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二十四の瞳

にじゅうしのひとみ

壺井栄による長編小説。また同作品を原作とした映画・ドラマ作品。
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もしかして:24のひとみ倉島圭によるブラックギャグ漫画


概要編集

壺井栄によって執筆された長編小説作品。壺井栄の代表作であり、また最大のヒット作といえる。


瀬戸内海に面する寒村に在する岬の分教場(いわゆる分校)に赴任してきた女子師範学校を出たばかりのハイカラさんおなご先生・大石久子の奮闘と人生を軸として、彼女の初の受け持ちとなった12人の子どもたちとの交流と絆、また大正デモクラシー最先端の洗礼を受けていた大石と赴任した寒村を取り巻く旧弊な大人たちによる理想と現実と、その擦り合わせ、しかして、そうして築いた人間関係や子どもたちの未来を国の大義の名のもと、そのすべてを破壊し犠牲としていった大人の身勝手さおよび戦時体制の残酷さと、それゆえに大石と12人の子どもたちに襲いかかった凄惨なる運命を描いていった作品。

物語の舞台時間軸は1928年(昭和3年)から1946年(昭和21年)までとなっている。


実のところ「岬の分教場の子どもたちとおなご先生」による牧歌的な日常系のイメージが強い作品で、各種メディア作品でもその部分がピックアップされやすい作品なのだが、本作の肝となるのはその日常がいかに脆いものであり、それがいかようにして壊されていくのか、人間はその中でいかに別人レベルに変質していくのか、という部分なので、基本的には各登場人物軒並みバッドエンドの結末を迎える作品であると同時に、そこからの再起(遺されたわずかな希望)の提示(一種のメリバあるいはビターエンド)をオチとする作品である。


「戦争は、あるいはそれを至向する"国家"や"共同体"は、日々を懸命に生きようとする弱い者(特に子ども)から犠牲にする」「国(共同体)は、その失策から生じた本来出すべきではない犠牲をヒロイズムなどの美辞麗句をもって彩り『みんなのため』『大切な人たち(家族や友人など)を守るため』などの詭弁を弄し『当然のもの』『犠牲になる事は素晴らしいこと』として正当化する(子どもや田舎の人びとは彼らがそうであるがゆえに、簡単にその美辞麗句に騙されてしまう)」「本来ならば自身、首を傾げてしまうような事でも、美辞麗句や同調圧力に誤魔化されてしまい、気がつけば自身の生存のため首を縦に振らねばならなくなる立場へと急激に追い込まれてしまう」などといった事象をまざまざと正面から描き出した戦前を舞台とした戦後反戦文学の金字塔である。


タイトルの『二十四の瞳』とは「大石先生の教え子である12人の子どもたちの目(12×2=24)の輝き」からきている。


1952年(昭和27年)にキリスト教系雑誌『ニュー・エイジ』にて連載された。同年に光文社より文芸単行本が出され、1957年に新潮社より文庫版が出された。以降、角川書店ポプラ社など多くの出版社から文庫版や児童書版、漫画版などが出されている。


また後述のように映像化作品は11作品に及ぶ。

映画版編集

1954年版編集

1954年(昭和29年)に公開された木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演による日本映画。


小豆島を舞台に日本が第二次世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに、否応なく飲み込まれていく女性教師と生徒たちの苦難と悲劇を通して、戦争の悲壮さを描いた作品である。


実は原作では舞台は「瀬戸内海べりの一寒村」とされ小豆島とは明記されていないのだが、壺井の故郷が小豆島だったことから小豆島に設定され、本作公開以降は「二十四の瞳=小豆島」というイメージが定着した。


出演者

大石先生:高峰秀子

大石先生の夫:天本英世

男先生:笠智衆

磯吉:田村高廣

マスノ:月丘夢路

松江:井川邦子

早苗:小林トシ子

大石先生の母:夏川静江

男先生の妻:浦辺粂子

よろずや:清川虹子

飯屋のかみさん:浪花千栄子

校長先生:明石潮

ちりりんや:高原駿雄

松江の父:小林十九二

小林先生:高橋トヨ子


1987年版編集

朝間義隆監督、田中裕子主演でリメイクされ、1987年(昭和62年)7月11日に公開された。

脚本は前作と同じく木下惠介。ただしこれは新規執筆ではなく1954年版脚本の転用であるためで、朝間監督による潤色(時代に合わせた演出や表現の変更)が入れられている。

撮影で使用された岬の分教場のセットは「二十四の瞳映画村」として公開されており、以後のドラマ版でも使用されている。


出演者

大石久子先生:田中裕子

大石正吉(先生の夫):武田鉄矢

マスノ:紺野美沙子

磯吉:川野太郎

校長先生:松村達雄

飯屋のかみさん:乙羽信子

早苗:野沢直子

ミサ子:音無真喜子

小ツル:神津はづき

コトエ:渡辺多美子

キヨ:左時枝

男先生:坂田明

おなご先生:友里千賀子

田村先生:千うらら

大石民(先生の母):佐々木すみ江

大石大吉(先生の長男6年):圓山哲也

よろず屋:あき竹城

チリリン屋:浦田賢一

楽士:鈴木ヒロミツ

ナレーター:渥美清


テレビドラマ編集

テレビドラマは実に8作品が制作された。


  • 1964年版

開局間もない東京12チャンネル(現:テレビ東京)で1964年4月17日から7月10日まで毎週金曜19時30分~20時に放送された。

  • 1967年版

1967年10月17日から1968年3月28日まで日本教育テレビ(現:テレビ朝日)系列「大丸名作劇場」で毎週木曜21時~21時30分に放送された。

  • 1974年版

1974年11月11日から11月20までNHK少年ドラマシリーズ」で放送された。テープが上書きされたためNHKには映像は現存していない。

  • 1976年版

1976年1月5日から1月14日までNHK「少年ドラマシリーズ」で放送。1974年版の続編で表題は「二十四の瞳 第2部」。

  • 1979年版

1979年7月9日から8月31日までTBS系列「花王愛の劇場」で放送された。

  • 2005年版

2005年8月2日に日本テレビ系列で「終戦60周年特別ドラマ 二十四の瞳」と題して放送。

  • 2013年版

2013年8月4日にテレビ朝日系列「日曜エンタ」内で木下惠介監督生誕100年記念のドラマスペシャルとして放送。

  • 2022年版

2022年8月8日にNHKBSプレミアム/BS4Kで「特集ドラマ『二十四の瞳』」と題して放送。

テレビアニメ版編集

1980年10月10日にフジテレビ系列「日生ファミリースペシャル」で放送。吉田しげつぐ監督作品。作画監督は児玉兼嗣

アニメ作品だが幕間に実写パートがあり、こちらは実相寺昭雄が監督を務めた。


声の出演

大石先生:倍賞千恵子

ミサ子:岡本茉利

マスノ:戸田恵子

松江:白石珠江

早苗:高宮淳子

小ツル:浅野亜子

ナレーション:奈良岡朋子

その他:三ツ木清隆桑山正一北村弘一永井一郎伊武雅之肝付兼太高村章子森田育代鈴木れい子遠藤晴斉藤昌野島昭生 ほか


余談編集

作者について編集

壺井栄は戦後文学を代表する女流作家のひとりで、実は本作以外にも代表作と言える作品は多い(無論、その中でも本作の知名度は飛び抜けて高いが)。

ざっと上げるだけでも『暦』(1940年)で第4回新潮文芸賞、『柿の木のある家』(1949年)で第1回児童文学賞、『坂道』および『母のない子と子のない母と』(両作とも1951年)で第2回芸術選奨文部大臣賞を各作同時ダブル受賞、『風』(1954年)で第7回女流文学者賞、と錚々たる権威高き各賞の受賞作が並ぶ。

特に『柿の木のある家』は『二十四の瞳』同様に映画化された(1955年、古賀聖人監督/内田吐夢監修、芸研・東宝製作)。


その中でも特に知られるのが、80年代に教科書採用されていた『石臼の歌』で、この作品の発表は1945年。壺井栄はこの時代に、この作品で原爆遺族の哀しみを主テーマとして取り上げ、結果ものの見事にGHQプレスコードに引っかかった。この事で大幅な改稿となったが、その表現にふんだんな暗喩を盛り込んで「あえて描かない事で、読者に行間を深読みさせて、より的確な想像をさせる」というテクニックを用いた事で、さらに深く真に迫る表現と化した(しかもGHQにはバレなかった)。


また、同時期に発表した『あしたの風』が1962年度期連続テレビ小説の原作に採用されている(連続テレビ小説・第2作。なお前年に、そのプロトタイプとして単発ドラマ化されてもいる)。この事から壺井栄は連続テレビ小説シリーズ歴代初の、作品が原作採用された女性作家(前作『娘と私』の原作者である獅子文六は男性)となった。

ちなみに『あしたの風』は連続テレビ小説が現在のフォーマット(月~土の帯番組、15分放送)で放送される、その原型となった番組でもある(2009年ウェルかめ』で15分繰り上げ、2020年エール』でレギュラー放送曜日が月~金に変更し土曜総集編となったが、それでも『あしたの風』で確立された番組フォーマットは現在も続けられている)。


メディア化において編集

上述の映像化作品ではそうでもないのだが、メディア作品の次第によっては、原作の前半部だけ(大石先生が怪我をして分教場に行けなくなり、それを案じた子どもたちが大石先生の見舞いに行こうとして迷子になり、その様を目の当たりにした大人たちが大石先生を地域の一員として受け入れるまで)のみでメディア化されたり、あるいは原作の後半部(戦時中に大石先生と成長した子どもたちが時代に巻き込まれて悲惨な事になっていく部分)はさらりと流す(いわゆるナレ死で済ます)例が散見される。

何度でも言うが、基本的に本作のテーマとしての肝は後半部なので御注意。


「二十四の瞳」と「恋人の聖地」編集

1954年映画版のロケ撮影中、木下惠介監督のもとに思い詰めた表情の弟子(助監督のひとり)がやってきて「高峰秀子さんと結婚を前提とした、お付き合いをしたいので、どうか彼女に告白する事をお許し下さい!」と焼き土下座も辞さぬ勢いで頭を地面に押し付けてきた。本人への告白もしていないのに、まず師匠に話を通すあたりは、まぁ時代の価値観というものである(当時は、まだ「お見合結婚」や「知縁による結婚」が主流であり「恋愛結婚」は一段低く見られていた時代である)。まぁ、この頃の高峰秀子と言えば、もはや助監督など声もかけられぬ雲の上のトップスターなのだからフツーに告白しても本人どころか周囲(スタッフや映画会社のお偉いさん)に「滔々と説得(≒事務所の一室に監禁されコワモテさんに詰められて翻意させられ、全てを冗談扱いにされる形で「処理」される)」のがオチなので、まず師匠に相談した(行動に起こす前に話を通すべき所に通して周囲の地均しや事前準備を整えようとした)この弟子の対応はまぁまぁベストである。

とはいえ弟子のなんか精神ブチ切れたとしか思えない様々な意味でヤバい行動の勢いに圧されたか木下は思わず高峰に縁談を持っていく。とはいえ現状まだまだヒョッコの助監督など、今や押しも押されぬ大女優の高峰は歯牙にもかけまい……とか思っていたら、気がつけば二人は付き合う事になってしまっていた(まぁ他のスタッフたちも気を効かせていたのだが)。

この弟子の名こそ松山善三。のち、この言葉通りに高峰秀子の旦那となった映画監督&脚本家である。

かくて二人は木下(ほか業界の重鎮たち)の後見のもとで1955年に結婚。小豆島は夫妻の縁を結んだ「思い出の地」となり、この格差婚を成功させた「恋人の聖地」となったのであった。

(ちなみに松山と高峰は、この時点より前となる『カルメン故郷に帰る』の頃から既にスタッフと演者として面識だけはあった)


関連タグ編集

長編小説 反戦


小豆島 第二次世界大戦太平洋戦争 / 大東亜戦争戦後


※以外、ネタバレ関連タグ















ネタバレ関連タグ編集

大石先生関連:レッテル ハイカラ アカ 濡れ衣 挫折 未亡人(戦争未亡人)


子どもたち関連:大正生まれ

子どもたちの末路:曇らせ わからせ 毒親の被害者 人身売買 丁稚奉公 徴兵 戦死 傷痍軍人 政略結婚 DV 没落 失踪蒸発 未亡人(戦争未亡人)

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