子門真人
しもんまさと
本名・藤川正治。
1966年に「藤浩一」という芸名で歌手としてデビューしたが、大きなヒットには恵まれず引退。
その後フジ音楽出版に入社し、作曲家・音楽プロデューサーとして活動しながら「アルバイト」のような形で歌手活動を行なっていた。
同じく多数のアニメ・特撮の主題歌を歌っていた水木一郎、ささきいさおとともにアニメソング御三家、あるいは『アニメ界三大テノール』と評され、一時代を築いていた。
なお、この時期に『仮面ライダー』の主題歌『レッツゴー!!ライダーキック』を歌っているが、本人は当初CMソングのつもりで歌唱したにもかかわらず、実際の放送では藤岡弘、による歌唱でドラマのテーマソングとなっていることに非常にショックを受けたという。(ただし、番組中期に彼が歌唱したバージョンが主題歌として採用、昇格しているが)
1976年の『およげ!たいやきくん』の大ヒットにより、フリーの歌手としてメディアに再び出演するようになる。
1980年に西友ファミリー劇場ミュージカル『翔べイカロスの翼』で主演を務めた縁で、セゾングループの広告代理店SPNに入社し、ミュージカルプロデュースを手掛ける。
SPN退職後は再びフリーで作曲家・歌手として活動し、CMソングやアニメソング、『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲などを数多く手がけた。
1993年頃に突如として芸能界から引退。以降、公の場に姿を現すことは一切なくなった。
大学時代に入信したクリスチャン(日本聖公会の信者)であり、子門(シモン)という芸名は聖書ないし本人の洗礼名に由来すると言われている。また、「ピーター・サイモン」という別名義も持っており、「サイモン(シモン)」=「Simon」であることからも関係があると見られる。
「真人」は中学生の頃の同級生の名前を拝借したと語っている。
サラリーマン時代のある時、テレビの朝番組への出演を依頼された際は「朝番組なら出勤前に出られるので良いですよ」という理由で承諾した。彼が歌手活動を、自分の生活におけるどの地点に位置付けていたかが窺える。
全盛期(1976年頃)におけるアフロヘアーに眼鏡と髭の特徴的な容姿が有名であった。
主題歌を務めた『恐竜探険隊ボーンフリー』にはその姿をモデルとした権田明というメインキャラクターが存在した。
2008年3月5日にはギネスブックに、「日本で最も売れたシングル」として「およげ!たいやきくん」が掲載された。
米谷佳晃によると『ジャンボーグA』制作中は円谷プロの系列会社である「円谷音楽出版」に経理マンとして在籍していたことがあるという。この頃楽曲の管理業務を行う傍ら、自身も歌手として円谷プロ系のいくつかの作品に参加していた。
本人曰く「人間が嫌になった」との事で、事務所とのトラブルで芸能の世界やその人間関係に嫌気がさしたと云われているが、明確な理由は不明。
基本的には歌手活動を「副業」と捉えていたようで、現役時代も特定のレコード会社に専属で所属するようなことはなかった。このため、そもそも歌手として表舞台に出ることに積極的ではなかったとも考えられる。
なお、引退後に『あの人は今』で取材を受けたが拒否しており、現在における肉声と加齢した後の容姿も公開されていない。引退後、全盛期の子門氏に歌声が酷似した人物が現れたことがあるが、氏の公な消息は明らかではない。存命ならば、80歳を迎えた老人になっているはずである。
アニメ・OVA
特撮・ドラマ
ウルトラセブン(ハワイ放送版)
ラジオ
別名
Dr.スランプアラレちゃん(サタンタ)*副主題歌の作詞。
星獣戦隊ギンガマン(希砂未竜)*その歌声から子門真人本人ではないかと言われている。ただし、プロデューサーの高寺重徳は公式には「(子門に)似ているだけ」としている。
パロディ
電気グルーヴ:彼の独特のルックスと歌い方を真似た「子門'z」というパロディユニットを1993年に結成したことがある。
魂斗羅ザ・ハードコア:隠しステージに登場するボスの中に同社のシモン・ベルモンドをイメージしたものがあるが、外見はギターを背にしたアフロヘアーのヒゲ面にメガネのロボットで、登場するなりムチでロウソクを破壊して中から出てきたタイヤキを取得、ブーメランのように投げて攻撃という子門真人のパロディを含めたキャラになっている。