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生没:1948年6月28日 - 2005年2月24日

別名:杉村のぼる


来歴編集

日活アクション映画や、テレビドラマ『太陽にほえろ!』などで知られる小川英の門下に当たる人物で、キャリアの初期はその小川との連名で前出の『太陽にほえろ!』など、様々なテレビドラマの脚本を担当。1978年に『ルパン三世』(第2シリーズ)の第59話を執筆して以降は、単独でクレジットされるようになる。

1984年放送の『星雲仮面マシンマン』にて東映特撮に参加して以降、その活動の主軸を東映特撮に移し、『仮面ライダーBLACK』(1987年)では上原正三離脱後のメインライターを引き継ぎ、メタルヒーローシリーズスーパー戦隊シリーズでも売上を回復させ、連年に亘って主力として手腕を振るうなど、1980年代後半から1990年代前半にかけての東映特撮を牽引した人物の一人として数えられる。


1990年代後半に入ると東映特撮より距離をおいた一方、岡本吉起が立ち上げたゲーム開発会社「フラグシップ」の中心メンバーとして、ゲームシナリオの分野での活動が目立つようになり、『鬼武者』シリーズや『バイオハザード』シリーズなどにも関与。晩年に至るまで精力的に活動を続けた。

2005年2月24日、急性心不全により56歳で逝去。


人物編集

刑事ドラマ出身であるが故のハードな作風や、東映特撮で辣腕を振るっていた頃のSFマインドに富んだストーリーテリングに定評がある。後者については単に科学技術を描くに留まらず、それを扱う人間の精神の変化を描くものであるとの考えを持っており、レスキューポリスシリーズではそうした杉村の考えが前面に押し出されたストーリーも多い。

またゲーム好きな一面もあったようで、それが脚本に大いに活かされたのが『恐竜戦隊ジュウレンジャー』でのファンタジーや、RPG要素の導入である。

杉村と協働の機会も多かった脚本家の高久進曰く、杉村はかなりのアイディアマンで、一つのシナリオにアイディアを惜しみなく複数盛り込んでいたという。これをもったいないと忠告した際には「別の話を書くときには違うアイディアを考えればいい」と返されたという。


一方で杉村が手がけた脚本はライブ感が強く好みが分かれるところがあり、いわゆる「ご都合主義」「超展開」と言える突拍子もないストーリーが描かれたり、その場の盛り上げを優先してそれ以前のストーリーや設定との整合が取れない展開も少なからず見受けられ、この事から当時の高年齢層のファンからは不当に低評価される風潮も強かった。

もっとも、こうしたご都合主義や超展開とも取れるストーリーは、何も杉村一人に限ったものではなく、こと東映特撮においてはある種の伝統芸のような節もあるため、これをもって杉村の手がけた脚本が低質であったことを意味するものではない。2010年代に入るとYouTubeなどで過去の東映特撮が配信されるなど、杉村の手がけた作品が若い世代の目にも触れられるようになったことにより、その評価の見直しも進みつつある。


担当作品編集

※太字表記の作品にはメインライターとして関与。

メタルヒーローシリーズ編集

仮面ライダーシリーズ編集

スーパー戦隊シリーズ編集

バイオハザードシリーズ編集

鬼武者シリーズ編集


関連タグ編集

脚本家 ゲームクリエイター


白倉伸一郎:東映のプロデューサーの一人。若かりし頃にスーパ戦隊シリーズにて協働経験があり、とある怪人を巡っての一件などを通して、杉村から様々に影響を受けた人物の一人でもある

次元と帽子と拳銃と:『ルパン三世PART2』のエピソードの一つ。ファンの間で何かと物議を醸したこのエピソードも杉村の手によるものである

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