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トルコの編集履歴2021/12/06 19:24:06 版
編集者:Null
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pixivではAxisPowersヘタリアのキャラクターの絵に付けられることが多いが、「サディク・アドナン」の方が普及しているのでそちらを参考のこと。

概要

中近東アジアヨーロッパにまたがる共和制国家

正式名は日本語で「トルコ共和国」、トルコ語では「Türkiye Cumhuriyeti」、漢字表記は「土耳古」。

人口は8,200万人。G20の一角であり、中東最大の経済規模を持つ。

首都はアンカラ。最大都市はボスポラス海峡に跨るイスタンブール

通貨単位はトルコリラ(TRY)。

日本における「トルコ」という呼び名は、ポルトガル語での「トルコの=toruco」から由来している。

地域

西アジアアナトリア半島と東欧バルカン半島の東トラキア地方を領有しており、黒海地中海に面し、ギリシャシリアイラクイランアルメニアジョージアと接する。南の沖にキプロスがある。

気候としては乾燥地が多いが、沿岸部を中心に雨量はある程度ある。

もともと、アジアと言う語はトルコ主要部のアナトリア(小アジア)を指していたため、トルコはアジアの国とされるのが一般であるが、ヨーロッパの国とされることもある。NATOに加盟しているが、欧州連合加盟申請には難航している。サッカートルコ代表はUEFAに所属している。

民族

トルコ料理は日本では世界三大料理に数えられ、焼き肉をサンドイッチにしたドネルケバブや、伸びるアイスクリームのドンドゥルマが有名である。温泉文化が多い。

トルコ人の男性は体質的に薄毛が多く、体毛が濃い傾向にある。伝統的にはハゲ頭と太鼓腹が男らしいとされ、若くしてオヤジ化している男性が多く見受けられる。

一般的にテュルク系が連想されるものの、異民族にルーツを持つトルコ人は多い。代表的なのが東部のクルド人やアルメニア人、地中海沿岸部に多いギリシャ人、ブルガリアと国境を接する地域にはバルカン半島の緒民族をルーツに持つ住民がおり、テッサロニキ生まれのムスタファ・ケマルはダークブロンドに明るい碧眼の持ち主であった。

生活様式も地域・ルーツごとに多種多様で、山岳部には現在も昔ながらのテント生活を送る遊牧民が暮らしている。

なおトルコ人の間では、モンゴル民族も同胞であるという認識が根強い。「テュルク民族とモンゴル民族は共に匈奴から枝分かれした兄弟である」という説は他国でも有力であるが、現地トルコでは更に同一視の傾向が強く、観光案内でもモンゴル帝国の進撃をトルコ民族史として語るガイドは珍しくない。チンギス・ハーンもトルコ系と見られており、今も「ジンギス」という人名として影響が残っているほか、トルコ政府の広報機関であるユヌス・エムレ財団もこの見解を採用している。

宗教

国民の99%がイスラム教を信仰している。トルコにおいては身分証において帰属宗教を記入するために正確な統計が可能となっているが、宗派については大多数がスンニ派と目されるものの、シーア派の一派とも目される独特の信仰体系を持ったアレヴィー派が全体の2割ほどとされる。

トルコ共和国建国以来、トルコは厳格な政教分離を国是としており、それは憲法においても改正も、改正の提案も不可能であると明記されている。敬虔なイスラム教徒であるエルドアン政権においてはいくらかのいきすぎた政教分離政策が見直されているものの、エルドアンも国是としての政教分離については尊重する態度をとっている。

トルコにおける政教分離とは、世俗国家の統制下に置かれた宗教という性格が強く、例えば本来資格でも何でもないイマームなどの地位は宗教庁によって認められた人物でなければ就任できないことになっている。

このため、国民の宗教に対する態度は個人に任されており、敬虔な信者もいる一方でイスラム教徒を名乗る一方礼拝や断食を行わず、飲酒を楽しみ、理神論者・無神論者も少なくない。

歴史

歴史といってもアナトリア・東トラキア地方という地理的区分の歴史と、そこの現在多数派として居住するトルコ系民族の歴史はだいぶ異なる。

アナトリアは、紀元前はヒッタイト王国などの諸王国が栄え、特に早くから鉄器を用いていたことで知られる。東トラキアは概ねギリシャ人の諸都市が領有し、ギリシャ人の一部はアナトリアにも拠点を築いていた。その後この両地域は、東方のペルシア系帝国と西方のマケドニア王国やローマ帝国などとの争奪が続いていく。ローマ帝国崩壊後は後継国家のビザンツ帝国が11世紀ごろに至るまで両地域を支配する大国として君臨するが、その領土は徐々に東からやってくるイスラム系の政権に浸食されていった。その中でトルコ系民族の移住が始まる。

トルコ系(チュルク系とも呼ぶ)民族は、本来シベリアから中央アジアにかけて居住し類似した言語と文化を有していた諸遊牧民族の総称である。例えば現在のカザフスタンキルギスタンウズベキスタントルクメニスタンはこれら諸民族が主要民族として建国したものである。彼らは東方に移動して突厥などの遊牧民族として漢民族の帝国と抗争し、また西方に移動した一派はやがてセルジューク朝を建てる。

セルジューク朝がアナトリアを征服したことにより、現在の「トルコ」の領域にトルコ系住民の政権が立つようになる。ただしこれ以降もギリシア系の住民は沿岸部を中心に居住し続け、商業や政治を中心に参加し続けた。そして、モンゴル侵略後に成立したオスマン帝国は、1453年に完全にビザンツ帝国を滅ぼすと、東欧や北アフリカまでを領土とする一大帝国を築き上げた。しかし、領土拡大が止まると共に、19世紀には東欧側の諸民族が次々にギリシャセルビアブルガリアなどとして独立し、エジプトも勢力圏から外れるなど衰退が進んでいった。

第一次世界大戦に敗れた後トルコ革命で共和国になり、初代大統領ケマル・パシャの強力な指導の下で西洋化を進めた。

現トルコ領のエーゲ海沿岸部やイスタンブール(コンスタンティノープル)はギリシャの歴史上重要な地域であるため、ギリシャとはこれらの地域の領有をめぐって争った歴史があり、現在も対立が激しい。

現状

シリアイラクなどの近隣国の情勢悪化などの影響もあり、治安は安定しない。

以前からのクルド人組織との対立に加えISILなどのテロ組織の跋扈、クーデター未遂なども発生している。このためシリア国境地帯は日本外務省から渡航中止勧告の出るレベルで治安が悪化している。

トルコのエルドアン大統領は強権政治で知られており、11月下旬に発生したロシア機の墜落事故ではロシアを非難したが、後にロシア側の資料でISILをエルドアンの親族を含めて支援していたことが発覚した。更に、ISILから石油の密売も行われている事をロシアがばらしたせいで世界から非難されている。

そのため一時的にロシアとトルコは犬猿の仲の状態になりサウス・ストリームの計画は中断され、ロシア側はトルコに対して制裁を行う事が決定した。

因みにトルコは難民問題でEUに加盟しようとしているが、EUも死刑姦通罪の復活をしようとしているトルコの加盟を現時点では拒否している。

ビューティ&ヘルスケア

温泉が大量に湧き湯治が盛んであった歴史から、トルコには美容大国という一面がある。近代化もあいまって医療技術の高さは中東ダントツのトップで、分野によっては日本やドイツと競うほど。

特に人種的な理由でハゲの男性が多いことから、植毛技術については世界最高峰であり、欧米からトルコに植毛に行くツアーが盛んである。日本でも植毛ツアーの行き先として認知され始めている(なお民族の項目で述べた通り、昔のトルコ人はハゲを「男らしい」と言って讃えていたが、近年は価値観の変化もあいまって、すっかりハゲを恥と考えるようになってしまった。イスタンブールの街を歩くと、植毛手術で頭にバンドを巻いた男子を見かけることは珍しくない)。

ただし、分野によっては東洋と美意識が逆転することに注意が必要である。多くのトルコ人は顔立ちがはっきりしていることから、細い目と低い鼻を美形と考える傾向にあり、術式もそれを目指すものが発達している。したがって美容ツアーといっても東洋人が目鼻の整形をしたい場合はオススメできない。

外交

古くからヨーロッパと関係の深い国であるが、宗教・人種の異なるトルコはヨーロッパ人から恐れられてきた。トルコはEUへの加盟を目指していたこともあったが、宗教の違いはもちろん、法の価値観の違いや海洋資源を巡る対立もあって現在は事実上棚上げ状態である。

またアメリカとの関係も険悪であり、互いにビザを発給停止し、アメリカがトルコの政界要人に対して制裁を科す状態になっている。一方でそれまで関係の悪化していたロシアとは軍事面・経済面で接近している。

日本との関係

日本-トルコ関係は一貫して友好状態である。

政権の右左を問わず国交樹立以来両国は交流を続けており、国立美術館でも時折トルコ展などの企画も行われている(最近では2019年の日土友好年を祝し、東京・京都でトルコ至宝展が開催されている)。

また2020年、新型コロナ大流行で病床不足の中、日本の協力で国内最大規模の病院が設立された。病院名はエルドアン大統領の提案で、日本を象徴する「桜」とトルコを象徴する「チャム(松)」が冠され、チャム・サクラ都市病院と名付けられた。開院式には安倍総理も祝辞を述べている。

民間では、イランイラク戦争の際にトルコ航空機でイラン在住の日本人を救出した話が有名。近年では、トルコで日本人殺害事件が起きた際に、トルコ国民による前代未聞の“日本へ謝罪するデモ”が起こっている。

自衛隊とトルコ軍も仲がいい傾向にあり、報道こそされていないが、PKOで窮地に陥った自衛官がトルコ軍将校に助けられた逸話は数多い。

日本人にとっても、トルコは昔から人気の海外旅行先である。かつては日土の国際結婚も珍しいものではなかった。ユヌス・エムレ財団はより二国間の交流を深めようと、日本で映画上映会や観光地説明会を催すなど、日夜腐心している。

歴史的経緯

こういった親日の要因は、過去の絆に端を発すると言われている。

エルトゥールル号遭難事件 の際に日本人が無償の援助をした(和歌山県には慰霊碑がたっており、5年に1度追悼式典が執り行われている)ことを皮切りに、その後に日本各地からの援助の寄付金を携えてトルコに渡った山田寅次郎による日本語教育や交流(山田の門下生にはトルコ民主化の英雄ムスタファ・ケマルがいたと言われる)が対日観に大きな影響を与えた。

ロシアからの圧力をうけていた時代が長いため、日露戦争時に連合艦隊がバルチック艦隊を破った際にも、自分達の如く喜んだとの事。

その後、列強入りを目指す日本から不平等条約を打診される等して仲がこじれ、第一次世界大戦では敵味方に分かれてしまう。しかし、ここでもシベリアから復員するオスマン兵を日本軍艦・平明丸が死守した例があり、「日本人は我々トルコ人同様、困っている者を助ける」と大きな共感を産んだ。

この事件はエルトゥールル号事件に比してマイナーであったが、2019年以降様々な理由で知名度が急上昇し、艦長であった津村諭吉中佐の名前は「ツムラ・ユキチ通り」という地名にもなっている。

ただし現在、トルコの若者は日本の事をよく知らない人が多い。これはトルコに詳しくない日本の若者が増えているのと相同である。

観光地ともなれば日本人に痴漢ボッタクリを仕掛ける不心得者もしっかりおり、あまり「トルコは親日だから」と紋切り型に捉えて油断するのも考えもの。最低限の心得は必要であろう。

神話においては

センシティブな作品

現在でこそ、イスラム圏の国ではあるが、アジアと欧州の境目に位置する地域である為か、古来から様々な神話の舞台として登場している。

この地域ではアナトリア半島近辺の国々の神話体系の神々を取り入れて発展したヒッタイト神話が伝承されており、上述の成立経緯から、古代メソポタミア神話ウガリット神話の神々の説話が登場することもしばしばあった。(ウルリクムミと対決したエア神など。)

地理的にギリシャと近い国である為、ギリシャ神話でも頻繁に登場する。キマイラが暴れたリュキアーやトロイア戦争が起こったとされるトロイアもこの国にあり、ギリシャ神話の女怪メドゥーサも本来はアナトリア半島で信仰されていた女神だとされており、現地ではメドゥーサが魔除けのお守りとして建造物に掘られていたり、お土産として売られている事がある。

一神教においては、いわゆるノアの方舟がたどり着いた最有力候補地とされている。国の東端にあるアララト山は世界中のキリスト教徒から神聖視されており、しばしば「ノアの方舟と見られる木片発見!」のニュースがゴシップ紙を賑わしている。

関連タグ

オリエンタル エキゾチック ハーレム ハカン エルトゥールル号事件 江頭2:50

チューリップ:生産地であるオランダのイメージが強い花ではあるが、原産はトルコのアナトリア地方である。

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