概要
軍師とは、軍を指揮する君主・将軍など(=最高司令官)が行う戦略指揮に戦略・戦術を提案、補佐などを務める者。
近代~現代の参謀・幕僚に相当するが、戦略指揮の補佐しかしない例はまずなく、軍の指揮そのものや政治・行政一般にも関与している。
中国では、戦乱期に群雄の参謀となった名士や学者が、「軍師」と呼ばれるようになった。
軍師という役職の位置付けが本格的なものになったのは三国時代である。兗州牧だった頃の曹操が荀攸を軍師に郭嘉を軍師祭酒に任じたことが始まりである。のち漢の実権を握り丞相に就任した時、丞相府の軍師職を中・左・右・前・後と五分割した。
ちなみに軍師だった荀攸は五軍師筆頭の中軍師になっている。
曹操のライバルだった劉備も諸葛亮を軍師将軍に、龐統を軍師中郎将に任じている。劉禅時代の蜀漢においては魏延と鄧芝は前軍師、楊儀は中軍師、費禕は後軍師を務めている。
彼らは献策だけでなく政治や軍事にも積極的に関与しているが、元が正規の官職ではなかった事もあり、職務の変質を繰り返しながら、隋で廃止された。ただし、職務での「軍師」ではなくても軍師的な活躍をした人々は、まだ軍師という職がなかった後漢以前の人物(呂尚や張良など)でも「軍師」と呼ばれるようになっていった。
軍師は「三国志演義」などの物語でも登場人物として出てくるが、フィクション性の強い作品内では、ほとんど魔法使いのような扱いを受ける羽目になる。
日本では源平合戦の頃から軍奉行や侍大将と呼ばれた者の中にも参謀的役割をする者もいたが彼らは軍師としては扱われなかった。
戦国時代に軍師と呼ばれた人物は合戦の際に占いを行う「軍配者」と呼ばれる武士・僧侶などであった。
江戸時代になると、過去の知将タイプの武将のうち、勢力の最高指導者でなかった者が、軍学、軍記物、講談、中国の歴史物語の影響を受けて、軍師として扱われるようになった。
軍師扱いされがちな人物
中国の軍師(リアルまたは伝承、カッコは仕えた主君)
日本の軍師(軍配者・武将問わず)
ちなみに軍師という役職は東アジアで見られるもので、中世以前の欧州では見られない。
軍師の役割は指揮官の行う事で、そのため、指揮官に求められるハードルは中国・日本よりも高く要求された(アレクサンドロス大王、ハンニバル・バルカなど)。