、経済的、軍事的、文化的な影響力を指す用語。American Empire.
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概要編集

アメリカ合衆国が事実上または比喩的に帝国または帝国主義である、という立場からも使用されている。略称は米帝(べいてい)。

帝国」とは本来、複数の小さな国や民族などを含めた広大な領域を統治する国家のことで、帝政(皇帝を元首に戴いた体制)であるとは限らない。


19世紀 『アメリカが一番気質的にも帝国的だった時代』編集

18世紀にはスペインポルトガルオランダイギリスフランスなど歴代のヨーロッパ列強が、帝国主義的拡張を行っていた。


アメリカ合衆国は1776年に独立したが、18世紀前半はマニフェスト・デスティニー的な地続きの領土拡張を行っていた。

また、イギリスからの独立を掲げて果たした事もあり、植民地主義には反対し、独立に賛成する世論が強かった。


1846年からの米戦争などで現在の合衆国本土域が確定した後に、中央アメリカへの干渉を本格化し、1909年からのニカラグア干渉では政府を転覆させ占領を行った。

1898年の米西戦争とパリ条約により、スペイン帝国は西インド諸島太平洋におけるほとんどの植民地をアメリカへ割譲し、合衆国による植民地獲得競争への参加が本格化した。


以下は過去または現在においてアメリカ合衆国領、及び保護国(事実上、憲法上の双方)であった地域である。

  • アラスカ: 1867年ロシアから720万ドルで購入、1959年州に昇格。
  • グアム: 1898年パリ条約によりスペインから割譲、1941年日本軍占領、1944年アメリカ領復帰、1950年アメリカ自治的未編入地域(自治領)。
  • フィリピン: 1898年パリ条約によりスペインから割譲、米比戦争により第一共和国を併合、植民地化。1934年自治領、1941年日本軍占領、1943年独立(第二共和国)、1945年アメリカ自治領復帰、1946年独立(第三共和国)。
  • プエルトリコ: 1898年パリ条約によりスペインから割譲、1917年自治的未編入地域、1952年自治領、1998年アメリカ合衆国の51番目の州昇格を巡る住民投票を否決。
  • キューバ: 1902年プラット修正条項によりグアンタナモとバイアオンダを租借(事実上の保護国化)、1934年プラット修正条項廃止、1940年新憲法施行、1952年バチスタ独裁政権成立、1959年キューバ革命でカストロ独裁政権成立(ただしグアンタナモ基地は依然アメリカ領)。
  • ハワイ: 1893年アメリカ人農場主らがクーデター、1894年ハワイ共和国成立、1898年アメリカ自治的編入地域(準州)、1959年州に昇格。
  • アメリカ領サモア (1899年ベルリン条約によりドイツより西サモアを割譲、1948年アメリカ非自治的未編入地域、1967年新憲法下で事実上の自治領。
  • パナマ運河地帯: 1903年パナマ運河条約により租借、1999年パナマ共和国に返還。
  • ハイチ: 1915年アメリカ軍が占領、1934年撤退。
  • ドミニカ共和国: 1916年アメリカ軍が占領、1922年撤退。
  • ヴァージン諸島: 1917年デンマークから2500万ドルで購入、1932年自治領。
  • 太平洋の国連信託統治領: 1945年〜90年、現在はマーシャル諸島ミクロネシア連邦パラオの独立国、およびアメリカ自治領の北マリアナ諸島。

※上記の他、西アフリカのリベリアは、アメリカからアフリカへの解放黒人奴隷の送還と植民による「リベリア植民地」が母体となり建国され、1847年の独立では合衆国憲法を基本とした憲法を制定したが、アメリカから帰還?した「アメリコ・ライベリアン」が原住民に圧制を敷いた。


米西戦争前にはスペインの劣悪な原住民支配を批判し世論も戦争に賛成したが、獲得後は逆に各国の独立運動を弾圧してキューバも事実上、アメリカの支配下におかれた。


1898年から1900年までのアメリカ大統領選挙では、「進歩の時代」を掲げてフィリピンを領有してヨーロッパ列強と同様に植民地主義を進めるべきとの「帝国主義者」と、共和制の価値を重視して各国の独立を支持してアメリカは他国への干渉を控えるべきとの「反帝国主義者」の間で、いわゆる「帝国主義論争」が発生した。

結果は「帝国主義者」の側だった共和党のウィリアム・マッキンリーが大統領となり、併合を進めた。

続く米比戦争(1899~1913年)では、作家マーク・トウェイン実業家のアンドリュー・カーネギーに代表されるアメリカ反帝国主義連盟などが、植民地主義に反対し、各国の独立運動に賛成する立場から、フィリピンの併合に反対した。


第二次世界大戦終結後も、以下の事件の際にもアメリカを批判する立場から「アメリカ帝国(主義)」の言葉が使用された。


軍事侵攻編集


非軍事的な干渉編集


フィデル・カストロとチェ・ゲバラは、キューバ革命当初は反米を掲げていなかったが、1961年のピッグズ湾事件以降は「アメリカ帝国主義との闘い」を主張した。


2000年代よりベネズエラのウゴ・チャベス大統領は、「アメリカの帝国主義」への放言を繰り返しラテンアメリカカリブ諸国共同体の結成を主導した。


現在編集

ソ連崩壊による冷戦終結後は、アメリカ合衆国が「(実質)唯一の超大国」となった。

よって親米ならどんな圧制国でも“自由で民主的”と存在が容認され、反米ならその国の国民の自由意志により立てられた政権であっても“世界平和と民主主義の敵で討ち果たされるべき存在”というレッテルを貼られることになった。


民衆により独裁体制が打ち倒された後の為政者は、親米であればアメリカの庇護を受ける事が出来たが、反米(イスラム原理主義、共産主義を含む)の場合はそのまま放逐され、また処刑される者もあった。


経済では新自由主義を推進し、特にイラク戦争ではネオコンの主張もあり外交でも国際協調主義から単独行動主義に重点を移したため、肯定的な立場からも否定的な立場からも「アメリカ帝国」との表現の使用が再び増加した。


関連タグ編集

アメリカ合衆国 米帝プレイ


ジョシュア・ノートン(ノートン1世):実在した唯一の“アメリカ皇帝”。

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