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概要編集

本名:吾妻日出夫(1950年2月6日~2019年10月13日)


日本漫画家。主にSFナンセンス色の強いギャグ漫画を手がけた。ビッグマイナーな漫画家とされる。

1980年代に一世を風靡した不条理コメディ・ロリコンブームの火付け役で、吾妻が描きたい作品を描きたいように描き人気を博し、自身の絶頂期だったこの時代を吾妻自身「夢のようだった」と語り、この頃に作家・新井素子との交友を得て、共著エッセイ「ひでおと素子の愛の交換日記」はベストセラーになっている。


来歴編集

1950年2月6日、十勝郡浦幌町北海道)に誕生。

1955年、両親が離婚。実母と引き離されたトラウマで閉所恐怖症に苦しみ、十二指腸潰瘍で入退院を繰り返し、あまり学校へ行っていなかった。

1965年、「マンガ家入門」(石森章太郎秋田書店)を読み漫画家を志す。『COM』(虫プロ商事)のぐらこん北海道支部に参加。

1968年、高校を卒業し上京して凸版印刷に就職するが1か月で退職。板井れんたろうアシスタントとなる。


1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。

1972年、『週刊少年チャンピオン』でお色気コメディ『ふたりと5人』を執筆し一躍人気作家となるが、エロと美少女で売ろうとした編集者の言いなりとなりエログロの烙印を押される。

1973年、結婚。


1976年、『ふたりと5人』の連載が終了。好きなものが描けるマイナー誌へ活動の場を移す。SFナンセンス要素をふんだんに盛り込んだ作風はニューウェーブと評された。

1977年、『月刊プリンセス』(秋田書店)に『オリンポスのポロン』を連載。

1979年、沖由佳雄蛭児神建らとともに日本初のロリコン同人誌シベール』(無気力プロ)をコミックマーケットで販売。

1980年、長女が誕生。自販機本『少女アリス』(アリス出版)に「純文学シリーズ」と題してロリコン漫画を発表。『ぱふ』『リュウ』で特集が組まれる。『ポップコーン』及び『ジャストコミック』で『ななこSOS』を連載。

1981年、『奇想天外』臨時増刊『吾妻ひでお大全集』が発売される。

1982年、『オリンポスのポロン』が『おちゃ女神物語コロコロポロン』としてフジテレビ系でアニメ化。

1983年、長男が誕生。『ななこSOS』がフジテレビ系でアニメ化。

1985年ごろから低迷期に入る。


1989年11月、自殺未遂と一回目の失踪。ホームレスとして暮らすが、翌年2月に警察に発見・保護された。失踪前より太っていた。

1992年4月、再び失踪。8月にスカウトされて東京ガスの孫受け会社で配管工として働く。「東英夫」名義で社内報四コマ漫画を投稿し採用されたが、本職の漫画家だと気づく人は誰もいなかった。

1993年、知人から貰った自転車盗難車で、警察の職務質問を受けて逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けた。

1998年、重度のアルコール依存症のため奇行が多くなり、自殺未遂などもあったため、家族により入院させられた。

1999年春、治療プログラムを終了して退院。以後、断酒を続けた。


2005年3月、『失踪日記』(イースト・プレス)を出版。各メディアで話題となり、第34回日本漫画家協会賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会星雲賞ノンフィクション部門を受賞。

2013年、アルコール依存症の入院経験を作品化した『失踪日記2 アル中病棟』(イースト・プレス)を出版。

2017年、食道癌が判明し手術を受ける。

2019年10月13日、都内の病院で死去(69歳)。


絵柄・作風編集

いわゆる「手塚治虫調」の当時としても古めの絵柄だったが、そのコメディセンスは革新的で、高橋留美子竹本泉まつもと泉ら後進の漫画家に多大な影響を与えた。


なお吾妻の絵柄は師匠である板井れんたろうの画風を発展させたもので、「笑い目で泣く」や「笑い目で汗をかく」といった1960年代に板井が開発した独特の表現法が、1980年代になって吾妻経由で多くの漫画家に広まることになった。吾妻の作風は板井の得意としたほのぼのとした古典的コメディとは真逆の、神経症的な不条理コメディであるが、古風であるがゆえに、表情を表す記号をすべて取り払った中性的な表現(ナハハの顔)など、アヴァンギャルドなことをやれたらしい。


元祖ロリコン漫画家として編集

大塚英志をはじめとする複数の著名人が、吾妻をロリコンブームの火付け役だったと主張しており、1980年前後のロリコンブームとの関連性は無視できない。


吾妻が主宰していた日本初のロリコン同人誌『シベール』やエロ劇画誌の『劇画アリス』、自販機本の『少女アリス』などに、メジャー誌出身である吾妻が作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きに結びついている。


また自販機本の『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は「純文学シリーズ」を「最初の確信犯的なロリコンまんが」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている。


ロリコン漫画誌『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『シベール』の同人たちが起用されている。


またSF作家大森望氏の「ライトノベル☆めった斬り!」において昨今萌えの概念の元祖とまで評されたこともあったが

本人はこの件を指して「萌えなどという気持ち悪い言葉は知らん」とバッサリ否定している。


失踪編集

1985年ごろから酒量が増え仕事を放り出して断筆状態になる。

失踪(本人曰く「取材旅行」)、自殺未遂、路上生活、肉体労働、アルコール依存症、強制入院、アル中病棟、断酒会を経験。

失踪中も漫画を描く機会は何度かあったが、誰にも自分が吾妻ひでおだとは気付かれなかった。

唯一、吾妻ひでおを知っていたのは警察に保護された際に担当した吾妻ファンの刑事で、先生何やってんですかとお説教された。

2005年より失踪体験を元に『失踪日記』を発表して再評価され、旧作も再販された。

2013年には、続編となる『失踪日記2 アル中病棟』を上梓した。


関連イラスト編集

「追悼 吾妻ひでお先生」センシティブな作品猫山美亜黒ストミャアちゃん

プリンセスアソコ○月×日 インド人が来る吾妻ひでお先生、ご冥福をお祈りいたします。センシティブな作品


代表作編集


影響を受けた人物編集


交流のあった人物編集

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