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笑いの神様になった男

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わらいのかみさまになったおとこ

笑いの神様になった男とは、読んで字のごとくお笑いをとる芸で神がかり的な才能を発揮し、一時代を築き上げ……そして、去っていった男たちである。

概要

笑いの神様になった男とは、読んで字のごとくお笑いをとる芸で神がかり的な才能を発揮し、一時代を築き上げ……そして、去っていった漢(おとこ)たちである。

このように「人は死ねば神になる」という日本人の死生観からも由来している。

代表的な人物

渥美清

ご存知寅さんとしてその名を世に知らしめた伝説のコメディアン。本業は俳優であるが、彼の代表作でもある男はつらいよシリーズにおいて作中の馬鹿げた行動や流暢な喋り口調。更には大人なのに子供染みた真似ばかり取る大人気ない行動が笑いとなり、どんな状況でも必ずその場を爆笑の渦に飲み込む彼の喜劇ぶりは、まさに日本のチャップリンと称される程の大人気だった。その為、他にも出演作は多数あるのに、渥美清といえば寅さんしか思い浮かばない程、役柄に固定されつつあった。そして男はつらいよシリーズにおいては二度もブルーリボン賞主演男優賞を受賞し、さらに1972年には文部大臣賞、1988年に紫綬褒章を受賞。そして没後1996年には国民栄誉賞を受賞した。1996年、肝臓癌により死去。

赤塚不二夫

伝説の国民的ギャグ漫画でもある天才バカボンの生みの親でもあり、ギャグ漫画の神様として世間に知られている。お笑いBIG3でもあるタモリの師匠でもあり、タモリ曰く彼の日常は正しくギャグそのものと称されており、いかなる場合でも必ず笑いが起こるものでもあり、プライベートで共に過ごす時にも必ず爆笑するというまさに芸人顔負け性格だったという。その際彼は必ずこれでいいのだという台詞を発し、後にバカボンの名台詞になる程の有名的言葉となった。その漫画力と発想はギャグ漫画の先駆けになるほどの有名となり1997年に第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞し1998年には紫綬褒章を受章した。晩年は脳内出血を発症しそのまま植物状態となり、意識不明のまま2008年、肺炎により死去。

いかりや長介

伝説的コミックバンドザ・ドリフターズの古参メンバーにして、メジャーレーベルでのデビュー後のリーダー。『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』などの昭和を代表するオバケ番組において牽引役を務めた。お笑いコントにはそのクォリティには厳しくも飽くなき追求を注ぎ、その名を不動のものにした。『全員集合』終了後の晩年期は俳優業へも進出、この方面においても高い演技力を見せ「踊る大捜査線」などでドリフを知らない世代にもその存在感を示した。しかしその一方『ドリフ大爆笑』などではコメディアンとしてお笑いにおいても活動の軸を置き、お笑い界の大御所&絶対権力者でありながらも身体を誰よりも張り続け、最後まで「ドリフのリーダー」であり続けた。2004年、急性リンパ腺腫瘍により死去。

桂歌丸

大きく高視聴率を叩き出した『8時だョ!全員集合』に対して、安定した高さの視聴率を確保し続けている定番番組笑点。その前身番組『金曜夜席』時代からのレギュラー出演者であり、短期間の降板期を挟むもののおよそ40年に渡って出演してきた看板出演者(降板期を除けば番組開始当初から出演者した中では最長の落語家でもある)。特に三遊亭楽太郎(現・6代目三遊亭円楽)との「じじい・腹黒合戦」は「解っちゃいるけど笑っちゃう」名掛け合いであった。特に2006年からの司会者時代は大喜利メンバー全員を巻き込む掛け合い合戦となって笑いを誘った。その一方で、噺家として古典落語への飽くなき追求もその生涯の最後まで怠らなかった。2018年、慢性閉塞性肺疾患のため死去。没後に人間国宝・従五位に叙せられた。

志村けん

上記の「ザ・ドリフターズ」に憧れ、その意気込みと才覚をリーダーであるいかりやに見出され、高校在学中からドリフの付き人として入門した。メインメンバーであった荒井注が健康上の問題を主な理由としてドリフ脱退を申し出た時、脱退する荒井と入れ替わる形で新たなメインメンバーとして正式に加入した。加入後は中々芽が出ず苦しい時期があったが、「東村山音頭」などのヒットで頭角を現し、番組の中においてそのコメディアンとしての才能を存分に発揮した。それにより、当時の子供たちのアイドル的存在にまで名が知られることとなる。『全員集合』終了後は最も歳の近い加藤茶とコンビを組んで後継番組の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に出演、一部の企画は自ら考え、所謂仕掛けコントが多かった『全員集合』とはまた違った笑いは師であるいかりやをして唸らせた。同番組の終了後もいかりやとは対照的にあくまで1人のコメディアンとしてお笑いに重点を置いた活動を行い、『志村けんのだいじょうぶだぁ』『志村けんのバカ殿様』など、数多くの冠番組を持つに至る。21世紀に入ってからは『天才!志村どうぶつ園』のようなお笑い直球以外のバラエティにも出演するようになるが、そこにおいても常に笑いを取ることを忘れなかった。また付き人出身という事もあり、後輩のお笑い芸人たちへの面倒見が良かったことでも知られる。2020年、新型コロナウイルスによる肺炎により死去。病状の急激な進行により、発症から僅か2週間でこの世を去る形となった。志村の訃報が全国に衝撃を走らせた事になる。

上島竜兵

体当たりお笑いトリオダチョウ倶楽部のリアクション役として活躍し、その他の芸人よりも身体を張り付ける姿はまさしくリアクション芸の神様と称されるほどの人気ぶりであった。主に熱湯風呂や熱々おでん、わさび寿司、ゴムパッチンなどのリアクション芸は殆どが上島の芸によって広まっていったのがきっかけであり現在もその芸を伝統する芸人は数多くいる。

また、リアクション芸の他にもギャグを多数持っており、それを披露すれば大抵はスべるのだが、その際のリアクションやセリフをさらに笑いに変える事ができる程の実力も兼ね揃えている。特に同じくリアクション芸の一戦で活躍していた出川哲朗とはライバルかつ盟友として知られており、彼等が体を張り合う姿はまさに熱血そのものと言われている。

そんな姿とは裏腹に後輩芸人からの人望は厚く、後輩の有吉弘行カンニング竹山土田晃之劇団ひとりは彼らが無名時代から付き合いがあり、やがて彼らが売れっ子になっても交流は続いており、大先輩のビートたけし志村けんとの交流もあり、広い人脈を持っていた。

しかし2022年、自宅の自室で縊死しているところを妻によって発見された。奇しくも還暦を迎え1年を過ぎたばかりで、数日前にもテレビでコントを披露しており、前日まで知人との交流があった矢先の悲劇だった。この突然の訃報は志村同様、全国に衝撃を走らせた。

横山やすし

西川きよしとのコンビ、「やすしきよし」で昭和の漫才ブームを牽引した20世紀を代表する天才漫才師。

その才能と実力は確かなもので、特に後輩芸人に大きな影響を与えた人物の1人であり、後述するビートたけし(ツービート)や明石家さんまなど、『全員集合』を終了に追い込んだ『オレたちひょうきん族』の主要出演メンバーにとっては伝説的存在であった。また、『笑点』で歌丸に次ぐ古株である初代林家木久蔵(現・林家木久扇)とラーメンを通じた親交があったことでも知られている。

しかし、破滅型の天才であったことが災いし、その性格から不祥事も多く、その度重なる不祥事が原因で西川きよしとのパワーバランスが狂った上、後年のきよしの政界進出もあって、酒にのめり込むようになってしまう。

1996年アルコール性肝硬変により死去。享年53歳の早逝であった。

番外:ビリー・ヘリントン

日本人ではなく(アメリカ人)生死観・信仰的な面では逸れると思われるが、間違いなくネ申と称されるべき人物。もともと本業は男性向け同性愛ポルノ俳優であったが、その映像の一部を使ったニコニコ動画の釣り投稿が起爆剤となって、それこそ文字通り全世界に名の知れ渡った人物。

前述した人物と異なるのは、(お笑い芸人としての)プロ活動ではなく、ニコ動を中心としたユーザー側の悪ふざけによりその地位に上り詰めたことである。特に空耳(英語の発音が日本語の別の意味っぽく聞こえる現象)である歪みねぇなは日本のWebユーザーなら一度は聞いたことのあるスラングとなった。これら空耳スラングは妖精哲学の三信として、道徳観の下がりつつある現代への戒めとも言われる。

本人も拒否感を抱くどころか、ニコ動のイベントに合わせて度々来日し、ファンと交流を深め、多くの人に笑顔と感動を届けた。また「妖精哲学の三信」に合わせたかのような発言をしてもいる。詳細はこちら(外部リンク)

2018年、若干48歳にして自動車事故により急逝。その死はWebを通じて全世界に伝播し、多くの人が悲しんだ。「涙でんでねぇな……」

負の共通点

ここにあげられる芸人に共通することが「不健康な生活をおくっていたこと」である。(例外が、元来体が強くないことを踏まえ、早くから健康に気を使うようになった渥美清)。

具体的には「ヘビースモーカーであった」、又は「酒を浴びるように飲んでいた」という点。

タバコについては志村と歌丸は肺疾患であり、高齢になって体調を崩した時点で禁煙に踏み切るものの、それまでに肺が受けたダメージを回復するには遅すぎた。いかりや・志村・歌丸は享年を考えると決して短命とは言い難いが、結果として煙草がその死期を早めることになった(歌丸の死因となった慢性閉塞性肺疾患は、長年の喫煙が直接の原因であるのは勿論のこと、志村の死因となった新型コロナウイルスによる肺炎も、喫煙により重症化リスクが高まることが知られている)。

酒については横山や赤塚が浴びるように飲んでおり、それが死に直結している。志村も禁煙はしていたものの上記の面倒見の良さもあり、後輩芸人たちと酒を飲むことはやめなかったという。また歌丸は本人は下戸だが、『笑点』でブレイクするきっかけとなった初期の掛け合い相手の三遊亭小圓遊をやはり横山同様の結果で亡くしている。

これは、芸能界という閉鎖的な社会において、伝統的な昭和の「男は飲む・打つ・寝るをやって一人前」という習慣が他の職業と比較して色濃く、またそのような空気が業界においてかなり後年まで残っていたことが要因であろうと思われる。

生き神様

中には、生きながらにして笑いの神様と讃えられる男達もいる。

お笑いBIG3

昭和後半から平成にかけてを代表するコメディアンの1人。他の「笑いで偉大になった人」が「ゲラゲラ笑える笑い」が多いのに対し、「クスッと笑ってしまう」笑いを得意とするインテリ系コメディアン。昭和末期から平成の大半にかけて『笑っていいとも!』のMCを務め、日本を代表する「お昼の顔」であった。現在はブラタモリなどバラエティ番組のMCを務めるが、そこでも笑いを取りに行くことは忘れていない。

上記「やすきよ」の昭和漫才ブームの際にお笑い漫才コンビ「ツービート」としてデビュー一時期“土曜8時戦争”で無敵を誇ったTBSの『8時だョ!全員集合』に対しでフジテレビがぶつけたオレたちひょうきん族の中でも特に印象に残る出演者となり、お笑い界の頂点の1人となった。その後、本名の北野武名義で映画監督となり、自ら主演。海外には映画監督としてその名が知れ渡っている。その一方で、『世界まる見え!テレビ特捜部』のオープニングショーなど、など、お笑いに注ぐ情熱も失ってはいない。

ボケ・ツッコミ・ノリツッコミ何でもできてしまうお笑いの才能が服着て歩いているような人物。他の芸能人の何気ない話題を爆笑ネタに変えてしまうという特技の持ち主。他の芸能人を弄る一方で、自ら身体を張ることも躊躇わない。特にビートたけしとは『ひょうきん族』以来の腐れ縁で、たけしと共演するとだいたいひどい目に遭う。

だが、彼のお笑いにかける情熱は、実は幼少期の自らの恵まれない過去故とも言われている。また、日本航空123便墜落事故から辛くも逃れたというエピソードも持っている。

ドリフの後継者達

自称「目立ちたがり屋の芸人」。一般には音楽バンドサザンオールスターズのリーダーとして知られているが、マイクを握らせたが最後一度はお笑いを取らないと気がすまない性格の持ち主。サザンがブレイクする前の一時期、ドリフのメンバー入りを打診されたこともあったとか。ミュージシャンとして日本では知らぬ者のいない人物だが、ライブでは地上波の中継がないことをいいことに好き勝手放題で観客にエロスと笑いを届ける男として、ファンには知られている。ある意味、音楽にステ振りしたドリフの後継者。

お笑いコンビ「ダウンタウン」のツッコミ担当。そのツッコミは相方の松本人志に留まらず、他のどんな重鎮と呼ばれるような人物でも、ちょろっとスキを見せようものなら即座にツッコんでお笑いに変えてしまう。その実力は、上記の志村けんをして「芸能界で俺を殴れるのはお前だけだよ」と言わせるほど。

笑いの神様になった

『ひょうきん族』でブレイクした芸人の1人。それまで女性のお笑い芸人は男性芸人の前座・添え物的な扱いを受けていたのが、彼女は女性お笑い芸能人としてタレント好感度ナンバーワンにまで上り詰め、冠番組を頂き、笑いのジェンダーフリー化を果たした。現在女性お笑い芸人が数多く活躍しているのも、彼女の功績が大きいものと思われる。

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神様 笑いの神

天国へ野球をしに行った男:プロ野球選手バージョン

天国へサッカーをしにいった男:サッカー選手バージョン

天国にコンサートしに行った男:歌手バージョン

天国へ漫画を描きに行った男:漫画家バージョン

天国へ競走しに行った馬:競走馬バージョン

天国に闘魂を捧げた男:プロレスラーバージョン

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