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吾妻ひでお

あづまひでお

日本の漫画家である。ロリコンブームの火付け役とされる。 偉大なるビッグマイナーな漫画家。
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吾妻 ひでお(あづま ひでお、1950年2月6日 - )北海道生まれの日本漫画家。「ギャグ漫画家」を自称し、コメディを主に手がける。

経歴

手塚治虫石ノ森章太郎に影響を受け漫画家を志す。1968年高校を卒業し上京して板井れんたろうのアシスタントとなり、1969年に『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。

1972年より『週刊少年チャンピオン』でお色気コメディ『ふたりと5人』を執筆し一躍人気を得るが、もっぱらエロと美少女で売ろうとした編集者の言いなりにされ、読者からエログロの烙印を押される。これにすっかり嫌気がさした吾妻は、1976年の『ふたりと5人』連載終了後、好きなものが描けるマイナー誌へ活動の場を移し、1979年末までに一般少年・少女誌での連載がすべて終了、執筆の場は青年誌とマニア誌へ完全に移行した。

SFやナンセンス要素をふんだんに盛り込んだ作風はSFマンガのニューウェーブと評され、1980年代に一世を風靡した不条理コメディ・ロリコンブームの火付け役とされる人物になるに至った。

吾妻が描きたい作品を描きたいように描き人気を博したこの時代を吾妻自身「夢のようだった」と語るが、1985年ごろからアルコールに溺れ漫画と距離を置くようになり、事実上の断筆状態になる。

ほどなく仕事を放り出して失踪(本人曰く「取材旅行」)、自殺未遂、路上生活、肉体労働、アルコール依存症、強制入院、アル中病棟を経て2005年より『失踪日記』なる自伝マンガを発表し再び現代の漫画家やイラストレーターたちにその名を知らしめ、かつての作品が再販もされた。 2013年には、続編となる『失踪日記2 アル中病棟』を上梓した。

絵柄・作風

いわゆる「手塚治虫調」の、当時としても古めの絵柄だったが、そのコメディセンスは革新的で、高橋留美子竹本泉まつもと泉ら後進の漫画家に多大な影響を与えた。

なお吾妻の絵柄は師匠である板井れんたろうの画風を発展させたもので、「笑い目で泣く」や「笑い目で汗をかく」といった1960年代に板井が開発した独特の表現法が、1980年代になって吾妻経由で多くの漫画家に広まることになった。吾妻の作風は板井の得意としたほのぼのとした古典的コメディとは真逆の、神経症的な不条理コメディであるが、古風であるがゆえに、表情を表す記号をすべて取り払った中性的な表現(ナハハの顔)など、アヴァンギャルドなことをやれたらしい。

元祖ロリコン漫画家として

大塚英志をはじめとする複数の著名人が、吾妻をロリコンブームの火付け役だったと主張しており、1980年前後のロリコンブームとの関連性は無視できない。

吾妻が主宰していた日本初のロリコン同人誌『シベール』やエロ劇画誌の『劇画アリス』、自販機本の『少女アリス』などに、メジャー誌出身である吾妻が作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きに結びついている。

また自販機本の『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は「純文学シリーズ」を「最初の確信犯的なロリコンまんが」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている。

ロリコン漫画誌『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『シベール』の同人たちが起用されている。

代表作

ふたりと5人
やけくそ天使
チョッキン
不条理日記
パラレル狂室
海から来た機械
スクラップ学園
ななこSOS
オリンポスのポロン(おちゃめ神物語コロコロポロン)
夜の魚
笑わない魚
失踪日記
ほか著作多数

影響を与えた主な人物

米澤嘉博
庵野秀明
江口寿史
えんどコイチ
高橋留美子
竹本泉
とり・みき
まつもと泉
山本直樹

交際のある人物

坂本龍一
米澤嘉博
新井素子
いしかわじゅん

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