解説
「伍長」とは、一般には軍隊の階級の一つである。最下級の下士官と見倣される。
「伍」は文字の作りのとおり「5人」という意味で、古代中国の軍隊が、5人を最小単位として小隊を編成したことに基づく。
なお、史実における有名な「伍長」は「アドルフ・ヒトラー(第一次世界大戦時)」である。
歴史上の「伍長」や日本の「伍長」、「伍長」に相当するとされる英語のcorporalに該当する海外諸国の階級については下記の通りである。
歴史上の地方制度としての「伍長」
「伍」は「五人単位の組織全般」に用いられ、古代中国の周の時代には、地方支配の末端の役職に「伍長」があった。
「五人組の頭」、「五人一組の隣組の長」として、この語が用いられた。
日本の伍長
- 幕末、新選組で組長の下におかれた役職。
- 明治時代初期の仙台藩では、江戸時代の五人組を引き継ぐものとして、「伍中」という単位を設け、「伍長」を任命して統括させた。
- 明治初期の大日本帝国陸軍における下士中の最下級の階級。「伍長一等」・「伍長二等」とに分かれる(当時は曹長・軍曹もそれぞれ一等・二等に分かれていた)。明治12年10月10日改正「陸軍武官官等表」などに見られる。
- 明治32年までの大日本帝国陸軍で憲兵分隊に置かれた職名。明治32年12月1日以降は、階級としての伍長と混乱を避けるために「班長」と改称された。
- 明治32年以降の大日本帝国陸軍における下士官の最下級の階級。軍曹の下、兵卒の上にある。
- 明治32年以前は「二等軍曹」と呼称した。
- 明治32年10月25日勅令第411号(同年12月1日施行)により、陸軍武官官等表を改正し、旧「二等軍曹」が「伍長」と改称された。
- 大日本帝国海軍(海上自衛隊でも準用)においては、各部隊等の先任下士官等の職名又は俗称の一つ(先任伍長等)。
- 消防伍長:宮内省皇宮警察消防科職員の階級の一つ。
日本陸軍(明治32年 - 昭和20年)
明治32年10月25日勅令第411号(同年12月1日施行)により、陸軍武官官等表が改正されて、旧「二等軍曹」が「伍長」と改称された。
伍長(判任官四等)になるには次の3つの過程があった。次のような経歴を経て「兵」から進級した者。
- 一等卒(昭和6年11月10日以後は一等兵)の中から選ばれて「上等兵候補者特別教育」を受ける。
- 「上等兵候補者特別教育」を受けた者のうちで適任と判断された者は、上等兵になる。
- 上等兵で除隊後も勤務を希望した者は、隊内で1年間教育を受けた。更に1年間「陸軍教導学校」で教育を受けて、伍長に進級した。
進級後は最低4年間は現役を続ける義務があった。
4年間伍長を務めると、軍曹に進級した。
昭和2年以後は幹部候補生、中学校卒業者で「乙種幹部候補生」の教育を受けた者。
平時はそのまま除隊し、予備役に編入された。
「陸軍士官学校予科」(後年「予科士官学校」)を修了した士官候補生。
士官学校生徒は本科進学の前に6ヶ月間(太平洋戦争末期は2ヶ月間)隊付を経験する義務があった。
大日本帝国海軍では三等兵曹(昭和17年からは二等兵曹)がこれに相当した。
海上自衛隊における「先任伍長」の「伍長」は階級ではなく役職である。
現実における伍長
第一次世界大戦当時の階級は伍長だった。よって「歴史上で一番有名な伍長」とされている。
ただしヒトラーの階級「Gefreiter」は下士官ではなく兵卒であるため、どちらかというと兵長と訳す方が正しい。なのになぜ伍長と日本で呼ばれるかというと当時の日本では兵長という階級がなかったので「第一次世界大戦時、伍長勤務上等兵だった」と報道されていたが、長すぎるので「伍長」だけになっていたためである。
1942年にポーランド軍に徴兵され補給部隊で従軍した熊。軍用犬とは違い運用の為に徴兵したのではなく引き取った小熊を部隊で飼っておりマスコット扱いとなっていたからであるが、後に輸送船に乗せるために正式な軍籍を与えられている。
創作物における主な階級が「伍長」の人物(五十音順)
あ行
か行
さ行
進め!カモメ伍長カモメ@白猫プロジェクト |
後に准尉へと昇格 |
は行
ま行
ら行
ランデル・オーランド@パンプキン・シザーズ | ロージー@戦場のヴァルキュリア |
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