概要
コントローラー・画面・本体が一体となっており、持ち運びでき基本的に場所を選ばずゲームプレイができるのが携帯ゲーム機である。
英語では「Handheld game console」と呼ぶ。
ソフト交換で様々なゲームが楽しめるのが魅力。中には据え置きゲーム機をコンパクトにして携帯ゲーム機にしたものがある。
歴史
現在で言う所の「携帯ゲーム機」が世間に認知されたのは任天堂のゲームボーイの功績による所が大きく、その後も長らくゲームボーイ系列のハードを中心に展開してきたため、携帯ゲーム機の歴史=ゲームボーイの歴史とかぶる部分が多い。
しかし、ゲームボーイの前後、そしてライバルとして投入された各メーカーの携帯ゲーム機等も数多く有り、ここではその歴史について大まかに触れる。
第1~第2世代:携帯ゲーム機前夜
そもそも広義の意味での「携帯できるゲーム」を最初に世に送り出したのは米マテル社で、1976年に発売された『Mattel Auto Race』が第1号であった。
携帯ゲームと言っても、この時代のゲームは電子回路と物理スイッチによって簡単なミニゲームが遊べるという程度の物で、後年の携帯ゲーム機のようにROMを交換して別のゲームが遊べるわけでは無かった。
とはいえ、翌年同社が発売した『Mattel Football』が爆発的なヒットとなったのを受けて、他のメーカーも次々こうしたゲーム機を開発・発売する。
これらのゲーム機はLSIゲーム・LCDゲーム機と呼ばれ、その人気を受けて日本のメーカーも数多く参入した。
当初は液晶画面の左右に1つずつボタンがあるのみだったが、後発のゲームでは左に十字キー、右にボタンを集約したレイアウトが確立され、後々のゲーム機に非常に強い影響を及ぼしたことから、元祖ゲーム機扱いされる事もある。
そもそも液晶を使う事になったのは電卓からの構想と当時の液晶開発競争の頭打ちで電卓や時計ぐらいにしか使われないという事情が偶然重なったところから来ている。以降、携帯ゲーム機は液晶を搭載する事が主流となっていく。
実は1985年にエポック社が先んじてソフト入れ替え可能な「ゲームポケコン」を発売していたものの、肝心のゲームが内臓1本+5本しかリリースされず、携帯ゲーム機として認知される事はなかった。
第3世代:ゲームボーイ登場~群雄割拠の時代
本体価格が比較的廉価だった事、耐久性の高さ、『テトリス』発売などもあり、爆発的なヒット商品となった。
これに追従する形で、同年中にアタリが「Atari Lynx」を、
翌1990年にはセガが「ゲームギア」、日本電気ホームエレクトロニクスが「PCエンジンGT」を発売。
いずれもこの時代にすでにカラー液晶を搭載しており、更に既存の据え置き機相当のゲームがプレイ可能だったりTVチューナーと併用すればテレビが視聴できるなど、スペックだけで言えばゲームボーイを上回っていたものの、この時代のカラー液晶は消費電力が大きかったり残像が残りがちなどの弱点もあり、ゲームボーイの絶大なシェアを打ち崩すには至らなかった。
但し、ゲームギアは国内でこそゲームボーイには太刀打ちできなかったものの、国外ではそこそこに善戦しており、ゲームボーイに次ぐ立場を確保する事には成功している。
第4世代:据え置き機とのシェア争い~ゲームボーイ後発型登場
1990年代半ばに入ると、据え置きゲーム機ではSCEI(ソニー)の「プレイステーション」、セガの「セガサターン」等が登場。光学メディアを採用する事でソフトの大容量化・供給の効率化などを図り、多くのサードパーティが参入した。
対する任天堂も「NINTENDO64」を発売。
据え置きゲーム機が32ビット~64ビットに進化した事で携帯ゲーム機は相対的に見劣りするようになり、下火になりこのまま消えていくかに思われたが、1996年に『ポケットモンスター赤・緑』が発売されると、子供達の間で口コミにより人気に火が付き、社会現象化。
ゲームボーイはその人気がV字回復し、同年に発売されていた小型・廉価バージョンであるゲームボーイポケットもヒットし、1998年のゲームボーイカラーへと続く。
スーパーファミコンではスーパーゲームボーイ、NINTENDO64は64GBパックと、携帯ゲーム機と据え置き型ゲーム機との連携で任天堂が先陣を切る形となった時代でもある。
同時期では1995年にセガが「ノーマッド」を、1997年にタイガー・エレクトロニクス社が「game.com」などを発売していたが、前者はスペックが高くメガドライブのソフトをプレイ可能なものの電池消費が凄まじく、後者は供給ゲームソフトの少なさ等からそれほど知名度は上がらずで(日本国内向けに発売される事も無かった)マイナーに終わっている。
1998年にはSNKが「ネオジオポケット」を発売するが、販売戦略の失敗により自爆。
良作ソフトもそれなりにあったものの、同社が2001年に倒産した事ですぐに姿を消した。
このゲーム機、実はゲームボーイの生みの親である横井軍平氏が携わっており、当初はこの時代に安さを重視してモノクロという路線だったが、すぐに「ワンダースワンカラー」「ワンダースワンクリスタル」という後継機をリリースしている。
発売元が版権物の扱いに長けているバンダイである事もあり、多くの版権ゲーを矢継ぎ早に発売したり、スクウェアの移植・外伝作品を扱うという戦略により善戦した。
なお、後に携帯ゲーム機に参入する事になるSCEIはこの段階では携帯ゲーム機こそ出していないものの、プレイステーションと連動して遊べる電子ゲーム機のような機能を備えた「ポケットステーション」を発売している。
第5世代:ゲームボーイアドバンス1強時代
2001年に「ゲームボーイアドバンス」が発売されると、事実上携帯ゲーム機業界は任天堂の1強状態となった。
ゲームキューブとの接続により携帯ゲーム機をコントローラーにする活用法も見受けられた。
同時代には携帯電話機能などを備えた「GP32」「N-gage」「Zodiac」なども発売されるが、どちらかというとゲーム機というよりはガジェットマニア向けな面が強く、一部の層には受けたもののゲーム機としてはヒットせず、日本でも発売されていない。
第6世代:PSP登場~業界二分の時代
据え置きゲーム機において非常に大きなシェアを握っていたSCEIが携帯ゲーム機に参入し、「プレイステーション・ポータブル」を発表。
これに対し任天堂は、第三の柱として「ニンテンドーDS」を発表。
両機種共に2004年の年末商戦に発売された。
当時は特に据え置き機においてゲームの複雑化が指摘されており、DSは直感的な新しい操作体系を導入したことでゲーム離れを食い止め、ゲームとは疎遠だった女性層や高齢者層を引き込みゲーム人口の拡大に大きく貢献した。以後のゲーム市場は据え置き機から携帯機に主軸が移っていくこととなる。
対するPSPはマルチメディア機能などが盛り込まれ、PSやPS2からの移植・続編等が発売される程の高性能を備えていた。当初は伸び悩んでいたが『モンスターハンター』シリーズのスピンオフ・移植版である『モンスターハンターポータブル』シリーズが社会現象といえるまでの爆発的なヒットとなったことで、それまでの携帯機市場が任天堂1強であったのに対しこの時代においてはDSとPSPによって業界は二分されることとなった。
この年代では「GP2X」「OpenPandora」等が発売されているが、
こちらもやはりガジェットマニア向けな面が強い、小型のハンドヘルドコンピュータといった体のものである。
また、「Dingoo A320」というものも中国で開発・発売されているが、こちらはエミュレータを搭載しているなど合法性を欠いた機種であった。
第7世代:改良型ハードの時代
2011年に任天堂から「ニンテンドー3DS」が発売。
形は初代DSとほぼ同じだが、AR機能や立体視機能などを搭載した。
対するSCEIからは「プレイステーション・ヴィータ」が同年に発売。
PSPでは光学メディアを採用していたが、同年代に起こった大幅な半導体メディアの価格低下に伴い、Vitaは光学メディアではなく半導体メディアを採用した。
この頃になるとスマートフォンが本格的に普及し始め、ゲーム専用機の存在価値が低下してきたため、前世代と比べると販売台数が減少してしまう。
NEOGEOのゲームが遊べる携帯ゲーム機として「NEOGEO X」というものも2012年に登場したが、当初「順次発売予定」としていたゲーム集は第2弾までしか発売されず、本体の製造もすぐに終了。
製造元であるTommo社とNEOGEOの権利を持つSNKプレイモアの間でライセンス契約にトラブルがあったようである。
第8世代:現在
任天堂は据え置き型と携帯型の両方の性質を持つNintendo Switchを2017年に発売。これはあくまでも据え置き型として扱われており、当初は3DSシリーズと共存していた。
2019年にSwitchを携帯型として特化させた「NintendoSwitchLite」が発売されると、携帯機市場もSwitchにバトンタッチとなった。
SIEIに改名したSCEIは2019年のPS Vitaの製造終了に伴い、携帯ゲーム機事業から撤退。
スマートフォンが巨大なプラットフォームとなった事もあり、任天堂は新規の携帯ゲーム機を出さず、Switchの互換機を投入。SIEはPS Vitaの後継機を発表することはなく、事実上の撤退となった。
そんなご時世の中、panic.incはあえてモノクロ1ビット液晶とレトロなボタン配置、そしてクランクを備えた一風変わったゲーム機「Playdate」の製造・販売を表明。
2020年内に出荷予定とされていたが後に2021年初頭に延期となり、現時点ではリリースされていない。
『携帯型ゲーム機』の一覧
電子ゲームについては任天堂の物だけを記載する。
任天堂
携帯ゲーム機の老舗であり、長年に亘り数々の名機をリリースしている。今のところ常にトップシェアを維持。
湾岸戦争の爆撃から生還したゲームボーイやチョモランマ山頂でも問題無く動いたニンテンドーDSなど、耐久性・安全性の高さに定評がある。
名称 | 略称・別名など | 発売年月日(日本) |
---|---|---|
ゲーム&ウオッチ | ゲームウォッチ、GW | 1980年4月28日 |
ゲームボーイ | GB | 1989年4月21日 |
ゲームボーイポケット | GBP | 1996年7月21日 |
ポケットピカチュウ | ポケピカ | 1998年3月27日 |
ゲームボーイカラー | GBC | 1998年10月21日 |
ゲームボーイアドバンス | GBA | 2001年3月21日 |
ポケモンミニ | 2001年12月14日 | |
ゲームボーイアドバンスSP | GBASP | 2003年2月14日 |
ニンテンドーDS | DS、NDS | 2004年12月2日 |
ゲームボーイミクロ | GBM | 2005年9月13日 |
ニンテンドーDS Lite | DSLite | 2006年3月2日 |
ニンテンドーDSi | DSi | 2008年11月1日 |
ニンテンドーDSi LL | DSiLL | 2009年11月21日 |
ニンテンドー3DS | 3DS | 2011年2月26日 |
ニンテンドー3DS LL | 3DSLL | 2012年7月28日 |
Newニンテンドー3DS | New3DS | 2014年10月11日 |
Newニンテンドー3DS LL | New3DSLL | 2014年10月11日 |
ニンテンドー2DS | 2DS | 2016年2月27日 |
Newニンテンドー2DS LL | New2DSLL | 2017年7月13日 |
Nintendo Switch Lite | SwitchLite | 2019年9月20日 |
以下は家庭用携帯ゲーム機事業から撤退済み
エポック社
日本で初めて(ソフト交換ができる)携帯ゲーム機を発売した会社であったが、サードパーティを導入しなかったことが災いし短期間で市場からの撤収を余儀無くされた。
Atari
発売当時としては段違いに高性能なハードで携帯機市場に参入したが、価格と重量でゲームボーイに劣っていた。その後欠点だった価格と重量を改善した改良版LynxⅡを発売したが、ソフトの少なさは最後まで改善されず、任天堂とセガのシェア争いに追い付くことができなかった。
名称 | 略称・別名など | 発売年月日(日本) |
---|---|---|
Atari Lynx | Lynx | 1990年 |
セガ
任天堂と同じく老舗企業の一つ。ゲームギアはPSP登場以前の任天堂以外の携帯機としては最も善戦したハードだった。特に北米では一定の人気を獲得したことから後継機の開発も計画されていたが中断され、第二次ブームに乗ることはできなかったものの、現在もソフト供給で携帯ゲーム機市場を盛り立てている。
NEC(日本電気ホームエレクトロニクス)
据え置き機・PCエンジンのソフトをプレイできる携帯機を発売していた。他社に先駆けてTFT液晶を採用したこともあり、据え置き機のゲームをほぼ遜色無く遊べる品質を確保していたが、その分価格や稼働時間に問題があり、普及しなかった。
名称 | 略称・別名など | 発売年月日(日本) |
---|---|---|
PCエンジンGT | TurboExpress | 1990年12月1日 |
SNK
ハードの性能自体は優れていたものの、小刻みに上位機種を発表する販売戦略でユーザーの神経を逆撫でした結果不人気に終わり、SNK倒産の一因となったと言われる。後継会社のSNKプレイモア(現:SNK)は他社ハードへのソフト供給に転換し、2019年にはNintendo Switch向けにネオジオポケットのソフトが初めて移植された。
名称 | 略称・別名など | 発売年月日(日本) |
---|---|---|
ネオジオポケット | ネオポケ、NGP | 1998年10月28日 |
ネオジオポケットカラー | ネオポケカラー、NGPC | 1999年3月19日 |
(NEW)ネオジオポケットカラー | NEWネオジオポケットカラー | 1999年10月21日 |
SONY(Sony Interactive Entertainment)
最初の携帯機ポケットステーションはプレイステーションの周辺機器としての性格が強く、本格的な携帯機市場への参入はPSPが初めてとなる。据え置き機市場で任天堂を下したノウハウを信じて投入した携帯機だったが、社会現象を巻き起こしたニンテンドーDSに終始苦戦を強いられる。それでも、価格帯やソフトの対象年齢層の違いで何とか住み分けるところまで持ち込んだ。任天堂以外のゲーム機メーカーとしては最も携帯ゲーム機を普及させている。
ところが、プレイステーション・ヴィータを最後に携帯ゲーム機市場から手を引く事となった。
名称 | 略称・別名など | 発売年月日(日本) |
---|---|---|
ポケットステーション | ポケステ | 1999年1月23日 |
プレイステーション・ポータブル | PSP | 2004年12月12日 |
プレイステーション・ヴィータ | PSVita、PSV | 2011年12月17日 |
バンダイ(現:バンダイナムコ)
セガとは違い、携帯機を海外市場には展開していない。ゲームボーイカラーには太刀打ちできなかったものの、本体の縦横持ち替えを活かしたユニークなゲームや、スクウェアをサードパーティに迎えたことなどが功を奏し、日本市場に限っていえばスワンシリーズはゲームギアの2倍近くを売り上げた。
Tommo
SNKプレイモア(当時)から公式ライセンスを得て開発・発売された。ソフトは全て家庭用ネオジオ(AES)の復刻。周辺機器に接続することで据え置き機のようにテレビに出力することもできる。ライセンス関係のトラブルにより、2013年にSNKプレイモアに契約を解除された。
その他
携帯端末
スマートフォンゲームの登場で携帯ゲーム機の勢力図も大きく変わったが、問題はタッチパネルのみの操作と言う点ではデバイス的に限られた操作のものが多い。中にはサービス終了で二度と遊べないものが出てくる今後の問題点が出ている。
携帯ゲーム機の性質を併せ持つもの
ニンテンドースイッチ(先述のLiteで完全携帯ゲーム機のバリエーションが生まれた)
携帯ゲーム機とインターネット
今日では携帯ゲーム機の常時ネット接続は当たり前になっているが、携帯ゲーム機でのインターネット接続を最初に試みたのは米国のTiger electronics社が1997年に発売した「Game.com」である。これは専用カートリッジと専用接続ケーブル+専用モデムが必要であり現在ではやや大掛かりなシステムであったが、テキストベースのサイトしか表示できなかった。「Game.com」自体あまり売れなかった為、ここで一旦携帯ゲーム機のネット接続システムの歴史は途切れてしまう。
ところが2000年に日本でバンダイのワンダースワンの周辺機器「モバイルワンダーゲート」が登場する。専用カートリッジと併用でインターネット接続できるのだが、これは携帯電話(ドコモのmopera)を経由して接続するものであった。WebブラウザはHTML3.2相当に対応しており、そこそこWebサイトは見れた。FLASHには未対応。一応、ゲームのコンテンツダウンロードの構想はあったが携帯電話料金のせいもあってそこまで普及せず、購入するのは好事家ぐらいだった。
2001年には任天堂もゲームボーイカラーの周辺機器「モバイルシステムGB」を発売。どちらかといえばこちらはP2P形式のもので、システムを利用するにはプロバイダとしてDIONの専用プランの契約が必要だった。やはりこちらも通信料金がネックになり普及せず、日本での携帯ゲーム機ネット接続の歴史は一旦途切れてしまった。ちなみに対応する携帯電話同士の通信はサービス終了後も一応可能だったが、現在ではその当時の携帯電話が時代の流れで絶滅した為不可能である。
やがてブロードバンド環境の整備・Wi-Fi規格の普及で携帯ゲーム機のネット接続機能が本格的になってきた。任天堂の「ニンテンドーWi-Fiコネクション(後のNintendo Network)」、ソニーの「PlayStation Network(PSN)」といったサービスが構築されて世界的に携帯ゲーム機でも手軽にネットワーク接続ができる時代が到来したのである。
ニンテンドー3DSやPS Vitaではネット経由でのゲームのダウンロードプレイが可能。米国ではNVIDIA SHIELD Portableなどオンラインのリモートプレイに特化した端末も発売されている。
関連タグ
対義語:据え置きゲーム機