暗君
あんくん
概要
暗君とは、暗愚で統治能力が低い君主のことである。
暴君とは何かと類義語にされがちだが、意味は完全に異なる。暴君は統治した内容が問われ、暗君は本人の君主としての資質の低さが問われるためである。
暴君とされる君主でも有能な統治をした者もいれば、積極的な悪政は敷かなかったがあまりにも無能すぎたために暗君扱いされる君主もいる。また当初は名君だったのだが、次第に政治に厭いてきて暗君に堕ちた君主もいる。
「ある分野では成功したが別の分野では失敗した」「世の中を良くすることに積極的に取り組んだが裏目に出た」などのように名君か暗君かをはっきりと区別しにくい場合もある。また、後世の創作や歴史の改竄・間違った説が広まるなどによって名君だったのに暗君扱いをされてしまうことも少なくない。名君の素質を有していても、外患を誘発させたり王朝を断絶させたりした場合だと、暗君のそしりを受けることになってしまう。
それから、末期及び最後の君主は国を滅ぼしたあるいは原因を作ったとしてそのような扱いを受けがちだが、一部例外もいる。秦最後の王こと子嬰、東ローマ帝国末期の皇帝マヌエル2世、東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世はその一例である。
他方、政治を臣下に任せて自らは政治に口出ししない君主というのは一見すれば暗君のテンプレートであるが、「国王は君臨すれども統治せず」という言葉もあるように、適切な能力を持つ臣下が適切に政治を執り行っている分には理想の君主像という面もある。
現在の日本における象徴天皇制のもとでの議員内閣制も、天皇個人の能力に頼らず民主的に選ばれた国会議員・国務大臣が官僚の能力で統治をするもので、天皇個人の資質を問わず、政治を回すことができるシステムである。
主な暗君とされる君主
暴君を兼ねているものもあり(太字)。
日本
- 平宗盛:平清盛没後に家督を継ぐも、源氏との対決路線を維持しすぎて、壇ノ浦の戦いで平家の滅亡を許してしまう。そこで死にきれずに源氏側に捕虜として捕まり、斬首が決定した後も卑屈な態度や生への執着を崩さなかった。
- 北条高時:14歳の若さで執権に就任するも、24歳で病気により退任。闘犬や田楽に興じて政治を顧みなかった。足利尊氏や新田義貞の離反を招いて、鎌倉幕府を滅亡させてしまった。
- 後醍醐天皇:鎌倉幕府を打ち破り建武の新政を開始するも、その政策はずさん極まりないもので、武士達の反発を買った。その後足利尊氏に謀反を起こされ、吉野へ逃亡。以後、60年近くも続く南北朝の内乱を引き起こすきっかけを作ってしまった。
- 足利義政:8歳で室町幕府の将軍職に選出され、13歳の時に正式に就任。文化人としては一流の評価を残したものの、政治家としては将軍親政を志向しながらも、その定見のなさ故に却って権威失墜を招き、ひいてはこれが応仁の乱を誘発させる一因となった。さらに晩年に至るまで幕政の実権を掌握し続けようとして、妻や息子らとの対立も引き起こしている。
- 一条兼定:7歳で家督を相続。実はキリシタン大名。大友氏・宇都宮氏と組んで伊予への進出を試みるも失敗。その後、長曾我部元親の侵攻を止められず、忠臣を殺すなどの不行状も重なり、30歳の時に隠居を強制された。
- 今川氏真:最盛期から1代で大名としての今川家を滅ぼしてしまったために暗君という評価を受けてしまったが、高い教養を生かして徳川家に仕え、孫の直房が高家今川家を興す下地を作った。
- 酒井忠勝:大老にまでなった小浜藩主でなく、酒井忠次の孫に当たる庄内藩主。庄内藩に入部早々重税をかけた上に三弟忠重の傀儡と化しお家乗っ取りの危機を招くが、成立寸前のところで死去したため辛くも防がれた。
- 松倉勝家:見栄で実高4万石を面高10万石と申告し、領民に過酷な搾取を行って島原の乱の主因を作った。乱の責任を問われ、江戸時代の大名として唯一斬首に処された人物として知られる。
- 伊達綱宗:祖父譲りのあまりの放蕩ぶりに伊達騒動を起こしてしまい、隠居を余儀なくされた。
- 徳川家斉:15歳で将軍に就任。在任初期には松平定信が寛政の改革を行っていたが、在任の後半は家斉とその側近の水野忠成が幕政をみるようになり、先人たちが苦心して立て直した財政を盛大に使い倒し、幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行。挙げ句に隠居しても贅沢を止めず、息子・家慶の執政に口を挟んで来るなど、政治面では非常に残念。
中国
- 幽王:寵妃の褒姒を笑わせるために狼煙を上げることを濫発したせいで、本当に異民族の侵攻があったのにどの諸侯も助けに来なかったという、狼少年を地で行く逸話がある。
- 故亥:秦の二世皇帝。趙高の言いなりになって家臣たちを殺害。贅沢に走り土木工事を盛んに行った結果、反乱を招き最後はその趙高によって始末された。秦が短命に終わった要因の半分。
- 霊帝:内憂外患が多発している事態にも酒と女に溺れ、張譲ら十常侍という宦官集団に専断されることとなった。黄巾の乱が勃発し何とか平定するも、乱の首謀者が急死するという形であった。その暗愚っぷりは『三国志演義』でも同様であった。
- 劉禅(懐帝):彼の幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほど。しかし、意外にも暗君お決まりの名臣殺害命令とかはないため、この中ではかなりマシな方である。
- 恵帝(司馬衷):「穀物がないのならば、肉粥を食べればいい」と放言し、八王の乱を引き起こしてしまう。
- 南朝宋の皇帝、ほぼ全員:常人に理解出来るレベルの暗君でさえマシな方というとんでもない魏晋南北朝時代の王朝。歴代皇帝の約半数が「元凶」「前廃帝」「後廃帝」という明らかに何かおかしい呼び名で歴史書に記録されている。
- 南朝斉の皇帝、ほぼ全員:こちらも打倒した宋と同じ。
- 懿宗・僖宗:宦官が権力を専横したいがために、暗愚だからこそ皇帝に担がれた存在であった。
- 徽宗:芸術家肌の人物で、即位当初は民を思いやる面もあったようだが、思い通りにならないとたちまち興味を失い、趣味に没頭。庭園の造営など個人的な道楽のために重労働や重税を課すなど民の負担を顧みなかった。極めつけは金朝を裏切ったせいで息子の欽宗ともども金に拉致され、「昏徳公」(「昏」は暗い・愚かを意味する)に封じられてしまった。後世の史書での評価は「何でも卒なく出来た、君主以外は」。
- 海陵王:金朝における徽宗のような人物。徽宗はやった事は酷くても人格的にはマシ(嗜好性格が致命的に皇帝の責に合わなかっただけ)だったが、こいつは人格的にも残忍で女好きという絵に描いたような暴君。歴史書には「海陵という通称の帝位を廃された王・皇族・士大夫の資格さえないただの人」という意味の「廃帝海陵庶人」という名前で記録されている。
- 明の弘治帝以降の皇帝、ほぼ全員:浪費家だったり、悪徳宦官を重用したり、猜疑心が強すぎたりと問題児ばかり。なお、この中でも一番の暗君と評されるのは下の彼である。
- 万暦帝:当初は名臣・張居正がいたため政治は安定していたが、彼の没後は政治を放棄して後宮にこもっては贅沢に明け暮れていた。その間に官僚間の対立が深刻化し、豊臣秀吉の朝鮮出兵や後金のヌルハチの台頭などもあって明朝は一気に衰微してしまう。清の時代に編纂された歴史書「明史」中の「明は万暦に滅ぶ」はつとに有名。なお、「明史」を編纂したのは次の王朝である清朝だが、明の歴代皇帝の評価は概ね激甘であり、辛口の評価がされている数少ない例外がこの万暦帝である。
- 咸豊帝:列強の侵略が迫っているにもかかわらず、京劇などにふけっていた。清朝の中では一番の暗君ではあったが、他の王朝(特に明朝や五胡十六国)の暗君と比較すれば小粒である。
ヨーロッパ
- ヘリオガバルス:女装し男性奴隷の「妻」として振る舞うなど奇矯な行動が目立ち、政治を顧みず終始姦淫に耽っていた。ローマ史上最悪の君主と評されているが、ヴェスタの巫女に手を出すなどのタブー破りのほか、男色が当たり前であった古代ローマにおいても上記の振る舞いは皇帝には相応しくないと思われていたからである。
- ホノリウス:西ローマ帝国を実質的に滅ぼしたと言われる皇帝。彼の時代の西ローマ帝国は、ゲルマン人の一支族ヴァンダル族の血筋でありながら、後世「最後のローマ人」と言わえた名将スティリコの御蔭でかろうじて保っていたようなもので、スティリコが政敵の謀略で処刑された後は、西ローマは坂道を転げ落ちるようにズンドコ状態となっていく。もちろん、その間、彼は政治・軍事に何の関心も持たなかった。一説にはローマという名前を付けた鳩をかわいがっており「ローマが蛮族の手に落ちました」という報告が来た時「ローマなら、ここに居るぞ」と答えたと言われる。なお、後世の史書では「にわかには信じ難いが同時代の人々が『あいつならやりかねん』と思っていた事だけは確実」と書かれるのが通例。
- ジョン欠地王:父王ヘンリー2世からリチャード1世など子供達に領土の分与が行われた際、彼だけ領地が分け与えられなかったことから、即位前から「領地の無いジョン(John the Lackland)」と呼ばれていた。しかし皮肉なことに、即位後に綽名通り大陸にあった領土を失ってしまう。そのせいか、彼以降のイギリス王室は男児に「ジョン」という名前を付けるのを憚られるほど。なお彼が暗君だったおかげで、君権と言えど制限されるという立憲君主制がイギリスで生まれ、今日まで世界の君主制に大きな影響を与えている。
- ルイ15世:当初はフルーリー枢機卿の元で善政を敷いていた。しかし、枢機卿の没後に親政を開始すると、オーストリア継承戦争など外征を繰り返すようになり、結果として北アメリカ大陸での植民地全喪失や5回に及ぶデフォルトなどフランス王国の衰退を招いた。フランス革命やルイ16世の悲劇は、ルイ15世による失政の「後始末」としての側面も有している。
- シャルル10世:兄のルイ18世のあとを継いだが、復古的な反動政治を行ったせいで、7月革命を起こされてイギリスへの亡命を余儀なくされる。
- ルートヴィヒ2世 :中世ロマンに魅せられノイシュヴァンシュタイン城をはじめ建築普請に狂った「メルヘン王」。「狂王」という不名誉な二つ名で有名で、精神に異常をきたしたとされ幽閉された末不可解な死を遂げた。
架空の暗君
物語を成立させるために善良な王様が暗君にされることが多い。
- アラバーナ皇帝(「攻略本」を駆使する最強の魔法使い):極めて傲岸不遜な懐古主義者で、最終的に息子や近衛兵団によるクーデターが発生し、保身の為に娘に譲位した結果、新しく女帝となった娘の勅により、「帝族専用のいと尊き牢獄」とされる宮殿の西の塔の牢獄で一生飼い殺しの状態となり、物語からフェードアウトした。
- エルゼ姫(かいけつゾロリ):アニメ版では事あるごとに記念日を定めては別荘を建てまくり、夫を振り回していた。別荘の建設費はどこから出てきたのかは謎で、そのために税金を跳ね上げている描写もないのがそれに拍車をかけている(敢えて描いてないだけだけかも知れない)。しかも、『もっと!』では改心する前に子供ができてしまったのでレバンナ王国の将来が不安である。
- デデデ大王(星のカービィ):シリーズで一貫してバカ(良くてお間抜け)という性格設定をされている。ただし、統治者不在となった国の平定に乗り出したり、侵略者に対して率先して防衛の指揮を執るなど、一端の君主らしい姿勢を見せることもある。
- バカ殿(志村けんのバカ殿様):とにかくバカ&スケベで、家老が真面目な話をしていても遊んでいたり、大掛かりないたずらを仕掛けたりしている。そのバカっぷりに家老からは嘆かれたり、「バカのオリンピックに出たら金メダル」と言われたりするほどである。
- ワポル(ONEPIECE):先代国王から甘やかされて育った結果、マヌケで子供臭い性格かつ傍若無人な性格となった。ただ、本編再登場時では番外編での苦労もあって、品行方正とまではいかないまでも思慮に関しては多少成長している。