概要
特定の分野、作品、風潮に関して過去の状況を懐かしみながら現在の状況を否定するタイプの人を指す。年配の人だけでなく、それほど年配とは言えない10代から20代の人間すらこうなることもある。
彼らは時代の経過に伴って対象が多様化したり、流行の方向性が移ったりしてもそれを認めず、旧来の価値観ないし評価に固執する。たとえ往年の対象に粗や問題点があったとしても、思い出補正によってそれらを無視、あるいは美化している事も少なくない。
酷い時には「新しい続きものが出る」事自体に対し、出来の良し悪しを無視して否定的な態度しか取れなくなるケースもある。
コンテンツの事例
ポケモンやニチアサといった長寿コンテンツによく見られる傾向で、本百貨を含むネット上の様々な場所で日々騒動や議論が繰り返されている。
長年音沙汰が無く、制作陣を一新してリブートしたという作品もこの被害を受けやすい。
近年ではこうした懐古厨の我儘に辟易し、あえてそっぽを向いた新規向けの作品作りをするクリエイターも増えている一方、少子高齢化によって需要の大半を占めていた彼らを敵に回した結果、オワコンに追い込まれてしまうケースも多々ある。
逆に懐古に媚びた要素"だけ"を盛り込んで質を軽視した結果、失望を買い一層新作への忌避を強めてしまうケースも多々あり、いずれにせよ界隈の衰退を招く一因となっている。
コンテンツ以外の事例
乗り物趣味の分野でも、往年の雰囲気に固執し、技術的進歩に伴い廃れた前時代的技術に執着する風潮がしばしば見られる。
鉄道ならば、人手の介在を必要とするため事故リスクの高い「タブレット閉塞」や、ブレーキが多重化されていないため排除された「旧型国電」といったものに対し、現在求められる安全水準では通用しないことを理解せず「残せ」と言い張る鉄道ファンがいる。
技術への知識が偏っていたり時代遅れになっているケースも見られる。自動車で言えば、ハイブリッドカーを「退屈」と一蹴したり、「軽自動車は安全性に劣る」とか、「ターボチャージャーはパワーの出方が過激で扱いづらい」といった化石のような認識を披露したりするカーマニアがいる。このような輩は特定ジャンルへの偏見に凝り固まっているので、自動車技術の進歩で従来のイメージが当てはまらなくなっていることや、同ジャンルとされる車両でも車種やチューニングによっていくらでも特性が変わりうることなどは念頭にない。
歴史
こうした思考の人間は昔から存在する。例えば歌舞伎では團菊爺・菊吉爺という言葉がある。
これは前者の「團菊」は歌舞伎役者の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎を、後者の「菊吉」は六代目尾上菊五郎(五代目の息子)と初代中村吉右衛門を指す。「團菊」は明治、「菊吉」は大正から昭和前半期を代表する役者なのだが、この團菊爺・菊吉爺という言葉は
「彼らこそが至高の役者であり、今の時代の歌舞伎はそれに比べると程度が落ちる。観ていない今の者は可哀想だなあ」
…と後の世代にマウントを取るおっさん(爺)を指す言葉として歌舞伎観劇を嗜む者たちの間で有名な俗称である。まさしく懐古厨そのものであり、團菊ないし菊吉を観ていない当時の若い世代からは羨望と嫉妬、あるいは単に自慢を鬱陶しがったり古い価値観から抜け出せない存在と思われたりと、複雑な目で見られていた。
今日では團菊で120年、菊吉でも80年は前に活躍した役者であるため、こうした「爺」は既にほぼ鬼籍に入っていると思われるが、さりとて現代では現代で例えば六代目中村歌右衛門辺りの名前を挙げてマウントを取るような古老各氏は存在するし、更に言えば團菊爺がまだまだ若造だった時代には七代目團十郎辺りの名前を挙げて同じように「明治の若者」に似たような行動をとった天保翁(天保年間に活躍した頃の役者を覚えているじいさん達)なる人々も存在した。
歴史は繰り返すものであり、いつの世も懐古厨と称されるような人々が存在したことの証左であろう。
ありがちな例
- 昔の硬派なスタンスが良かったのに、今は商業主義に走ってぬるくなった
- 声優交代・世代交代など絶対に認めん
- アニメはセル画が一番、デジタルアニメなど邪道
- ゲームはドット絵が至高、3Dはゴミ
- 今更余計な後付け設定入れるな
- このシリーズ・作品はこの辺りからつまらなくなった
- 今更現代に毒されたリメイクや続編なんていらない
- 制作スタッフが変わってから嫌い
- こいつこんなキャラじゃなかっただろ
- 旧作キャラの再登場マダー?
- こんなポッと出が先輩より活躍するな、踏み台や噛ませにするな
- こんなものが〇〇の系譜だと認めたくない
- 新たな仕様や機能など、ついて行く気も起こらない蛇足だ
- 形態ばかり増やして中身が疎か
- 新キャラなどどうでもいい、旧キャラを残せ
- 思い出の中でじっとしていてくれ
余談
平成以降、自動車雑誌で定期的に取り上げられた話題が、低価格FRスポーツ、具体的に言えばAE86やシルビアの復活である。
AE86は2012年に86として名前だけ復活したが、シルビアに関しては2021年にGT-Rの開発担当者が明確に復活を否定している。その理由は、要約すると「ユーザーのイメージするシルビア像が時代に合っておらず、仮に復活させても彼らは買ってはくれないため赤字になるのが明白だから」というもの。
これは懐古厨の「期待する声は散々上げるが、いざ実現するとイメージとの乖離に落胆する」という歴史の繰り返しに裏付けされた発言と言える。