概要
「如来」とは仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。若しくは大乗仏教における諸仏の尊称でもある。釈迦如来とは、釈迦は如来(正等覚者として涅槃に至り、六道輪廻を脱した存在)であるという仏教側の信仰に拠った敬称である。キリスト教でいえば、ナザレのイエスをイエス・キリストと呼ぶようなもの。
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- 人物としての釈迦については、「ガウタマ・シッダールタ」の記事を参照。
如来としての「釈迦如来」
宇宙の遍くところに化生(≒転生)し、人々を教化して悟りに導くとされる。
地上で「悟りを開いた」とされるが、『法華経』などの大乗経典に基づく認識においては
インドに生まれる前から彼は永遠の悟りに至っており(久遠実成)、地上での成道はある種の「方便」でもある。
どの宗門宗派でも、仏教の根本的な伝道者として尊ばれる。
“釈迦牟尼無上大覚世尊”と尊称されることもある。
上部座仏教・大乗仏教、さらにそれぞれの宗派で解釈が分かれる仏様でもある。
御利益は「仏智悟入」、すなわち悟りを開くこととされる。
天台宗では大日如来と、真言宗では不空成就如来と同体とされる。
チベット仏教の説では他の仏菩薩たちと共に「色究竟密厳浄土」に住んでいる。彼がインドで生まれ教えを説き亡くなった後に上位世界に行った、という訳ではなく、前述の大乗経典の説を踏まえ、「色究竟密厳浄土」に住まう既に悟った「受用身(報身)」のブッダが、この世界に出現させた化身が歴史上の釈迦、という捉え方になっている。
日蓮の教えにおいては釈迦が経典を説いた場所である霊鷲山から発展した「霊山浄土」が釈迦の住居とされている。
日蓮著作「御書」では単に「霊山」とも呼ばれ、法華信徒が死後往生する場所と位置づけられる(「此の法華経は三途の河にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥途にては燈となり、霊山へ参る橋也」『波木井殿御書』)。
御真言は――
ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク
図像表現
大日如来を除き、如来の多くは装飾の類いをあまり身につけない。宝冠を被った姿もあるが、これも他の如来でもみられるものである。
そのため、事前の情報なしでは釈迦如来の絵や像は、他の如来のそれらと区別できないことも多い。
なお、チベット仏教における「五仏の宝冠」を被った釈迦如来像は「受用身」の彼を表わしたものとなっている。
仏伝によると、釈迦は自分を産んだ摩耶夫人に説法するために忉利天(とうりてん)という天界にのぼっていった。『増一阿含経』巻第二十八に記される所によると、この時信徒の優填王(うでんおう、ウダヤナ)は思慕の念にかられ牛頭栴檀(ごずせんだん)の木で釈迦の像を造らせたという。が、『増一阿含経』に対応するパーリ経典『増支部(アングッタラ・ニカーヤ)』にはこのエピソードはない。
歴史学的には仏像を作る慣習は遅れて登場し、それまでは法輪(真理を象徴する車輪)や菩提樹、仏足石といった抽象的なシンボルでもってブッダを信仰していたとされる。
ガンダーラ(現在のアフガニスタン東部、パキスタン北西部)やマトゥラー(インド北部)において東方から伝来したヘレニズム文化の影響でブッダの像が造られるようになると、王子時代の姿も含めた写実的な釈迦像が造られるようになった。
代表的な印相
- 定印
両足の裏を上に向けた形で座す、「結跏趺坐(けっかふざ)」の上で両方の掌を上にむけて重ねておく。上座部仏教圏のゴータマ・シッダッタ像でも広く見られる代表的なポージングである。
阿弥陀如来像も定印をむすぶが、こちらは親指と他の四本の指とで輪を作り、それを左右からくっつけたような形になる。胎蔵界大日如来の定印は法界定印といい、四本の指はねかせるような形で親指同士を合わせ、結果的に菱形に近い輪ができる。
- 転法輪印
両手の人差し指と親指を合わせるように輪をつくり、左手は甲を胸に、右手は掌を旨に向ける形で、他の指をゆったり広げながら重ねる。釈迦が鹿野苑(ろくやおん、ムリガダーヴァ)で初めて説法した(初転法輪)際の印相ともされ、この時を描いた像やリリーフでは、そこに居合わせたという鹿も描写される。鹿野苑があったサールナートで出土した像(通称「サールナート仏」)が有名。
- 施無畏与願印
施無畏印は掌をあげて上向きにこちらを向ける。衆生から恐れの心をのぞき、安心させ、救うことを意味する印相。与願印は掌を垂れて下向きにこちらに向ける。衆生の願いを聞き届け叶えることを意味する印相。釈迦如来像の場合は右手を施無畏印、左手を与願印とする組み合わせが多い。優填王が造らせた優填王思慕像(うでんおうしぼぞう)を写したと伝わる「清凉寺式」でもこの組み合わせになっている。阿弥陀仏の来迎印とも似ているが、こちらは両手の親指と人差し指(または中指、薬指)で輪がつくられている。右・施無畏印、左・与願印の組み合わせじたいは他の仏でもある(慈尊院の弥勒仏坐像など)。
- 触地印(降魔印)
修行中の釈迦が悪魔に誘惑された際、掌をしたに向けた形で地面に触れ、大地の神をよびだして悪魔たちを退散させた事を表わすという印相。阿閦如来や天鼓雷音如来の像でもこの印相で造型される。
左手だけ掌を上にむけて足におき、右手を降魔印にしたブッダ像は上座部仏教圏でも定印像と並び一般的である。タイ王国やインドシナ半島の伝承では水の女神プラ・メー・トラニーが悪魔たちを追い払っている。
チベット仏教やネパールではこれに加え、左手に托鉢用の鉢を持った姿の釈迦像が多い。
その他独特の姿
以下の姿である場合は、ほぼ釈迦如来像であると断言できる。
釈迦が誕生したとき、七歩歩いて右手を天に、左手を下に向けて「天上天下唯我独尊」と言った時の姿とされる。
人差し指だけを伸ばして手をあげる構図のものも多い。
釈迦が生涯を終えるまでの晩年の姿。覚者の死を入滅という、これは涅槃の別名でもあることからこの時の釈迦を模した絵や像を涅槃仏と称する。
例外として、畑山薬師寺(愛知県岡崎市)には薬師如来版の涅槃仏像がある。
- 拈華微笑
禅の法門のおこりとされる伝承で、釈迦がふと黙って、蓮を拈(ひね)る仕草をしたところ、弟子のうち摩訶迦葉だけがその真意を悟ったというもの。字句や文言にとらわれない「不立文字」の原則を表現したもの。この時の釈迦を模して蓮の像を持つ如来像が存在する。
三尊形式
釈迦三尊として日本で代表的なのは左右に文殊菩薩、普賢菩薩を従える配置である。
空海が密教継承者の証として唐の国から持ち帰った「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)」では観音菩薩と弥勒菩薩が脇侍になっている。
その他の脇侍の組み合わせとして、十大弟子の阿難と迦葉、梵天と帝釈天、薬王菩薩と薬上菩薩、金剛手菩薩と蓮華手菩薩がある。
三人とも如来とする配置でも釈迦如来が入ることがある。「三世仏」では過去仏・阿弥陀如来、未来仏・弥勒如来(弥勒菩薩の未来の姿)ともに現在仏として入る。メンバーが薬師仏や毘盧舎那仏と入れ替わることもあるという。
他宗教における釈迦如来
大乗仏教が伝来した土地では仏教だけでなく、他宗教の神話体系にも取り入れられた。
道教においては「如来仏祖」の名でも信仰され、彼を祀る道観(道教寺院)がある。
後述の『西遊記』は中国における「三教(儒教・道教・仏教)」が渾然一体となった世界観で語られているが、逆輸入的に元の信仰に影響を与えている。
西遊記の終盤で釈迦が孫悟空がやがて至る存在として述べた「闘勝戦仏」の名は実際に道教信仰の場で用いられる称号となっている。
仏教が日本に伝来すると神仏習合説のもと、日本神話、神道の神々がその垂迹(化身)として語られるようになった。
垂迹・化身とされる神
天香山命(弥彦大明神):弥彦神社での説。
印鑰童子(いんやくどうじ):弁財天の眷属である「十六童子」の一人。
大山咋神(オオヤマクイ):松尾大社での説。毘婆尸仏(過去七仏の一人)とも。
山王神:山王信仰、山王神道での説。山王21社のうちでは大宮(大比叡)の神とされ、祭神は大己貴神とされる。
創作への出演
民間伝承でも常に善の存在として頻繁に登場する。
古くは「西遊記」で重要な役どころとして登場し、近年では芥川龍之介の「蜘蛛の糸」等が名高い。車田正美の「聖闘士星矢」の乙女座のシャカは西遊記の釈迦如来が原型と言われている。
西遊記での釈迦如来
天界の神々さえ畏敬する、西遊記世界における最上の存在。
脇侍に観世音菩薩を随えている。
創作では見上げる程の巨人として描かれる事が多いが、原作において右手の大きさは、一尺(約30cm)足らずの蓮の葉くらいとされており、それほど巨大という訳ではないようだ。
天界から天帝の嘆願を受けて孫悟空の調伏を依頼され、それを請け負う。
そこで釈迦如来は一計を案じ、悟空とひとつ賭けの勝負に出る。
内容は「私の右手から逃げられるか」というもの。
悟空が勝てば悟空が天帝と成ることを認め、負ければ罰を受けることになる。どんな結果でも文句は言わないと、約束も取り付けさせた。
悟空は「そんな一尺足らずの手のひらから逃げられない訳がない」と豪語し、世界の果てまで“觔斗雲の術”で瞬く間に飛び去り、そこで金色の五本の柱を見つけて一筆したためて帰って来る。
ところが帰って賭けの結果を明かしたとき、釈迦の右手の指に悟空の墨跡がしっかりと書き留められていた。
釈迦如来とは宇宙無遍に存在し、化生し、衆生を救い続ける仏であり、すなわち宇宙に生きる限り釈迦如来からは絶対に逃れられないという、最初から悟空に勝ち目などない相手だった。
インチキだと怒る悟空だが、最初に“どんな結果でも文句は言わない”と約束したために、物言いは却下される。
そして釈迦如来の手に握りしめられた悟空は、そのまま地上へと叩きつけられ、叩き付けた手は岩へと変化して悟空を岩屋の中に閉じ込めてしまった。
その五百年ののち、悟空は玄奘三蔵の登場を待ち続け、ともに天竺を目指すことになる。
終盤にて再登場する。
このときは三蔵一行に「天竺の経典を持ち帰るには“九九八十一難”のうちあと一難足りない」事を明かし、最後の試練を与え、天竺の経典を得るに値するか否かの見極めをおこなった。
試練を達成した一行を釈迦如来は称賛し、各々に格別の取り計らいを成した。
蜘蛛の糸での釈迦如来
釈迦如来は、極楽にある蓮の池から地獄を覗き、そこで盗賊カンダタの姿を見つける。
地獄で苦しむ姿を見かねた釈迦如来は、彼が生前に一匹の蜘蛛を助けたことを見抜き、その僅かな慈悲の心に賭けて、そばにいた蜘蛛に糸を垂らさせ、地獄へと下ろした。
カンダタは歓喜して蜘蛛の糸にすがるが、途中からカンダタに便乗してきた亡者たちを前に欲をかいてしまい、糸はその邪念に反応して切れてしまった。
その他
釈迦如来は仏教用語では「婆伽梵(ばかぼん)」または「薄伽梵」と表記され「あらゆる煩悩を超越した素晴らしい人」を指す。なお、「ばかぼん」は梵字(梵語=サンスクリット語)であり、漢字表記は音写したものであって、発音は「バギャボン」に近いという。
あの「天才バカボン」の名前はここから来ているとの説があるものの本当かは定かではないが、「バカ=馬鹿」は当て字で、本来は「莫伽」「摩伽羅」と書く。意味は「無知」。
なお、バカボンのパパは生誕時には、お釈迦様がシッダルダとしてこの世に生を受け初めて話した言葉「天上天下唯我独尊」を発した事もある為、何かしら仏教からネタを引用した可能性もある。